■スポンサードリンク
死ぬことと見つけたり
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
死ぬことと見つけたりの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.61pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全71件 1~20 1/4ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
新品で購入したが、カバーにキズがある。上部にもヨレがある。面倒なので返品はしなかったが到底新品とは思えない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
素晴らしい。上下二巻を一気に読んでしまった。 未完ではあるが、少しもそれを感じさせない。 (完成していればなお良いとは思いますが) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
My package came speedy and undamaged, although (supplier may not be responsible) the packaging was very thick. Considering how packages are handled overseas, that was probably very important in keeping my book safe. I'm very happy with my book, thank you! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公など佐賀の鍋島藩士は、自分を死人と捉え生きていくことで、死を恐れず、一瞬に己の全てを賭けることで凄みが増す。「失うべき何物も持たない死人の方には負けはないのだ。彼等は勝つことさえ望んではいない。勝っても負けても、やるべきことはやる」という死人の考え方が新鮮であり、武士道についての理解が深まりました。 ただし、未完の作品であり、続きが気になりすぎるので★3つ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公など佐賀の鍋島藩士は、自分を死人と捉え生きていくことで、死を恐れず、一瞬に己の全てを賭けることで凄みが増す。「失うべき何物も持たない死人の方には負けはないのだ。彼等は勝つことさえ望んではいない。勝っても負けても、やるべきことはやる」という死人の考え方が新鮮であり、武士道についての理解が深まりました。 ただし、未完の作品であり、続きが気になりすぎるので★3つ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
満足です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
歴史好き、武士好き、男道好きなら是非読んでください。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
歴史好きの方でもそうでない方でも武士道の基礎となる書として最高に面白いです。 物語としても秀逸だと思いました。最近は友人へのプレゼントとしても利用しています。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
死ぬことを恐れない生き様に惚れ惚れする 今よりしがらみの多かっただろう時代に、死を恐れないからこそできる爽快な行動がとても魅力的だった | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
死を覚悟できていて、どういう行動を取るのかが面白い。元気が出るというか、覚悟ができるというか。 読んで得るものがある | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
今まで読んできた時代物小説では終始面白かった。 主人公の”実践的な覚悟と洞察力”が次々と押し寄せる難題を痛快に乗り越えて行く。真の強さを感じました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
心の持ち方がよく分かりました | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
