■スポンサードリンク
秀吉の枷
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
秀吉の枷の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.93pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全61件 21~40 2/4ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
成り上がり天下人秀吉がその後半生に、信長の死に加担した罪の意識に追われ、自身の世継ぎを巡る疑念と苦悩に絡め取られる姿がよく描かれている。この二つの疑惑を鍵として展開するから「ミステリー」的な面白さが続く一方で、このミステリーの探求に捕らわれていないから文庫本三冊の物語に軽薄感が残ることもない。 世間的な大成功を収めても、その過程で犯した罪の意識から逃れることは容易ではない。何が幸せで何が不幸なのかをよく考えさせられる物語でもあった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
成り上がり天下人秀吉がその後半生に、信長の死に加担した罪の意識に追われ、自身の世継ぎを巡る疑念と苦悩に絡め取られる姿がよく描かれている。この二つの疑惑を鍵として展開するから「ミステリー」的な面白さが続く一方で、このミステリーの探求に捕らわれていないから文庫本三冊の物語に軽薄感が残ることもない。 世間的な大成功を収めても、その過程で犯した罪の意識から逃れることは容易ではない。何が幸せで何が不幸なのかをよく考えさせられる物語でもあった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
よく、直木賞の選評では「人間が描けていない」ということが云われます。その意味ではこの小説はとてもよく人間が描けていると思います。 たまたまですが、さいきん冲方丁さんの『天地明察』を読んで主人公が近代人のようにしゃべり近代人のように考えることを不思議に思っていました。たしかに、わたしたちは近代人ですからそれ以前のひとたちがどのようにしゃべったか(書き言葉はいざしらず)、あるいは、どのように考えたのかはよくわからないのです。しかし、この小説は実に中世の秀吉らしい考え方・しゃべり方をしていてよかったです。 この小説はもともと知っていたのですが(『信長の棺』は既に読んでいました)、ぼくがさいきん興味を持っている若桜木虔さんという作家兼小説講座講師の方が「この小説の著者である加藤廣さんはわたしの小説講座の受講生だった」という旨のことを云っていて読んでみよう、と思いました。これは「時代小説でミステリ」というくくりでいいのでしょうか。若桜木さんによれば「この三部作はあとになるにしたがってミステリの度合いが低くなって残念だった、というAmazonのレビューが見受けられる」とのことですが(『時代小説家になる秘伝』参照)、ぼくにとってはたしかにミステリでした。思いつくままに謎を列挙すると……。 ・信長の遺体の謎 ・光秀の遺体の謎 ・淀殿の子どもの謎 ・秀次を切腹させた謎 これらの謎が緻密な時代考証の末、想像力によって解き明かされる快感! とてもおもしろい小説だと思います。 以上です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この作品は本能寺の変を秀吉側視点での描写と、秀吉に子供が生まれないことの悲哀が描かれていますが、両者の相関は全くありません。 「信長の棺」を秀吉側から見た外伝がページ数が足りないので秀吉後継者問題で無理やり膨らませた印象を受けました。 三部作の三作目「明智左馬助の恋」は「信長の棺」の視点違いであり、本作だけが浮いた印象をうけます。 失礼ながらこの作者の方は小説家に向いていないのではないかと感じてしまいました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
