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パレード
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パレードの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.76pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全123件 61~80 4/7ページ
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読み終える5分前にギョッとして、すぐに2周目にとりかかり、 他人の感想が気になってネット巡回し、最後に感想を書きたくなる。 そんな本。 読んでいて、都心の高層ビルにある自分の会社を思い出した。 表面上和気藹々と楽しく穏やかにやっているが、 自分の仕事に関わる部分以外、相手に興味なんてない。 隣の同僚が殺人兵器を設計してようが知ったことじゃないが、 人の書類を捨てたり、給湯室を汚すようなら、断固として抗議する。 会社が誰をひき潰してようが、知ったことじゃない。 それを笑って黙認できなければ、出て行くしかない。 自分の周りの環境に、とても良く似ている。 そういう意味で、怖い。 また小説内で5人の思惑は色々と絡むのだけれど、 女性の心理描写が非常に上手いことに驚いた。 特に、家庭環境ゆえに酒飲みのおこげになった未来。 現実に適応した、斜に構える酒飲みだが、実は誰よりも臆病。 今時の30近い女性に、結構いそうなタイプ。 彼女のビデオに上書きされた、踊るピンクパンサーのパレードは、 タイトルにもなっているとおり、この物語の象徴なのかもしれない。 | ||||
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抜群に面白い。属性を失った人間たちの小さなコミュニティ。 踏み込まないことによって傷つけあわず、笑って過ごせるけど お互いの抱えてる問題までは引き受けきれない。 登場人物がみんな本当に孤独に感じる・・・。 語ろうと思えばいくらでも語れる作品じゃないでしょうか? それぐらい「いま」について考えるテーマがふんだんに盛り 込まれた作品だと思います。 | ||||
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何なんだこれは! と思ってしまった。 初めて吉田さんの本を 読ませてもらいましたが まぁ面白すぎる。 それぞれの人物による 視点から描かれる 全5章からなる構成。 みんなが干渉しすぎず しなさすぎず一緒に 暮らしているが、 だんだんとその全貌が 明らかになっていく。 クライマックスは 非常に奥が深いです。 2回読む価値がある本だと 思いました。 | ||||
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先に悪人を読んでしまったので悪人よりかは落ちるかなと思いつつまぁまぁ評価の高いパレードを読んでみました。一人称でそれぞれの語る平凡で退屈な日常を聞かされ、(それぞれに先輩の彼女、芸能人の彼等、深刻な悩みを抱えながら)それでもダラダラとしたつまらない日常の会話やとりたてて特別なことの起きない日常生活を欠伸をかみ殺しながら読んでました。サトルは最初はあのメンバーで一番奇抜だったというか言動がやはりおかしいので他のメンバーはそれなりにまともにみえたのですがあの展開で確かにビックリしましたが何故、そんなことをやったのか確かに必然性がなく「それ」を本当に分かっていたのか確認する為、読み返しをしてしまいます。最初に読んでた時は退屈ではありますがそれぞれ感情移入出来るけどそれにいつどうして気付いたのか何か作者都合という感じで納得出来ません。ただ読者を驚かす設定というか。まぁ知ってて何も本人にも言わない彼等は気持ち悪いというか理不尽な人間性を感じます。 伏線の占い師も何故か知っていたようですが隣の占い師を売春売春と騒ぐなら何とかしろよ!と彼等の態度などに不快感が込み上げました。 | ||||
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四人の男女(途中から五人)の集う2LDKのマンションの一室。 それはまるでインターネットのチャットの様な「匿名性」の高い暮らしが、それぞれの住人の視点から五章に分けられて語られます。 そこに展開するのは、どこにでもいる様な人たちが、どこにでもあるような他愛のない会話をしている、どこにでもある日常です。 彼らは、「本当の自分」を装いながら生活しています。 しかも、彼らはそこに住んでいるようで、実は本拠地を別に持っているような生活ぶりです。 しかし、読み進むうちに、表面上は確かにそのように干渉せず干渉されずの世界なの筈が、徐々に結び付いてしまっていることに気付きます。 そして、最終章がやってきます。 それまでの怠惰とも言える生活ぶりの中にあった予想外の事実が突き付けられます。 その事態の一気の変容が、読む者に「こわさ」を感じさせます。 それまでが余りに平凡で、日常的であっただけに。 | ||||
