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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全562件 501~520 26/29ページ
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村上春樹さんの作品では、ファンタジー色の強いものと、より現実感の強いものがあるように感じます。前者が『1Q84』や『世界の終わりと…』、後者が『ノルウェイの森』。本作は後者に属するように思いますし、読んでいて『国境の南、太陽の西』を思い出すところもありました。個人的には、前者の方が圧倒的に好きなんで、そういった意味では若干の期待外れではあったのですけれど、一気に読み進めさせられてしまう魅力は健在。出来たら、もっと短いサイクルで新作を発表していただきたい、というのが一ファンとして切なる願いです。 | ||||
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多崎つくるは、十六年掛けて、じっくり成長しました。。男2人は、あっさり描写されているのに対し、女性像は克明に描かれています。これが鍵かもしれない。置いてきたもの、手放せないもの、大事にしているもの、通じない思い、共感しながら読みました | ||||
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比較的理解しやすい表現で書かれた、若者の葛藤を描いた作品でした。 それは今の時代をもがきながら生きる日本の若い人たちに向けた村上春樹さんからのエール。 そのように私は受けとめました。 難解な文学作品など読む余裕もない、もしくは読んだこともないような人たちにもちゃんとメッセージが届くように。 伝えたい相手にちゃんと伝わるように書かれているのだな、と勝手に解釈しつつ、読み終えました。 村上春樹さんの新刊発売というお祭り騒ぎにどんどん便乗して、読者の裾野が広がればいい。 この作品を必要としている人にまっすぐに届きますように。 今後の作品も楽しみです。 | ||||
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村上春樹 新作読了して やはり感嘆すべき作家です。 想像する力と、緻密な言葉の積み重ねが 読み手のイメージを多層的に拡げ、 時にはユーモアと絶望が交響して、 読書する醍醐味を味わせてくれました。 もし私がもう少し青春時代に近ければ、 かなり胸が痛み、呼吸がつらくなってしまったかも知れません。 この人は「失い続けること」を意識させる名人です。 この厚さ、ポイントで1700円はちょっと高いかなと思いましたが 値打ちは十二分にあります。 ただ気になることもあります。 この人はファンは中国や韓国にも多いと聞きます。 作中の重要なタームの一つとして 「記憶に蓋をすることは出来る。でも歴史を隠すことは出来ない。」 という言葉が数度出てきます。 これが単に、個人の切実な経験に言及した、普遍的な人間感情として 書かれているのなら良いのですが(そう願っていますが)、 何か政治的なものを指向しているなら鼻持ちならない言葉であり、 また或るもくろみを持った「何か」に利用されかねない危惧を感じました。 さらに突っ込めば、それがどんなに当人にとって切実であり、 かけがえのない経験、記憶でも、それが個人のものである限り、 正確には「歴史」とは言いません。 でも、とにかく素晴らしい小説がまた読めて幸せでした。 | ||||
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「雑文集」の中に『余白のある音楽は聴き飽きない』と題したエッセイが収録されていますが、今回の新作を読んで感じたのは「余白が少ないな」ということです。 以前の作品では、魅力的かつ謎めいたパーツと工具が読者の前に静かに差し出され、それを読者が心のおもむくまま組み立てていく密やかな楽しみのようなものがあったと思うのですが、今回の作品では読み手が手を出す間もなく作者の側で恣意的に組み立てられていくような感じがあった。 以前の作品にあった、静かな余白があまり感じられず、急きたてられるように物語は進んでいく窮屈さも感じました。 作者が饒舌になった分、登場人物の生き生きとした存在感が失われたような気もしました。 あくまで著者の以前の作品と比較しての感想です。 | ||||