豊臣秀吉を思い浮かべるとき、人それぞれ異なるイメージを抱くのではないでしょうか。 秀吉ほど一生の間に姿を変えていった人は稀有でしょう。 信長の家臣として出世に次ぐ出世を遂げた頃。天下統一を成し遂げた頃。そして口臭の漂う晩年の頃。 下巻は、小田原征伐から説き起こされます。 秀吉を思い浮かべるとき、その明るく陽気な印象がまず最初に浮かびます。 戦わずして敵を味方につけてゆく才覚は領土を広げるときに存分に発揮されたと思うのです。 俗に人たらしの秀吉でさえも、戦いが終わると俗な欲望に取り付かれていきます。 秀吉の血筋に対する執着とその絶望感を覆い隠すための愚行。天下人なるが故の孤独。 このあたりは、現代的な感覚で著者は秀吉にアプローチしていると感じられました。 時間は後戻りすることはありませんが、歴史は遡ることが可能です。 歴史のある地点から過去に遡ってゆくとそこに必然性がみつかる場合があります。 天下統一を果たした豊臣家は秀吉亡き後、徳川家康にその座を奪い去られてしまいます。 読み終えた段階で豊臣家の最期を思い浮かべるでしょう。 著者は、前野将右衛門が随分お好みのようです。秀吉、影の軍団。 信長が部下を放逐していったことは良く知られていますが、秀吉も同じ事をしていました。 この本を読むと、信長と秀吉が如何に良く似ていたかが感じられます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
多くの作家が豊臣秀吉の実像を描くことを試みています。 司馬遼太郎、吉川英治、山岡荘八、津本陽。 どの秀吉も魅力たっぷりですが、この秀吉もう〜ん、そうかな、と思わせられます。 それぞれにタイプが多少異なるのですが、逆に人間の多面性を感じさせられ自分なりの秀吉像を拵えるのに役立ちます。 中巻では、山崎の合戦から九州征伐までとなります。 歴史に残った事実と事実の間の空白に最も合理的な線を引っ張ろうとしているように思えました。 なぜ、秀吉は中国大返しが可能であったのか。 それを成り立たせるための材料、条件を求め、逆に時間を遡って推理を働かせていきます。 そこから、秀吉は信長との関係を洗い直していきます。 なぜ秀吉は武家の頭領である征夷大将軍ではなく、関白となったのか。 秀吉の織田家へのこだわりは何であったのか。 著者は、コンサルティングをするように分析を進めてゆきます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
『信長の棺』の歴史観で秀吉を描いた作品です。 歴史好きの方には、とても面白く読めるのではないでしょうか。 信長、秀吉、家康。 幾多の作家、歴史研究家が人物像を語ってきたかと思います。 上巻は、三木城攻めから本能寺の変まで進みます。 中国大返しは如何にして為されたのか。 歴史の謎に対して非常にユニークな推理を試みています。 可能なら、『信長の棺』を読まれれば良いかなと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「信長の棺」の続編にあたる作品でぜひ前作品を読んだ上で本書を読むと一層おもしろい。秀吉の信長を恐れる心情がやがて信長を超える自信となっていく様子が見事。しかし生涯信長の遺骸行方に翻弄させるところはこれまでに無かった展開で読み応えがある。歴史小説225作品目の感想。2010/02/06 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「信長の棺」の続編にあたる作品でぜひ前作品を読んだ上で本書を読むと一層おもしろい。秀吉の信長を恐れる心情がやがて信長を超える自信となっていく様子が見事。しかし生涯信長の遺骸行方に翻弄させるところはこれまでに無かった展開で読み応えがある。歴史小説225作品目の感想。2010/02/07 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
上巻辺りはなかなか面白いなぁと読んでいましたが 勇将の本多忠勝を謀臣のように書いていたり それって本多佐渡正信の間違いでは... 秀吉が信長の死に関わっている証拠を家康が掴んでいるとしたら 果たして臣下の礼を取る必要があったでしょうか? 少し作りに無理があるような気もします。 歴史のとらえ方は人それぞれですし小説ですから自由ですが、 自分には違和感ありました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
いくつかの仮説が前提ではあるが、卑屈な忍従を強いる信長に服しながら信長を見切っていく秀吉の心理描写はお見事。理屈抜きで面白い小説です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
『信長の棺』に続く、本能寺の変、信長の死にまつわる歴史ミステリー。 『信長の棺』が面白かったので、こちらも読んでみたが、前作に劣らず、こちらも息もつかせぬ面白さ。 秀吉を主人公に、前半では彼が信長のもとで、天下を狙う様を、後半では彼が掴んだ権勢をどうつかめていくか、をほとんど秀吉の視点で描いている。 前作に比べるとなぞ解きの要素は少なくなっているが、むしろ人間秀吉の苦悩が描かれていて、小説としては、こちらの方が面白いかもしれない。 でも、これが70歳過ぎた人が書いているとは思えないぐらい、熱い小説。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
