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逆光
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逆光の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.67pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全9件 1~9 1/1ページ
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僕はこの作品を読み、重要なワードを全て参照できるように見取り図を作り、互いに関連する記述には全て双方のページ数を書き込んだ。結果、本は鉛筆書きの数字と注釈の海と化してしまった。書き込みだらけの汚いこの本は僕にとって唯一無二の、世界に一冊しかない参照メモ付きの「逆光」で、これがなくなったら悲惨なことになる。本のページに直接書いたメモ以外にも一般的な書籍にして150ページに及ぶ手書きのストーリーガイドも書いてしまった。僕にこんな面倒なことをさせた作家はプルーストとディレイニー、グルジェフぐらいだ。ところでこの作品のイメージをそのまま表現したようなエルンスト・フックスの絵があるのをご存知だろうか。飛行船とビルと骸骨が描かれた幻想的な絵「詩篇」だ。 | ||||
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原書2006年 2018年に買って、ようやく読んだピンチョンの最大長編作品。訳書では総数1686ページ。豊饒かつ複雑かつ猥雑な世界の断面を切り取ったような作品は、受け取り方によっては「ぶよぶよでぶかぶかの化け物」(「訳者あとがき」)といったキメラ的混淆といった印象を与えるかもしれないが、世界とはそのようなものであり、17世紀にデカルトが分析と統合を唱えてから、分析ばかりが進み統合がなされていない現代を象徴しているだろう。個人的には、現代にあっては、統合的視点・分析的視点・統計確率論的視点といった複数の観点が要請され、やはりそれらの高次の統合的評価・選択が望まれているように思える。 本書は、5部に分かれ、第一部では10挿話で95人ほどの登場人物(実在の人物や言及のみの人物や神話中の神や動物も含む、以下同)、第二部では21挿話で280人ほど、第三部では18挿話で150人ほど、第四部では20挿話で260人ほど、第五部は1挿話で20人ほどが登場し、800人ほどの人物(あるいは固有名詞)が描かれるか言及される。だいたい2ページに一人新たな人物が登場することになる。これら五部に渡って、おもに4つの挿話群によって物語が織りなされているだろう。1 「不都号」飛行船の冒険譚(とその背後の「労使関係」)。2 トラヴァース家と(あまり語られることのない)労働運動と暴力革命の歴史。3 中央アジアでの(桃源郷としての)シャンバラ探究。4 シプリアンを中心とする(大戦を準備する)欧州列強間の工作活動。これらの物語が交錯あるいはすれ違いながら、また、科学技術と数学・物理学理論とも錯綜しつつ、比較的時系列的に進む(今作ではポップ・カルチャーの引用は控えめ)。それは時間がテーマの一つにあるからだろうか。また、光と闇、その価値の転換・転倒は、『重力の虹』から引き継がれるものだ。それを思うと、何かラテン・アングロサクソン・ゲルマン文化には、精製と漂白との強迫観念があるように思え、それは一方で個人主義と合理主義に向かい、他方で平準化と排外主義に結びつく。二元論の伝統が弁証法という希望に託されるのかもしれない。弁証法と統合とが「The Day」なのかもしれないし、捏造された統合への抵抗こそが「The Day」かもしれない。(『逆光』を『重力の虹』との関連で言えば、後者は結末に向かって拡散していくのに対し、前者は集結していき結末めいたものを読むことができる。) 子供向け冒険小説に登場する少年たちと無政府主義的理想を抱く鉱夫たちとのアナロジー。西部開拓やゴールドラッシュという冒険も、それに連なる。市場における「神の手」ならぬ悪魔の催促(これは「オークンの法則」と呼ばれるらしい)を、幻想的物語として刷り込み、そこから利用される社会的価値を回収する。恐らく、このような構造は、労働者でも資本家でも不労収入での生活者でも統治者においても変わらないだろう。この構造を意識しているか、いないかの違いはあるが。 訳者である木原善彦は、本邦初のピンチョン概説書である『トマス・ピンチョン 無政府主義的奇跡の宇宙』(京都大学学術出版会、2001)を著し、その副題にあるように今作のトラヴァース家(『ヴァインランド』中のフレネシ・ゲイツの祖父筋、フレネシとレイクは呼応する)が放浪し革命と逸脱とを示す無政府主義的振る舞いとが関連し、また、帯のエンボス加工は上の著作のカヴァーを模したもので、粋な図らいだ。『ピンチョンの『逆光』を読む』を読んでから再読しても良いかもしれない。 