(短編集)
パニックの手
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1984年から94年にかけて雑誌に掲載されたり長編内の作中作として発表されたものを集めた短編集”The Panic Hand”、日本では「パニックの手」と「黒いカクテル」の2冊に分けて刊行されました。こちらはその片方です。 結論としては、いかにもキャロルらしい作品であると同時に、意外と後味の苦いものが多いという印象です。キャロルはアメリカ生まれのウィーン育ちですが、雰囲気や言葉使いがものすごくアメリカンでカジュアルなのに、強い宗教心、つまりキリスト教的な感性を持った方のようで、作中にはひんぱんに神が登場します。こちらの作品でも神が登場するものがいくつかあり、また、世界がどうしょうもなく変容していくのに手をこまねいて見ているしかない、そんなどうしょうもなさを描いたものが多かったです。 特に気に入ったものは、 「フィドルヘッド氏」・・「空に浮かぶ子供」の作中作です。ありえない設定ですがキャロルらしい展開に巻き込まれます。フィドルヘッド氏の不思議な魅力も、これからのブラックな成り行きを感じさせるラストも秀逸。 「おやおや町」・・有能な掃除婦のおばさんを新しく雇っただけのつもりだった。それなのに・・神が暗示され、世界のあちこちに綻びができて不可解な出来事が頻出、自分はどうすることもできないのか・・こちらも怒涛の展開に巻き込まれます。 「秋物コレクション」・・キャロルにしてはケレン味がなくストレートでむしろ文学作品のようです。平凡に地道に淡々と生きてきたある男性は自分が末期のガンだとわかり、仕事をやめてすべてを整理、いくばくかの活力でももらえないかとニューヨークへ向かいます。そこで出会ったのは素晴らしく良質の本物のファッション・ブランド。それらを身につけ、最後の時間を一流店で静かに過ごし、そして彼は素晴らしい女性に出会います。人生の最後の時、しみじみと泣かせる短編です。 「友の最良の人間」・・世界幻想文学大賞受賞作。飼い犬が列車に轢かれそうになるのを助けた主人公は片足を切断するはめに。入院中に出会ったのは難病で長期入院している不思議な東欧移民の少女。まるで透視力があるかのように主人公の恋人や飼い犬について少女が伝えてくれることは・・。この作品でも世界の変容と人間にはどうすることもできない運命が描かれます。 「パニックの手」・・最初はただ、恐ろしく美貌な母娘が現れたと思っただけだった。けれど実は彼女たちは・・。なんとも不気味な後味を残す作品です。 飛翔する想像力、引き込まれる独特の世界、ユーモラスだけれどどこか毒を含んだ不気味な雰囲気など、キャロル作品はジャンルとしてはファンタジーになるかと思いますが、「ロード・オブ・ザ・リング」のような純粋ファンタジーではなく、アメリカの都会や田舎を舞台にして現実に即した(ヘンな言い方ですが)ファンタジーです。一見マニアックな作風のためか、実は日本ではあまり売れないそうです。翻訳も途中で止まってしまいましたが、なんとか再開していただけないでしょうか。キャロルの新しい作品が読みたいです。 | ||||
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私はファンタシーがきらいだ。”西のはて”はノレて泣いたがその前の”ゲド”は第1作でもういいか、となった。『ティーターン』に始まるシリーズは怒りとともに読み捨てた。”ゴーメンガースト”も2作でもういいや。いくら惚れてても”新しい太陽”はちょっとねぇ。そんな私だが”ダーク・ファンタジー”ブームの嚆矢となったキャロルは大好きだ。 キャロルとはデビュー以来のつきあいだが 長編を随分読んで、もうそろそろ・・・と思っていた頃のコレだった。ビビった。己の不明を恥じた。キャロルはまだまだイケるーどころか もっと短編を 何なら短編だけを書いて と思った。 まさにアルバム1曲め!「フィドルヘッド氏」はキャロル短編の切れ味と守備範囲を3分ポップに詰め込むような 過不足ないーというにはあまりにも過多なデキのスタートだ。さる長編中で既に読んでいた人間はちょっとだけ損する気もするが。 「秋物コレクション」は純然たる主流文学作品。何の超自然現象も出てこない。が!君よ 敬遠するなかれ。全てのホラー/SF/ミステリ/ファンタジー読みが泣き濡れてよい作品なのだから。 「パニックの手」は表題作だけあってとてつもない絶品だ。何度読んでも一行一行を愛でるように読んでしまう。と同時に トリックの手を ここだ これだ とつきとめるためにもそうしている。ラストのさりげない1パラグラフはコルタサル以来の超絶技巧だ。紙に書き出して論理式を立てたりすべきではなく、もう一度読み返して何度も混乱しよう。 | ||||
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殆どが奇妙な成り行きに対して、実はこういう世界観だったというファンタジー設定を説明して終わるだけ。 確かに不可解な要素を盛り込まれれば引き込まれますが、ファンタジー設定をオチ的に使うだけでは何とも雑な仕事にしか見えない。結局、作家の都合で何でもありな世界になってるだけで、驚きになど繋がらない。 世界観は物語る上での装置として使用すべきであって、それ自体をネタにすべきではない。 | ||||
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おもしろかった。本書には11編の短編がおさめられているのだが、短めのから長めのまですべてにおいて驚きがあった。特に「おやおや町」「友の最良の人間」「細部の悲しさ」における物語展開の妙味にはゾクゾクした。読んでいて思わずうれしい悲鳴をあげそうになったほどだ。また「秋物コレクション」「手を振る時を」「きみを四分の一過ぎて」「去ることを学んで」の四編は奇妙な展開もファンタジックな要素もまったくない至って普通っぽい作品だった。しかし、そこにも切り口の斬新さとでもいうべき味つけの妙が感じられ、おもしろかった。なにより短いのがいいではないか。 本短編集唯一のホラーといってもいい「ぼくのズーンデル」も好きな作品だ。一種の怪異譚とでもいうべき作品なのだが、怪異がジワジワでもなく突然でもなく十分に期待を膨らませておいて表出してくるところに留意したい。こういう書き方はとても新鮮だ。 「ジェーン・フォンダの部屋」はキャロル版地獄巡りのお話。まったく予想外の地獄の風景に笑ってしまう。オチもどことなく笑える作品だ。 表題作である「パニックの手」は、あやういところで少女愛を描いている。読ませますねぇ。ラストの一行も定番っぽいのだが、ぴたりと決まってかっこいい。 巻頭の「フィドルヘッド氏」は長編「空に浮かぶ子供」の作中作なのだそうだ。この作品がどういう具合に絡んでいるのか興味つきないところだ。 う〜ん、どれもこれもみんなおもしろいぞ。 | ||||
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「月の骨」を初めて読んだ時のショックを忘れられない私にとって、その後の「炎の眠り」「空に浮かぶ子供」はとても面白く、楽しい作品でした。今回の「パニックの手」は短編集ですが「フィルドヘッド氏」「きみを四分の一過ぎて」は前作の「空に浮かぶ子供」の抜粋。しかも未完のまま。どうせなら完全版で載せて欲しかった。「空に〜」の時からそう思っていたのでそれが一番残念です。表題にもなった「パニックの手」の不気味な不可思議感はキャロルの素晴らしさが溢れてますけど。いまいち、物足りないので星4つで。 | ||||
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