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パレード
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パレードの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.76pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全123件 41~60 3/7ページ
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友人に薦められて読んでみました。 既にたくさんの感想がレビューされていますが、とりあえず読みやすい作品だったと思います。 5章編成で、各章が違う人物の視点。 やはりインパクトが強いのは第5章でしょうけど、作品の序盤で事件の話があり、第5章の主人公が直樹だった時点で予想の出来た人も結構いると思います。 ただ、終盤の犯行と、それを知った上で何も言わない同居人たち。 個人的にはこの部分に怖さが感じられませんでした。 本当に同居人たちが知っていたかについては意見が分かれるだろうし、もちろん現実に理由もなく他人を殺傷する人間がいるのも分かっています。 そんな人間が身近にいたら怖いかもしれないけど、架空の話である小説でいきなり犯罪を起こされても、どうもリアリティがありません。 何より、解説を担当している作家さんもプロだろうに「こわい」しか言わないことが一番興醒めでした。 各キャラクターに深入りした記述をしないことも作品の魅力なんでしょうけど、ちょっと物足りない感じを受けました。 もうちょっと影の部分を書いて欲しかったなぁと。 ただ、やはり読みやすい作品であることは確かなので、今度はタイトルの意味なども考えながら読み返してみようと思います。 | ||||
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よくある光景よねぇ、気楽でいいじゃない、私もよくあるわぁ―― そこまで登場人物に共感しておいて、ラストに突き落とされる怖さ。 さっきまでは「少し変な人たちだけど、いい関係よね」なんて思っていたのに、 「世の中、こんなもんじゃない?同類同類」なんて思ってしまったのに、 私はこの人たちと同じなのか!!それは嫌だ! 直輝が“ジョギング”へ行くときに玄関で迷惑そうな顔を琴たちはしてみせる。 しかし、“ジョギング”自体を止めようとしない。 彼がどうなってもいいと言うことなんだな、結局私も。 と、思ってしまったら、自分のことが空恐ろしくなった。 | ||||
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5人の若者が、2LDKのマンションで同居する生活の中で それぞれが、日常生活を淡々と語る話。 ●第1章 良介 実家が寿司屋を営む、普通の大学生 ●第2章 琴美 売出し中の俳優と付き合う、ニート ●第3章 未来 イラストレーター兼、雑貨屋でバイト中 ●第4章 サトル ひょんな事から同居することになった謎の多い若者 ●第5章 直樹 一番ちゃんとしてる(?)映画会社に勤める社会人 一体、何が起こるのかと思いつつ 読み進める。 ただ単に、本当に”ただ単に”日々のことを綴っていく過程は さほどの面白みも無いが、その分味リアリティーがある。 人と必要以上に係わり合いになることを避けながら それでも、やはり寂しいので 都合のいい部分だけは、仲良くと過ごす毎日。 深い部分での繋がりは面倒臭いが、孤独は嫌だという ご都合主義的な部分は、居心地がいいのかもしれない。 何が怖いのか…。 読み終えて、思ったのは 人との深い係わり合いを保つことを、面倒なことだと 割り切れること。 確かに、そういう部分は誰にでもある。 冷めているという言葉では表現出来ない何かが怖い。 それなりに、楽しい生活。 大きな変化も無く、悪く言えばダラダラと過ぎて行く毎日。 だからこそ、思わず「えっ」となる最終章。 そして何よりも空恐ろしいのは、その事実が判った後の方。 これを怖いと思うか、思わないのかは 人それぞれなのかもしれない。 | ||||
