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秀吉の枷
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秀吉の枷の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.93pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全14件 1~14 1/1ページ
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本書は、2006年4月に日本経済新聞社から刊行されたものを、 2009年6月の文庫化にあたり、上・中・下巻に分冊したものです。 秀吉の天下取りを描いた内容で、秀吉が九州仕置きを終えて大坂に戻った話から始まり、 死までを描いています。 上巻から下巻まで加藤氏の奇をてらった仮説にあふれていて、 読者が本書の内容を鵜呑みにされないよう願います。 | ||||
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本書は、2006年4月に日本経済新聞社から刊行されたものを、 2009年6月の文庫化にあたり、上・中・下巻に分冊したものです。 秀吉の天下取りを描いた内容で、中巻は中国大返しの途中で姫路城に立ち寄った話から始まり、 関白となって九州仕置きを終えた辺りで終わります。 加藤氏の奇をてらった仮説と信長像を受け入れることが出来ず、 本書の内容も素直に受けいれられません。 | ||||
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本書は、2006年4月に日本経済新聞社から刊行されたものを、 2009年6月の文庫化にあたり、上・中・下巻に分冊したものです。 秀吉の天下取りを描いた内容で、上巻は本能寺の変の3年前から始まり、 軍師に迎えた竹中半兵衛が秀吉に与えた秘策が鍵になっていて、中国大返しの途中で終わります。 本作は、本能寺三部作の第二弾で、前作「信長の棺」では太田牛一を主人公にしたアイデアが面白かったのですが、 本作では加藤氏の奇をてらった仮説と信長像を受け入れることが出来ませんでした。 | ||||
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この作品は本能寺の変を秀吉側視点での描写と、秀吉に子供が生まれないことの悲哀が描かれていますが、両者の相関は全くありません。 「信長の棺」を秀吉側から見た外伝がページ数が足りないので秀吉後継者問題で無理やり膨らませた印象を受けました。 三部作の三作目「明智左馬助の恋」は「信長の棺」の視点違いであり、本作だけが浮いた印象をうけます。 失礼ながらこの作者の方は小説家に向いていないのではないかと感じてしまいました。 | ||||
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この(中)は、秀吉が明智光秀、柴田勝家、そして織田家を蹴落とし、家康を臣従させ、大坂城を築いて関白となり、九州を平定するまでの物語。秀吉の天下人にならんがためのなりふりかまわぬ行動と、どんなに明るく振舞っても消えることのない心の闇を描く。一つは子供に恵まれないこと。子作りに必死の秀吉が滑稽ですらある。もう一つの闇は、(上)や「信長の棺」を読んだ人にはわかることだが、未知の人にとっての読んでのお楽しみとしておこう。 ところで、本書では山崎の合戦の後、六月十五日に秀吉が安土城の天主に入って、部屋や調度品が自分のものとなることを確信する場面がある。そして清洲会議の後で、安土城の大部分が炎上・消失したとしている。しかし、私の知る限り、少なくとも安土城の天主は十五日に消失しているはずだ。私は一次資料を調べた訳ではないが織田信長と本能寺の変―戦国最大の謎光秀諜反の真相に迫る!は十五日未明、逆説の日本史(11)戦国乱世編 朝鮮出兵と秀吉の謎では十四日に消失したと書いてある。そうであれば、本書の十五日の光景はあり得ないはず。また、本能寺の変―光秀の野望と勝算は十五日に消失したとするから、十五日早朝の光景が仮にあったとしても、消失は清洲会議よりずっと早い。異説があるとしても、遅くとも十五日には消失したとするのが多数説と思われる現状では、なぜ消失時期がもっと遅いと判断したのか、わき道にそれてもいいから説明してほしかった。折角光秀の最後を感慨深く描写する等、読ませる筆力はあるのに、いくら小説とはいえ、史実を曲げているとしたら問題だ。些細なことかもしれないが、どうも著者の物語の組み立ては無理が多いと私は感じており、この安土城消失時期がその一例だ。 | ||||
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著者は既に信長の棺で本能寺の変の真相・謀略についてのいくつかの説を組み合わせて物語を構成していたが、この秀吉の枷(上)は秀吉の側から、ボスである信長の晩年の狂気の暴走とそれを阻止する謀略の進行を描いている。したがって、同じ「推理」を異なるアングルで描いているので、信長の棺を読んでおいた方がよいだろう。ただし、著者の採るような謀略説には無理があり、私は賛成できない。このことは信長の棺に対する私のレビューで触れたので繰り返さない。本書では秀吉の出自とそれに関係する尊王の心が、秀吉の行動を動機付ける大きな要因として強調されているが、秀吉がそのような人物であったという説を私は聞いたことがない。かといって秀吉の出自に関する定説がある訳ではないので、著者の想像力の大胆さを一つの可能性として許容してもよいと思う。ただし、本能寺の変の真相は本書に書かれた通りだと信じ込むことは避けて欲しい。 このように合理的でない謀略説の枠組みに著者の想像力を加味して書かれた本とわりきって、あり得たかもしれない人間ドラマとして楽しむ分には、この(上)は秀吉の生涯の陽性の面がよく描かれており、面白い読み物であることは否定しない。ことに竹中半兵衛と黒田官兵衛の個性はさもありなんと思えるほどで、著者の筆の冴えを感じる。 (中)、(下)は本能寺の変後の秀吉の話になる。後日それぞれについて別途コメントしたい。 | ||||
