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死ぬことと見つけたり
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【この小説が収録されている参考書籍】
死ぬことと見つけたりの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.61pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全5件 1~5 1/1ページ
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主人公など佐賀の鍋島藩士は、自分を死人と捉え生きていくことで、死を恐れず、一瞬に己の全てを賭けることで凄みが増す。「失うべき何物も持たない死人の方には負けはないのだ。彼等は勝つことさえ望んではいない。勝っても負けても、やるべきことはやる」という死人の考え方が新鮮であり、武士道についての理解が深まりました。 ただし、未完の作品であり、続きが気になりすぎるので★3つ。 | ||||
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主人公など佐賀の鍋島藩士は、自分を死人と捉え生きていくことで、死を恐れず、一瞬に己の全てを賭けることで凄みが増す。「失うべき何物も持たない死人の方には負けはないのだ。彼等は勝つことさえ望んではいない。勝っても負けても、やるべきことはやる」という死人の考え方が新鮮であり、武士道についての理解が深まりました。 ただし、未完の作品であり、続きが気になりすぎるので★3つ。 | ||||
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武士道とは死ぬことと見つけたり―常住坐臥、死人となって生きる佐賀鍋島「葉隠」武士。死人ゆえに自由、死人ゆえに果敢、死人ゆえに晴れやかな主人公たちの、藩内外の、更には幕府相手の型破りの活躍。 | ||||
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(上巻より)斎藤杢之助、牛島萬衛門、中野求馬の佐賀藩を護る闘いは続く。二階堂平法の遣い手、松山主水の城下の道場荒らしを退け(第8話)、長崎の高木彦右衛門の娘を犯そうとする無道を膺懲し(第9話)、実弟斎藤権右衛門に降りかかった喧嘩を片付け(第10話)、暗愚な世子鍋島光茂への藩士の怨念に立ち会い(第11話)、更に光茂を弾劾しようとする親類三藩の陰謀を挫き(第12話)、小城藩主鍋島元茂を寺社奉行に任じて佐賀藩の分裂を計る老中松平信綱の陰謀を覆し(第13話)、求馬の嫡男数馬と、杢之助の長女静香の婚礼にあたり、男勝りの剣客静香は、詐略で陥れようとする家老の子息を打ち破る(第14話)。 そして死期が近づいた鍋島勝茂は、世子光茂へ代替わりする為に最後の江戸出府を行い、求馬と杢之助は殉死覚悟で江戸へ赴く。佐賀藩取り潰しを狙う松平信綱の弱味を握る様、勝茂より命を受けるが、明暦3年1月18日の明暦の大火に遭遇し、悲惨な現場に遭遇する。その中で偶然にも、信綱の意を受けて本妙寺の住職が放火した証拠を掴み、杢之助達は信綱と直接対決に臨む(第15話)。物語はいよいよ佳境を迎えたこの場面で、未完の儘終了する。 著者隆慶一郎氏は1989年の(平成元年)11月4日急逝。残されたシノプシスが、僅かに松平信綱の屈服と鍋島勝茂の死(第16話)、斎藤杢之助の伊万里湾での補陀落渡海による殉死(第17話)、死を賭して藩内を和解させ、その責任を取った中野求馬の死(第18話)が描かれる予定だった事を示している。永遠に語られることの無いその結末はどの様になったのであろうか。余りにも惜しまれるその死に、今は冥福を祈るのみである。 | ||||
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著者が冒頭に記している通り、「自分の意にかなった生きざまを頑として生き抜いた曲者たちの」一大かどうかは読み手次第の「ロマン」、そして『葉隠』がその原典、そうなんですね。でも『死人(しびと)』として生きる人の「生きざま」って、何なのでしょうね。また「生き抜いた」とも仰いますが、著者の込めたものは何なのでしょうか。 物語は、不思議に思える程に、痛快に仕上がっています。当たり前かも知れません。何せ主人公は、生きる自分に迷いが全くない、超に類する戦闘と思考の能力に長けたた人物なのですから。暗さが微塵もなく、明る過ぎるほどです。第7話の「飼熊」の例えや、「三歳の餓鬼でも、自分のしたことがいいことか悪いことか、ちゃんと知ってるもんだ。そうして罪を犯せば罰せられることも知っている」「罰をうけねえと」「馬鹿にされたと信じるんだ」「侮辱された。はっきりそう思うんだ」の件は、考えなければならないものを感じましたが、怨念や怨霊が噴出したりして、一体にリアリティに欠ける、そんな印象がします。書中に出て来る『葉隠』からの引用も、要点などを知る一助にはなりますが、真に迫る力を持ち得ないでいます。 | ||||
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