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1Q84
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1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全622件 401~420 21/32ページ
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実はワタクシ、この本は読むことはないだろうと思っていたはずなんですが、偶然の一致、天の采配、運命のいたずら、神の気まぐれ、人為的災害、その他さまざまな表現でもって語られているこんな感じの言葉によって偶然にも読む機会に恵まれました。 せいぜいが新聞の紹介欄ぐらいで、書評等は読んではいなかったのですが、読後「いつもどおりのムラカミハルキの本だなー」と感じました。 推理小説はロジックを、それもひぜうに現代的な仕掛けでもってつくられた謎を掲示して、そしてそれを丹念に丹念に探偵・その他の方々が解体していくのを見ている(=覗いている)のですけれど、いわゆる純文学・・・・・・のなかでもとりわけムラカミハルキの作品に限って言えば、そこまで丁寧なものを期待するのもお門違いなんじゃ、と自分は思ったりもしています。私たちはマグロの解体ショーを見に来たわけでも、サイコロの展開図を覗きに来たわけでもないんですから。そんなわかり易いものはハーレクイン文庫なり、刑事もののTVドラマに任せちゃえばいいんじゃないかと。 して、こういった「論理的じゃあないけれど、なんらかのルールに則って事態が進行・集約していく」展開。これっていうのはやっぱりムラカミハルキの作品の中では使い古されたモチーフというか展開なんですが、特に今回、人によっては「その腕が錆付いちゃったんじゃないの?」という意見の方もおられますが、そんなことはなかったんじゃないと自分は思います。良くも悪くも『いつもどおり』では、と。 ただその中で用いられたいくつかのパーツに、他の作品に比べれば人々が嫌悪感を感じるものが多かった。例えば過多ともいえるすけべーな描写であったり、宗教であったり。 でもたぶん、著者が常々書きたがっている――ような気がする――、世の中に存在しているのに不確かな要素。例えば羊を巡る冒険ではアレだったり、ダンス・ダンス・ダンスではコレだったり、海辺のカフカではぐにゃっとして無断で進入したりしているアレらだったりする、総合的な悪意というかそういうとんでもなく強大な、方向性も定まっていない恐怖。その一端を描くことに関して言えば今回もまた、成功しているんじゃないかと思いました。それが今回の場合、カルト宗教を媒介としていたんだろうな、ぐらいの気持ちでいます。 もしこれでこの話の続編が出ないとしたら、生殺しもいいとこなんだろうなあ。 | ||||
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青豆と天吾。 最初はまったく別のストーリが同時進行していくのかと思っていたけれど、だんだんシンクロして交わっていく。 2人も含め、10歳のときに何らかの転機があったのは偶然ではなかったっ。 同性として青豆はあまり好きにはなれないタイプだけど、弱気を助ける正義の殺人者的なところは好きなところ。 天吾は、才能あるにしてもイマイチ発揮できずモンモンとだけど自分的には快適に近い1人暮らしを送っている。 小説の原案者のふかえりと戎野先生、その背後にある新興宗教。 まるでオウム真理教を想像するところもあり、作者が何度も裁判に足を運んだというのもこのストーリの位置づけになっているのかと思う。 1人1人の細かい描写で文章だけで登場人物の姿かたちが想像できる。 | ||||
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ようやく、ようやく読みました。なかなか読み始めることができなくて…。 できるだけ、心に何もない状態でよみたかったのです。 普段、どんな大物作家でも新人作家でも、ベストセラーでも売れない本でも その歴史ではなく作品自体への感想を、自分なりに持ちたいと思っているけれど 村上春樹という存在はとても大きい。 大き過ぎる期待やら厳しすぎる批評眼やら、読む前にいろんなフィルターがかかります。 もともとがどちらかというとアンチ気味だったので 実際これだけ売れると、ほんとに面白いの?