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1Q84
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1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全622件 541~560 28/32ページ
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村上春樹を同期軸で読んできたものにとっては、非常に懐かしいテイストに仕上がっている。「羊をめぐる冒険」「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」など、謎をちりばめ伏線をいくつも張ったストーリーテレイングで、ぐいぐい引っ張っていく初期の春樹節復活と言ったところ。内容には触れないが、若い方にも、これぞ村上春樹の語り口、を体感して欲しい。まあ、しかし、今回も完結しきっていないので「ねじまき鳥」のときのように、時期をずらして「BOOK3」(完結編)を出すつもりかも。というか、完結させて欲しい。解決されていない 謎が多すぎる! | ||||
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読み手にとっていろんな読み方のできる小説である。近過去小説ならではの読み方のできる小説である。その方面の人にとってはNHK受信料回収テクニック本として重宝されるだらうし、古典音楽渉猟家にとっては、いまや稀有なるレア・ミュージックのデータ・ベース本としても利用されるだらう。はたまた大日本帝国傀儡国家たる満州国建国の経緯を知りたいアマチュア歴史家にとっても、それなりの情報は得られるやもしれぬ。恋愛小説として読む輩もいるだらう、ポルノ小説として読む輩もいるだらう、月旅行を計画しているヴェンチャー経営者にとっては月着陸船(lunar-module)の設計構造に重要な意思決定を迫られるやもしれぬ。月の横に新たな月が・・・・・。 しかし・・・・・ | ||||
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現時点でこの第一巻の三分の二まで読み進みました。 すっかりと軌道に乗って、次の展開が待ち遠しくなっています。 ばらばらのパズルが一部分だけ、組み合わさってきました。 文章は過去の春樹氏のものと比べればやはり枯れています。 以前のような活き活きとした躍動感は後退していますが、 だからといって劣化している訳ではなく、 華やかさが消えただけで筆力は健在です。 プロットは「世界の終わり」や「カフカ」を読んだ人達にはお馴染みのものです。 もちろん盛り込まれている内容に二番煎じはありません。 舞台を20年以上前の1984年にして、作者自身の60年代記憶も交えながらも、 最近の出来事が色濃く反映されていると思います。 星は4つにしておきます。 これから先の読後感で、5つにも3つにもなるでしょう。 | ||||
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今を去ること四半世紀前に、初期三部作である「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」を繰り返し読んだハルキファンです。 その後しばらく本は買うものの読まずに放置し本棚のインテリアと化していました。 初期作品は言いたいことをギュッと凝縮して生まれた作品という印象を持っていましたが、ある時から言いたいことを引き延ばして書いているなと感じ始め、魅力を失いました。 でも、何故か今回は発売と同時に購入してワクワクしながら夜ごとページをめくりました。 そこには昔と変わらぬスタイルの文章が並んでいて懐かしささえ感じました。 特に「羊をめぐる冒険」を読んだときと同じような気持ちになりました。 主人公とそれを取り巻く人たちに共通するのは「孤独」「自己完結」。 幸せとは言えない家庭を背負って幼少時を生きてきた人間はある限定した範囲内での幸せしか享受できず、次世代に幸せを渡すことは出来ない。どこでそれに妥協するか手探りする人生。 昔から彼の小説はこの空気が通奏低音となっています。 主人公が袂を分かって久しい年老いた父親と会話する場面があります。 「僕は自分を愛せない。他人を愛せないから自分を愛せない。」 いやいやハルキさん、それは逆ですよ。 「自分が愛されてこなかったから自分を愛せない、だから他人も愛せない。」 のです。 彼の小説が万人受けしてたくさん売れるのは不思議です。 今となってはノーベル賞候補にもなるくらいだから、世界中の人たちに受け入れられていることになりますね。 前述したように孤独を背負って生きていく人々が世界中にたくさんいることの証明かもしれません。 ハルキさんは一流のストーリー・テラーです。 山下達郎が「40歳過ぎた人たちが聞けるポップスを造りたい。」と言ったように、 ハルキさんは「40歳過ぎた人たちが夢中になれる物語を書きたい」のでしょう。 実際この小説も、体の衰えを感じ、性行為にも少し距離を置いて見ることが出来るようになる40歳代で初めて良さがわかると思います。 エネルギーに満ちあふれた20歳代の若者が読んでも今ひとつピンと来ないのではないでしょうか。 私にとっては望外のうれしい贈り物でした。ハルキさん、ありがとう。 | ||||
