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iisan さんのレビュー一覧
iisanさんのページへレビュー数1137件
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オリヴァー&ピア・シリーズの2冊目(本来はシリーズの4作目だが、現在までに翻訳されているのは3作目と4作目のみ)。前作同様に、過去と現在が入り乱れ、登場人物が数多く、ストーリーの流れを把握するまでは読みづらいが、全体像が見えて来てからはどんどん読み進められた。
ドイツの片田舎で、二人の少女(17歳)を殺害したとして服役していた青年が11年の刑期を終えて帰ってきた。本人は冤罪を主張していたが、村人はこぞって彼を犯人だと断定し、彼が帰ってきたことに嫌悪感と反感を隠そうとしない。折も折、閉鎖された空軍基地跡地の燃料貯蔵庫から白骨死体が発見され、11年前の被害者の一人であることが判明する。さらに、出獄した青年が自宅で暴漢に襲われ、別れて暮らしていた彼の母親が歩道橋から突き落とされて大けがを負う事件まで発生した。どちらの事件も犯人は村の住人だと思われたが、村人たちは誰一人、犯人について言及しようとしない・・・。 困難な捜査を進めるオリヴァーとピアを中心とした警察は、運命共同体として縛り付けられている田舎(まるで八つ墓村みたい)にうずくまっている暗黒の歴史に翻弄され、なかなか事件の全容をつかむことができず、新たな少女(高校生)行方不明事件まで発生してしまう。 物語全体の構図は、過去の出来事が現在の悲劇を引き起こすという、よくあるパターンだが、真犯人がなかなか判明せず(怪しい人物は、かなり登場するが)、最後までフーダニット、ワイダニットの緊張感を引っ張っていく。また、シリーズものならではの読みどころ、レギュラー登場人物の人生の変化もいろいろあって、次作への期待も持たせてくれる。 できれば前作「深い疵」から読むことをおススメするが、本作だけでも十分に楽しめることは間違いない。 |
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かつて「死ねばいなくなる」として刊行された短編集が、文庫化に際して改題されたもの。収録されているのは、「探偵はバーにいる」(1992年)でデビューする前の作品5点と書き下ろしの1点。つまり、本格的な作家として認められる前の作品が中心なのだが、どの作品もきわめて完成度が高いのに驚かされる。さらに、作品のジャンルというか、作品傾向が「ススキノ探偵シリーズ」の軽快なハードボイルドにとどまらず、コミック系、シュール系、SFとか幻想とかに区分されそうなものなどなど、非常に幅広く、しかも読み応え十分なことに舌を巻いた。
ススキノ探偵ファンはもちろんのこと、軽妙な短編集ファンにもオススメしたい。 |
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著者のデイヴィッド・ダフィは、これがデビュー作品だというから驚かされる。MWA最優秀新人賞にノミネートされたというのも納得の、完成度が高い私立探偵小説である。
主人公は、旧ソ連の強制収容所育ち(ソ連では、犯罪者同様の扱いを受ける)でKGBの辣腕エージェントとして活躍しながら、ある事情から退職し、現在はニューヨークで独立した調査員として生計を立てているターボ・ブロスト。彼のもとに、ある銀行の会長から「誘拐された娘を救出してほしい」という依頼が入る。その銀行家のビジネスに好感が持てなかったターボは、依頼を受けるかどうか未定のまま銀行家の家を訪れるのだが、なんとその目前で、銀行家がFBIに逮捕されてしまう。さらに、そこに現れた銀行家の妻は、二十数年前にソビエトで別れたターボの元妻だった。 物語の発端からして驚きの展開だが、誘拐された娘を発見するプロセスでは、ターボの過去と現在を作り上げてきた因縁ある組織と人々が続々と登場し、単なる誘拐事件では終わらない、ソ連とロシアの歴史に根差した陰謀劇が繰り広げられることになる。 本作品の優れている点は、過去の因縁に基づく陰謀と復讐の話にとどまることなく、現在のアメリカ社会をむしばみつつあるロシア・マフィアの問題も取り込み、きわめて現代的な物語に仕上がっているところだろう。 とは言いながら、作品の基本テイストはハードボイルドの王道そのものであり、社会派ミステリーファンからPIものファンまで、幅広いジャンルの人々に受け入れられることだろう。すでに、同シリーズの第2作が発表されているというが、今度はどういう展開で驚かせてくれるのか、期待が高まるばかりである。 |