武士道とは死ぬことと見つけたり―常住坐臥、死人となって生きる佐賀鍋島「葉隠」武士。死人ゆえに自由、死人ゆえに果敢、死人ゆえに晴れやかな主人公たちの、藩内外の、更には幕府相手の型破りの活躍。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
(上巻より)斎藤杢之助、牛島萬衛門、中野求馬の佐賀藩を護る闘いは続く。二階堂平法の遣い手、松山主水の城下の道場荒らしを退け(第8話)、長崎の高木彦右衛門の娘を犯そうとする無道を膺懲し(第9話)、実弟斎藤権右衛門に降りかかった喧嘩を片付け(第10話)、暗愚な世子鍋島光茂への藩士の怨念に立ち会い(第11話)、更に光茂を弾劾しようとする親類三藩の陰謀を挫き(第12話)、小城藩主鍋島元茂を寺社奉行に任じて佐賀藩の分裂を計る老中松平信綱の陰謀を覆し(第13話)、求馬の嫡男数馬と、杢之助の長女静香の婚礼にあたり、男勝りの剣客静香は、詐略で陥れようとする家老の子息を打ち破る(第14話)。 そして死期が近づいた鍋島勝茂は、世子光茂へ代替わりする為に最後の江戸出府を行い、求馬と杢之助は殉死覚悟で江戸へ赴く。佐賀藩取り潰しを狙う松平信綱の弱味を握る様、勝茂より命を受けるが、明暦3年1月18日の明暦の大火に遭遇し、悲惨な現場に遭遇する。その中で偶然にも、信綱の意を受けて本妙寺の住職が放火した証拠を掴み、杢之助達は信綱と直接対決に臨む(第15話)。物語はいよいよ佳境を迎えたこの場面で、未完の儘終了する。 著者隆慶一郎氏は1989年の(平成元年)11月4日急逝。残されたシノプシスが、僅かに松平信綱の屈服と鍋島勝茂の死(第16話)、斎藤杢之助の伊万里湾での補陀落渡海による殉死(第17話)、死を賭して藩内を和解させ、その責任を取った中野求馬の死(第18話)が描かれる予定だった事を示している。永遠に語られることの無いその結末はどの様になったのであろうか。余りにも惜しまれるその死に、今は冥福を祈るのみである。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
前書きが面白い。著者の実体験であるが、昭和18年12月、東京帝大文学部在学中に召集、陸軍歩兵として北支に出征する際、兵営に持ち込む事の出来ないランボーの文庫本を隠して持ち込む為に、『葉隠』の一部をくり抜いて隠し、持ち込んだ。その時は見向きもしなかった『葉隠』であったが、戦地で文字に飢えた時此れを貪り読み、その面白さを知る。それが著者と『葉隠』の出会いであった。 佐賀藩浪人斎藤杢之助は、平穏な世渡りを生きる術を知らないいくさ人で、起きると寝床の中でありとあらゆる自らの死に様を想像し、毎朝死ぬのを日課とする「死人」でもあった。代々佐賀浪人の祖父杢右衛門と父用之助は、元和4年6月、藩祖鍋島直茂が死ぬと殉死し、以来弟の権右衛門は手明槍に召抱えられたが、杢之助は自ら求めて浪人の儘であった。 寛永14年10月27日、佐賀城留守居筆頭多久美作守の許へ、隣藩島原藩に接した飛地神代(くましろ)より、切支丹一揆による島原城攻撃の注進が届き、直ちに江戸の二代藩主鍋島勝茂へ報告された。幕府は島原藩主松倉勝家を急遽帰国させ、板倉重昌を上使として派遣するが、一揆は強勢であった。幕府は新たに老中松平伊豆守信綱を上使とし、此の鎮圧に諸藩の兵を集めた。佐賀藩も此れに参陣。浪人の身軽さでさっさと城内に忍び込んだ杢之助は死人の集まりの一揆の内情を見抜き、利害の外で働くが思いがけず友人の中野求馬と共に抜け駆けの一番乗りを果たしてしまう。そして此の事は軍令違反として、老中松平信綱の佐賀藩への憎悪の原因となるのである。 杢之助は一番乗りにより佐賀藩士の中で高名ないくさ人となり、佐賀中の浪人や手明槍(土佐藩の一領具足に相当する下級武士)を動かす隠然とした人望を集める。ただし当の本人は出世や世間の欲得になんら興味もない死人(しびと)なのである。此れについて著者は本文で以下の様に述べている。 『彼等は死人(しびと)である。既に死人だからこそ、平静に死を見つめ迎えることが出来る。そしてそうでなくては戦闘のプロとはいえまい。間違っては困る。彼等の仕事とはあくまで闘うことである。闘って死ぬことである。死人にほかのことが出来る道理がなかった。又それだからこそ、武士には扶持というものがあるのだ。扶持は断じて戦功に対する褒賞ではない。それはすぐれた『いくさ人』を維持してゆくための必要経費だったのである。」 此の後も、島原の乱の軍令違反を恨み、藩主勝重を切腹に追い込もうとした信綱の屋敷を、浪人衆が化けた僧侶による夜通しの読経で追い詰めて閉門で済ませたり(第2話)、吉原で旗本奴水野出雲守成貞と闘争し此れを屈服させたり(第3話)、鍋島藩の旧主龍造寺家の血流、龍造寺伯庵の家名再興と佐賀藩分断の企図を挫いたり(第4話)、分家の小城藩主鍋島元茂と、蓮池藩主鍋島直澄の本家後継争いを抑え、裏で糸を引いた家老筆頭多久美作守を膺懲(第5話)、と陰に陽に活躍する。