私が目下住まっているのは京都市中京区西洞院蛸薬師近辺 そう、まさにこの本の序章ともいうべき『信長の棺』で描かれた本能寺〜南蛮寺地下道の真上(かもしれない)のだ!!! 425年前、ひょっとしたら私のこの足下で信長は窒息して息絶えたのかもしれない、 そう思うと、この「小説」もがぜんリアリティをもって読めてしまう。 ただ、「信長〜」と異なるのは、やはりそれなりに史上に名を留める人物ばかりが登場するため、どうしても想像力の飛翔感というものが今ひとつ感じられなかった点であります。 それに嫡子を持てない、ということがこれほどまでにコンプレックスになるものか…?もちろん、あとがきに作者が書くように、これが秀吉の覇者である半面の悲哀なんだそうだが、どうなんだろう?意地でも己の種を残そうとじたばたすることこそなんかいかにも動物的本能を表に出しまくっているカンジで、好もしくないなぁ。単なる色欲だけ、って方がよっぽどワルっぽくていいのにな。 秀吉はほんとうに数えきれないほどTV化されていて、いろんな名優が演じているけれど、やっぱり緒形拳が最高だと思う。でも、この本の秀吉は緒形拳にはやって欲しくないなぁ、と、そう思ってしまいました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
北条氏打倒と家康の関東への「追放」、そして専制君主化したが故の、信長晩年の狂気を彷彿とさせる秀次粛清、朝鮮出兵、そして寂しい死に至る、秀吉の「枷」から逃れられない、必死に生きたが暗澹たる晩年を、子供ができない苦悩、女性たちの寵愛争い、特に淀の方(茶々)の急接近と2度の懐妊・秀頼誕生に大胆な推理のメスを入れ、北野大茶会や醍醐の花見といった有名なイベントも交えて描く。私は本能寺の変の真相に関する著者の説に与しないが,天下人に駆け上がる過程で主家を打倒した負い目が一生つきまとったであろうことは想像できる。そして茶々の急接近と2度の懐妊に関する作者の推論。何故茶々だけが2度も懐妊したのか、昔から噂が多くても本格的な研究に私はこれまで接したことがない。しかし、本書を読む限り秀吉の行動の記録と懐妊時期を付き合わせた推理には一応納得がいく。もっとも関係者は著者の創作・想像だと思うが。また、秀次関係者をあれほど徹底して粛清する必要があったのかは長年の謎だったが、茶々の陰謀が秀次に及び、かつ秀吉の誤解が大粛清の原因となったとする推論は、あり得たかもしれない歴史として面白い。 結局、秀吉は信長を上回る器だったのだろうか。主家を打倒せねばならなかった運命、茶々の子供と言う信長の血筋に後継を委ねざるを得なかった悲劇。著者があとがきで記すように、秀吉は結局シェイクスピアのマクベスではなかったかという指摘は傾聴に値する。 老いの感傷に縁取られた本書だが、秀吉を温かく迎えてくれる老妻、そして推理の幕引き役を演じて潔く死ぬ謀臣・前野将右衛門、この2人の姿がくっきりと心に刻まれる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「信長の棺」信長の棺〈上〉 (文春文庫)も持っていますが、こちらの方が楽しく読めました。 歴史家には異論反論あるでしょうが、エンターテイメント作品として割り切れば面白いです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この(中)は、秀吉が明智光秀、柴田勝家、そして織田家を蹴落とし、家康を臣従させ、大坂城を築いて関白となり、九州を平定するまでの物語。秀吉の天下人にならんがためのなりふりかまわぬ行動と、どんなに明るく振舞っても消えることのない心の闇を描く。一つは子供に恵まれないこと。子作りに必死の秀吉が滑稽ですらある。もう一つの闇は、(上)や「信長の棺」を読んだ人にはわかることだが、未知の人にとっての読んでのお楽しみとしておこう。 ところで、本書では山崎の合戦の後、六月十五日に秀吉が安土城の天主に入って、部屋や調度品が自分のものとなることを確信する場面がある。そして清洲会議の後で、安土城の大部分が炎上・消失したとしている。しかし、私の知る限り、少なくとも安土城の天主は十五日に消失しているはずだ。私は一次資料を調べた訳ではないが織田信長と本能寺の変―戦国最大の謎光秀諜反の真相に迫る!は十五日未明、逆説の日本史(11)戦国乱世編 朝鮮出兵と秀吉の謎では十四日に消失したと書いてある。そうであれば、本書の十五日の光景はあり得ないはず。また、本能寺の変―光秀の野望と勝算は十五日に消失したとするから、十五日早朝の光景が仮にあったとしても、消失は清洲会議よりずっと早い。異説があるとしても、遅くとも十五日には消失したとするのが多数説と思われる現状では、なぜ消失時期がもっと遅いと判断したのか、わき道にそれてもいいから説明してほしかった。折角光秀の最後を感慨深く描写する等、読ませる筆力はあるのに、いくら小説とはいえ、史実を曲げているとしたら問題だ。些細なことかもしれないが、どうも著者の物語の組み立ては無理が多いと私は感じており、この安土城消失時期がその一例だ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