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ベルリンで、67歳のイタリア人労働者コリーニが著名なドイツ人老実業家を射殺する。現場から逃げようとしなかった犯人は逮捕されたが、動機についてはまったく語ろうとしない。
弁護士資格を取得してから4ヵ月の新米弁護士ライネンは、回ってきた国選弁護人の仕事を引き受けることにする。ところが、犯人は弁護士にも心を開かず、さらに被害者が、今は亡き親友の祖父で、昔、自分も可愛がってもらった人物であることが判明し、ライネンは弁護人を辞任しようとする。しかし、被害者側に雇われたベテランの辣腕弁護士に弁護士としての在り方を説かれ、辞意を撤回し、全力で弁護活動にあたり、事件の背景に隠されていた苦い真実を発見する。 さらに、犯罪の実相に正義の裁きを下そうとしたとき、ある法律が大きな壁となって立ちはだかってくる。法と正義は矛盾するものなのか? 正義が法に阻まれるとき、人は何をなすべきなのか? すべての関係者に難題が突きつけられた・・・。 ナチスドイツ時代の戦争犯罪と、それを償うための戦後の取り組み。それはドイツ国民に課せられた歴史的課題であり、今なおドイツ社会に大きな影を落としている。しかし、本作品でも分かるように、ドイツは市民も社会も国家も真剣に過去に向き合い、たとえ痛みを伴っても真摯に解決策を追求し、いまだに問題に取り組んでいる。そうした態度こそが、周辺諸国からの“新しいドイツ”への信頼の回復につながっていると言えるだろう。ひるがえって、現在の日本の状況を見るとき、その落差の大きさに愕然とし、果たしてこのままで良いのだろうかと考えさせられる。 そうした社会的な側面は置くとしても、法廷ミステリーとして非常に面白く、多くの人にオススメしたい。 |
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デンマークの人気警察小説シリーズの第4作は、良質なエンターテイメントであると同時に、社会派の作品としても高く評価できる傑作だ。
物語の発端は、23年前のエスコート・サービス経営の女性の失踪事件。未解決事件の再捜査が専門の特捜部Qが調査を始めると、同時期に5人もの行方不明者が出ていることが判明し、カール・マーク警部補を始めとするQのメンバーは本格的な捜査を開始する。すると、デンマークの歴史の恥部ともいうべき事態が明らかになり、しかもその驚くべき犯罪は現代の社会にも影響を及ぼそうとしていた・・・。 物語の最初から犯人と犯罪の概要は明らかにされており、また犯罪の背景となる社会病理についても読者に提示されている。従って、犯人探しは本作の主題ではなく、犯行に至るまでの犯人の人生、それを左右してきた社会悪の追求が主題となっている。 1920年代から欧州を中心に台頭してきた「優性思想」に基づく人権侵害。その行き着く先がナチス・ドイツだったわけだが、同様の気運は欧米諸国にも広がっており、デンマークでも1923年から1961年まで「女子収容所」が存在し、倫理に反した女性、知的障害がある女性に対し、監禁や望まない不妊手術が行われていた。その史実に衝撃を受けた作者は、こうした社会病理が過去のものではなく、現代のデンマーク社会にも大きな影響を及ぼしていることを鋭く指摘し、大きな警鐘を鳴らしている。 人種差別を筆頭に、あらゆる社会的弱者への差別、「生きるに値する者と値しない者」の選別、人権の軽視などは、デンマークだけの問題ではない。現在の自民党の主流派、維新の会などにも同じ思想が隠されており、日本の社会にとっても真剣に対応しなければならない問題である。 |
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お馴染の道警シリーズの第6弾。今回は、警察内部の腐敗を追求するのではなく、人質事件を通して、官僚機構と政治家の腐敗を描いている。
