■スポンサードリンク


愛と幻想のファシズム



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!

愛と幻想のファシズムの評価: 4.12/5点 レビュー 107件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.12pt


■スポンサードリンク


Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全83件 21~40 2/5ページ
No.63:
(4pt)

ファシズムとは効率がいい支配の仕組み。

1987年に作られた作品であるが、今読んでも新鮮な感じがする。
日本の閉塞状況をどう打ち破るのか?そのことを、暗示させるところがある。
日本が 衰退途上国であるが故に。閉塞状況は加速度的にすすんでいる。
ハンターであるトウジ(鈴原冬二)は、ゼロ(相田剣介)と出会い、政治結社 狩猟社 をつくる。
弱者をころせ。と トウジは平気で言う。
強者しか生き残れない 時代がやってきているとそのカリスマ性を 徐々に 確保していく トウジ。
暴動、ストライキの中で トウジは 演説をもって、その群衆のこころを 掌握する。
トウジは 大衆の期待に応えることができるのか?
まぁ。『演説』という手段が 古くさいかもしれないなぁ。
ゼロはフルーツへの手紙
『君に自信を与えられなかった。
君は美しくすばらしい女だと今ぼくが何万回言っても信用しないだろう。
ぼくのことを忘れてくれ。そして君に自信を与えてくれるような男をさがしてくれ』
百姓や奴隷の眼に卑屈さを感じる。獲物をしとめる時の快感は他にない。
狩猟民族が優れているのだ。と 組み立てられた 論理があっても
システムを壊そうとしてシステムをつくることになる。
欲望はなぜ起こるのか。
快楽の深さと情報量の多いものがニンゲンの容量を決める。 
ファシズムとは 効率のいい 支配形態。
混沌の時代に 強いリーダーシップを発揮するニンゲンが登場する。
一方では 多国籍企業の グループである ザセブンが経済を支配する。
それに,敵対することができるのか。
今の時代に 革命が できるのか?
革命は どんなスローガンとなるのか?
それとも、革命は 死んでしまったのか?
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392
No.62:
(5pt)

閉塞感を打破するには、狩猟民族的な勘と行動がいるのだ。

1968年の作品。ずいぶんと長くて 読み切るのに時間がかかった。
その頃は アメリカとソビエトが 経済の中心だった。
アメリカの支配が 隅々まで 届き、企業連合隊のセブンが世界を支配していた。
円安となり 1ドルが 500円という時代である。
そのなかで 穀物が 入らなくなり、飢餓を目前と迎えているときに トウジはファシストとして 登場する。
トウジは ハンターとしての独特の観と世界観でアメリカを 追いつめようとする。
様々なスタッフがいる中で、ゼロは 特別だった。
ゼロは いくつかの契機の中で 変化してトウジを たすけた。
フルーツは ときどき 予言者の役割をした。
私設軍隊は 訓練を重ね 礼儀正しく規律ある部隊に成長し 青年達のあこがれだった。
ハッカー飛駒の天才的な 工夫で、新しい形でのクーデターを 仕込むことができ、自衛隊のエリート達も
その配下として 働く。国を守るものとして。
物語が方々の破れがある中で『救済と再生』『閉塞感の打破』をこころみる。

熱狂を支える 貧しさが背景にあったとしても、
熱狂できない人たちの多さを乗り越えて、アジテーションをする。
愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)より
4061847406
No.61:
(5pt)

『民主主義というシステム』を一度は疑ってみてもいいかも

☆☆☆☆☆
あとがきに「システムに抗する人間…」という言葉があるが、この“システム”の捉え方が読む人によって違ってくることでこの本が映し出す世界は違ってくるのかもしれない。
「ザ・セブン」「アメリカ」「戦後日本の民主主義」。
小説のうえではボカされた感じで描かれている「ザ・セブン」がその標的として描かれているが、鈴原冬ニの世界観から眺めた社会を想定すると、本のタイトルからしても「民主主義」が当てはまるのではないだろうか。