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「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」とても長いタイトルで最初は、全然意味がわからなかった。しかし、今の自分にはとても良く理解できているし、こんな簡単なことだったのかと頭を悩ませていた。文章は解りやすくどんどん進んでいった。内容も一人の青年をとりまく周囲の友人関係の話で、興味深い物語だ。今回は、ネットで予約をして購入したから、販売当日から読むことができたが、そうでない人はどうなのだろうか?書店で手に入れることができたのだろうか。他の評価を見るとそんなに高くはないが、私的にはいい評価をつけたいと思います。主人公の多崎つくるの行動力そして過去をさかのぼって問題を知り解決することに感心した。その中から・・・・・・。 「限定された目的は人生を簡素にする」 「記憶を隠すことはできても、歴史を変えることはできない」 最後まで読んで解ったことがある。これはラブ・ストーリーだということだ。やはりいつ読んでもラブ・ストリーはいいものだ。この小説の評価は高い。とても解りやすくて優しい内容に対してそして飽きない文章に・・・・・・。 | ||||
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あくまで個人的な話… 村上春樹の作品は人を落ち込ませもするし、元気にもする。それは人の本質を描いているから。人の痛いところを余すところなく描いているから。人の欲望を包み隠さずえがいているから。そう思います。 主人公に名前がついたことで、より自分に身近なものと感じた。 数ある村上春樹作品の中でもよりリアリティーが感じられる作品。より人を落ち込ませ、より人を元気にする力をもった作品。 抽象が具体へ一歩進んだ、村上春樹らしくもあり、らしくなくもある作品。 私は大好きです。自分自信を見つめなおさせられ反省し、いきる活力をもらいました。 | ||||
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どうにも長編となると無駄に力が入ってボロが出る、というのが村上春樹の印象なんですが。この規模の作品は面白いですね。 ただ、「巡礼」ってほどかな?とは思いました。かつての友人を順番に訪ねて一人一人昔の誤解を解いてるだけというか。 当時一人でグチグチ死ぬほど悩むんだったら、もっと行動起こすべきだったのでは?とか思ったり。まぁ、そこでアクティブにガンガン攻められないあたりが、村上春樹の奥ゆかしさなのかもしれませんが。 深いかと言われると疑問ですが、淡い感じはします。結末もはっきりしませんしね。 | ||||
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皆さん、読み終えるのが早いですね。 私は仕事の合間などに読んでいるので、まだ「2」を読み終えたところです。 ですので、まず、さわりのところまでの印象を書いておこうかと思います。 まず、表紙。 カラフルな鉛筆のような、煙突のようなものが並んでおり、タイトルの「色彩をもたない」とは逆になっているところが面白い。 で、書き出し。 本の帯に「ある日ふと思い立って、数行書き始め、どうなるかわからないまま半年書き続けた」とあるように、 出だしは主人公のいきなりの虚無宣言で始まるという、まるで漫画版のエヴァンゲリオンのような始まり方。 物語の冒頭が「死」から始まるという出発は、最終的に「生」へと転化されるであろうと予測でき、期待が高まる。 でも、最初の数行で、個人的な話で申し訳ないのですが、自分が書いた小説と同じ始まり方、語り口だったため、 妙にコミットされてしまった。 私の年齢も主人公とほぼ同じ。つまり同年代の心の空虚感が描かれている、と思った。 それなりに生活できる、物質的に豊かな団塊ジュニア世代は、ある種のマニュアル神話の中で幸福を追求する人生を求められる。 でも、そこには常に空っぽな自分を感じては来なかっただろうか? たぶん、高校生ぐらいで何か熱狂的のなれるもの、信じられる安定した世界観を欲しがったはずだ。 しかしそれは、幻想でしかなく、逃避でしかないことに、社会に出ると気づかされる。 私は三十代を前にして、どうやら鬱になったらしい。 メンタルクリニックにも行かずに耐えていたので、長いこと苦しかったのだが、 昨年あたりから病院を進められ、確かに鬱だったということがわかった。 