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都内の2LDKをシェアする男女4人の若者。 そこにある日突然18歳の少年サトルが加わる。 お気楽な共同生活を章毎に一人一人が主人公となり、自分の視点で生活を語るストーリー。 まっとうに暮らしている私からすると、 最初の良介からクレイジーに見える。 まぁ、でも小説だからこんなものかな、という感じ。 サトルの章でだいぶ衝撃を受けた。 「みんなが知っているサトルなんていない」というのはこういうことなのかな、と。 最終章でさらに衝撃を受けた。 ある部分の予想はついた。でもそういうオチだとは。。。 最後まで読んで、最初に戻って拾い読みした。 世界が逆転する。 深読みしすぎかもしれないけど、、、 この作品の中の怖さは他にもある。 「自分だけが知っているつもりの自分」が、 「他人も知っている自分」であったということ。 自分だけの秘密が実は他人に気付かれている、という点もすごく怖かった。 占い師の存在が象徴的だった。 | ||||
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ひょんなことから同居することになった四人の若者。大学生の良介、ニートの琴美、フリーター の未来に会社員の直樹。恋愛関係でないし、親友でもない4人は奇妙なバランスを取りながら 暮らしている。そんなとき、また一人若者が紛れ込んできた。一方その頃、近所で謎の連続婦 女暴行事件が起こり始めていて・・・ 芥川賞作家吉田修一の『パレード』は、同じ2LDKの部屋で起こることを5人の異なる人物の視 点から描き出す手法をとっている。この手法は、これ以後の吉田作品『悪人』でも使われている。 あの作品でも、同じことを立場の違う複数の人の視点から描き、読者にとっての「悪人像」をぼか していることに成功しているが、今にして思えばこの手法をもっとも効果的に、そして解説の川上 弘美の表現を借りればもっとも「こわい」ものを描くことに成功しているのは、実はこの『パレード』 の方だったかもしれない。 普段はあまり干渉しあわないが、いざという時は協力しあう。そんな若者が描きがちな、(都合の いい)理想的なコミュニティー(今年すごく流行った言葉だ)をこの本は描こうとしているように見え る。少なくとも最後までは…。 最初、多くの読者は油断するだろう。この手法で描かれるのは、たぶんある視点人物だけが「知っ ていること」の真相なのだ、と。その人だけの知っていた秘密が明かされ、我々読者につまらない 日々の暮らしにちょっとした驚きを与えてくれるのだ、と。 だがそうではないのだ。事態はまったく逆、その人物だけが「知らなかったこと」なのだ。もちろんこ れ以上は語ることはできないが、その真相がその視点人物に対して明かされたとき、世界は一気 に不気味なものとなる。それが川上いわく「こわい」のだ。この小説は「チャットみたい」なコミュニ ティーの気軽さを一気に反転したときに現れる、「人」の見えない深淵の不気味さだ。快作といって いい。 | ||||
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読み終えた後、さまざまな疑問がわき起こってくる。 人によって、いろいろな解釈の出来る作品だと思う。 作中人物の誰もが、わかっているようでわかっていない。本当の自分さえも。 わかっているつもりで読んでいたこちらも、どこまでわかっていたのか不安になってくる。 芥川龍之介の「薮の中」を思い起こさせる。 誰もがこんなふうに心の中に病んだ部分を抱えながら、それでも微妙な距離感を保って、日常を生きている。 そのバランスは、崩れそうで崩れない。 でも実は、とっくに崩れているのかもしれない。 作中人物のキャラクターは個性的なようでわりと似通っている。 都会に暮らす若者たち、少し非常識で、ナイーブで、優しく、愛すべき人物たち、一様に心の中に小さな闇を抱えている。 しかし、事件は予期しない方向から唐突に起きる。 そこにトリッキーな不合理さを感じて冷めてしまう人もいるかもしれないが その不合理さこそこそリアルなのだという気もする。 | ||||
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消化不良を起こしているのか? むしろストンと腑に落ちているのか? 自分でもよくわからなくなります 5人の語りによって淡々と進むことでそこに感じるリアルさと嘘臭さ 正直な話、ラストの展開は何となく読めてしまうかもしれません ただだからこそ「こわさ」が生まれるのだと思います 特にピンクパンサーのパレードの描写にはこの「こわさ」の全てが凝縮されています あまりにも衝撃を求めてしまうと肩をすかされイライラとしてしまいますが、 あっさりとしているのにどこか重たい そんな感覚を味わいければ読んでみる価値はあるかと思います | ||||
