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隠された帝 天智天皇暗殺事件
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隠された帝 天智天皇暗殺事件の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.78pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全18件 1~18 1/1ページ
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テレビ局の人気キャスターがテロリストを非難、そのために撃たれたのかと思ったら……入院中のベッドディティクティブ。キャスターの親の大記者の旧悪が背景になっていたりする。 | ||||
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この様な形式の小説とは思ってもいなかったので、つまらない、というか小説であっても、もっと天智天皇暗殺と疑うに足る背景事情等について詳しく記述したものを望んでいたのであり、期待はずれでした。 | ||||
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本書は、有名なジャーナリストがテロリストに襲われ、若いスタッフは死亡、自身もけがで入院、そこで天智天皇暗殺説に挑むというストーリーだ。並行して、死亡した若いスタッフの遺族の依頼でテロリストへの報復をもくろむ探偵のストーリーが展開するが、これは原稿枚数稼ぎ?のお添えものという感じで、必要か?とつっこみたくなる代物である。 本書の主張は、天智天皇(672年1月7日近江大津宮で崩御)は暗殺された、犯人は天武天皇であるというものだ。 そしてその根拠は 1.扶桑略記の記述「(天智)天皇は山科郷へ馬で行幸されたが戻られることがなかった・・・・・・・・沓(くつ)が落ちていたのでそこに陵(墓)を建てた」という記述。(原文は漢文です。) 2.天皇の菩提寺、泉涌寺には天智天皇以後歴代の天皇の位牌が祀られているが天武系の天皇は一人も祀られてない。 この二つである。それしかない。 扶桑略記は平安時代に比叡山の皇円(法然のお師匠さん)によって編纂された日本仏教史・・・みたいな本である。(なお皇円ではないという説もある)壬申の乱から400年以上経っている。 作者は、400年以上経っているから真実が書ける。私的に編纂された書物なので逆に信用できると、絶賛である。逆に『日本書紀』は天武天皇が自分の政権を正当化するために編纂した官製の史料なので信用できないとする(天武が命じ、持統のとき完成) しかも、『日本書紀』では天武の年齢は何故か不明である。 ここから天武天皇は天智天皇の弟ではない。皇統を伝える一人ではあるが朝廷との関わりはうすく、桓武5世の子孫、平将門のような人物である。だから壬申の乱(672年)は革命であり、天武朝は別王朝である。 ・・・・と主張するのだ。 そして、その証拠として、天皇家の菩提寺、泉涌寺には天智天皇以後歴代の天皇の位牌が祀られているが天武系の天皇は一人も祀られてないことを挙げる。 実はここで、本書の論理は破たんするのだ。 作者は決定的証拠を掴んだつもりだろうが、これは、何の争乱もなく天智天皇の血統が皇位を取り戻していることも示している。こうして「壬申の乱」革命説はいとも簡単に破たんする。 そもそも泉涌寺と天皇家の関わりは後堀川天皇と四条天皇に始まる。 後堀川天皇が泉涌寺を天皇家の祈願寺としたのは貞応3年(1224年)である。 これ以後、孝徳天皇までの天皇陵の管理は泉涌寺が行っている。 しかし、明治の神仏分離によって天皇陵の管理権が奪われた。 同時に京都の寺にある天皇家の位牌は泉涌寺に集められることになった。 位牌というのは鎌倉時代に伝来したもので、一般化したのは江戸時代だ。 したがって多くの天皇の位牌は後から作られたもの、ということになる。 そもそも天武系の位牌はあるわけがなく、京都のどの寺も天武系の位牌をわざわざ作ろうとしなかったということに過ぎない。 その理由を知りたいというかもしれないが。それについては天武系最後の天皇、称徳(孝謙)天皇が道鏡事件を引き起こした天皇だからという説明が出来る。天武系が称徳(孝謙)天皇を最後に皇位につけてないのは、道鏡事件のためとする人が多い。個人的には、この頃には天武系の血を継ぐ皇族がいなくなっていたからではないかと考えている。 『日本書紀』で天武の年が分からないのは別に不思議ではない。 天皇の年齢をきちんと記録する習慣が出来たのが鎌倉時代の『一代要記』あたりからだからだ。 天智天皇だって、『日本書紀』の他の天皇の記事から計算が可能であるというにすぎない。 天武天皇が天智天皇より年上だった説は”史料操作”という歴史学者が忌み嫌うものだ。 史料操作というのは、 例えば、『日本書紀』で推定される天智天皇の生年は626年であるが『一代要記』で天武天皇の生年は622年になっている。これで、天武天皇年長説が証明された、というのが史料操作である。何故なら『一代要記』で天智天皇の生年は619年になっているからだ。 たしか『逆説の日本史』でも主張されていたと思うが、『日本書紀』の天武が天文遁甲を得意としていたという記述を以って天武は忍者だと断言していたくだりはいただけない。ここで天文というのは占星術と未分化な状態の天文学(この時代季節の移り変わりに関する正確な知識ですら魔術である)であり、遁甲とは占いの技術及び儀式に関する知識のことである。あまり初歩的なミスをされると読んでいて醒める。 歴史ミステリーというのは推理の過程を楽しむもので結論を信じてはいけない。 そもそも、歴史ミステリーで主張している”結論”が本当の意味で証明できているのなら学術論文で画期的な新説として発表出来るはずだ。 この本は推論の過程がなかなか面白いので一読の価値はあると申し上げておく。 結論を鵜呑みにしなければ良いのだ。 | ||||