えん罪で4年間の服役をしいられて出所した中島が、逮捕当時の県警本部長(現在は、警察庁の刑事局長)の妻、娘、娘婿、孫を監禁し、刑事局長に「人間として謝ってもらいたい」と要求する。中島の仲間として、支援者を自称する刑務所仲間が加わっていた。現場は札幌郊外のワインバーで、そこにたまたまシリーズの登場人物、小島百合巡査部長が居合わせたことから、おなじみのメンバーが事件解決に奮闘する・・・。 一方、北海道を地盤にする国会議員の下に脅迫状が届き、絶対に表に出せない金の所在を指摘し、三億円を払うように要求された。単なるいたずらとして片付けようとした議員、秘書たちだったが、いたずらとは言えない事実が判明し、追い込まれて行く。 監禁事件の膠着状態が続く内に、関係なく見えた二つの事件がつながり、事件の構図が逆転し始めて行く。 これまでの道警シリーズに比べると、ストーリーがやや緊迫感に欠けるし、組織対正義派のぴりぴりしたエピソードが無くて、ちょっと物足りない感じは残るが、物語の構図のユニークさで十分に楽しむことが出来た。 |
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冒険小説界の大型新人と言われるトム・ウッドの第二作は、前作に続く暗殺者ヴィクターの冒険アクション小説だ。前作「パーフェクト・ハンター」が大ヒットしたということで(未読)、同じ路線で、緊迫感とアクションをさらに高めたということのようだ。
CIAから世界的な兵器密売買の大物ディーラーに絡む暗殺を依頼されたヴィクターは、様々な困難な状況に直面しながら持ち前の技術、体力、知力を総動員して仕事を遂行して行く。そして、これが終れば自由の身になるという確約の下に最後のターゲットを指示されるが、そのターゲットは思いもかけない人物だった。それでも着実に仕事をこなして行くヴィクターの周りに謎の組織が出没し、行く手を阻もうとする。果たして、ヴィクターは最後の任務を無事に果たして自由の身になれるのか? 最初から最後まで、ヴィクターの超人的な暗殺者ぶり、スナイパーぶりに圧倒される。いわば、ゴルゴ13とランボーを合わせたような活躍ぶりなのだ。 暗殺と国際的な陰謀を絡めたサスペンス・アクションといっても、フォーサイス「ジャッカルの日」よりラドラム作品の方が好き、という方にオススメしたい。 |
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12年ぶりに発表されたパトリック&アンジー・シリーズの第6作は、第4作「愛しき者はすべて去りゆく」の後日談であり、最終作でもある。
アンジーと結婚し4歳の娘を育てているパトリックは、アンジーとの共同の探偵事務所をたたみ、今は超上流階級を顧客に持つボストンの老舗調査事務所から仕事を貰いながら、健康保険、保育費などを心配する日々を過ごしていた。折からアメリカ社会はリーマン・ショックの後遺症で不況にあえいでおり、パトリックは調査事務所の正社員として雇われることを願っていたが、ストリート育ちの正義感から生まれる上流社会の鼻持ちならない人々への反感は隠しようもなく、正社員への道は閉ざされたままだった。 そんな折、パトリックとアンジーが12年前に誘拐犯から救け出したアマンダという少女の叔母から、16歳になっているアマンダがまた姿を消したので探してほしいという依頼を受ける。気乗りしないパトリックだったが、アマンダの救出にまつわる苦い思い出と、依頼の直後に「アマンダに手を出すな」と脅迫されたことがあいまって、再びアマンダを探すことにする。中年期に差し掛かって気力、体力が衰えてきたことを自覚し、守るべき家族もかかえるパトリックはかつて自分が過ごした暴力の世界からは身を引くつもりだったのだが、捜索の過程でいやおうなくその世界へと引きずり込まれていく。 シリーズの終わりにふさわしい、感傷的で穏やかなラストシーンが印象的だった。 |
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聞いたことが無い作家だし、ブッカー賞の最終候補作になったという触れ込みなので、果たしてミステリーと呼べるかどうかと疑問を持ちながら読んだのだが、そんなジャンル分けがまったく無意味に感じられる、非常に面白い小説だった。