また思いがけず産まれた双子の実子に与える為、肥前の山中で大熊を仕留める猟の様子などは(第6話)、いくさ人の本懐を描いていて大変興味深い。 最後に鍋島武士の凄絶さを示す本文を引用する。 『犬死という言葉には、価値観が含まれている。何をもって犬死と云い、何をもって犬死でないと云うのか。それはその人間の判断による。要するにそれは計算であり、損得ということになる。 『武士道といふは、死ぬ事と見附けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片附くばかりなり。別に仔細なし。胸すわつて進むなり。図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当るやうにするは及ばぬ事なり。我人、生くる方が好きなり。多分好きの方に理が附くべし。若し図にはづれて生きたらば腰抜なり。この境危きなり。図にはづれて死にたらば、犬死気違ひなり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕果すべきなり。』 これは余りにも有名な『葉隠』の一節である。佐賀鍋島の武士のこころざしたものは、『犬死気違ひ』になることだった。杢之助と萬右衛門の二人には、明らかにそれがある。ことの大小を問わず、理由の正逆を問わず、一瞬に己れのすべてを賭けて悔いることがない。正に勁烈としかいいようがない生きざまである。』(下巻に続く) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
相も変わらぬ主人公の超人ぶりに、決まり切った結末の繰り返し、物語は奇想天外の域に入って行く。それとともに滑稽味すら帯びて、中身も薄まり、読むに面白みどころか、苦痛すら感じた。著者は「『葉隠』は面白くてはいけないのか?」と仰るが、これでは、『葉隠』自体に傷がつく。著者は、そうした心配を致さなかったのであろうか。絵画でもそうであるが、デフォルメは幾らしてもよいが、リアリティを失くしては、名画とは言い得ない。リアリティこそ、創作の最後の砦である。その点からして、完全なる失敗作と断じたい。星2つは、これまでのカスタマーレビューとの、余りの較差ゆえに、とした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
著者が冒頭に記している通り、「自分の意にかなった生きざまを頑として生き抜いた曲者たちの」一大かどうかは読み手次第の「ロマン」、そして『葉隠』がその原典、そうなんですね。でも『死人(しびと)』として生きる人の「生きざま」って、何なのでしょうね。また「生き抜いた」とも仰いますが、著者の込めたものは何なのでしょうか。 物語は、不思議に思える程に、痛快に仕上がっています。当たり前かも知れません。何せ主人公は、生きる自分に迷いが全くない、超に類する戦闘と思考の能力に長けたた人物なのですから。暗さが微塵もなく、明る過ぎるほどです。第7話の「飼熊」の例えや、「三歳の餓鬼でも、自分のしたことがいいことか悪いことか、ちゃんと知ってるもんだ。そうして罪を犯せば罰せられることも知っている」「罰をうけねえと」「馬鹿にされたと信じるんだ」「侮辱された。はっきりそう思うんだ」の件は、考えなければならないものを感じましたが、怨念や怨霊が噴出したりして、一体にリアリティに欠ける、そんな印象がします。書中に出て来る『葉隠』からの引用も、要点などを知る一助にはなりますが、真に迫る力を持ち得ないでいます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
面白かったです 途中から、なんとなく鍋島藩中の事件簿的になります 一つ一つの事件や登場人物が徐々につながっていく感覚も面白いす | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
歴史ものは,似たような名前の登場人物で,覚えられなかったり,あれ?これ,だれだっけ?と読んでいる途中で読み返すと繰り返している私でしが,こちらの本に出てくる登場人物は皆,個性あふれる人間ばかり.すぐに上巻を読み終えました. | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
すすめられて読み始めたのですが,どんどん本の中に引きこまれて・・あっと言う間に読み終え,この先が読みたいと思える一冊でした. | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!