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村上春樹の小説のスタイルとして僕が印象に残っていたのは、主人公がずっと物語を独唱し続けて、「やれやれ」とかいいながら現実の問題を解決していく展開だ。 それが今回は多様な登場人物がそれぞれの意見を述べ合う、これまでとは異なるスタイルになっているように思えた。主人公レベルの青豆や天吾はもちろん、タマル、老婦人、ふかえり、あゆみ、牛河、宗教団体のリーダーなど、それぞれがそれぞれの立場で意見を言い合う。劇場の舞台でこれらの登場人物が半円を組んで意見を言い合っているような印象を受けた。 このスタイルをとっているがゆえに、文学、宗教、性、暴力、歴史、資本主義など様々なテーマを本書のなかにつっこめたのではないかと思う。 「カラマーゾフの兄弟」の名前が本書の中でもでてくるが、ちくま古典新訳文庫で新訳された亀山郁夫が解説されたように「カラマーゾフの兄弟」のポリフォニー(いろいろな登場人物が議論しあう)のスタイルがこの1Q84に転生しているよう。 いつもの村上氏の本と同様、すばらしい語り口に魅了され、一気のBook2まで読み終えた。これだけ多くの大テーマに触れつつ、物語として一貫していて、またBook3とかがでてくるかもしれないのだけれども、ひとまずエンディングを迎えることができる構想力と文章力には、最もノーベル文学賞に近い人といわれるだけのスキルの高みを感じた。 | ||||
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ねじまき鳥クロニクルに出てくる牛河という男が、また出てきた。1Q84の世界は、井戸から通り抜けてからの世界なのか。クミコとトオルは、この1Q84でまた一緒に暮らせるのか。 | ||||
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冒頭の奇妙なアトモスフィアに覆われたシーン。現実と非現実の境界がゆっくりと溶け出す。どこか普通でないタクシー運転手。勇壮かつ荘厳なヤナーチェックの協奏曲。そして首都高速道路の非常階段は青豆にとって後々忘れられない重要な符牒となる。 やがて彼女は知ることになるだろう・・・・入り口はあっても、決して出口はないということに。 | ||||
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(;'Д`)ハアハア IQというのはインテリジェント・クオリティの略で、日本語では知能指数と呼ばれているモノである。 分かりやすく言うなら『超人強度』であり、それがそのまま『強さ』と結びつくわけではないように、知能の高さとイコールであるわけではないのだが、頭の回転の速さ(基礎学力を含めて)をも測定できる試験である。 言い訳が許されるのであれば、知能テストの過去問を勉強していなかったため 赤点(IQ84)だったのだ。 過去問で傾向と対策を掴んで、何度か模試を受ける研鑽を積んでいれば170以上は余裕だらう(頭の回転の速いヤツが、その場で閃く程度の事くらいちゃんと勉強していれば対応可能だろう。まったくコレは不名誉極まりない事で、今さらもう一度受け直しても 実年齢で割ったりするというワケの分からん計算で測定されるため絶対に低くなる。 子供の頃でないとダメらしい おいらもどこかの漫画やアニメのキャラみたいに 高い知能指数を誇ってみたいもんだ) そんなおいらが本屋に入ってみると、IQ84というタイトルが目に飛び込んできた。 IQ84とは・・・おいらの知能指数ではないか? IQ84はIQ75以下が知的障害者であるため、池沼に毛が生えたような存在である。 軽度の知的障害者と言っても差し支えない 故にこの本に書いてある主人公の知性がおいらより明らかに劣っているならば おいらの本当の知能指数は84ではないという事の証明にもなる。 それを期待して読んでみたらIQ84とは思えない程、しっかりした文章で書かれていた。 池沼の分際で生意気だと思いながらも読んでいったのに、知能指数について触れているシーンが一つも無かったのが印象的だった。 | ||||
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所々 太字フォントが出てきます。ページをめくるとどうしてもそこに目が行って途中の文章を読まずにそこを読んでしまうかもしれません。そんな読み方したら面白いわけないですよね?ページをめくって濃く見える行が視界に入ったら目で追う前に左手で覆い隠したほうが良いですよ。 | ||||
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過去を振り返り、新しき世界を切り開く姿勢は評価できる。温故知新ということで人によって評価が分かれるかも知らないが、私はイチオシしたい! | ||||
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初日本屋で偶然、平積みされているのを見かけ、勢いで12とも購入…(高いのよね、新刊) 三日で読む予定が意外に時間かかった!あらゆる面で手強い。 リアルとシュールのカオスはまさに村上ワールド。 恋愛であり、ファンタジーであり、ハードボイルドの要素あり、純文学の様であり、おまけに官能的でもあり…といった、まさに総合小説と言っても過言ではないと…!? キャラが素敵でした。特にゲイのタマル!カッコイイ♪ 後半はちょっと胸やけ状態になったので☆一つ減らしました。 読み終えた日の夜に、リトルピープルと緑の月が夢に出ました(笑) 続編はないと思います。てか、完結であってほしい。 | ||||
