黄泉がえり
- 映画化 (231)
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設定はユニークだと思う。ただ、科学的な論点からの言及がないのでファンタージ的な作品かと思います。映画の方は観ていません。映画は内容がかなり違うしエンタテイメント化しているそうなので観る必要はないかな | ||||
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設定も話の進みも「?」 お子様向けおとぎ話 | ||||
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前作『黄泉がえり』の十七年後という設定における続編。冒頭の記述から考えると実時間で2017年の夏から翌年の初夏までの物語である。2017年の夏といえばあの熊本地震の一年半後であり、物語はその熊本地震を踏まえた上で始まる。作者梶尾真治はこれまでにも言及してきたとおり熊本市在住作家であり、その作品には熊本を舞台にしたものも多い。その中で、地震を題材として書くに当たってなぜ『黄泉がえり』が選択されたのかということについてはいまさら言うまでもない。『黄泉がえり』がそのクライマックスに地震をテーマとして扱っていたからであり、そして甦りが題材だからである。つまりこういうことだ。『黄泉がえり』では、「人々が黄泉がえり、そして地震が……」という流れで進むが、一方実際の地震は「地震が起き、そして人々が……」というものである。つまり『黄泉がえり』のストーリーと、実際の地震とは構造的な対立関係を有しているのである。この関係は『黄泉がえり』自身に内在されていたわけだが、本書では現実の地震もその懐に取り込まれてもう一段複雑な構造を持つことになる。しかもまた、今回は単に人間が甦るだけではない点においてファンタジー的な要素も取り込んで、よりスケールの大きな展開となっている。 しかもまた、熊本市民なら誰でも知っているあの人物――これが表紙で右端に位置する髭の人物である――もまた復活するのだから驚く。その点ほぼ破天荒とさえ言えるのだが、当該人物の絶妙なキャラ設定もあって、破綻するどころか逆に全体を引き締めてさえいるのである。その他の登場人物のほとんどは前作から登場しているので、『黄泉がえり』を読んでから本書に向かうことが望ましい、熊本鎮魂の物語。 | ||||
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遅ればせながら映画を観た後に原作読了しました。映画では説明不足の多少モヤモヤした所があり、どちらかと言うと原作からインスパイアされて作られた恋愛ドラマと言った方が良いかもしれません。 原作は言うなら壮大なSFロマン小説と言った感じでしょうか。 九州の地方都市熊本に、ある日を境に不思議な現象が多発します。誰かに惜しまれて過去に亡くなった色んな年代の人々がその誰かの前に生前の姿そのままに生きて現れて… 謎かけのように各章冒頭に太字で綴られる宇宙的、観念的なモノローグ。様々な混乱の中で生者とかつての死者の間に生まれる交流の不思議さ。癒し、和解、救済を醸し出す深く静かな瞳と不思議な能力を持った復活者達。何故彼らは蘇ったのか、それはやがて次第に明らかになりながら、そして大きなエピローグへと収束していきます。 ふと思ったのはタルコフスキー監督の「惑星ソラリス」。同じく蘇りがテーマのSF映画ですね。惑星ソラリスは近づく人間の深層心理を物質化してしまうと言う不思議な性質を持ち、観測宇宙ステーションに派遣された主人公の前にも自殺した妻が蘇り彼自身苦悩する場面があります。そこには人間にとっての救いとは何かという問いかけがあるようです。 そしてこの作品にもやはり救済のテーマを見る事が出来るように思います。「彼」と表現される宇宙的な存在が熊本に降臨した事から始まる多くの復活。それは「神」「釈迦」など超越的な存在に例えることができはしないか。イエスの復活に見るようなドラマ。天使の降臨。衆生の救済に向かう観音や菩薩という表徴とも一脈繋がるのではと勝手な妄想をも許されるような不思議な味わいがこの作品にはあります。 エピローグでは熊本市をやがて襲う大地震(布田川断層帯の益城町中心に震度7)から救おうとする「彼」及び「復活者」達の姿が描かれておりますが、この作品は2002年の発表ですからまさに2016年の熊本大地震の同じく「布田川断層帯の益城町中心に震度7」と全く同じ表記が予言だったのではと話題になったようです。 余談ですが作中、復活者の中には異形の体で蘇った人々も描かれております。それはちょうどラブクラフトの「ダンウィッチの怪」という昔読んだ短編の一節を思い出させました。こちらは邪悪な宇宙的存在の生まれ変わりに纏わり起こったアメリカの田舎町での事件を扱うSFホラー小説でした。作者が多少意識しておられたのかと興味がわきます。 | ||||
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これじゃー、泣けないよ。心情描写が 足らない。人間の内面をもっと描いて欲しかった。会いたかった人が蘇ってきたのだから、情熱的に描いていいのではないか?別れの場面も悲しく描いていいのではないか? | ||||
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