私などはこの強固で居心地の良い民主主義の窓から眺めることでしか、今存在している、あるいは過去に存在してきたシステムを想像をすることしかできない。
だから、そこに違和感を感じたり、都合の悪さを感じたり、時には非難したり、拒絶したりしながら、自分の中で必死にこの愛着のある『民主主義というシステム』を守ろうとしてしまう。

だけど、時としてみせるこの「民主主義の綻び」にそのシステムの構築の礎となった数多くの人類の歴史の悲劇を忘れかけ、限界を感じて、他のシステムを希求してしまう自分もいる。

そんな隙間にジワってつけ込もうとするのが、鈴原冬ニが求める理想の魅惑的な世界である。歴史上の様々なシステムの発生とその末路を目にする人は存在しえないから、そのことを伝える警句は伝承されない。だから歴史は繰り返すのだろう。

先日相模原の津久井やまゆり園で起きた事件は、この「民主主義というシステム」の綻びに限界を感じ、その外のシステムに魅了された者の凶行だと思えるのだが、これを穏やかな言葉でジックリとシステムを変更しながら進める『狩猟社』のような存在が現れる可能性はある。

そんな可能性を携えて読んでゆくと刺激的で、現実味を増して読むことができる。
鈴原冬ニ、ゼロ、フルーツの存在もそして、その関係もこの作品をフィクションとして良い味付けをしてくれているから、最後まで読み進めることができる。
2016/08/15
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392
No.60:
(5pt)

難しい経済用語がわからなくても、楽しめます(^^)

最高に面白かったです。

一番好きなシーンは、ゼロとトウジが一緒に狩りに行くシーンですね、まるで自分が登場人物と共に現場にいるような文章力に圧倒されました。
村上龍の脳内はどうなっているんだろう、本当に凄い本です。
現時点で村上龍が作り上げた作品の中で、この作品が一番好きです。
文句無しの★5です。
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392
No.59:
(4pt)

『愛と幻想のファシズム』を読んで、思い浮かべたこと。

発刊当時、かなり熱くなって、この単行本を読んだ気がする。

25年以上経って再読。作者の筆力、文章表現力は、
日本文学史的なレベルに置いても抜きんでていると思う。

ただ、時々思うのは、それが、十分いい形で発揮されているのかどうか、ということ。
F1エンジンを付けてリアカーが走っているような気になるときがある。

龍氏は、かつて「小説とは、情報を物語にすることだ」といった。そして彼の作家活動はその実践になっている。
彼は小説をコンスタントに量産し、村上龍はこういうものだという期待を裏切らない作風を維持してきている。

それとは対照的に、村上春樹氏は、早い段階で自分の方向性を大きく変えた。
デビュー作と第2作が持っていたリリカルで、親密で、個人的な魅力は、第3作目からなくなり、
従来の、いわゆる「文学的な」表現へと舵を切った。春樹氏ならば「情報の物語化が、小説だ」とは
間違ってもいわないだろう。彼の処女作時代を愛した読者たちは、これを裏切られたように思った。自分もそのひとり。

ふたりとも、いい意味で、いわゆる「文学」的なものから距離があり、
それが作品の大きな魅力になっていたのだが、龍氏は「情報化」し、春樹氏は「文学化」したことで、
当初の新鮮な、他のどこにもなかったような味わいは失われてしまった。

さて、『愛と幻想のファシズム』だが、ここにおける作者の根本思想のようなものは、
弱肉強食のシンプルな快楽原則。それが狩猟民族や、進化論、生物学的真理、経済問題などで彩られている。

それと、龍氏の特徴のひとつは、彼が「時代の作家」であることを積極的に受け入れ、
その時々の読者の関心に寄り添っていくこと(刺激挑発することも含めて)。
それはこの作品でも顕著で、あまりにバブル期の気配を、作品が身にまといすぎているように思える。

春樹氏は、同時代性や、日本というものから遠く距離を取り、世界文学の地平へ歩んでいった。
現代人の心象という普遍的な部分の文学化に向かい、ノーベル賞候補に毎年名を連ねるようになった。
龍氏は、自身の資質に素直に、自分の文章力を活用し、作品を発表し続けている。
情報を租借し、自らが持つ圧倒的な文章表現力で作品化する(できてしまう)ことは、両刃の剣となる。
それは時に、作品を表面的なものにしてしまう。