あと、レヴュワーの方が記されていたが、「冗漫」というのはクラシカル・ノベル(?)の特徴の一つでしょう。『ドン・キホーテ』や『パンタグリュエル』や『フィネガンズ・ウェイク』や『白鯨』や『悪霊』なども「冗漫」と言えなくもないでしょう。いや、ピンチョンの冗漫さは尋常ではなく、眩暈を覚えるものだろう。今作でも散漫さは桁違いの「全乗せ」感があり、ある時点・時代での世界の断片・断面の異様さを示す。これは、少年向け冒険小説や西部劇や恋愛物語やポルノ小説などのパロディの寄せ集めとも読める本書の語り口とも関連するだろう。(この百科全書的な知の集積は、前時代的とも思えるが、知の総合による社会的意義は、多くの被雇用者によって支えられている民主制から要請されており、そのことから現代的な課題でもあり、情報開示や説明責任は政治の場だけでなく科学の場でも求められている。例えば、古典物理学と現代物理学との変遷や数論と記号論との関連やその限界、あるいは経済学史や金融工学の現状を踏まえた上で政治や社会を眺めると(アナルコ・サンデカリズム的な無政府主義を指向するか分からないが)別の評価を選ぶかもしれない。) | ||||
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死ぬほど退屈で、読むのが苦痛です。 他のレビュワーの方々が星を何個も付けておられるのがちょっと信じられません。 爆弾テロリストの家族を中心に据えてる、ということが少し面白く感じられましたが、 その中心がまったく見えなくなるくらいの情報量・・・に圧倒されるのならいいんですが、 圧倒されるにはあまりにもじりじりと迫ってくるのでうんざり、辟易してしまいました。 何も考えずに大量の文字を読むのがお好きな方とか、 「最先端の文学」を読んだ気分に浸りたい方にはちょうどいいのかもしれませんが、 こんなことのために時間を使いたくない私は、そもそもピンチョンの想定してる読者層ではないのでしょう。 現在読もうかどうか迷われてる方、 ほんとうにこれが自分の求めてる本なのか、よくよく冷静になって考えてみてください。 払うのはお金だけじゃないはずです。 | ||||
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19世紀終わりから20世紀初頭のアメリカを包括したかのような小説。 主筋というか本筋は多分労働争議に沸く20世紀初頭のアメリカの激動で、様々な事件が起こった労働に関する挿話が虚実ない交ぜにことこまかに語られていき、これが最近のウォール街占拠デモのような格差社会になりつつある現代のアメリカを過去から現在に照射したかのようで、過去の経験から現在を見直さなければならないという著者からのメッセージのように受け取れましたがどうでしょうか。タイトルの意味もここら辺からきているように思いました。 傍筋は発明や開発に沸く今世紀初頭の全世界で物理学や数学の発展により高度、精度が増したこの時点での世界で科学技術や物の考え方が急速に発達し、それが戦争やら労働やら移動手段やらに応用され、あらゆる地域で坩堝の様に沸点に達した世界中の様相が描かれていて、相変わらずあちこちに脱線ぎみに詳述されへとへとになるまで読まされます。この辺は多分今現在の科学の発見等が社会を良くする為に使われているかを問い直せという著者からの警告のように受け手れましたが穿ち過ぎですかね。 兎に角長い小説で上下あわせて1700ページくらいあり、主要登場人物も10人くらいいて、上に書いたように相変わらず脱線に次ぐ脱線で集中力がとぎれそうになることも再三あり、全てのシーンを憶えていられませんでしたが、小説の全体像は多分こんなもんかと思いましたが、浅学菲才の身による解釈なのであまり信用しないでもらいたいです。 蛇足ですが、今まで同じ著者の作品を何冊か読みましたが、初期に比べると平易な筆致で読みやすくなっていて驚きました。また、過去の作品に顕著だった失笑ギャグが減っているのが残念でした。あと、拳銃のルビに「チャカ」と振ってありましたが、時代的には「ハジキ」の方がふさわしいのでは?と少し思いました。 ともあれ、長大な小説なので読むにかなりの忍耐が必要になるタイプの物なのでこれから読む方は覚悟の上読んだ方がいいです。まぁ面白かったですが。 | ||||
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おすすめは、iPhone片手にevernoteで登場人物とかメモりながらの読書を。 これこそ、電子書籍でメモりながら読むのに最適なんでしょうね。 概念もややこしながら、登場人物も錯綜してややこしい。 概念は、なかなかクリアに理解できない所もあるが、登場人物のポジションをしっかり把握できてれば ストーリーは掴める。 ストーリーが掴めてると、やはりピンチョン先生は面白い。 | ||||