著者は既に信長の棺で本能寺の変の真相・謀略についてのいくつかの説を組み合わせて物語を構成していたが、この秀吉の枷(上)は秀吉の側から、ボスである信長の晩年の狂気の暴走とそれを阻止する謀略の進行を描いている。したがって、同じ「推理」を異なるアングルで描いているので、信長の棺を読んでおいた方がよいだろう。ただし、著者の採るような謀略説には無理があり、私は賛成できない。このことは信長の棺に対する私のレビューで触れたので繰り返さない。本書では秀吉の出自とそれに関係する尊王の心が、秀吉の行動を動機付ける大きな要因として強調されているが、秀吉がそのような人物であったという説を私は聞いたことがない。かといって秀吉の出自に関する定説がある訳ではないので、著者の想像力の大胆さを一つの可能性として許容してもよいと思う。ただし、本能寺の変の真相は本書に書かれた通りだと信じ込むことは避けて欲しい。 このように合理的でない謀略説の枠組みに著者の想像力を加味して書かれた本とわりきって、あり得たかもしれない人間ドラマとして楽しむ分には、この(上)は秀吉の生涯の陽性の面がよく描かれており、面白い読み物であることは否定しない。ことに竹中半兵衛と黒田官兵衛の個性はさもありなんと思えるほどで、著者の筆の冴えを感じる。 (中)、(下)は本能寺の変後の秀吉の話になる。後日それぞれについて別途コメントしたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
秀吉を主人公に、宿老(前野長康、蜂須賀小六、竹中半兵衛、黒田官兵衛ら)や信長との関係性を描く。上巻では主に秀吉から見た信長像を描いている。 著者のヒット作となった『信長の棺』を読んでいれば、著者の考える本能寺の変の黒幕がわかっているだけに、最初からネタバレのような感じになってしまい物足りなかった。『信長の棺』では太田牛一が主人公だったが、それを秀吉視点に切り替えて再構成したような内容に感じた。 『信長の棺』で提示した視点が斬新だっただけに、本作はかなり物足りないが、それでも独特の信長・秀吉像と歴史観・宗教史観は健在だ。『信長の棺』とは内容がリンクしているので、可能であれば先に読んでおきたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
秀吉を主人公に、宿老(前野長康、蜂須賀小六、竹中半兵衛、黒田官兵衛ら)や信長との関係性を描く。下巻では主に孤独になる秀吉像を描いている。 通常考えられているような明るい秀吉像ではなく、暗く孤独な秀吉像は、「権力者」という観点から見直したが故の一つの成果といえるだろう。宿老達が遠ざけられ、子飼いの武将(加藤清正ら)が出世していったことへ対しても、著者は一つの回答を提示している。 惜しむらくは読みづらさ。上巻・下巻で一貫して秀吉の孤独化を描いているため、テンポが単調になり徐々に読み進みづらくなってしまっていたように感じた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
茶々(淀の方)が生んだ子供は、はたして秀吉の子供だったのか?<消えた信長の遺体は何処へ>というテーマでのぞんだ加藤廣の処女作『信長の棺』に比べると、テーマ自体が下世話なせいか、女好き=秀吉と側室たちの○○○シーンがやたら多く登場する。非常に固さが目立った前作に比べると、文体もやわらかくなり読みやすくはなっているが、作家の硬派なイメージが若干損なわれたような気がしないでもない。 時代的にも『信長の棺』とかなり重なっており、前作では明らかにされなかった細かい部分の謎についても本作品内でふれられているので、前作品を読んでから本作品に手をつけられることをオススメする。信長─秀吉─左馬助と続く戦国ミステリーは、一つの史実を多方面からとらえようとする作家の歴史的に中立な目を感じることができる。司馬遼が描くきらびやかな表舞台の歴史とは異なる、立体的な史観が魅力のシリーズには好感がもてる。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!