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東京のマンションで、若い男女五人が気楽な共同生活。 他人として適度な距離をたもちながら、気が向いたときは一緒に飲んだりビデオを見たり、 悩みを相談したり。 一時期、リゾートバイトなどでシェア暮らしをしていたものとしては、とても魅力的な感じ。 ドラマみたいに、やたらと他人に干渉してアツくないのも良い。 楽しかった日々を思いながら、登場人物の誰かに自分を重ね合わせて共感していた。 そしてラスト。 少し変わっているけど正常だと思っていた自分(登場人物)が 「実は狂っていた」という事実。 どんな本を読んでも、その本の中で自分が正しいと思える人物を知らず知らずに見つけているもの。 それをいきなり否定される怖さ。 山本文緒の「恋愛中毒」を読んだときのような。 自分が参加して、踊って、行進している「パレード(人生)」は、 果たして本当に正常なのだろうか? | ||||
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映画を先に見ていたので、第5章はどこで「来る」かばかりを気にして結果ラストの怖さは些細なものとなったけど、やはり吉田修一の作品はある意味で腑に落ちる。それは「リアル」という言葉を使えば簡単に説明できそうな手触りであっても、その「リアル」さは最後に「うそ寒さ」へ変わることで読者を裏切る。他愛のないツッコミや気遣いのある(ように思える)言葉、そしてそれぞれが抱えている悩みや不安さえも読後はぺらぺらなものに思えてしまう。「ここにいたければ笑っていればいい」から、他人の悩みはめんどくさいものとして流される。 しかし、それにもかかわらずこの5人の生活感は愛おしい。「愛おしい」ということは、「わかる」ということ。あーわかる、の「わかる」。解説で川上弘美さんも言っていたように、この小説の怖さは自在に変容する。その数ある怖さのなかでも打ち捨てておけないのは、同じ部屋に住んでいる人間の重大な行為を「めんどくさい」で片付けられてしまう人たちの気持ちや生活を「わかっ」てしまうことではないか。 吉田修一はほんとに、いそうでいなさそうで、実はいそうな人間を描くのがうまい。 | ||||
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映画キッカケで読みました。 映画はラストが原作以上に観客に対して 丸投げされていたので、スクリーンに映る 登場人物たちの表情が、無機質で怖かったのですが、 原作も十二分に怖くて、読み終わったとき、恐怖のあまり鳥肌が立ってしまいました。 私も大学生時代に 男4人のルームシェア経験があったのですが 当時の人間模様を思い出してしまいました。似ている部分もありました。 なお現在進行形で、 ルームシェアをされている人は 相手に対して不信感を抱く可能性が ありますので読まないほうがイイかもしれません。 それほどまでにリアリティに溢れている証拠、褒め言葉ですよ(笑顔) | ||||
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吉田修一はこの小説を書くに当たり面白い構成をとった。パレードは五人の共同生活を送る若者たちを描く小説である。そしてそれは5つの章からなるオムニバス形式で構成される。それぞれの章でその五人の若者はそれぞれ一人称で登場し、読者はそれぞれの心理やホを知る。この構成により読者はそれぞれの視点から共同生活を見ることが可能になり、一つの安定したコミュニティーの中で、各人は安定した暮らしをするための役割を演じているに過ぎないことを知る。吉田修一はよく現代の若者を描くのに巧みな作家であると言われるが、この作品が扱うテーマはどの時代にも当てはまる普遍的なものであろう。 | ||||
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この作品は、共同生活を送る男女四人+一人、計五人の物語です。 そして、それぞれ章ごとに五人の一人称形式で書かれています。 こうした構成は「それぞれの若者の言い分をそれぞれに語らせることで読者には客観的に見てもらう」という狙いではないか、と思います。 作品自体は、若者達の生活に少々のミステリー風味を加えて、ラストに衝撃的な事象を持ってくる、というパターンで、単なるミステリーとしても読むことが出来ます。 しかし、解説を書いている川上弘美氏の言う「こわさ」とは多分このラストを示して言っているのではないでしょう。この物語の本質のこわさ…。それはむしろ、客観的に若者の思考を読むことで際立つ「若さに対するこわさ」ではないか、と思います。 そして、それは若くない人、要は私みたいな人間にはとてもこわいことに思えました。 ですので、若い人は登場人物と同調してしまって、そのこわさに気付かないかもしれません。 ミステリーとして捉えられるかもしれませんが、私は純文学だと思います。 その二面性も、また魅力の一つです。 | ||||
