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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全562件 381~400 20/29ページ
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主人公のつくるくんが、自分が空っぽの容器のようだと、自信を持てずにいるところに共感しました。 自分には差し出せるものは何もなく、巡礼によって大切にしていた関係がこわれてしまった理由はおおむね腑に落ちたものの、相も変わらず無個性な自分。 でも、差し出せるものがないとか、自分を空っぽの容器のように感じていても、今も昔も自分のことを大切に思ってくれる人がいる。 自信を持つ勇気が大事だなって、背中押された気になりました。 世事に疎く、社会現象長蛇の列だそうですが、そんなに売れてるならこの本から前向きな力を受け取る人が多くいたらいいなと思います。 | ||||
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本書は、「自己の悩みの解決」や、「伏線が回収されるエンターテイメント」などを期待される方には不向きな作品だと思います。 読了して、すっきりとするわけではありませんし、むしろ、読後に「今までは気づかなかった悩み」に気づいてしまう、ということもあるかもしれません。ジャンル分けは必要ないと思いますが、言うなれば、純文学なので。 今までの村上春樹さんの作品と同様に、今回もいくつかの楽曲が出てくる(しかも今回は題名にまでなっている)のですが、やはり聴いてみたくなります。リストのピアノ曲をネットでダウンロードされた方も多いのではないでしょうか。 鳥の鳴き声も出てきますね。美味しそうなお料理も。 また、今回は色を持った名前(そういう名字って結構あるんだなあ)がキーになっています。(しかもこの色の組み合わせは四方(四季)に通じている気もするのですが。) フィンランド(行ったことありませんが)の夏の深い緑と風を、自分の五感をフルに活動させながら、読む…。 村上春樹さんの作品が好きな人は、そういう読み方を堪能されたのではないでしょうか。 そして、普段はそれほど気にしないようにして暮らしていながらも、実際には自分のすぐ近いところにある「生(性)と死と孤独」について、また考えずにはいられない…。 そのようにして、今回も作品を楽しませていただきました。 ありがとうございます。 | ||||
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すぐに欲しかったのに売り切れでした。過去の出来事を見つめなおすことは大切なんだなあ。 | ||||
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何やら酷評の嵐が吹き荒れているので擁護レビューを。 中身が無い、または現実的じゃなくてイラつくという理由で叩かれていますが、村上春樹さんの小説って総じてそういうものだと思います。 私は村上春樹さんの大ファンですが、なぜファンかというと幻想的な雰囲気の心地良さと文章のテンポの良さが群を抜いているから。 この小説もそうです。 分かりやすい確固たるメッセージ性やオチはありませんが、読んでいるときの気持ち良さは抜群でした。 歌詞が無く、心地良いインストゥルメンタルの曲を聴いているときのような。 もしくは、居心地の良い喫茶店で茶をすすっているときのような、そんな気分になれると思います。 仮に村上春樹さんの小説に分かりやすいメッセージ性やオチがあったら、恐らくその"感じ"が台無しになってしまうんじゃないでしょうか。 絵画で言えば写実性がない抽象画みたいなものかと。 ただ、今作は村上春樹さんなりの新しさは感じられませんでしたね。 すでに読んだことあるような…既視感を覚えてしまいました。 そんな理由で星マイナス1です。 | ||||