たとえば、ある時期、「激写」などといい、ものすごい仕事量で、メディアに出続けたカメラマンがいたが、
今、彼のことを口にする人はほとんどいない。

この小説の冒頭近くで、トウジと出会ったゼロは「みんなぼくのことを天才だというよ」というようなことを話す。
ゼロの人物造形は、作者自身が投影されているので、こういう類いのことを、龍氏も日常言われていたのだろう。

だが、海外で生活することの多い春樹氏は、そういうことからも自由になっているはず。

村上龍氏も、一度、周辺的なことからまっさらになり、自身の才能だけに向き合い、小説を書いてくれるとよいのだが。
寡作であっても、充実した、中身の濃い作品を生み出してくれた方がいいのではないだろうか。

『愛と幻想のファシズム』を改めて読んで、そんなことを思った。

講談社文庫版は、紙質が悪く、裏移りして、物語世界の中に入っていけないので、
この単行本がいい。横尾忠則の装幀も、作品に合っていて、クールでカッコよくきまっている。
愛と幻想のファシズム(上)Amazon書評・レビュー:愛と幻想のファシズム(上)より
4062014319
No.58:
(4pt)

ふさわしい結末とは(妄想注意)

小説としてのダイナミズムという点では文句のつけようのない本作の読了後に残るモヤモヤ感を解消するための処方箋として、個人的に以下のようなラストシーンを思い浮かべることにした。

「ザ・セブン」への対抗勢力たる国際社会の若きリーダーとしてニューヨークで開催される国連総会に出席したトウジが、一世一代の大演説をぶっている途中、いきなり訳の分からない妄言を発し始める。口の端からは泡が吹き出し、両眼の焦点は定まらず、突然ニヤニヤしたかと思うと次の瞬間には涙を浮かべ虚空に浮かぶ幻影に向かって許しを請い始める・・・

衛星中継で放映されるトウジの醜態を深夜の都内ホテルの一室で冷静に眺める一人の女。彼女の掌には数日前アメリカに向けて搭乗する直前にトウジの口に含ませた錠剤があった。

彼女が錠剤を飲み干しベッドに横たわるのとトウジが発狂したままテレビカメラの前で自らの喉を掻っ切って自決するのはほとんど同時であった。(完)
愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)より
4061847406
No.57:
(5pt)

幻想だけのファシズム

まず、こんなにうまく行くかよってのが、読んだ最初の感想。この作品は、私にしては非常に珍しく2~3回は読んだ。他に2回以上読んだ本は「新約聖書」と「影武者徳川家康」くらい。私はだいたい1回読んで終わり(常に買い置きの本があるので2度読みする余裕がないのもある)それがこの本はまた読んだ。なぜならこうなってほしいという願望があるから。こういう世の中になってほしいという。冒頭にも書いたが、物事がトントン拍子に進んでいく。トウジやゼロが始めたのは、普通だったら初期段階で潰されるような団体、運動だ。それが世間に簡単に受け入れられ過ぎ。でもこういう団体が出てきてほしい。在特会や新風はまだまだこんなレベルじゃない。まぁこの話の場合、運動初期段階でクロマニヨンのような実力行使する勝手連が出てきたのが最大の成功の要因だが。村上龍の作品にありがちな、凄い少年たちが、狩猟社への妨害者に対する大いなる牽制になったればこそ。そしてこういう少年たちは(少年である必要はないが)いつまでも現実には出てこない。出てくれば簡単に世の中ひっくり返せる。いつも思うが、村上龍は少年たちに期待し過ぎ。まぁ、幻想(ファンタジー)だね。それからトウジというキャラクターには全く共感できなかった(ハッキリ言って終止ムカついていた)こいつには人間味が全く感じられない。超人として描きたかったのかも知れないが。あとアメリカの超大金持ちって本当にああいう生活してるのかね。してそうな気もしないでもないが。全編通して幻想は感じられたが愛は感じられなかったね。
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392
No.56:
(5pt)