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今作は、小説とは何か?という問い自体を含んだ作品で、つまりはメタ小説としての色合いがとても強い作品でした。そうしたところはやはりちょっと抜きん出ています。 多くの翻訳を通して、繰り返し読みかえされる美的リズムやテンポを持った文体を多く学んだ、と筆者はどこかで述べていましたが、特に前半のハードボイルドタッチの描写に良く現れています。一方後半は心地よい耳障りをあえて抑え、しつこいぐらいの攻めの文体となります。 大きなテーマは、世界と個人、システムと卵の殻、個と個の触れ合いによるぬくもりのある交流、善悪を越えた物語の力。モチーフは、宗教、性、初恋、親子、友情。 ストーリーは礼儀として省略。 モチーフやストーリーにしか関心を示さない読者には、ちょっとわかりにくい小説かもしれませんが、ちゃんとエンターテイメントにもなっています。 それでも、私には最近の村上春樹氏は文中で少々言いたいことを言ってしまい過ぎなきらいがある様に思えるのですが、それを差し引いても、小説でしか味わえない何ともいえない感覚の世界に読者を引き込みます。 ハッピーエンドとか勧善懲悪とかいうタイプの物語ではないので、読了後、納得するとかしないとかではないです。 私は先ほど読了しましたが、心地良い余韻に浸っています。 イメージの連鎖、受け取る側が作る小説です。 | ||||
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村上春樹の作品は中学時代にノルウェイの森を読んで以来、 ほぼ全て読んできた。 ベストセラー作家であり、ノーベル賞候補に名が挙がる現代最高の作家の一人であろう。 しかし個人的な意見ではあるが、彼の小説はあまり万人向けとは言えないと思う。 ミステリー小説のように起承転結はあまりなく、謎は謎のまま放置されるケースも多い。 また本作のリトルピープルやかつての羊男、または空から魚が降ってきたり、 とにかく非現実的なこと、超常現象的なことが必ずといっていいほど盛り込まれている。 極めて不自然で非現実的なことが。 それでありながら文体はいささか比喩がオシャレすぎるきらいはあるが、 リアリティーがあり、生活感があり、存在感がある。 また彼が意図的に用いる芸術や文学、音楽などの表現も一般的な日本人には なじみにくいものが多いように思う。 多くの読者は村上氏の美しい文体に魅せられるのだろうか? ちょっと過激で奔放な性描写に惹かれるのだろうか? 物語に非現実性と文体のリアリティーのギャップを愉しむのだろうか? 解説本を読むと驚くほど出てくる謎かけを探すのだろうか? それともただ流行っているから興味がわくのだろうか? 個人的には大好きな作家だし、本作もとりあえずBook 1は面白かった。 しかしこれほど売れるのは不思議だなあ・・・・・ | ||||
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今や驚異的な売り上げをみせている1Q84。 なぜこんなに村上春樹が読まれているのだろうか? 現代の社会情勢から人々は何を考え購入するのか? 売れる背景にはマスコミの力が最たるものだと思うが、 それ以上に村上春樹というネームバリューだろう。 ただ一言・・・面白かった!!これからどうなるのか もっともっと読みたくなる作品でした。 来年公開の「ノルウェイの森」の映画も楽しみです。 | ||||
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村上春樹氏は熱心にオウム事件の取材や オウム信者へのインタビューとかやってましたけど この作品がそれらの集大成なんじゃないかなと思います。 この作品には 宗教の本質であったり、文学のオリジナリティなど 結構きわどいところまで書かれていますので セカチューみたいな劣化村上春樹を書いてた作家さんとか 創○学会みたいなカルト宗教の方達は この本が売れると困ることになるかもしれないですね。 | ||||
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発売されて、「品切れ」や「社会現象」等々と、社会現象化しつつあるのではないか?という世論の中、実は読者自身がその「社会現象」を引き起こしているということに気づいていないのではないでしょうか。 あまり賛同できない「オカルト宗教」「DV」『愛』という一括りで語られる書評は信用しないほうがいいのでは・・・ この作品が供給不足になっている現象こそ、著書の危惧する「システム」なるものにコミットメントしてしまっているのでは・・・ この作品で村上春樹氏が表現したかったことを、現実がトレース(よくないほうに)してしまったいるように感じます。 本当に「一般論ではどこにも行け」ませんね。 続編を期待しています。(けじめとして) | ||||