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村上春樹さんの本は今までノルウェイの森しか読んだことがありませんでしたが 今回、冒頭を流し読みして興味を抱き、購入に至りました。 ※下記ネタバレを含みます。 結論から言いますと、人を本気で好きになれない人、 また、その人を好きになった人を対象に描いたもので、 上記のような経験がある人にも読んで欲しい本だと思いました。 前者がつくるくんで、後者が沙羅なのではないかと。 本気で好きになれないのは、その先にあるかもしれない孤独が怖いから 本気で好きになれるのは、孤独を幾度と乗り越え理解した経験からの強さがあるから 経験を人生の道と例えるなら、 その経験を積んでいて理解していた沙羅は、 つくる君が今どこの道にいるのか、どこで立ち止まったままでいるのか分かっているように思いました。 だからこそ、早く自分と同じスタートラインまできてほしい 自分を追って、本当の「多崎つくる」にまっすぐ見て欲しいと思い 進むべき道の選択肢を与え、導き、その道をつくる君が巡礼という形で 廻ったのではないかと感じました。 つくる君が信心深い巡礼者であるならば 例えるなら沙羅は聖なる存在で 懺悔できる神様みたいな対象なのではないか、と。 だからこそ、彼女から言われたとおり聖地を巡礼して 最後に彼女の元に戻ってきた。 すべて今まで抱えていたものを禊落として、やっと0の自分に生まれ変わって 沙羅と同じ位置に立って、そこで「本当の多崎つくる」として告白をする。 最後はご想像にお任せします、という終わらせ方が憎いですが、 私はきっとうまくいったと確信しています。 村上春樹さんの作品はノルウェイの森しか読んだことがありませんが、 その本より今回出された本の方が好みです。 この本を読んで、私も沙羅のように 器の大きい女の人になりたいと思った作品でした。 また、つくる君に感情移入した方だけではなく クロや沙羅に感情移入出来た女性の方もなんとなくすっと 禊落とされるような気持ちになるのではないでしょうか。 | ||||
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とその時、どこからか微かに聴こえてきたのは、リストの「巡礼の年」のあえかな響き。「ロ短調ソナタ」では豪放磊落に叩きまくっていたラザール・ベルマンが、ここでは自らが発する繊細な音色をいとおしみつつ聴き入っている。かつて死せる吉田秀和翁が初めて見出したロシアの眠れる獅子のリリシズムに、作家は改めて出会ったのだ。 晴朗明晰のうちにも悲愴なモーツアルトの音楽のような文章を書いた漱石、ハイドンのような典雅な調べに激情を内封した鴎外、荷風、由紀夫、バッハのフーガのような螺旋運動を繰り広げる健三郎、「春の祭典」のごとき猥歌を高唱する健次。優れた小説においては、引用された音楽の引用ではなく、踊るように歩行する散文自体が音楽の響きを奏でる。 村上選手も好調な時にはハープシコードで弾いたスカルラッティのような軽快な律動で私たちを酔わせるのだが、今回はいくら耳を澄ませても妙なる調べは聴こえてこなかった。それはもしかすると彼が脳内に英語で記した幻の原文を、精妙な現代日本語に丁寧に置き換えることを怠ったからかもしれない。 けっして上出来とは思えない比喩の繰り返しや、突然消え去る登場人物の謎を読者をしり目に平気で置き去りにする恣意と乱暴さについて目くじらを立てるのは大人げないとしても、前作の影を引きずったように突然投げ出される「悪霊」「悪霊のようなもの」とはいったい何だろう。というより、説明責任を放棄されたそれらの奇妙な用語と概念は、村上ワールドのワンダーとリアルにいちじるしくなじまない難解さと生硬さを持っているようだ。 はじめは処女の如くおずおずと開始されたこの物語は、例によって脱兎の如く曖昧模糊とした予定調和の森に飛び込んで、恐らくは二度と姿を現さないだろう。いずれにしても本作は前作の水準には遠く及ばず、残念ながらノーベル賞受賞作品には値しない。 | ||||
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お値段もそれほど高いとは思われません。作家が時間をかけて書いた作品を、購入者である読者は、それこそあっという間に読み終えてしまって、また違う作品に興味を移して行くのですから、これほどの贅沢はないと思います。昔は、村上春樹さんの作品を読むと、自分がすごくダメな人間に思えて嫌になってしまいましたが、「1Q84」を読んでからというもの、こんなヘンテコで面白い作品を書く人だったんだと、考えを新たにしました。この作品にも、個人的に心を打つ言葉がいくつかありました。優れた作家というものは、人の心が持つ秘密をたやすくあばき出すのでしょう。それはとても怖いことではあるけれど、快いことでもあり、だから私は本を読むことをやめられないのかもしれません。 | ||||