幻想だけのファシズム

まず、こんなにうまく行くかよってのが、読んだ最初の感想。この作品は、私にしては非常に珍しく2~3回は読んだ。他に2回以上読んだ本は「新約聖書」と「影武者徳川家康」くらい。私はだいたい1回読んで終わり(常に買い置きの本があるので2度読みする余裕がないのもある)それがこの本はまた読んだ。なぜならこうなってほしいという願望があるから。こういう世の中になってほしいという。冒頭にも書いたが、物事がトントン拍子に進んでいく。トウジやゼロが始めたのは、普通だったら初期段階で潰されるような団体、運動だ。それが世間に簡単に受け入れられ過ぎ。でもこういう団体が出てきてほしい。在特会や新風はまだまだこんなレベルじゃない。まぁこの話の場合、運動初期段階でクロマニヨンのような実力行使する勝手連が出てきたのが最大の成功の要因だが。村上龍の作品にありがちな、凄い少年たちが、狩猟社への妨害者に対する大いなる牽制になったればこそ。そしてこういう少年たちは(少年である必要はないが)いつまでも現実には出てこない。出てくれば簡単に世の中ひっくり返せる。いつも思うが、村上龍は少年たちに期待し過ぎ。まぁ、幻想(ファンタジー)だね。それからトウジというキャラクターには全く共感できなかった(ハッキリ言って終止ムカついていた)こいつには人間味が全く感じられない。超人として描きたかったのかも知れないが。あとアメリカの超大金持ちって本当にああいう生活してるのかね。してそうな気もしないでもないが。全編通して幻想は感じられたが愛は感じられなかったね。
愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)より
4061847406
No.55:
(4pt)

『愛と幻想のファシズム』を読んで、思い浮かべたこと。

発刊当時、かなり熱くなって、この単行本を読んだ気がする。

25年以上経って再読。作者の筆力、文章表現力は、
日本文学史的なレベルに置いても抜きんでていると思う。

ただ、時々思うのは、それが、十分いい形で発揮されているのかどうか、ということ。
F1エンジンを付けてリアカーが走っているような気になるときがある。

この小説も、結局、描写を取り除いた作者の根本思想みたいなものは、弱肉強食の快楽原則で、
それが狩猟民族とか、進化論とか、生物学的真理とか、経済問題その他で彩られている。

あと、彼は「時代の作家」であることを受け入れ、その時々の読者の関心に寄り添う(刺激挑発することも含めて)
のだが、それがこの作品でも顕著で、あまりにバブル期の気配を作品が身にまといすぎているのでないだろうか。

同時期にデビューした村上春樹さんは、同時代性や、日本というものから遠く距離を取り、
その結果、世界文学の地平へ歩んでいった。現代人の心象という普遍的な部分の文学化に向かい、
今、ノーベル賞候補に毎年名を連ねるようになった。
村上龍氏は、自身の資質に素直に、自分の文章力を活用し、作品を発表し続けているのだが、
それが結果的に、表面的な空回りとならなければいいのだが。

たとえば、ある時期、「激写」などといい、ものすごい仕事量で、メディアに出続けたカメラマンがいたが、
今、彼のことを口にする人はほとんどいない。

この小説の冒頭近くで、トウジと出会ったゼロは「みんなぼくのことを天才だというよ」というようなことを話す。
ゼロの人物造形は、作者自身が投影されているので、こういう類いのことを、龍氏も日常言われていたのだろう。

だが、海外で生活することの多い春樹氏は、そういうことからも自由になっているはず。

村上龍氏も、一度、周辺的なことからまっさらになり、自身の才能だけに向き合い、小説を書いてくれるとよいのだが。
寡作であっても、充実した、中身の濃い作品を生み出してくれた方がいいのではないだろうか。

『愛と幻想のファシズム』を改めて読んで、そんなことを思った。
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392
No.54:
(5pt)