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奇妙な同居関係にある数人の男女の物語。 短編のような感覚でさらりと読める点が非常に心地よかった。長編でありながら章がそれぞれ独立しているので少しずつ読み進めるのに便利でした。 | ||||
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映画化にするということで、ミーハーな気分で読み始めたのですが。 これがなかなか、いやかなり面白い…やっぱり映画になるだけあるわ〜と感心感心 読み始めたら、とまらなくなってしまいました。 これといって、深いテーマがあるわけではないのが、またいい。 冷酷にも愉快にもなれる人間の本能的自己防衛に、少しうれしくなったり、 一人でもない家族でもない、あの生温かい部屋をうらやましくなったりと、 閉鎖的な心っていったい何をするか分からない面白さを見ました。 なんだかゾクゾクワクワク、吉田さんすごい!! | ||||
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映画化もされ、話題の本作。 5人がなかよくルームシェアする日常はまるでアメリカのホームドラマ「フレンズ」を連想させる。 しかし、仲良くしているようで互いに相手に踏み込まない姿勢が現代の病巣として描かれている。 私は20代のはじめにアメリカで4人でルームシェアをした経験がある。 ルームシェアには相手に踏み込みすぎないようにする不文律があったように思う。 本作はなりゆきでルームシェアすることになった若者たちの生活を描いている。 その雰囲気は一見なかなかお気楽で楽しそうだ。 しかし、楽しそうな裏側には 互いに相手を勝手に都合のよい人物と考え、実は互いの虚像と生活している。 この小説が描く人物はどこにでもいそうなリアルな人物達であり、 それだけに最終章の衝撃は大きい。 しかしちょっとそこまで相手に無関心であることはないと思った。 相手のためにというよりは自己防衛のための関心は持つだろうと。 「本当の自分」「自分探し」などという言葉が一時期もてはやされ、 現在では逆に「現実逃避」として蔑まれている。 「本当の自分」「本当の相手」・・・「本当の」ってそもそもどういう事だろう? | ||||
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都会の若者、微妙な人間の距離感を絶妙に描く吉田修一。 本作が芥川賞受賞作「パークライフ」の直前に書き下ろされた山本周五郎賞受賞作。 ルームシェアをしている5人の若者。お気楽だけど少しナイーブな良介、恋するおバカ女・琴美、夢を追う少し性格の悪い未来、自称18歳の男娼・サトル、常識人で部屋をもともと借りていた直輝。何となく楽しい5人の共同生活、5人5様の厳しい現実。 この作品の魅力は何と言っても各章(全5章)ごとにそれぞれの登場人物に視点を預けて、バトンリレーで語られている都会の青春群像ストーリー。同じ出来事が別の登場人物から語られることで、それまで見えていなかった登場人物のキャラクター、事実関係が「重ね塗り」するように物語を深くしている。また、同じ時間軸ではなく、章を読み進めるにつれて、微妙に重なりつつも時間自体は進行させているので、物語がどんどん面白くなっていくドライブ感が強い。そこに吉田修一の上手さがある。そして、この「重ね塗り」スタイルが持たせる広がりと深みは「悪人(2007)」によって大花を咲かせている。 本作に関するレビューの多くに「怖い」「ゾクッとした」と書かれている。 その部分を書いてしまうと完全にネタバレになってしまうので、興をそがないギリギリの範囲で書くと、最後にどんでん返しがきます。 それはミステリーにおける犯人探しとは別の次元の内容。どういう種類のインパクトすら書くことが出来ないのですが、 曖昧に書くと、その瞬間に今まで徐々にめくれ、めくれて明らかになっていたと思っていたこと、自分の視点が、めくらであったことに気付きます。 「こいつら、本当に知っているのだと肌で感じた」というどんでん返しは、「裁かれない」という言葉が象徴する宙ぶらりんになった感情は、強い衝撃を持っています。 本作では「部屋用の自分」「チャットルーム」と表現されているこの関係性は、共同生活にだけ存在するのではなく、現実世界でも確かに存在している。吉田修一が表現したいことをコンパクトに表現するために「共同生活」という舞台装置として使っているだけ。このめくってもめくれない関係性の「膜」「綾」は現代を生きる人達ならば等しく感じているものだと思う。それを強く抉っているがゆえにこの小説のインパクトは強かった。 吉田修一の初期の作品なので、文体自体は最近の作品ほど練られたものではありませんが、ライトな筆致と、本質を抉った強い物語性は小説好きであれば、人間関係を気にせずにはいられない人であれば、一読して決して損はありません。 | ||||