どうしてそんなところに落ちこんだかというと、どのように生きていいのかわからなくなったからだ。 正解が見えない。しかし、正解なんてないのだ。 だからとにかく試行錯誤してきたのだが、何か進むべき運命が、巨大な無意識の塊の奥から語りかけていることは感じていた。今、それがなんなのか、理解できるようになってきた。 この作品の主人公は自殺に失敗して、死のことばかり考えていた。 私も死のことばかり考えて、自殺に何度も失敗した経験があるので、その辛さや痛みはわかる。 そして、無為にならざるを得ない日々をすごさねばならなかった。しかし、その無為と思われる時間というものは どうやら必要なのだと、最近河合隼雄氏の著作を何冊か読んでわかった。 河合隼雄氏は、すでに数十年前のインタビューでね四十代を前にして我々世代が危機に陥るだろうことを指摘している。 そして、今の我々は、自分の内的宇宙の存在ほ包含して、進まなくてはならないようだ。 この「2」までを読み終えてみて、なんだか河合隼雄氏の指摘した課題を村上春樹氏も感じているようだと思った。 読み終えたら、改めてまた追記として感想を書いてみるつもりだが、今のところ私は、この作品は読みやすく、優しい、 綺麗な文章だと思って評価している。 だだ、星をひとつ減らしたのは、それほど強いインパクトがあるテーマではなかったから。 やはり私は村上氏には、アフターダーク的な新たな試みを期待してしまうので。 でも、この作品、村上春樹さんにとっては、必要な過程のように思える。 何かの区切りのために、必要だったのではないだろうか、と感じられる。 | ||||
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「巡礼の年」というフレーズに惹かれ、『海辺のカフカ』以来、久々の購入です。 文体に引き込まれ、一気に読了しました。 読了直後の感想は ・技巧的には最高傑作であろう。 ・脱線や物語に不要な虚飾が廃されている。 ・春樹作品らしい、現在の主人公とパラレルな世界(一応今作は過去のエピソードということになってるが、過去作品と同じく心象風景的な側面のものと捉えた方が良いかもしれない)が挿入されて展開されるストーリー。 今作ではかなり早い段階で、現在の主人公の物語一本に収束する。その点に村上春樹自身の成長が感じた。 ・『国境の南、太陽の西』で描こうしたテーマ。それにもう一度取り組んだ作品? というものです。 他のレビューで書かれている程、不親切で投げっぱなしという印象は受けませんでした。 そのような疑問の答えや最終的な結末を暗示させる隠喩や象徴が作品中に散りばめられていますし それを探しながら、もう一度読むというのもまた楽しいのではないでしょうか? | ||||
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名古屋。物が豊かで、変化はなく、とても壮大な退屈な街。私も住んで居ましたが、地元の人にとっては、何でもある、私にとっては何もない街でした。そこに留まった彼らには、色彩はあったが、色彩時間なかったのではないか。街のネオン、看板は色彩だ。しかし、看板やネオンは平面で、ここに出てくる登場人物はできる限り奥行きなく描かれている。クロとの再会のシーンは、ゆらぎや甘さがある。だから、本の厚みもこれ以上はあってはいけない。あくまで表面的に。 出てくる音楽はリスト。アラウについて触れられているが、リヒテルは趣味じゃないのかな。特徴的なのはシベリウス。フィンランドが巡礼のクライマックスに選ばれている。 この本の理解に、シベリウスの次のような言葉が不可欠なのではないだろうか? 「皆さんが、色とりどりのカクテルを差し出すとき、私は透明な水を差し出しているのです」 現代音楽、技巧に満ちた楽曲の中で、シベリウスの音楽は20世紀のそれに聴こえない透明さがある。交響曲5、7。 あの震災以降、色を失った景色の中で、透明な水をまずは一杯、差し出したのではないでしょうか。 | ||||
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一通り読んでみてやはり著者村上春樹のストーリーテラーとしてのレベルの高さ、センスの高さを感じ取ることができます。色を持つ4人とそれに関わる多崎つくるの物語は、どこかしら不思議な点を感じさせます。そして誰にでも訪れるであろう人間関係の不和とそこからの復帰が今回の主要テーマで、読む人を選ぶ趣はあるものの、やはり著者の人間観察の鋭さと、根底を流れる精神の奥深さを感じさせます。今回の作品は物語的な面白さを追求したというよりは、何が言いたいのかに重きを置いた作品であるといえる、とそう思います。その点を探りながら読んでみると、著者の考え、言いたいことが理解できるのではないでしょうか。 | ||||