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5人の男女がマンションの一室で共同生活を送る。 それぞれの視点で描かれていく。 職業も、年齢もバラバラ。 ロケーションはマンションが殆どだし、大きな問題も起きない。 5人の男女が暮らし、適度な距離感を保ってややこしい関係にならないことが、 唯一小説的な部分という印象がある。(ラスト部分は除く) 例えば男と女が本当に友達になれるのか? のアンケートがあったとする。 男と女は常に恋愛対象になるかならないかである、 2進数で「0:他人」か「1:恋人」の感情値しかない回答。 男と女が友達になれる、 10進数で「0:他人」から「10:恋人」までの感情値を持つ回答がある。 この小説に登場する5人の主人公は間違いなく後者の回答を選び、 感情値で言えば「4:やや友達」〜「6:けっこう友達」を行き来している。 そんな内容で読ませてしまうのだから、かなりの力量だと感じた。 「喧嘩するほど仲が良い」 の言葉を打破するのがテーマだったのではないかとも考えられる。 喧嘩をしてしまった場合、誰かしらここを出ていくのではないか? ならば、本心をさらけ出すのは止そう。 これも5人という輪の中では暗黙の了解だったりする。 僕もそれらには賛成だ。 若い頃に、こういう生活を送っていたらな〜 ついつい嫉妬をあおってくる一冊でした。 | ||||
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深層心理、というか…、人間というものを透かして見たような物語です。 登場人物はどれもそこまで深い描写をされているわけではないけれど なんとなくの雰囲気でしょうか?なぜか現実味があるのが面白い。 文字面は非常にステレオタイプなのですが、なんかわかる。 空気感のみで表現されているというか…。 でもこれを理解できるのは世代によるかもしれません。 ある程度現代っ子(笑)でないと感じないかも。 非常に映像的です。空間と時間を切り取る描写、でしょうか。 物語は最後に別視点が登場することで大きく転換するわけですが、 この作品の(というかこの作者の、でしょうか)の私が好きなところは それでも、それまでの視点を否定しないところです。 なんというか、それはそれ、これはこれ。みたいな。 物事は何でも、別の視点から見れば別なものに見えるのは当然のこと。 どちらかが正しいとかではなく。 これで別視点だけがホンモノだとか言うとただのニヒリストですが そうではないところがとても好感が持てました。 吉田さんのほかの作品も、全体的に同じ姿勢な気がします。 これでもっと成長されたら、すごい作家さんになりそうです。 描写とか、表現とか。 楽しみ。 | ||||
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都内の2LDKのマンションで共に生活をする4人の男女達の物語。 それぞれの人物が順番にモノローグで語る自分自身のこと、 各々の目から見た他の登場人物のこと、そして一見平凡な共同生活のこと。 読み進むにつれてその空間にどんどん引きずられていき、 気付けば自分もそこの住人になっていた、という感覚でラストを迎えてしまった。 その暮らしを「インターネットでチャットをしているようなもの」と言う者もいれば、 「ここで暮らしている私は、間違いなく私が創り出した『この部屋用の私』である」と言う者もいる。 家庭用の自分、職場用の自分、友達用の自分、 誰でも「その場」に適応する自分を自ら創り出して演じているのかもしれない・・・ 偽っているわけではないけれど、しかし「ここではこの自分でいるのが最も適している」 と思うことは確かにあるし、ものすごく納得できる。 そしてこの話は、そのような生活の中にある「落とし穴」という表現が最もしっくりくるな、と最後に思った。 | ||||
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様々な事情から独りでは生活していくことができないため本当の自分を隠しながら「この部屋用の私」(130頁)として共同生活に入り、自己を抑制しつつ他の同居人に一応上辺だけは合わせて、しかしそれはそれで何となく充実的に生きてきた4人の人生の実相が、トリック・スターの登場で、暴露されるというストーリー。読み始めてすぐ何か背筋に寒いものが走りつつも、途切れのない緊張感をもって一気に読まされ、最終章でガツンと頭をぶん殴られたかのような刺激作。多くの現代人が多分抱え込んでいる筈のボッカリとした「虚無の世界」の存在を赤裸々に感得させる作品である。(タッチとしては、昔読んだJeffrey Eugenidesの『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』を思わせた。) 結局、相馬未来はハワイへ、杉本良介と大垣内琴美は故郷へ、それぞれ散って行くのであろう。(にしても、良介が持っていた五本目の鍵(275頁)は、どこを開けるためのものだったのか。) カバーに記された粗筋に目を通さず、先入観なく虚心にそのこわさを味わってほしい。(但し、正直いって伊原直輝の人物描写から得られるその人物像と作中行為の必然性(連関性)は今一つよく分からないところがある。) | ||||