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以前から村上春樹さんの作品は愛読させていただいており、その新刊ということでさっそく購入しました。 まだ読んでいませんが、カバーもおしゃれで、タイトルも内容の面白さを感じさせてくれるような題なのでオススメです。 | ||||
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ラストでモヤモヤする読者も多いようですが、このストーリーは、つくるが新しい場所へ向かうために自己と世界に対する認識を新たにするプロセス(いやぁ、青春ですね)が中心なので、あの結末で問題ないでしょう。数年前まで高校生だった私には、おもしろく読めました。 私なりに要約すると、以下の通りです。/たまたま与えられた場所が最高に心地よくて、そこのメンツが大好きで、そこで形成されたアイデンティティが何よりの自己認識だった。でも自分の夢を叶えるべく外の世界に出たら、今までの場所からは完全に追放されてしまった。帰るべき場所を失い、そのショックから死にたくなったりもしたけど、巡礼の年月(いわば殉死した自分に向き合い、弔う旅)を経ることで、最後にはまた誰かを欲することができる幸福感に包まれる。 | ||||
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「ねじまき鳥」「カフカ」など、 イラっとする作品もありましたが、 ここへきて、暗喩として投げっぱなしに見えていたことが、 ようやっと、小説のなかで見える形で像を結んできたなあ、 と、偉そうにも思いました。 村上春樹の小説は、どれもこれも、 「ファンタジー」のように、つかみどころのないところが 魅力だったのだけど、それを脱皮したのではないか、 ということです。 翻訳については、 『心臓を貫かれて』など、なまなましいドキュメントを上梓したこともあり さらには、『アンダーグラウンド』では、自ら、インタビューを行なって、 「現実」を描きました。描いたというよりも、 「現実と自らを結びつけた」という気がします。 これまでの「ファンタジー」としての小説と、 「現実に人が抱えている痛み」を、結び付けて作品化したのが、 この『多崎つくる』ではないかと。 フィンランドの森の風景も、匂いも感じられるような小説を、 村上春樹の作品で、読めるとは思ってなかった。 いいですね。 | ||||
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国境の南、太陽の西の主人公を独身にして、ちがう性格の男性にしてみたらって 具合で村上春樹らしい本でした。 まあ 期待以上でもなく、期待以下でもなく、やはり、主人公は村上春樹が描く、 教養を備えた なぜか女性から色々と近寄ってこられる男性でした。うらやましい。 | ||||
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読み終えるに,それほどまでの凄さは感じないまでも,文学のおもしろさはこういったところなんだろうなぁ〜,としみじみ思うわけです.文学にはロジカルな納得感の説明は必要なく,読み手が読み手の感じ方でどう捉えるか,言わば感性の問題のように感じています.特に文学を理解していない(理系の)小生にとって,あるがままに受け止めればいいと理解しています.作品自体に賛否両論あること自体は当たり前の事だと感じるわけで,あえて驚くべき事はその反響の大きさだと言うことくらいでしょうか... これまでの作品同様,今回の『田崎つくる〜』にも共通している小説全体に横たわる 『ヒトの孤独感』,『絶望感とそこからの脱却』,『ヒトを支える心の根幹の在り方』,そう言ったモノが現実社会との融合の中で描かれているような印象で,読み終えると寂しいような,もの悲しいような,でも何か見出すモノがあるような,不思議な思いになるのが村上文学の特徴であるように感じています.つくるが受けた仕打ちと,ここから生じた孤独感,絶望感,疎外感は多くの人が経験したことがあるように感じており,ここから抜け出せないヒトはある面で自ら命を終えてしまったり,他人への暴力といった形で自己の欲求を発散したりしますが,その多くの場合,何らかのきっかけで立ち直ることも少なくありません.