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はじめて村上春樹の世界観に触れて、面白くときにヒリヒリと傷むような感じがして揺り動かされた。 そして、次の新しい小説はもう用意されていると思えてならない。 | ||||
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気軽に読めて、そして読後、外に出て風景のひとつひとつが、世界が、愛おしいものであることを再確認したくなる小品。リストの「巡礼の年」をかけながら読むと更に良いかも。 | ||||
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とても温かい、勇気のわく1冊でよかった。 登場した4人の昔の友達の16年後の様子、その一人ひとりが、自分の中にすべてある様な気がして、はっとしました。 車のディーラーで表面的に成功している友達、啓発セミナーのような会社を興して「やる気」を商品にしてる友達、クリエイティブなことを追及している友達、そして、自分の存在を許せなくなっている友達。 こういう要素、全部自分の中にあります。 そして「いいじゃんそれで。」と村上春樹さんに言われているように感じました。 特にディーラーの友達は、ありありと情景が思い浮かび、伝わるメッセージがものすごく明確でした。私の表の顔とかぶる。 主人公が東京にいて、友達が名古屋にいる。 ちょっと時間をかけたら、すぐに会える距離にいる友達。でもほとんど会いにいかない。 これって、日常生活に疲れてなかなか気づかない、自分の内側にいるいろんな性格をした自分に会いにいかないことと、同じに思えました。 震災後、何がなんだかわからないまま過ぎた時間を超えて、春に届いた村上さんからのエールでした。 ありがとう。と言いたいです。 | ||||
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生きていても死んでいることもあって、死んでいても生きていることがある、そんな肉体と魂の話という読後感です。 30も後半になれば必ず人生を左右する出会いがあり、別れがあり、恋愛とか狭義ではない魂と魂の深い結びつきであったからこそ、引きちぎられるような別れもある、そういう諦観の中で生きている(生きざるをえない)人には響くプロットです。 何人かがご指摘のとおりおそらくモチーフが国境の南太陽の西に近いですが、モチーフやひとつひとつのエピソードやキャラ設定ではなく、作者の伝えたい心理学的な無意識(あっちとこっち)の世界のつながりを意識すると、メッセージが深く伝わります。 全体の構成が古典「クリスマスキャロル」に近く、オムニバス的に過去の人との出会いを通じて、いまの自分を取り戻すものの、結局相手を考えるがゆえに受身のような選択をする主人公が歯がゆかったです。ただそれも単なるつくるの婚活の物語にしなかったところに、ありきたりの恋愛小説から脱却しようとする作者の狙いなのかなと思いました。 人から深く傷つけられたこと、同時に相手も傷ついたこと、しかしそれは悪意の出来事ではなく偶然であったがゆえに、誰かを悪者にできず、ずっと苦しんできたことがすっと氷解するようでした。このカタルシスこそが村上春樹の求めている小説の作用だとしたら狙い通りですが、喪失感を抱えたまま生きるという、救済のない(もしかしたら作者的には救済かもしれませんが)現代人の生き方そのものの哀しみを同時に得ました。 関係ないですが物語の進行役として、サラさんが妙に自覚的な発言でつくるを導くのですが、こういう自覚的な女性ってそんなにたくさん(パーティで紹介してもらえるほど)いるものなのでしょうか・・・。 なお、青山の骨董通り周辺は村上春樹小説によく登場しますが、ここ通るたびに、「この土地の何があっちとこっちの世界の入り口の象徴として彼を惹きつけるのか」かを考えます。 | ||||
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名前に色の名前を含む5人の仲良しグループの中で、 ひとり色を持たない多崎つくるが突然グループから決別させられ、 36歳になってその理由を確認するため、友人一人ひとりを巡礼していく。 途中殺人で死んでる友人や、突然出てくるホモ等ミステリアスな展開がありますが、 けっきょく犯人もホモの行方もなにも解決せず、全てがうやむやに終わるところは、 いつも通りの村上春樹作品らしい真骨頂でした。 | ||||