という意地悪な気持ちになったりもする。 ようやく自然にこの物語の世界に入れたと思うので できるだけ、素直な感想を書きたいと思います。 単純な感想を一言で言うと、「すごく面白かった!」です。 天吾と青豆、交互の視点で進む構成。 二つの月という現象で、微妙にずれていく現実世界の感覚もいい。 なにより、その文章。 おそらくこの作家さんの特徴であるところの、 読む人を突き放すような、固有名詞を多用したり、回りくどく現実味のない比喩表現も 言葉がその言葉自体の意味を失って、別の意味を伝える記号のようになるような…観念的な感じがして 登場人物たちに、物語の世界に、近づいて行けた。 物語の進行は、たくさん迂回するようでもあるけれど 読めば読むほど、「余分なものは省かれ、必要なものは書き込まれた文章」。 作中作品『空気さなぎ』の評価として書かれたことそのものが、この作品に当てはまるように思いました。 最近わりと良く見かけるようになった、勢いで書かれたような文章とはまるで違う、 推敲しつくされた文章なのです。 えらそうな言い方かもしれないですが 大物作家村上春樹は、油断することなく前に進んでいる作家なのだと感じました。 発売直後から続編の噂が囁かれ、最近実際に3巻の予告もでましたけれど わたしはこのまま終ってくれても良かったです。 謎が解明されず、結末が解決にならないままでも、十分完結してるように思えたので…。 もちろん出るなら楽しみに待ちますけれど。 どこで終らせるかは、作家の力量が試される大きな部分だと思うので 作家自身にも、読者にも、もうこれ以上はない、と思えるような最終巻を楽しみにします。 絶賛になっちゃいました。これまで苦手だったのですけど。 発売前からこれだけ話題になるような作家さんはプレッシャーも多くて大変そう…なんて思ってましたが 村上春樹は期待しすぎても大丈夫! そんな信頼が生まれた作品でした。 | ||||
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既に多くの意見が交わされているので、内容に付いて語ることは特にありませんが、どうにも気になるのが「青豆」の行う殺害方法です。『必殺仕置人』だったか『必殺仕事人』だったか記憶が定かでありませんが、緒方拳の行う方法とまったく同じで失望しました。村上氏ならではのユニークな殺害方法を考案してほしかった。二番煎じの感がぬぐえません。殺害方法は物語の進行上重要な意味を持つと思われますので、気になります。 | ||||
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秋の五連休ぽっかり時間が空いた。 何の本を読もうかと本屋をぶらつき、結局、この本を手にした。 当然、話題の作品であることは知っていた。著者の本も、若い頃は当然の如く読んではいた。 だが、著者の本は内容が全く頭に残っていないのである。 ただ、感覚だけが思い出される、私にとってはそんな不思議な作家であった。 そして、そのような本は、ビジネスにどっぷり浸かった私の中では必要とされずいつしか遠い作家となっていた。 かれこれ、二十年弱ぶりに(ノルウェイの森以来だ!)読んだ著者の本は、しかし、私をぐっと惹きつけた。 昔は背伸びをして読んでいた気がしたが、私も年を経て、身の丈ぐらいの内容になっている気がした。 小学校の頃好きだった子を思い出した。 それを探さなかった自分と主人公達がラップした。 妙に著者の世界に入り込んだ。そこには、ビジネスの世界にはない、また、他の本にはない世界があった。 頭を空っぽにして、あっと言う間に読み終えた。 そして何か違う世界が拡がった。 また、社会に戻り、シホンシュギの生活に戻らなくてはいけない。 理屈付けも、理論付けも、良い悪いも、そんなの全部要らない。そんなの毎日やっている。 束の間の現実逃避、、、そんな位置付けで良いような気がする。 | ||||