ちょっとふざけたタイトルの意味は、チャーリー・シスターズとイーライ・シスターズの殺し屋兄弟が主人公だからという、ひとを食ったところが、この作品の奇妙な風合いを良く表しているといえるだろう。 物語の舞台は、1851年のゴールドラッシュに沸き返るアメリカ西海岸。凄腕の殺し屋兄弟「シスターズ・ブラザーズ」は雇い主である“提督”から請け負った、ある山師を消す仕事のためにオレゴンからサンフランシスコへと旅立って行く。一獲千金を夢見る男達が集結した半ば無法地帯で、凄腕兄弟は知恵と度胸を駆使して暴れ回り、苦労の末に目的の山師に遭遇する。そして二人は・・・ 言ってみれば、一種の西部劇であり、悪漢小説であり、青春小説でもあり、アクションミステリーでもあり、ユーモア小説でもある。最初から最後まで血まみれで、数え切れないほどの殺人が、それも非情な殺人が描かれているにもかかわらず、それほど悪い読後感ではなかった。その理由は、一人称語りで物語を進めて行く弟のイーライが人の好さを残した憎めない悪人で、苛酷な環境の中でも新たな生き方を見つけようとする、ある種の成長物語とも読めるところにある。 「面白い小説」をお探しの多くの方にオススメしたい。 |
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ハリー・ボッシュでもなく、リンカーン弁護士でもなく、新聞記者・ジャック・マカヴォイが主役のサイコ・ミステリー。
LAタイムズからレイオフを宣告され、新人への引き継ぎのため最後の2週間を勤めることになったマカヴォイは、殺人で逮捕された黒人少年の祖母から「息子はやっていない。あんたの記事はデタラメだ」という電話を受け、とりあえず取材を始めた。すると、思いもかけない連続殺人の疑惑に遭遇し、最後の特ダネとして真剣に取材し始めたことから、ネットを駆使する天才的な殺人鬼から命を狙われることになる。 マカヴォイが、優秀なプロファイラーでFBI捜査官のレイチェル・ウォリングと組んで犯人の正体を暴き、追いつめるのがストーリーの中心ではあるが、実は真犯人は最初から読者には分かっている。それでもなおかつ、犯人追求のサイコ・ミステリーとして非常に面白く読めるところは、さすがマイクル・コナリー! 謎解きでもなく、アクションでもなく、人間心理を描くことで良質なエンターテイメントに仕上げて楽しませてくれた。 本編が終ったあとに、「作者質疑応答」という付録があって、マイクル・コナリーが新聞業界の行方についての懸念を率直に語っているのが興味深かった。ここで取り上げられている問題は、まさに今、日本の新聞業界が直面している課題でもあると思った。 |
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最近の新大久保での人種差別デモもそうだが、常識ある人なら絶対に口にできないような罵詈雑言をまき散らす人々は、自らの言動が社会的敗者としての自分を慰撫することにすぎないことには無自覚で、むしろ社会を正す行為だと思っているところが救いがたく、また始末に悪い。歴史的に階級社会であり、また階層分化が激しくなっている英国社会でも、同様のことが起きているのだろう。
ミネット・ウォルターズの「遮断地区」は、経済格差、人種差別、人間関係の破たんなどの社会病理を背景に、ほんのささいな抗議行動が制御不可能な激しい暴動に変化していく様をダイナミックに描き、読者をぐいぐい引き込んでいく面白いパニック小説であり、きわめて読み応えのある社会派小説でもある。 社会的弱者を押し込めた袋小路のような公営団地で、思慮に欠ける巡回看護師がうかつに「小児性愛者が引っ越してきた」ことをもらしたことから、不安を覚えた母親たちが排斥デモを計画する。それに悪乗りしたのが、真夏の暑さに不満のエネルギーを溜め込んでいた不良少年グループで、酒やドラッグの力を借りて大騒動を巻き起こすことになる。興奮した群衆は警察を介入させないためのバリケードを築き、小児性愛者の家を焼き、リンチを実行しようとする。 物語の主役は「悪意ある社会的病理」だが、それに立ち向かって暴動からサバイブする主人公たちの言動に励まされるところが多いため、重苦しい結末にもかかわらず、読後感には救われるところがある。人は、社会は、簡単に狂ってしまうことを痛感すると同時に、「地獄への道は善意で敷き詰められている」ことを、あらためて考えさせられた。 |