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4ヶ月くらいかかってようやく読了した。まったく時間の無駄だった。 (そのうちきっと面白くなるんだろう) と下巻まで読んではみたけど、 けっきょく最後の最後まで退屈だった。 ピンチョンって何がそんなにすごいんだ? こんな冗漫な作品が 現代文学の金字塔なの?? 地球規模のスケール感だけは感じたけど、やたら出てくる人物群も 飛行船少年団も、有機的に絡み合うわけでもなく、ダラダラした話が だらしなく延々と続くだけでした。 ほんとにお金と時間を返してほしい。枕か漬物の重石代わりにします。 | ||||
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Against the dayがなぜ逆光? 訳者の木原義彦という人はこの著者の研究者なようだが、この著作についても論文を書いていて、そこでは「アゲンスト・ザ・デイ」と記しているのに。 この本の中にも「夜をやり過ごし次の日に備えるための性的絶頂感と幻覚、無感覚と睡眠へ」という一文があり「次の日に備えるため」というところにわざわざちゃんとアゲンスト・ザ・デイなどとルビを振っているくせに。 と思ったら最後に後書きでいきさつなど記してあった。 19世紀末のアメリカ西部の開拓時代や鉱山労働者のリアリティある生臭いストーリーやヨーロッパやメキシコの同時代の混乱といった現実感と、気球船のとりとめの無い夢物語のようなファンタジーといった非現実感が、同時並行に語られていきなんとなく戸惑う。あとでその二つは少しだけ交差していくわけだが、読み終わったあと、あれ未来からの侵入者はどうなったんだっけ?とか最終兵器みたいなものの決着はないのかい?とふと、未決着感も残る。 登場人物が非常に多く次から次へと出てきて絡み合っていくので、名前と特性あるいは登場頁をメモしながら読むのを薦めます。でないと下巻を読みながら、あれこの人どこで出てきたどういう人だったっけ?と上巻をひっくり返し確認するのに時間がかかったりします。 時々日本人や日本のことが出てくるのもちょっと気を引きます。 ウェッブでこの本を評しSMだとかポルノだとか記してあるのを読んだが、上下巻あわせて1600頁以上のこの本の中に、ほんの数ページ数行3Pや性交、肛門性交のことが書かれているだけなのにこう表するのであろうか。ここまで拡大解釈できる人が現実にいる以上、石原都知事のエロ禁止方策がやがて拡大解釈され全ての表現の自由を奪うのではないか、と懸念される気持ちもおおげさでなくわかる気がふとしました。 あと、アマトウガラシって普通ピーマンといわないかなあとか。ダルビッシュってイスラム修行者って意味だったのかとか。 | ||||
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新潮社から全集が続々ではじめたからには手にとらずにはおられないピンチョン。 さきの「メイスン&ディクソン」はあまり感心しなかったが、こちらはまだ半分読んだだけだが仰ぎ見るK2のような、小説という名の一大巨峰。書きも書いたり862パージの難攻不落のでこぼこの山道を、こちとらは読むだけではあるが、あえぎあえぎ登っていけばはるかなる雲の谷間から次第次第に20世紀の幕が開いたばかりのアメリカが、ヨーロッパが、アジアが、そして現代に突入したばかりの全世界の文明の様相、人々の暮らしの断面が東方のあけぼの最中からああ堂々の姿を現してくる。 鉱山で暴発するダイナマイト、資本主義の興隆と激烈な労使の対決、暗殺される無政府主義者を尻目にアメリカ大陸、大西洋から太平洋、ベネチア上空を乱れ飛ぶ謎の水素飛行船<不都号>。砂漠の下を走破する地底船。暗躍するスパイと科学者と四元数主義者、サーカスと旅芸人と燃え盛る大恋愛。眼には眼を、歯には歯を。まもなくバルチック艦隊は撃滅されるだろう。 物語はより重層的な物語を孕みに孕んで怒涛のように下巻に突入する。これぞ小説の中の小説。すごいぞトマス・ピンチョン! それゆけピンチョンどこまでも! 千人の魔女連行し拷問したりガンビアのジャメ大統領 茫洋 | ||||
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応用科学萌芽期、ノスタルジックながらかなりいかがわしいムード横溢するなか一見全体の組み立てはシンプル、登場人物の絡み合い方もよくある小説の感じ。しかし、黒子役として登場したかのような気球乗りたちは、天使のような(死者のような)存在に変貌していき、世界や人物の輪郭線を作る光のさまざまな幻影を生み出すエピソードが随所に挿入され、「普通の物語」を変容させていく。そして、このささやかな仕掛けが、次第に威力を発揮し明暗反転したかのような光景の大団円へと導き、主役三人兄弟こそが狂言回しであったのかと悟らせることになる。文中に何度か登場する「微分可能性」の吟味、つまり変化、変容こそこの物語の真骨頂だと思われ、その賞味のためにはある程度スピードをつけて一気呵成に読んでしまうことが必要だろう。 | ||||
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