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レビューを送信しないとこの画面から抜けられない悲惨な状況である。 犯人の動機の意味が不明 親を恥じる必要がない。 | ||||
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著者の本はとても面白く、よく読んでおります。最近は個人的に古代に興味があり、本書を読みました。 天武は天智の弟ではなく、暗殺されたのではないか等、とても面白く読ませていただきました。 | ||||
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天武天皇は天智天皇の弟ではない。教科書にも載っている兄弟説を覆す。 | ||||
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『逆説の日本史 2』を読んで、ぜひとも読んだみたいと思っていた一冊です。アマゾンでは中古本しかないので出版社に問い合わせたところ、追加印刷予定はないとの事。仕方なく中古本を購入しましたが、中古とはいえ状態は極上です。さて内容はというと、『逆説の日本史 2』で論じていた内容とほぼ同じですが、登場人物の会話を通してより理解しやすくなっており、私も、『天智天皇暗殺事件』は実際にあったんだという確信に近いものを、改めて持つに至りました。ひとつ難点を言えば、あえてハードボイルド仕上げにしなくてもいいのではないかという点くらいです。一気に読み進めてしまいました。 | ||||
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著者の天智天皇暗殺説を初めとする主張はほぼ賛成できます。 日本書紀の史料としての重要性を否定はしませんが、いわゆる「大本営発表」に近いものである事は間違いないと思います。 この著作ですが、現代において起こった事件の推理と、上記歴史の解読とがパラレルに進んでいきます。 現在の事件推理の部分が全体の仕上がりをやや安っぽいものにしてしまっている印象はありますが、やや込み入った歴史の解読の休憩にはなり全体を読みやすいものにしているとも言えます。 井沢元彦氏の他の著作でも繰り返し述べられている記述もあります。 高校で日本史を勉強した方であれば(少しの基礎知識があれば)、すらすらと読んでしまう本ではないでしょうか。 歴史に関する批判的な考察を行うトレーニングに役立つかもしれません。 | ||||
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日本書紀が天武天皇の影響下で「勝者」の側から書かれた ものであることは知られているが,なぜその必要があったのか を物語の中ですーっと理解することができた。 名著だと思う。 | ||||
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天智天皇の死の秘密を解き明かす歴史推理小説。 普段は推理小説系を好まない私ですが、天智天皇好きなので面白かった〜。 ある事件がきっかけで、被害者側と探偵側との二つの物語が同時進行し、最後に繋がるお約束の流れに絡めてあります。 ただその二つの雰囲気が余りに違うので、結末がどうなる事やらだったのですが、そこはアッサリながらまとまってました。 サラリとした文体も読みやすかったです。 肝心の天智天皇暗殺説は、いわゆるトンデモ本(?)よりは断然受け容れやすかったかな。 歴史素人の登場人物たちと一緒に学んで行く作りなので、推論をグダグダと読まされるより、納得の範囲が広がりますね。 もしかしたらそうなのか…と思ってしまった…。 天智・天武の○兄弟説は余り詳しくなかったのですが、益々興味が湧きました。 | ||||
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天武天皇は天智天皇の弟ではない。 桓武天皇の5世の孫である平将門のような人物であり、壬申の乱(672年)は、単なる皇位継承の争いではなく革命であり、クーデターだった。そして天智天皇は、病死ではなく天武によって暗殺された。天武によって編纂を命じられた日本書記は、その事実を隠ぺいし、天武に皇位継承権があったかのように改竄した。 これが本書の主張である。特に天智天皇暗殺説の根拠として扶桑略記(12世紀前半の作品)を取り上げ、この本が、壬申の乱から400年以上後の著書であることに関しては、王朝が変わらない日本では、このぐらいの年月が立たないと真実が語れなかったのだとしている。 しかし、天武系の天皇は、称徳で絶えている。光仁(770年即位)は天智系の天皇であり、そのまま桓武へと受け継がれ以降天智系が続く。天武系から天智系に皇統が移るにあたり多少の陰謀はあったが、何の戦争も起きていない。日本書記に対しても、何の改変も行われてない。何よりも扶桑略記は天智系の復活から計算しても400年近く後の書物なのだ。 これで、本書の主張にかなりの無理があることが分かるだろう。 ただ、推論の過程は面白い。 しかし四方拝に関連して藤原順子稜を弘文天皇稜とするくだりはいかにもやっつけという感じでいただけない。 