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イタリア版「羊たちの沈黙」としてヨーロッパで大人気を呼んだサイコ・ミステリー。さすがにマカロニ・ウェスタンを生み出した文化背景の産物というべきか、被害者の少女たちは全員左腕を切断されるわ、捜査官は自傷傾向があって、捜査に行き詰まると自らを傷つけるわで、全編血まみれ、味の濃いスパゲッティ・ナポリタンのような(笑)作品だった。
森で発見された6本の左腕が、連続少女誘拐事件として捜査中の事件の被害者のものだと判明する。ところが、被害者として分かっているのは5人だけ。では、6人目の少女は誰なのか? 左腕をなくした被害者の死体が発見されるたびに、捜査が大きく動き、犯人と思われる人物に迫っていく。だが、犯人と思われた人物が実は真犯人ではなかったことが分かってくる。どんでん返しに次ぐどんでん返しでサスペンスが高まり、最後のクライマックスが待ち遠しくなってくる・・・。天才的な連続殺人鬼対美人捜査官という構図も本家「羊たちの沈黙」にそっくりで、犯罪の発覚から犯人の解明までのプロセス、捜査陣の人間関係の緊張感もスリリングで、非常に読み応えのあるストーリーだった、全体の3/4ぐらいまでは・・・。 連続殺人の全容がほぼ明らかにされ、犯罪心理面から殺人鬼に迫っていくという一番重要なところで描かれる、どんでん返しのための仕掛けがかなりチープ(捜査の一環として、死の床にある富豪から霊能力者が重要な証言を引き出したり、きわめて重要なシーンで捜査官が簡単に騙されたり)で、ちょっと白ける部分があったのが残念。これがなければ、8点か9点でも良かったのだが。 |
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初めて手に取ったオーストリアのサイコミステリーは、予想以上の面白さだった。近頃人気が高まっている北欧、ドイツのミステリーのテイストに近く、アメリカのサイコものとは少し違う読後感をもたらした。
オーストリアで小児科医がマンホールに落ちて死亡し、市会議員が運転中にエアバッグが作動して事故死した。ドイツの精神病院では若い女性患者が自殺した。どれも単純な事件・事故と思われたが、意外な事実が判明し、隠されていた忌まわしい過去が暴かれていく・・・。 ウィーンの事故を担当した女性弁護士と、ドイツのやもめの機動捜査官(刑事としては閑職の立場)が、それぞれの事情(と正義感)から真相究明に突っ走る。それぞれのストーリーが交互に、スピーディーに記述され、やがて一本の道に合流し、驚くべき結末を迎える。 事態が動き始めてからわずか一週間ほどで解決に至る物語の展開の速さがスリリングで、犯行動機、登場人物の背景描写も深みがあり、実に読み応え十分の作品だ。 |
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デニス・ルヘインの新作は禁酒法時代の若きギャングの成り上がりの物語。「運命の日」からの三部作の2作目ということだが、訳者後書きを読むまで、「運命の日」の続編とは気づかなかった。もちろんこちらの注意力不足だが、主人公が前作に登場していたこと以外は、あまり関係無いように思った。本作は、独立した作品としても非常に完成度が高くて面白いと言える。
ボストン市警幹部の息子でありながら、禁酒法と大恐慌が作り出した混乱の時代の裏社会を腕一本でのし上がっていく主人公・ジョー。仲間と強盗に入った賭博場で出会った女に一目ぼれしてしまうが、彼女が敵対する組織のボスの情婦だったことから運命が大きく転換する。監獄でのサバイバル、出所して新しい土地でのギャング組織づくり、裏社会のボスとしての成功と組織を維持することの苛烈さなど波乱万丈のストーリーが、友情、愛、裏切りなどの人間臭いドラマと共に展開されていく。 最初から最後まで、まったく読者を飽きさせないストーリーの面白さに、デニス・ルヘインならではの鋭い人間観察、社会的批評性がバランスよく加えられており、ノワール小説ファンのみならず、多くの読者を満足させること間違いなし。 |