優れたプロット

ニーチェの影響か、権力の意思というものが上手くかけてる。
「狩猟」という観点から超人思想ではないが、実際にファシズムが起きるとしたら
こうだという非常な唯一無二のリアリティがある。ただトントンと話が進みすぎるような気がしないでもない。
もう一捻りあってもいいような気がする。
村上龍の主人公は勝利者だ。勝利者が勝つという当たり前でできていて、そこがこの小説の醍醐味だが
キリスト教的なひねり、奇跡に慣らされていると、では奇跡はと求めたくもなる。
それがないところがこの小説の良さでもあるのだが多分私がキリスト教に毒されているからだろう。
奇跡は? 救いは? と問いたくなる。
神は死んだというニーチェ思想というところから順当に彼らは勝っていく。
多分私は彼らに狩られるだろう。だがその前に時代精神として立ちふさがるだろう。
そういう妄想にかられるほどよくできた小説。
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392
No.53:
(4pt)

疾走感。

ドライブ感というか疾走するかのごとく、たたみかける感じがある上巻が好きで購入。
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392
No.52:
(5pt)

ok

ok no problem fine. good enough nice
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392
No.51:
(5pt)

ok

ok no problem fine. good enough nice
愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)より
4061847406
No.50:
(4pt)

エンターテイメント

非常に面白い誇大妄想気味のエンターテイメント。
願わくば、副主人公の死ではなく、組織そのものの瓦解か何かを描いてほしかったです。
そうじゃなければあまりにもご都合的ですし。
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392
No.49:
(4pt)

リアルなのかリアルでないのか

若干、「そんなアホな」とつっこみたくなる展開が多い気がします。
たとえば私設の武力組織はまさに万能だし、要人に対しては脳のケミカルをいじる薬を使ってなんでもできるし
主人公たちのパーティーは用済みになった人間以外は、下巻で一人を除いてほとんど誰も消えない
結局、「トウジは運がよかった、まさに奇跡的に」と片付けざる得ないような感じがします

このへんは「5分後の世界」のほうが圧倒的に現実感があるので、それと比べると少ししらけてしまいます。
しかし、アメリカに飼い慣らされているという話には妙にリアルな感触があります

とくに、この小説は「経済・金融システム」(政治はそのための道具)と、それに抗う人間をテーマにかかれているのですが
2012年の現在、金融をみているとすくなからず実感を持たざるを得ません。

アメリカの資本はドルが基軸通貨であることを利用して、情報とニュースをコントロールして自己の利益のためにあらゆる通貨の価値を誘導しています。

そしてアメリカと日本の関係は、僕がよくしならい、僕が生まれる前の状況と何も変わっていない
むしろ悪くなっているという感覚が明瞭になってきます。

5分後の世界やコインロッカー・ベイビーズなんかは、読み終わった後、どちらかというと登場人物や情景に思いを馳せるのですが
この小説の場合はオダギリやキク以上に強烈な個性を持っているトウジや極寒の狩猟場ではなく
なぜかリアルな世界との対比に思いを馳せてしまい、なんとも薄気味悪い閉塞した気分になります。

「そんなアホな」と思われる展開が多いにもかかわらず、リアルなのです。
リアルじゃないという錯覚は、それだけ今の日本がトウジ的なもの、狩猟者的なものから遠くはなれているという事実からくるのでしょう。
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392
No.48:
(5pt)

好きじゃないのにおもしろい!

私はもう、この本の世界が好きか嫌いかで言うと、そんなに好きじゃないし、どこか嫌悪感すら感じてしまう。
それなのにおもしろい!もう相当前の作品なのに、つい最近書かれたものだといわれてもほとんど違和感がないように思う。
著者の徹底した現実主義・リアリズム、何かオブラート・きれいごとに包まれたものを顕にしてしまうようなするどい描写が読者にカタルシスを与えている。著者がこの作品で描いた世界は真実かと言えば、まだわからないのだけれども、これだけ力のこもった現実描写はあまり見ない。
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392
No.47:
(5pt)

最も魅力的な小説

まず、読むのに体力を使う。疲れる。
登場人物達の個性に圧倒される。

そして、そんな中で彼らに憧れていく自分がいる。

彼らは現代のシステムに反抗していく。
僕らがあいまいに意識している支配構造へ。

主人公のトウジは個人として完成されている存在だ。

そんな存在になることが今を生きる方法なのかもしれないと感じた。
愛と幻想のファシズム(上)Amazon書評・レビュー:愛と幻想のファシズム(上)より
4062014319
No.46:
(5pt)