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発売日に本書を買ったが多忙のため2ヶ月以上積読状態であった。しかしお陰で4ヶ月に渡って「楽しみが常にある状態」というのを味わえた。8月にBOOK1、9月にBOOK2を、少しずつ、一章ずつ読んでいった。村上作品は、デビュー作の『風の歌を聴け』からずっと発売日に購入し、その日から読み始めてあっという間に読了していたが、今回初めて彼の作品をゆっくり読むことの楽しさを味わった。 いろいろな感想が渦巻くが、一貫して感じていたのは「小説を読む楽しみ」だった。今回は読み始めてからも何度も中断することになったが、楽しみは持続し続けていた。この小説の多くの暗喩が、「小説を読む楽しさ」の神髄を教えてくれたような気がする。これを別の言葉で表現すれば、本書は「小説とは何か」を考え抜いて作られた作品だということである。作中小説の『空気さなぎ』の描写ではないが、「幻想的な物語のかたちをとっているものの、基本的には読みやすい小説である」。そして「(作者は)ゆっくりと、しかし適度な足取りで前に進み続ける。読者はその視線を借りて、歩みについていく。とても自然に。そしてふと気がつくと、彼らは別の世界に入っている」 さらに、「その文章は一見したところシンプルで無防備でありながら、細かく読んでいくと、かなり周到に計算され、整えられている」のであった。(BOOK2 第19章 p.396-7) しかし、本書をより的確に表現するには、最初に『空気さなぎ』について語られる、次の描写がふさわしいだろう。「そこには『特別な何か』がなくてはならない。少なくとも、何かしら俺には読み切れないものが含まれていなくてはならない」 (BOOK1 第2章 p.40) 作品は、馴染み深い村上作品特有のキーワードに、ACやDVなどの現代用語事典的キーワードが混ざり合っている。「またか、やれやれ」と思う一方、古巣に戻ってきたような懐かしさにほっとさせられる感覚に包まれる。しかし、30代の作者ならともかく、還暦を過ぎた作者の比喩かと思うと、つき合い切れない感も拭えないではない。しかしそれでも、読者を惹きつける圧倒的な筆力は素晴らしい。BOOK2の第20章を超えた辺りから、作者がBOOK3を書くつもりであることを確信した。これからも尚、「楽しみが常にある状態」が続くことになる。 | ||||
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「たとえ何が待ち受けていようと、彼はこの月の二つある世界を生き延び、歩むべき道を見いだしていくだろう。この温もりさえ忘れさえしなければ、この心を失いさえしなければ」 この文章で終わるBOOK2の終盤に書かれている一文を読んで、この小説を買って良かったと思えた。僕にとって、村上春樹の作品で一番好きなのは『風の歌を聴け』だ。いまとなってはもう読むことのできない作風のデビュー作こそが、僕にとっての村上春樹のベストだ。だから『1Q84』という作品はナンバーワンではないし、『風の歌を聴け』のような作品が今後発表されるとは思えないから、この先、村上春樹が書く作品がデビュー作以上に好きになることはないと思う。けれど、それでもこの作品は好きだ。 月が二つあるような世界が現実にだってある、と僕は思っている。どうしてこんな目にはあわなくてならないのか、どうやったらこの現実を切り拓けるんだ。そんな風に悶え苦しむ瞬間が、僕には月がふたつあるような信じられない、逃げ出したくなる世界に思えてしまう。でも自分の生きている世界からは決して逃れられない。だったら、この世界で生きていく。自分が大切にするものが何か、それさえ見失わなければ生きていける。僕は冒頭に取り上げた文章を読んでそう思えたし、『1Q84』を読めてこの世界で生きる覚悟がもらえて幸せだった。 村上春樹の作品を嫌いな人は多いと思う。事実、僕のまわりにもいる。何を言っているのかわからない。中途半端に物語が完結する。そんな感想をよく聞く。でも自分にはその批判される特徴が魅力なわけである。何を言っているのかわからない、中途半端に物語が完結するところがすごく好きなのだ。僕はあいまいなものほど、魅力を感じてしまう。あいまいだからこそ、いろんな世界に見える。あいまいだからこそ、自分の一番美しい世界に捉えられる。村上春樹の作品にはそんな自由がある。 大切なのは村上春樹が何を言おうとしているのかを読み取ることではなく、村上春樹の書いた文章を自分がどう捉えるのか。そんなふうに読めば村上春樹の作品は楽しい。『1Q84』にはそんな文章がところどころに散らばっていて、非常に楽しい。 僕は夏目漱石と芥川龍之介が好きだ。漱石の人間の心をこれでもかと深く描写する力は天才だと思えるし、芥川の美しい文章は物語がつまらなくてもその美しい文章を読んでいるだけですごく楽しい。村上春樹には漱石ほどの深い心理描写があるわけではないし、芥川ほどの文章の魅力を感じるわけではない(ただし『風の歌を聴け』は別。あの文章は美しい。特に第一章)。けれど彼らの作品を愛する僕でも、村上春樹は次の作品が気になる数少ない小説家だ。 「言わなくてもわかる」 こんな発言をこれまで何度か聞いてきた。相手が何を考えているのか言わなくてもわかる。そんな意味として。でも僕はそれは嘘だと思っている。その人が、心の底で何を考えているのかなんてその人以外にはわかるわけがない。だから登場人物の心理が深く描写されてない小説があっても良い。 「わからないからこそ楽しいんだ。答えのないものほど、面白いことはない」 | ||||