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ボストンの私立探偵、パトリック&アンジー・シリーズの第5作。今回は、アンジーと別れてひとりで営業していたパトリックにストーカー被害を受けている女性からの依頼があり、盟友ブッパの手助けを得て一件落着。簡単なケースだったと思っていたのだが、半年後、依頼人の女性が全裸で飛び降り自殺を図ってしまう。しかも、自殺の前に、パトリックに「連絡がほしい」と言う電話があったのに、パトリックは電話するのを忘れてしまっていた。自責の念に駆られたパトリックが、誰に頼まれたのでもなく自殺の背景を探り始ると、裕福な一家に隠された意外な事情が浮かび上がってきた・・・。
本作で目を引くのは、何と言っても犯人の残虐さ。シリーズ史上、最も悪辣な犯人と言えるだろう。さらに、真犯人が判明するまでのプロットが二転、三転、複雑に入れ替わるところはジェフリー・ディーヴァー並のジェットコースター展開で読者を引っ張っていく。 今回はアンジーと同等以上にブッパの登場部分や役割が大きく、シリーズに新味が加わったと言える。 作者は、本作を終えて「二人を少し休ませてやりたい」と言っているそうだが、最強の悪人を相手に心身ともに深く傷ついた二人には、しばらく休養が必要だろうと納得できる。 |
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1990年に「パソコン通信殺人事件」として刊行された作品に加筆修正して、1997年に文庫化された作品。ここで刊行年代を明記したのは、急速に変化してきたネット世界の大衆化の第一段階だったパソコン通信(今は死語、SNSというべきか)が舞台になっているためである。「パソコンで会話ができるらしい」、「知らない人と仲良くなれるんだって」という話が、パソコンの専門家や理系の学生以外の普通の人の会話に出始めたころの話であることに留意して読む必要があるだろう。
主人公の小田切薫は三浪中で、目下の一番の楽しみは深夜のパソコン通信の世界で遊ぶこと。そこでは「KAHORU姫」として仲間の中心になり(女性になっているのは、通信の仲間が勘違いしただけで、彼がネカマになろうとした訳ではない)、時間を忘れて会話を楽むことができる。受験勉強のプレッシャーとも、半ば引きこもり状態の孤独感とも無縁でいられる夢の世界だった。ところが、「KAHORU姫」に恋をして、現実に会うために上京した男性が次々に殺される事件が発生する。犯人は小田切薫なのか、それとも他の誰かなのか? 真犯人が判明するプロセスや犯行動機などに多少の物足りなさを感じるが、浪人という中途半端な状況とネットの仮想社会との間で揺れ動く若者の心理描写には、「さすが、乃南アサ」と思わせる力量が現れている。ミステリーとしてはいまいちだったが、テーマの先見性で評価したい。 |
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ボストンの私立探偵、パトリック&アンジー・シリーズの第4作。今回、二人が挑戦するのは幼児誘拐事件。麻薬がらみの比較的単純な事件で、問題は誘拐された4歳の女の子アマンダの命が助かるかどうかだけと思われたが、捜索を進めるうちに複雑な背景が浮かび上がってくる。
どうしようもないダメ母、ダメ母に育てられているアマンダの現状と未来に心を痛める、ダメ母の兄夫婦、幼児が被害者となる事件の撲滅に心血を注いでいるボストン市警の幼児犯罪被害防止班の警官たち、さらには不気味な小児性愛者たちまで登場して、ストーリーは希望と絶望の間をジェットコースターで走り抜けていく。中盤からは一気読みの面白さで最後まで飽きさせない。 そして迎える衝撃のラスト、あまりにも切なく、悲しくなり、「この社会に正義はあるのか?」と疑問に思わざるを得なくなる。さらに、パトリックとアンジーの今後まで予断を許さなくなり、シリーズ愛好者は荒野に放り出されたような気分にさせられる。 前作「穢れしものに祝福を」でちょっと評価を下げた本シリーズだが、本作で失地挽回したことは間違いない。 |
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「禿鷹シリーズ」の最初の作品。久し振りに「人がいっぱい殺される日本の作品を読んだ」というのが最大の感想。船戸与一作品以来かな?