弱者こそ

重厚。
伊坂幸太郎「魔王」のレビューで本作を知り、初めて読んだ。
圧巻だった。

村上春樹、伊坂といったベストセラーが今ひとつ心に響かず、自分に問題があるのかと落胆していた。が、村上龍に出会い「自分はこちら側の人間だ!」と感じた。救われた思いである。

暴力的にヒューマニズムを否定する主人公達が、弱者を「淘汰されるべきもの」として切り捨て、独裁へと突き進む物語。
主人公の忌み嫌う「システム」、その象徴として「農耕」が名指しされる。
農耕により食糧の大量かつ安定供給が可能になった結果、ホモサピエンスの大繁栄がもたらされた。これは生ぬるい「弱者をも内包し得る社会」でもある。
農業に限らず、現状維持的な企業、団体、民主主義国家というシステム。これに無自覚・思考停止状態で「安住」する大多数の「弱者」。これらに対する「狩人」の嫌悪感。
そして立ちはだかる、さらに巨大な「狩人」。

思うに「弱者」を「大衆」という言葉に言い換えると、分かりやすいのではないか。

未熟児だったこともあり「弱者」側の視線で生きてきた私は、「自分は淘汰されるべき存在なのではないか」ということを考えていた。小学生の頃の話だ。
そんな自分が40歳を過ぎた今、はっきり言えるのは、
「弱者こそ危機感を持ち、思慮深くなければならない。それでこそ生きる価値がある」
ということ。
逆説的ではあるが、危機意識を持った本当の「弱者」は、意外に強い。

一方で、自らの弱さが見えていない盲目的な「大衆」は、集団で溺死させられたネズミのようになり得る。
本作で筆者は、そんなことを言いたかったのではないか?

二十余年の時を経た今も、全く色あせない渾身の一作。ぜひ、若い人にも読んでもらいたい。
愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)より
4061847406
No.45:
(4pt)

良い本でした。

前編に比べて後半はスピード感は上がりながらも淡々と読了。ラストはあぁそこで終わるのねと思いながら、納得しました。最後には破綻してしまうのでしょうが、おそらくこの小説のテーマからは逸れてしまいそうなので。

個人的には、狩猟と農耕を反義語として、また小説の中でも文字通りに受け取り読んでしまうと、主題からは逸れてしまうように感じます。あくまで分かりやすい例えであり、農耕批判をしているのではなく、システム、プライド、自身での決断(本質的な意味で)の有無ではないかと。

システムがシステムを荒廃させてしまう一面もあり、それも人故のこと。機械的なシステムは常に正確ですが、変化に応じて新しいシステムを生み出すのはやはり人間なのでしょう。あくまでツールであるのに、そのツールを使う事や利権、手段と目的を混同していく事は多いモノです。

戦後の日本は、誰もそのシステムについて責任を負うこともなく、またそのシステムになれてしまい、人は考える事さえ放棄してしまう...。もしくは、システムの一部になっていることにさえ、気がつかなくなってしまうのでしょう。

コインロッカーベイビーズは読んだ事はありませんが、あとがきからすると一連の流れがあるようなので読んでみようと思います。
愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)より
4061847406
No.44:
(5pt)

最高の作品だが・・・

10年以上前、大学生の時代に読みました。
村上龍は『希望の国のエクソダス』をはじめ、予言的な小説を書く事で話題となりましたが、
その先駆けが本作であったと思います。

感想は、「とにかく疲れた」。
情報量が豊富で正確なうえ、それらが物語に乗ることで魅惑的になり、
中だるみすることなく、一気に読むことを強いるような力が本作に宿るため、
読了する頃にはヘトヘトになっていました。
今でももう一度読んでみたいのですが、あの疲労感を思い出すと、
気力・体力が充実した時でないと無理だなと思います。

ちなみに庵野秀明の「エヴァンゲリオン」を好きな方にはお勧めです。
この作品の主人公二人の名前は、エヴァ中のあるキャラの名前にも使われています。
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392

スポンサードリンク

  



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!