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さすがに読ませます。でも、ひと括りにはできないことを承知の上で言えば、『ねじまき鳥』は超えてないかと。全体小説を目指すとか言っていながら、逆に話が安っぽくなってきているような気がするのは私だけ? | ||||
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今現在ブック2まで刊行されているが、物語は完結せず途中で終わる。2010年の夏にブック3が発売予定らしいがそれでも完結するかはわからない。 大学卒業後に作家を目指し、予備校の講師として働く天吾と生きる価値のない悪人を暗殺するスポーツインストラクターの青豆の章が交互に描かれる。 ジャンル的には天吾と青豆の恋愛小説を主軸とし、1984年から1Q84年という世界に紛れ込んでしまうSF小説、良くないものや不安の象徴として現れるリトルピープルと関わってしまった主人公達を描くファンタジー小説といういろいろな要素が入った作品になっている。 ブック1と2を合わせて約1050ページの長編ではあるが、文章は非常に読みやすくテンポよく読める。 難点としては、不必要な性描写が多いことと、ブック1と2だけでは伏線が回収されず謎が多く残り、物語自体が完結しない点が挙げられる。 2冊合わせて200万部を超すベストセラーにはなったが、内容よりも作者名で売れた作品である為、普段本を読まない人が売れているからという点だけで読むのはお勧めできない。 正当な評価は物語が完結しなければ何とも言えないので、2冊読んだ時点では今後の期待も込めて星4つとした。 | ||||
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村上春樹の小説を初めて読みました。単純な正直な感想としては、平易なシンプルなとても読みやすい文書であるということです。 いろいろな方の感想がありますが、人それぞれによってとらえ方が異なり、それを許容、許してくれる作者の懐の深さを感じました。 大事なことは、「考えること」、「いろいろと試行錯誤すること」で、作者は今、世の中に背を向けず、反目することは良くないことを言っているような気がします。 露骨な表現や、本筋と関係ない事柄は、核心の、この小説の「コア」の部分の接着剤のようなもので、流れのなかで必要なのかもしれません。また、一部の性表現の 箇所は、実は作者の批判的精神が描かれているかもしれません。 なかなか、核心の部分が見えないで、最後の最後まで、気になって読み続けましたが、最終章で、「そう、話のポイントは月にあるのではない。彼自身にあるのだ。」 とい文書で、最後に納得、良く理解しました。この後、続編があるそうですが、私の勝手な想像では、本小説で失踪、もしくはいなくなる登場人物は、実は、本来実在 しない、最初から存在しないような気がします。なぜなら、「そう、話のポイントは月にあるのではない。彼自身にあるのだ。」からです。 彼自身の生い立ち、出生の秘密に苦悩していますが、そうではなくて、「彼自身」のとらえ方が重要だと言うことです。 最後に、この小説は、とてもミステリアスで、また、なにか道理を説くようでとても興味深いものです。次回の続編に期待してます。 | ||||
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「ノルウエーの森」以来と言っていいほど共感しながら、Book1・2をどっぷりとはまり込んで面白く読めた。 Book1はすでに百万部以上を売り上げている超ベストセラー小説だが、私の感じた限りでは、それほど多くの人たちが共感し、面白く読める小説ではないのではないかと思う。 主人公である青豆、天吾は共に、一般的な意味では幸せとは言えない子供時代を過ごし、必要に迫られながら選択していった孤独な人生を送っている。すでにこの時点で、普通の家庭生活の中で育ち、社会の中で適応しながら生活している人たちが真の意味で共感し、楽しめたり救いを得られるような小説ではなくなっていると思う。 