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多崎つくるは,20歳のときほとんど死ぬことだけを考えて生きていた。 名古屋での高校生の時から親密に交際していた4人の友だちから,ある日,もうお前とは顔を合わせたくないし,口をききたくもないと告げられたのだ。妥協の余地なく唐突に。そしてその理由はなにひとつ説明してもらえなかった。 「乱れなく調和する共同体」みたいなものを維持しようとしていた高校時代の5人。 それなのになぜ・・。あまりの出来事に何もかもがどうでもよくなってしまったつくるは,半年で体重が7キロ落ち,顔つきも一変し世界を見る目も変わってしまった。 それから16年。 多崎つくるは36歳。 突然夜の海に突き落とされたような状態からなんとか一人で泳ぎ切れたつくるは,東京で駅をつくる仕事をしている。 20歳の時の経験が原因か,人と深いところで関われない,他人との間に常に一定のスペースを置くような傾向を持つようになっている。 そして,現在,木元沙羅という二つ年上の女性とつきあい始めた。 沙羅はつくるの高校時代の話に興味を持ち,つくるが抱えている心の問題を解決するには名古屋に行って,突然関係を打ち切られた原因を確認する必要があり,そうしない限り二人の関係は前に進まないと言われる。 こうして多崎つくるが高校時代の友人たちを訪ね,16年前の原因を確認する過程がえがかれる。 ただ,本書では,時系列的に原因究明の旅をえがくだけでなく,同時に,つくるが大学時代,なんとか死ぬことを乗り越えた直後に出会った二学年年下のある男(灰谷)との関係が描かれ,この物語が本書全体に村上春樹ならではの不思議な雰囲気を与えている。 灰谷は,鉄道の駅を作ることに興味を持つ多崎つくるに対し「限定して興味を持てる対象がこの人生でひとつでもみつかれば,それはもう立派な達成じゃないか」と言って,つくるに関心を寄せる。 そんな灰谷がつくるに話した,灰谷の父の経験談が奇妙だ。 そして私は「海辺のカフカ」や「スプートニクの恋人」などに含まれる奇妙な物語が大好きだ。 村上春樹の作品は,すべてなんらかの奇妙な物語が含まれ,それこそが村上春樹の醍醐味だと思います(「ノルウェーの森」だけはリアリズムの手法で書かれたものだと思いますが,それでも何か奇妙な感じも内包しています)。 本書において,灰谷の物語がなくとも作品は成り立ちそうですが,この灰谷の物語によって,本書を安易に,多崎つくるの喪失から再生への物語だ,とも言えないような雰囲気を醸し出しています。 | ||||
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相変わらずの心地よい文体、メタファーの洪水…。 直近の村上春樹にしては平易な長編…むしろ短編群に近い空気感。 自分の年齢もあるのか、「羊をめぐる…」や「世界の終り…」の時のような衝撃ときらめき感は弱かったが…。 シロとクロの転化を想定させる灰田くんや(光の三原色?)絡みでアカ・アオに呼応する緑川さんが消えていく挿話も村上春樹らしい心地よい仕込みだと感じました。 | ||||
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この小説、いやどのような作家のどのような作品にも、本来評価などというものは当てはまらない。ましてや村上春樹さんを評価するなど、僭越なことです。 半日を費やして、一気に読ませていただきました。登場人物は多くなく、それぞれがそれぞれの役割を担うべく発言をしますが、結局は主人公の心の葛藤がテーマ。 高校時代から大学二年に至るまでの友好的な友人関係の崩壊に端を発し、30歳半ばにしてその理由を確かめる旅に名古屋へフィンランドへと旅をするのだが、そこには単なる事実だけが存在し、それを受け入れ自分の人生を再考するきっかけにしかならない。 様々な人生での出来事を一夜の夢の物語として捉え、目覚めてしまえばまた新しい一日を過ごすしかない。 そんな繰り返しを、村上春樹さん流の巧みな文章で綴られた物語。 飽きもせず、眠くもならず、360ページを一気に読ませられる小説を書ける数少ない存在の作家、村上春樹さん。 楽しませていただきました。 | ||||
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