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まあ、それなりにいろいろ事情があって、同居することになった5人の若者の、 本音と建前 重たくもあり軽くもあり、 大変でもあり、何てことないようでもあり、 第15回山本周五郎賞受賞作なんですが、 ある意味では、「ホラー」のような気もしましたよ。 読んで損はないと思います。 | ||||
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読み終わって、思ったのは。「はぁ、なんだ。そっちで落としたか。」ということ。 意外といえば確かに意外だけど、唐突といえば唐突。 川上弘美が解説でいうほど「怖い」とはおもわない。どちらかというと 「そう来ましたか・・」 カタストロフィをもっともっと心理的なところに持って行くことも出来たのでは ないかなぁ。そっちのほうが多分怖い。というか、結局また血に逃げたな。 という気がした。 そのこと(読まないとわからない)が明らかにされた後の同居人たちの行動に 関しては、家の中で起きたことに関しては敏感な彼らは、それを離れたところで 起きたことに関しては、踏み込んでこない。その線を越えることはない。という ことを考えれば、納得がいく。 とはいえ、部屋を共有する彼らの付き合い方は決して上辺だけではないとおもう。 ただ、芯に踏み込まないだけ。 芯に踏み込まないというと、上辺だけというのとは絶対ちがう。 本人にも分からないその「芯」には、それゆえ本人ですら踏み込めないのだ。 人間は、ある場所にいればある役割・機能を果す。それは演じているのでは なくて、それは生きているということだとおもう。 会社の自分、恋人との自分、一人の自分、家族の中の自分。 全部ちがう自分。でも全てが自分なのだ。 自分の知っている自分。他人の知っている自分。それはちがう自分。 でもどちらも自分なのだ。この相対化された世界に中心なんてない。主人公も 脇役もいない。みんな、ただその役割・機能を果しているだけ。 そんな世界では、自分らしさも絶対的なものではなく、ある役割・機能の中に 存在する相対的なもの。そして、その役割・機能は「場」が代われば 自分らしさも変化する。変化することに自分の意思は必要ない。必要なのは受容。 そういう文脈で読むと、我々読者の知っている彼らは、吉田修一の知っている彼らと もちがうし、彼ら自身の知っている彼らともちがうんだ。 吉田修一がいくら登場人物の言葉を借りて繰り返していたのは、そういうことの ような気がする。 | ||||
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すでに何人かの方が述べられていますが、若者の描写がステレオタイプに思えたり、 たんたんと描かれる何もないような日常につまらなさを感じる方もおられるかと思います。 しかし、それでも読み続けてみてください。やがて巧妙に埋め込まれたかすかな違和感が ラストの章で突如作動し、爆発をはじめます。 そしてこの小説の代名詞(?)ともなっている「怖さ」を実感されることでしょう。 吉田修一の描く物語には、東京を舞台にしたもの、出身地の長崎を舞台にしたもの、 と大きく2パターンありますが、しがらみにより異質なものを排除しようとする地方、 洗練の名のものとに無関心を貫く都市。 その両者からあぶり出される現在が、この作品にも描かれています。 | ||||
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保坂和志の『草の上の猫』が野良猫たちのあつまりだとしたら、この小説の中で 暮らす五人の若者たちは、野良犬たちの集まりという感じ。 ちょっと凶暴で乱暴で寂しがり屋で生きるのがへたくそで 集団でなくてはうまく生きるられない野犬たち。 直樹くんがリーダ犬といったところだろうか。みな素顔を隠したまま 上手にお互いとの距離をとって生活している。 『草の上の猫』の奇妙な共同生活もいいなあ〜〜と思ったけれど、このカタチの 人間関係もまた、とてもいい。ぜひ、二冊比べて読んでみてください。 そして、考えてみて。あなたは、猫派?それとも犬派? | ||||
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2LDKのマンションの一室で共同生活を送る4人の登場人物。年齢も職業もバラバラな4人が一章づつ見事に書き分けられています。微妙なバランスで続く共同生活が、サトルの登場で壊れていって・・・読み終えてみると、4人の登場人物それぞれが、同じ一人の人間のさまざまな「内面の闇」を描いているようで、ものすごく怖くて気味の悪い(?)小説です。(解説でも、川上弘美さんも言ってますが)僕は、すごく好きだけど、すごく怖いし、また読みたいけど、読みたくないなぁ | ||||