子供時代に心に傷を負い、親の愛情に恵まれなかった二人の主人公に共感できるのは、多かれ少なかれそのような子供時代を送ってきた人間だけではないかと思う。必要に迫られて人生の選択をし、気が付いたら自分を投げ出してでも愛せるものなど何もなく、孤独な狭い世界の中で、充足しながら生きている主人公たち。 その主人公たちが巻き込まれる幻想的な出来事の中で、自己の存在意義や自分の過去の人生を捉え直していく。そんなことでもなければ、決してしようとはしなかったであろうことだ。そして、その中で感じた様々な思いは、同じような境遇に置かれた読者(私のような)には、強いシンパシーを感じさせるものだ。この本の一部を何度ノートに書き写したことか。 いつものように、村上春樹氏の文は、幻想的でエロティックで、時には温かく、時には冷酷で、卓抜な比喩に満ち溢れている。そういった心地よさが好きな読者も多いことだろう。しかし、失われた痛みを伴う体験を持つ、孤独な魂を持った人間にしか、この小説は本当には味わえないのではないか。Book3の刊行を一日千秋の思いで待っている。 | ||||
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個人的には、国際地球観測年(IGY 1958〜59)を振り返って 地球の来るべき理想の未来がこなかった事をコンセプトに盛り込んだ、 AORの名盤で、舞台の音響チェックのスタンダード、 ドナルド・フェイゲンの「Night Fly」(1982)を思い出した。 多分意味的には逆なんでしょうが。 なんと言っても青豆さんが魅力的な小説だと思う。 たしかに書き方や細かな表現は、 村上さんの上に立てる編集者がいないのだろうか、 文章表現のマンネリ化は否めない。 でもかなり完璧に近い小説だと感じた。 これはきっと外国人は衝撃を受けるだろうに。 自分をタフだと思い込もうとして苦しむ 女の悲しみをこれほど上手に描いている芸術作品を 私自身、映画にもドラマにも文芸作品にも読んだ事が無い。 月が二つになってからが特に好きです。 | ||||
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私にとって久しぶりに読んだ小説である。 Book1は、殺し屋の青豆、小説家志望の予備校講師の天吾という、全く互いに関係のない2人の男女の話が、ほとんど関係なく進行する。 いずれも、いかにも説明不足の感があり、かなり落ち着きの悪さを覚えた。作中の小説『空気さなぎ』については、物語の進行と極めて深い関連が暗示されながらその詳細な内容についての言及がないし、宗教的結社さきがけについてもその不気味さだけは分かるが、謎だけが深まり、極めて強い欲求不満に陥った。 しかし、Book1は背景世界が細密に描かれているだけに、この不満はBook2で解消される。 | ||||
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全体的なストーリーはこれがベストセラーかと思わせるくらい暗くししんどいです。 危険な世界に身を置く青豆に比べて天吾は比較的安全な世界に住んでいます。 大切なものを失わなければ求めているものが見えてこない。 露骨な性表現が嫌だという意見も有りますが、通過しなければそこに行けない儀式として書かれているのだと思います。 | ||||
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気がつくと村上作品ばかり読んでいましたが、いつもうっそうとした森の中を絡み合いながら進んでいるような…そして明るい光を見ることがないまま本を閉じることになっていました。今回の作品は初めて…なぜか心の中に意外な優しい光と温かみを感じることが出来ました。ラストの青豆は心が揺れるものがあり、村上作品には今まで味わったことのない気持ちで本を閉じました。 | ||||