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秀吉を主人公に、宿老(前野長康、蜂須賀小六、竹中半兵衛、黒田官兵衛ら)や信長との関係性を描く。上巻では主に秀吉から見た信長像を描いている。 著者のヒット作となった『信長の棺』を読んでいれば、著者の考える本能寺の変の黒幕がわかっているだけに、最初からネタバレのような感じになってしまい物足りなかった。『信長の棺』では太田牛一が主人公だったが、それを秀吉視点に切り替えて再構成したような内容に感じた。 『信長の棺』で提示した視点が斬新だっただけに、本作はかなり物足りないが、それでも独特の信長・秀吉像と歴史観・宗教史観は健在だ。『信長の棺』とは内容がリンクしているので、可能であれば先に読んでおきたい。 | ||||
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秀吉を主人公に、宿老(前野長康、蜂須賀小六、竹中半兵衛、黒田官兵衛ら)や信長との関係性を描く。下巻では主に孤独になる秀吉像を描いている。 通常考えられているような明るい秀吉像ではなく、暗く孤独な秀吉像は、「権力者」という観点から見直したが故の一つの成果といえるだろう。宿老達が遠ざけられ、子飼いの武将(加藤清正ら)が出世していったことへ対しても、著者は一つの回答を提示している。 惜しむらくは読みづらさ。上巻・下巻で一貫して秀吉の孤独化を描いているため、テンポが単調になり徐々に読み進みづらくなってしまっていたように感じた。 | ||||
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前作では、信長の遺体消失の謎を軸に、太田牛一という記録者の視点から本能寺の変のからくりを解き明かした。着想の斬新さとドラマ仕立ての巧みさには堪能させられたものだ。それと比較すると、続編とはいえスケールは落ちる。そうはいっても上巻は、専制化し神格化への傾斜を隠さない信長への恐怖や長く抑圧されていた敵意から、主殺しの計略に踏み込んでいく秀吉の心理が史実との間の破綻もなく組み立てられている。さすがと思わせる内容だ。しかし、下巻は、老耄期に入った権力者の孤独と悲惨を浮き彫りにしてはいるものの、晩年の愚行や狂気、例えば秀次一族の誅滅の謎解きなどが小ぶりだ。秀次事件に連座して一族滅亡する川並衆・前野将右衛門に秀吉謀臣の役を振ったところは面白いが、歴史の脇役に光を当てた成功度でいうと前作の太田牛一に遠く及ばなかった。(史書の改ざんをしたたかに仕組み強制する権力の簒奪者秀吉、それに面従腹背で抵抗する史実の記録者・牛一という前作の構図は、エピソードの一つとしても鮮やかだった。) | ||||
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前作「信長の棺」は歴史ミステリーという興味から読んだが、「秀吉の枷」はなぜ読み続けているのだろうか。ミステリーとはいえないのに。「信長」を読んでいなければ、面白みも半減するだろう。前作では秀吉嫌いのトーンが流れていたが、今作品では信長の非情さ、狂気がすごい。 | ||||
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前半部分は、強烈にワンマンな社長に仕える叩上げサラリーマンとして の秀吉の屈折した心情を描き、後半部分は本能寺の変から死ぬまでの秀 吉の行動についての謎解き、とりわけ彼の行動の「枷」となったものは 何かについて語っている。屈折した心情は良く書けてたと思う。多分実 体験等が豊富だと思うので。ただし、枷の部分は、単に書き方の問題か もしれないが謎解きとしての説得力は弱いと思う。秀吉の哀しみや憐れ さを感じさせるという点では大いに役立ったとは思うが。 末端はともかく、ある程度社長の近くに位置するような幹部社員ともなれ ば社長のネガティブな側面がイヤでも目に付くもの。この作品は秀吉視 点なので、信長はどちらかというと否定的な描き方になっている。 総じて言うと、戦後の信長もの・秀吉もののベースを作っている坂口安 吾+司馬遼太郎路線を覆すほどのものではないという評価。 | ||||
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下巻は、淀に乗っ取られた豊臣家が話の主題です。 秀吉が本能寺に仕掛けたことが、まわりまわって、淀の乗っ取りとなって、秀吉の首を絞めたんでしょうね。 胸を張れないことをしてしまうと、そのしっぺ返しが。。。 いい教訓を表現した作品です。 | ||||
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下巻は本能寺の変以降の秀吉の心の変遷を描き続けております。一つの行動はその解釈によって,その意味が大きく変わってきます。作者は秀吉の事跡の中で,彼らしくない愚かな行動とされている「関白秀次と一族の抹殺」および「朝鮮出兵」をも新しい解釈で描いております。 さらに,秀吉は秀次を買っており,天皇家から自分の後継者を選び,秀次にその補佐役をさせるという,ビジョンを持っていたとの解釈には驚かされました。ただ,このような大きな題材を下巻だけで描き切るには無理があります。 どうしても,説明不足となるために説得力が無く,そんな見方もできるのかと重みがありません。かえって表現が淡々としているだけに,茶々(淀君)がまるで疫病神のように秀吉のビジョンを破壊し,それに振り回される秀吉の姿が哀れさのみが印象に残ってしまいました。 下巻をもっと長い作品として,新しい秀吉像を描いたならば,もっと楽しめたと思います。 | ||||
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作者は、「勝者に悲哀を 敗者に美学を」という考え方で、作品を書いていると「あとがき」で述べている。確かに、下巻は子供の出来ない秀吉が、後継作りに必死になっている様は、ある意味滑稽でもあり、天下人としての権力者の「悲哀」が感じられる。 しかし、上巻が「信長の棺」の裏表のような本で非常に興味深かったのに対し、下巻は「秀吉をめぐる女たち」とでもタイトルをつけた方がいいほど、秀吉の周りの女たちの描写ばかりである。秀吉の権力者の悲哀を書くのであれば、思い切って、枚数を倍にして単独の作品にしても良かったのではないかと思う。 「信長の棺」からの一貫した面白い歴史に対する見解なだけに、もっとしっかりと書いても良かったのにと残念に思った。 | ||||
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