絶望の淵に至った主人公のつくるは,偶然知り合った友人や時間の経過に助けられ,その危機から脱するわけですが,その危機から脱することができなかったかつての友人は不幸な末路をたどり,その最終的な結論は述べられないまま本書は終わります.つくるの年上の彼女との交際の行方も尻切れトンボで終わる当たり,ちょっと消化不良であるように感じるのも,文学的な技法の一つだそうです.続編に期待しましょう! 個人的には,最終章でつくるが新宿駅で時間を潰し,新宿発松本行き最終の『あずさ』(馴染みある,日頃よく使う列車なだけに)を見送りながら物想いに耽るあたりは,なんだか共感をそそがれる思いで,何とも言え無い気分になりますね.自身,甲府から都内や横浜への出張で『あずさ』,『かいじ』には頻繁に乗車するので(多いときは週3往復したことすらあったので),慣れた田舎暮らしと言えど,甲府に帰るときにちょっと寂しい思いに浸ることが無くはありません.また,つくるの家庭事情も自身のそれに似ているような,そんな印象で捉えてしまいます.実はこういった背景を持ち,同様な感覚になる人が多いように主人公を設定しているように思えます.これらの時代と人間設定が多くの読者に共感を与える理由なのかもしれません? 本書のテーマ,読んでみて思うに,種々考えさせられる昨今の人間模様のように捉えています.話題に乗り遅れない意味でも,読んでみて良い書籍だと思いますね! | ||||
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読後、聴いたことのない曲が頭の中に流れた。そして、シロにとって「人生の生きる価値」は、負担だったのだろうか、と思いを巡らした。彼女は、死のトークンを引き受け「前もって決められた場所で、前もって決められた時間に」死んだ。彼女の霊は途絶えていた仲間の傷と傷を繋ぎ、抑圧していた昔の調和をえぐり出していく。彼らは、かつて「痛みと痛みによって、脆さと脆さによって」繋がっていた、と展開する… 今も曲が流れ、目を閉じると彼女が白く輝いて見える。これが、死のトークンを引き受けた者のある種の色とある種の光なのだろうか。音と光の中、余韻に浸る作品だ。 | ||||
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まずはじめに、私は村上春樹の過去作品を読んだことがありません。故に「村上作品はこうあるべきだ」とか「前作を越える作品を期待して」などといった事は一切考えず、村上春樹というブランドの凄さも知らずに読んだクチです。それなのである意味、この作品に対する感想は何の偏見もなく、率直なものであります。読む前は色彩を持たないというフレーズから色盲の青年を想像していましたが、実際はまったく異なりました。しかしながら良い意味で裏切られた感があり、物語のスピード感もあり、中盤あたり(過去の友人を訪ね真相を聞くあたり)が一番引き込まれました。しかし、ラストは尻すぼみというか、綺麗ではあるのですが、もう少し一悶着あってから終わって欲しかったような気はします。まぁ、真相が分からないほうが面白く創造力をかきたてられるという事も少なからずありますが。村上春樹を毛嫌いしてこれまで読んでこなかった自分としては、この作品をきっかけに過去の作品も読んでみたい。そう思えた作品でした。個人的には読みやすいし、飽きずに楽しませてくれる作品だと思ったので、小説玄人より、小説バージンな人にこそ読んでほしいと思いました。平易な文体で綴られているので、小難しい顔をせずにサラッと読めますし、そのようなサラッと読みたい方におすすめしたいです。個人的には好きですよ。映画化とかしてほしい。そう思いました。そのほうが作品の魅力がもっと伝わる気がする。 | ||||
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村上春樹の本は全て読みましたが、カフカや1Q84が素晴らしかったので、今回は少し地味でした。 | ||||