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一度しか読んでいないので、あいまいな感想です 終わりに従って、ああやはり村上春樹だった、という印象が強くなり そして、読後ノルウエイの森やダンスダンスダンスと似ていたなと感じました 私は小説家が追求するテーマが多様になるのは難しいのではないかと常々思っています 一つ書き上げればまた、何らかの書き足らなかったことが生まれ、キャラクターをかえ、設定を変えて 次の作品でまた追求していく。 それが小説家かなあと思っているので決して今回がっかりはしていません 自己発見と再生、出発。 本作品で読み取れたものはやはりこのテーマでした。 巧妙に仕掛けを作り、エンターテイメントとして成功していると思います カフカは好きですが観念的な感じが否めず読みながら苦しかったので この作品ではサクサクと読める感に助けられました。 長い丁寧な描写の合間合間でちらっと垣間見られる世界観が なるほどねえ、と自分の現実へのとらえ方を見直すきっかけになり、 現実と認識していることは頭の中で構築されていて 現実とは人の数だけあるのではないかなあと再認識しました 青豆と天吾は二つの月がある世界に生きて自分をとり返していった。 同じ世界を共有できる人はそうそういないわけで、 だからこそ二人にとっては1Q84は現実となりえたのでしょう。 真に欲する人を捜し求めることが人生の大いなる意味なのかもしれません。 | ||||
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村上春樹の作品は約20年前に読んだノルウェイの森以来です。今回の作品は、はらはらドキドキし読者の期待を裏切らない作品と思います。何度も何度も読み返したい本になりました。最近読んだ本の中では一番心に残る物です。 | ||||
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長編の村上作品は初体験だったものですから、終わり方には正直戸惑いました。 SFやミステリならちゃんと読者が納得いくように最後に辻褄合わせがあるところですが、これはこれでいいんでしょう。 以外にスラスラ読めたし、予想していたよりもずっと面白かったです。 アンダーライン引きたくなるような文章が沢山ありました。 欲を言えば最後に天吾と青豆を会わせるくらいのサービスはして欲しかったかな。 今後さかのぼって過去の村上作品も読みたくなりました。 (で、今はアフターダーク読んでます) | ||||
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青豆と天吾の2つの物語が並行して進む構成は、私の大好きな『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を連想させるだけでなく、確固たる村上春樹の文体が存在しているので、前作『アフターダーク』のような失望感は生まれない。 これまでの村上作品の集大成とも言えるくらい、彼が影響を受けてきたことがらが全て反映されているし、納得がいくまで費やしたであろう時間が伺えるくらい全く無駄が無い文章で完成度に満ちている。 なのに、だ。作品に心惹かれないのはなぜか。 作品に費やしたであろう時間によって削られてしまった無駄な装飾のようなページの空白が、これまで村上作品を読み心酔してきた私を戸惑わせているように思えてならない。 私はまだ 『1Q84 BOOK 2』を読み終わってないので、この戸惑いが最後どう決着をつけるのか愉しみに『1Q84 BOOK 2』を読むつもりでいます。 | ||||
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1Q84、素晴らしいお話でした。 読後は、脳は混沌としながらも、体中の細胞の隅々に至るまで、心地よい疲労感に癒されていました。ちょうど、青豆さんから遠慮のないストレッチを施されたかのように。 これだけのベストセラーでありますから、かえって、 小説は手に取ったひとりひとりのものだな、と、しみじみもしました。 金返せ、もあり、命が救われました、も、ありだな、と。 その表現飽きた、も、その性描写に何の意味があるの、も。 引用長すぎ、矛盾多すぎ、で結局ナニ?、も。 それでも素晴らしいのは、私ひとりにとって素晴らしいのは…、が表現できません。その漠然があまりにも美しい塊で、私のつたない表現力では描写しきれません。 村上春樹ならば、きっと、的確に言葉を紡いでくれることでしょう。 生存している作家の中では卓越したその筆力で。 それにしても実は、この1Q84が「空気さなぎ」のように、ふかえりがいて…、ということはないでしょうね…。 どちらにしても、この作品の素晴らしさは失われないですけど。 | ||||
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