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ただいま読了しました。切ないファンタジーでした。 これは恋愛の説話です。相聞の空間を創出して読者の恋心を伝えようとしています。 「古事記」の世界を現実のものと喝破した本居宣長ならこれは「もののあはれ」を描いたものだそこに物語というものが持つ真実がある、といったかもしれません(カズオ・イシグロも村上春樹にもののあわれを読み解いています)。そう考えなければ、どうして念じただけで置時計が持ち上がるなどという、スプーン曲げなみの稚拙な作文を真顔で読ませられるのか。あの記述など、現代人の通常の感覚では荒唐無稽以外のなにものでもなく、時間をかけて読んでいるこっちが恥ずかしくなるような記述です。この小説はあの部分も含めて至る所で破綻しているのです。 でもその読み方は正しいでしょうか。たぶんそうではないんです。あれこそが、この物語を信じて愛した者の試金石なのです。あれが物語の愛すべき真実なのです。 素直に、私は読んでよかったとおもいました。これは近代的な小説というよりも、説話というべき世界、あるいは世界全体を相聞を響かせることのみを目的として創造し直した歌人の世界です。 そして、村上春樹が著名な作家であることはそれはそれとして現代にあってもこういうことを伝えようとする愚直ともいうべき書き手がいる、ということに感銘しました。 読了するとわかるのですが、それぞれの要素の重みが物理的な紙面の量と関連しないのです。重要そうに見えているもの、例えば宗教団体や殺人、文学賞の裏面などは重要ではなく、単に登場人物に極端な舞台を与えているだけです。極論するとストーリーも関係ありません。 「相聞のみを響かせる」ための世界、その世界を小説という形式を用いて表現したという点で、多分稀有で現状において最も成功している2冊ということになります。 | ||||
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オウム真理教の信者が「サリン事件」を起こしたのが1995年。 村上春樹は「アンダーグラウンド」で被害者・もしくは事件に居合わせた人にインタビューし、 その後「約束された場所で」で信者にもインタビューをした。 あの事件に肉薄した村上春樹が、宗教をテーマに小説を書いたと聞いて、 どんな作品だろう、と、とても興味を持っていた。 事件から10年以上の月日を置いて書かれたからか、もしくは村上春樹だからか、 この作品には、オウム真理教を下敷きにしたと思われるカルト宗教は出てくるものの、 宗教に対する短絡的な決め付けは、慎重に排除されているように思う。 ただ、著者は問いかけるのだ。 今、あなたが見ている『現実』は本物か? 目に見えている、手に触れることができる、実証することができる、 ただそれだけのことで、それが「本当のことだ」と、「本当に」言えるのか? 何を信じるか。 そして、どう生きると決めるのか。 われわれが生きる世界を形作るのは、実はその2点のみなのだ、と、 著者は訴えているように思えてならない。 | ||||
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長編全てと、短編の殆どを読んだことがありますが、今回はその集大成といえるような作品となってます。 以前から村上さんは、カラマーゾフのような多面的な視点を持った作品を残したいと、いろいろな所で書いていましたが、その到達点にあるといえるのではないでしょうか? 二人の主人公の視点を軸に、様々な要素が絡まり合い、その二人の接点で内容がピークに達し、最後はある意味見事に完結していく。 おそらく、村上さん自身もかなり自信を持っている作品かとおもいます。 これだけ売れると、賛否両論は激しくなるでしょうが、それを見こして作中の「空気さなぎ」に関する話でさらりと皮肉ってるところが、さすがかなと、、。 これまでの作品と異なっていると感じた点は、実在している組織やコミュニティを想像させる人々を作品に登場させている事です。 あーあの団体ねと、読んでいる人は思うでしょう。 これは、かなり意欲的で、かつ危険な挑戦かもしれません。 特に、宗教に関する事は、かなりの反発を生むでしょう。(アマゾンのレビューにもそれが反映されてる?) 彼程の作家であれば、個人的な影響はないのかもしれませんが、、。 ともかく、この作品は、渾身の一作品です。 先ずは読んでみてください! | ||||
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お話の主題は「世界の終わりと・・・」「海辺のカフカ」と同じです。同時進行する2つの物語、影を失くした少女、森といった部分も共通しています。いつもの村上ワールドなので読んでいる途中になんとなくお話の結末もみえてきてしまいました。なので初めて「世界の終わり・・・」を読んだときのような衝撃はもうありません。それに今回の主人公(天吾)は今回はあまり活躍(冒険)していません。「ハードボイルド・ワンダーランド」の「私」や「海辺のカフカ」のカフカ君、星野君、ナカタさんぐらい、どきどきワクワクする活躍をして、自分の世界を切り開いてほしかったです。村上さんの描く不思議な世界はいつも奇想天外の面白さがありましたが、今回は村上ワールドの枠の中に甘んじています。 | ||||
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