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つくづく吉田修一という作家は達者な作家だとこの作品を読んで感じた。本作品が山本周五郎賞なのもうなづける。翻って言えば「パークライフ」で芥川賞など獲らなければ、この作品で彼は立派な直木賞作家になっていたであろう。 都会に住む若者の空虚感を描くことは彼のある意味お得意分野であるのかもしれない。五人の登場人物が別々の語り口で語る本音ともとれるモノローグはかつて橋本治が「桃尻娘」シリーズで使った手法ではあるがこの作品の深みを生み出している。 | ||||
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5人のそれぞれ目線で何気ない日常生活が語られていくので、 いったい最後はどんな展開が待っているのかと思っていたら、 こんな落としどころがあったんですね。 でもスムーズに話が進んでいくので、 僕はうかつにも気がつきませんでした。 さりげなく伏線が敷かれていたことに。 そう言った意味で、この小説は「怖い」です。 人物の何気ないセリフ・行動・描写に、違った意味が出てくるわけですよ。 もう1度読みかえして、じっくりと味わうことにしたいと思います。 | ||||
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読んだあと、無性に他の人の感想を聞きたくなりました。 「こわい」などという一言に丸め込んでしまうのは、あまりにももったいない気がして 何に怖さを感じたのか、どこに共感できるか、あるいは嫌悪するか おそらく人それぞれ微妙に違うであろう読後感を知りたくなる、魅力的な小説でした。 魅力的ではありますが、決してグイグイ引き込まれる小説ではありません。 4人の男女が色恋抜きのちょうどよい距離を保ちながら共同生活をする物語は 海外ドラマのようにクールで楽しげですが、特にこれといった事件が起きるわけでもなく 読んでいて少し退屈、だけど面白いという感じです。 登場人物も軽薄でつかみどころがない感じなのですが、それぞれがモノローグで語る本当の自分は意外に真っ当で 馬鹿そうに見えるけど、実はいろんなことを考えているんだねと共感したくなります。 そうやって軽く読んでいるうちに、不思議な違和感が胸に広がってきました。 人に見せている自分と、本当の自分との食い違い 他の人をどこか見下しながら、それに合わせて自分を演出して作るやさしい空間の空虚さ 気楽なドタバタした日常の描写の中に、その違和感が少しずつ広がっていくのがたまらなく不気味で だから最終章で物語ががらりと転換したときには、こわいというよりも、安心感すら感じました。 退屈だけどスリリングで、現実感がないのにリアル。すごい小説でした。 | ||||
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同じ時間軸をシェアルームという同じ空間で生活している5人の登場人物が、それぞれの視点から描くといった新しい形の小説です。パレードという題のとおり、地元のお祭りのパレードのように同じお祭りの行列でありながら、それぞれの団体によって出し物や衣装が違うように、同じ空間を違う視点で見る世界がここにはあります。すごくほのぼのとした時間軸で始まる本書に惹かれ、なんて面白い小説なんだろうと思っていました。そう、それこそパレードの観客の一人という立場で。そして、そのパレードは急に降り出した雨によって混乱します。最後は観客の私も本当に混乱しました。ものすごく面白く怖いパレードでした。 | ||||
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終わりがあるから楽しめる。楽しいことも辛いことも味わうことが出来る。本当はもう終わりにしたいのに、終わることが出来ないもどかしさ。でもそれは自分の弱さ所以のもの。 社会に属している以上、全てのしがらみから解消されるのは不可能だと思う。それも悪くない。なんでも自分の思い通りになるのであれば、人生への感激は皆無だ。 | ||||
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レビューを書いているほとんどの人がワンパターンに「怖い」という 浅はかな感想しか述べられないところに、作家・吉田修一の苦悩を感じる。 例の「直輝」を「直樹」と誤って記述しているのも気になるところ。 この小説は安いミステリーのように、オチで人を驚かさせたり怖がらせ たりすることを目的に書かれたものではない。 哀しみを描いてはいるが、怖さを描いた小説ではない。 「直輝」が抱える"闇"を、他人の目線を通して表現した文学作品だ。 もちろん、作者は逃げることも出来た。 ポップな青春小説として、第5章をもっと明るく能天気なものにすることも 出来たと思う。(石田衣良なら間違いなくそうするはずw) そうすれは、ドラマ化なり映画化なりされてビジネス的には美味しかった だろうことは想像に難くない。 しかしそれをしないところに、吉田修一の吉田修一らしさがあるように思う。 石田の美学とは対極のところにある吉田の美学に、作家としての誠実さを 感じるのは自分だけだろうか・・・・。 | ||||
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