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居心地がいいような、悪いような。おかしな空間で、楽しく暮らしているようで、だれ1人そこに執着していない、意識が無い様子が気持ち悪くて怖かった。ラストまでいくと、それまでの話しが一段と気持ち悪くなる。 | ||||
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映画を見てから、色々疑問があったので、この文庫本を買って読みました。 映画でラストを知っていたので、そうくるか、と思いながら読みましたが、 知らなくて、読んでたら、小説の方がインパクト強かっただろうな、と思いました。 映画は、割とわかる感じで複線を引いていたけど、小説はほんとにささいなヒントしか 与えてくれていないので、このラストは唐突に出てきて、ショックが大きい気がしました。 映画との違いで気になったことを1、2点。 未来の持っているビデオテープは、小説では、外国の普通のロードショー映画の編集だけど、 映画では日本のどちらかというと後ろ暗いビデオからの編集のようだったので、生々しさが 違う感じがしました。多分、版権の関係があるのだろうけど、せめて洋物の方が良かったです。 (最初、未来の少女の頃の出来事を録画したのかと勘ぐってしまったので…)。 小説では、このシェアしている部屋に共同の電話があるようで、時々、電話の伝言をしています。 でも、映画では、皆が携帯電話を持っているので、そのようなシーンはありません。 そういう意味で、私達は、この小説が書かれた2002年より、更に孤独な世界に来てしまった のかもしれません。 | ||||
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一度目を読み終えて、「ん?」と思ったので、ネットでネタバレやら他の人のレビューを読んだ後にもう一度読みました。読んだ後、なんとも言えない不思議な気持ちになりました。確かに怖いです。でもただ怖いだけじゃなく……。ちゃんと面白さも感じられました。でも、素人の言葉で説明するとどうしてもその「面白さ」が安っぽくなってしまう気がするのでここではやめておきます。 「うわべだけの付き合い」 何気ないこの本のテーマのようですが、その「うわべだけの付き合い」が最終章に大きくかかわってきます。みんな何かを抱えている。しかし、一緒に暮らしていながらもそれをルームメイトに話したりはしない。それでいい。それがいい。だからこそこの本のラストがあり、みんながそれなりに幸せでいれるのだと思いました。 最初のほうは(最初から終盤までずっと)退屈で仕方ありません。それぞれの過去。どうでもいいような事件……など。特別「え!?」というような事件が起きるわけでもなく物語は進んでいきます。だけど、その「退屈」に意味があるんです。一見意味の無いようなことにちゃんと意味があるんです。 そして「退屈」を乗り越えて最終章を読み終えたとき、「え!?!?」ではなく、「……え?」という静かな驚きを感じました。(僕の場合) その衝撃的なラストがなぜ起こったのか、それは全て最終章に行き着くまでの「退屈」のなかにこめられているのだと思いました。 現在映画も公開されています。僕は映画は見ていませんが、登場人物とキャストが非常にぴったりだと思います。 | ||||
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読破後、一気に色々なことを考えさせられ、 現代を生きる私に、ずしりと重い鉛を落としてゆきました。 でも、むしろ私はこの鉛を歓迎したくなりました。この本を読んでいなかったら、今の私達が置かれてる状況を考え、疑問に思うことさえなかったと思うから…。 私は今、学生ですが、同年代の人達にぜひ読んでほしい! 色々考えてしまうのはきっと、 私も、「パレード」しているからなのでしょう。 | ||||
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