藤原順子は文徳天皇の母で、文徳天皇は藤原良房との権力争いの真っただ中で急死しており暗殺説があるから(通説は病死)何かそのからみがあるかもしれないが、藤原順子稜が、何故四方拝の対象となっているかは、現時点では分からない、とすべきである。天智天皇が対象になっているのは皇統の始祖的存在だからである。 後、少し細かいことだが、筆者は、王朝が変わっている中国では客観的な歴史記述が可能であるようなことを書いているが、とんでもない話である。この場合、前王朝の最後の君主が必ず悪者にされる。殷の紂王のエピソードが典型である。 また、江上波夫氏の騎馬民族征服説に共感し、学会の史料至上主義を批判しているが、騎馬民族征服説は、本書でも触れている問題点以外に、崇神王朝は明らかに農耕民族の王朝である、江上波夫が崇神に比定した”王”は、朝鮮の史書で「外来の王」とされているが、「外来の王であったため自分の思うように(政治が)出来なかった」とあり、とても征服民族の王とは思えない。しかも、この王が日本に来たという証拠は何もない、ある時期に朝鮮の史書から記述が無くなっているというだけのことだ(理由は不明)・・・・等、問題点が非常に多い説なのだ。 | ||||
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ジョセフィン・テイの『時の娘』と同じものを作るつもりだったと思われます。入院中の男が、暇にあかせて歴史の謎を解くという、ベッド・ディテクティブものです。 『時の娘』より推論は強引ですが、やはり日本人にはこちらの方が面白く感じるのではないでしょうか。よく知っている方々の話ですから。 ただ、証拠をきちんと提示しないと認めない歴史学会への批判は、筋違いでしょう。 きちんと証拠(文献)を提示する、そして文献は信憑性を比較して信憑性の高い方を取るというのは、だからこそ学問であると言える、学問の基本ですから。 後にこの批判は、著者の『逆説の日本史』シリーズによってより強固なものとなり、トンデモにまであと一歩となってしまいました。 しかし小説です。小説なら、このくらいトンデモの方が面白いとも言えます。 わたしは充分愉しみました。 むしろ井沢先生が、歴史エッセイストになってしまったのを、残念に思います。ずっと歴史エンターテイナーでいて欲しかった。 | ||||
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「天智天皇暗殺? いくら小説でもそんな嘘信じられんわ〜」 などと読み始めたんですが……読み終わるころには 「そうか……やっぱり暗殺だったんだ」 いつのまにか井沢ファンになっていた。 小説の中の現代で進行しているお話はどうでもよくなってしまったけど、やっぱり面白い! 歴史の謎はどこまでも深い。 | ||||
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天智天皇が実は暗殺されたと言うショッキングな内容。扶桑略記からの引用で日本書紀に書かれていることに疑問を持ちそこから天智天皇暗殺説を導き出していく。 これを読んで私は井沢元彦の愛読者になりました。一見荒唐無稽な設定に対して論理的に謎を解明していくという歴史ミステリーの手法は感心させられました。 | ||||
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少しミステリー小説にするには強引な話の展開だが面白い。 天智天武天皇や大友皇子にまつわる謎。あっというまに著者の推論に吸い込まれていく。 あっというまに読んでしまいます。買って損はしません。 | ||||
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少しミステリー小説にするには強引な話の展開だが面白い。 天智天武天皇や大友皇子にまつわる謎。あっというまに著者の推論に吸い込まれていく。 あっというまに読んでしまいます。買って損はしません。 | ||||
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サブタイトルにもあるようにこの小説の中では「天智天皇暗殺」説を検証しています。 日本書紀によると天智天皇は病没したことになっているのですが…のちの「扶桑略記」という本の中には驚くべき記述が…それは「天智天皇は馬で遠乗りをしたのち、行方がわからなくなった」というもの。これを現代の権威ある歴史学者達は「四百年も後に書かれた本の記述は信頼するに当たらない」とばっさりと切って捨ててしまうのですね。 しかし、彼らの言う「信頼に価する資料」であるはずの日本書紀における数々の矛盾…天武天皇の生没年、及び年齢の記述が一切無いこと、天武天皇が歴史上名前を表わす時期が異様に遅いこと…なども、この本で紹介される異説を用いれば、実にスッキリと説明できるのです。この事実を彼らはどう説明するつもりなのでしょう? 天智天皇暗殺説、そしてその犯人と動機の究明、更には天智天皇と天武天皇が兄弟ではない!ということの論証…続々と解けてゆく謎はなかなか痛快ですよ。 ただ…この方の歴史ミステリーってのは…作品中で展開される「現実」のミステリーの方はあんまり面白くないんですよね~。っていうか、解明される歴史の謎とはあまり関係ないと言うか…むりやりこじつけてあるというか…。「京極」のように、本文中で語られる雑談や雑学がミステリーそのものを説く鍵にはなっていない…ので。 ま、「逆説の日本史 2」と併せてお読みください。 | ||||
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