渋谷を縄張りとするやくざ組織が、南米マフィアから派遣されて親分を狙う凄腕の殺し屋と死闘を繰り返す。そこに、やくざ側の強力な助っ人として登場するのが、禿鷹こと、刑事・禿富鷹秋。しかし、この刑事は一筋縄ではとられられない、とんでもないハードボイルド刑事だった・・・。 主人公のキャラクターも、ストーリーも刑事物の枠を大きく外れており、そのテイストは「マカロニ・ウェスタン」に近いと言えば、分かりやすいだろうか? 渋谷が舞台とはいえ、和風なところは皆無で、ラテンや東南アジアのテイストといった方がよいだろう。 同じ刑事が主役の小説といっても「百舌シリーズ」とはまったく異なる、劇画風ハードボイルドで、これは好みが相当分かれる作品だと思う。 |
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ヴァランダー・シリーズで有名なヘニング・マンケルのシリーズ外作品。とはいえ、物語の構成、社会背景などはシリーズと共通するものがあり、シリーズの愛読者も十分に満足できるだろう。
舌癌と診断され、自分は「40歳を前に死ぬ」のだろうかと苦悩する刑事が、引退して隠匿生活を送っていた先輩刑事が惨殺されたという新聞記事を目にして、事件現場を訪ねることにする。最初はただ、どういう生活をしていたのかを知りたいというだけの気持ちだった刑事だが、謎に満ちた事件の様相を知るにつけ、自分は担当外(まったく別の警察の管轄である)であるにもかかわらず、捜査活動にのめりこんでいく。舌癌の本格的な治療が始まるのを前に絶望的な気持ちにかられたこともあり、主人公の刑事はかなり乱暴な手段で捜査を進め、やがては事件の真相をあばくことになる。 先輩刑事を殺害した犯人はストーリーの早い部分で登場するので、犯人探しの警察小説ではなく、事件の背景となる社会病理、人間の醜さに鋭く切り込んでいく社会派ミステリーといえる。物語の舞台は2000年前後のスウェーデンだが、まったく同じような病理が日本社会をむしばんでいることが顕在化してきた現在、読後にはきわめて重いものが残された。 |
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リンカーン・ライム・シリーズの9作目は、電気を武器にするテロという、これまでにはない犯人との知恵比べが展開される。目には見えないが、我々の周囲には必ずある電気を使ってニューヨークを人質にとろうとする犯人の狙いは何か? 地球環境破壊につながる化石燃料発電を止めさせようとする環境保護団体のテロなのか? 東日本大震災を経験した日本人には身につまされるような電力と人命や環境との対立というジレンマを背景に、意外な犯人像が浮かび上がってくる。だがしかし、最後の最後で、さらに驚愕の犯人が登場する・・・。
物語の冒頭から読者を引きつけ、ハラハラドキドキのジェットコースター展開で楽しませる巨匠の腕は、本作でも遺憾なく発揮されている。また、チーム・リンカーンともいうべき仲間たちが、それぞれの魅力を発揮して物語に味わい深さを加えて、シリーズ作品ならではの楽しみも用意されている。 ただ今回は、微細証拠物件から犯人を割り出して行く「科学的捜査」の側面より、心理や人間関係から犯人像を描いて行く「プロファイリング」的な側面が強くなり、通常の警察小説に近くなったような気がした。 犯人逮捕後のエピローグ部分で、シリーズの今後を予測不可能にするような展開があるのも、リンカーン・ライムファンには気になるところだろう。 |
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