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過去にある場所や人に強く心を惹かれ、ずっとそこにいたい、その人といたいと願ったけど、叶わなかったという経験があれば、誰でもこの作品に共感できるでしょう。故郷を離れた、運命の人と思った人に失恋した、大切な誰かと死別したなど。そういう経験がない人は少ないと思うので、「つくる」はかなり普遍的テーマの物語になっていると思う。想いが強ければ強かったほど、叶わなかった時、自分が二つに分かれてしまったような気持ちがする。自分の一番大切でこだわっていた部分が切り離されてしまったのだから、もう「別の自分」でしょう。そしてその以前の自分を思い出すと、つくると同じように痛い。そんなの感傷だというかもしれませんが、一生に一回もそれを思い出さずにいられる人なんているのかな。 私はクロとのフィンランドのくだりがグッときました。海外に長く居られるという春樹さんもあの寂しさを感じる日があるのでしょうか。新宿駅の描写は外国の方が読んだら行ってみたくなりそう。 | ||||
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う〜ん。なんだろうこのもどかしい感じ。 熱烈な村上春樹ウォッチャーでもなく、読んだのは『ノルウェイの森』『国境の南、太陽の西』『ねじまき鳥クロニエル』『海辺のカフカ』『1Q84』後は短編をいくつかといったあたりだが、 『1Q84』あたりからどうもフツーになってきている様な気がする。 村上春樹と言えば(と世界の“村上”を評するのはとてもおこがましいのですが…)やさしい文体でありながら、ハッとするようなメタファーや箴言がちりばめられている。 一方でストーリーは、不思議な世界観に満ち溢れており、ファンタジックでありながら何故かリアル。そして物語の結末はなんだか曖昧模糊とした余韻を残し…そんなイメージ。 『1Q84』は、そんな村上春樹の大傑作だとは思うものの、“天吾と青豆”の純愛が実ってしまうのは、すごくうれしい半面(わがままな読者だとは思いますが…)ちょっとフツーと感じていました。 そして、この『色彩を持たない…』 当然“らしさ”は、いたるところで感じさせるものの、全体を見回せば、どんどんフツーになってきているような気がしてちょっと残念です。 随分昔ですが、“今年の文壇を語る”といった内容の記事で、とある文芸評論家が、その年の日本の小説界の貧困を散々嘆いた揚句、“それでも日本には村上春樹がいる”と 締めくくっていたのを思い出しました。 是非とも世界の村上らしい次回作に期待したい。(でも星は四つです) | ||||
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青春時代に得た人との強い結びつきをその後なんらかの理由で失った経験のある全ての大人にもたらされる自己肯定感 経験上の喪失感を見事に支柱にした、新たな一歩を踏み出すためのインセプション 強さをくれた一冊でした 読んで良かった ありがとう | ||||
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1Q84よりはストーリーがシンプルでわかりやすかった。読みやすかったです。 | ||||
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また、それを正しい音に書き換えられたとしても、そこに込められた意味が人々に正しく理解され、評価されると限らない。それが人を幸福にするとは限らない。」(本文引用) この作品も、そういうことなのだろうか。 私には最初から最後までとても面白かった。比喩、文章力は飛びぬけてレベルが違うと感じた。 本というより、音楽のようだった。 圧倒的な表現力によって、感情表現が痛いくらい胸を刺してくる。 人間、生きていくことについて、美しい比喩で表現された視点で通して見てみると、新しい世界を見せてくれたし、自分がいかに偏った視点で物事を見ていることに気付かされる。このような手法で読み手を開眼させ、心を打つことができる作家は他にいるのだろうか。 完璧じゃない登場人物によって、物語が異様な模様を描いたかと思えば、最終的には全てのピースが美しく、圧倒的な芸術作品を作り上げてしまったのを見た感覚だった。 読み終わった後の気持ちを、村上さんだったらどんな比喩にするんだろうと思う。私には例えられないが、読んでいて、息が詰まり胸が痛み、心が震えた。 十分、完結している完璧な小説だと思う。重要な所こそ、具体的に描かない方が返って伝わるし、面白い。私には豊かさと幸せをくれた小説だった。 | ||||
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