海辺のカフカ

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評判

海辺のカフカの評価:

3.76/5点 レビュー 521件。 D ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点3.76pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全571件 301〜320 16/29ページ
No.271
(5pt)

面白かった

1Q84, ノルウェイの森、に続いて読みました。それまで、松本清張さん、宮部みゆきさん、堂場瞬一さんらを好んで読んできました。多読家です。しかし、村上春樹さんの作品を読む前は、「難しそう」と思って食わず嫌いでした。これらの作品群を心から楽しみました。決して難しいとは思いませんでした。突拍子も無い部分もありますが、それぞれを分かり易く描いてくれているので、置いてけぼりは食わなかったです。大人になってから読む本だと思います。性描写も”不可避な事”として受け入れられました。主人公は15歳の少年とは思えず、40代の自分自身と重ねながら読みました。佐伯さんの行動からも、年齢に囚われずに読んで良い、と感じました。これから、他の作品も読んでいきます。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.270
(5pt)

現代のノストラダムス

現代のノストラダムス、村上春樹氏の作品です。この作品は、読者一人一人に、個別のメッセージが込められているのはずなので、一概に感想を述べることはできません。ですが、共通したメッセージとしては、以下の3点を挙げたいと思います。・中国、ロシア(ソ連)との復讐戦を警戒しなさい。・そのために怒りと恐れを手放しなさい。・怒りと恐れを手放す最終期限が、そろそろ近づいています・・・。怒りと恐れを手放すことができた人には、シンクロニシティを伴ったさまざまなメッセージが伝えられていると思います。
海辺のカフカ (下) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553
No.269
(5pt)

現代のノストラダムス

現代のノストラダムス、村上春樹氏の作品です。この作品は、読者一人一人に、個別のメッセージが込められているのはずなので、一概に感想を述べることはできません。ですが、共通したメッセージとしては、以下の3点を挙げたいと思います。・中国、ロシア(ソ連)との復讐戦を警戒しなさい。・そのために怒りと恐れを手放しなさい。・怒りと恐れを手放す最終期限が、そろそろ近づいています・・・。怒りと恐れを手放すことができた人には、シンクロニシティを伴ったさまざまなメッセージが伝えられていると思います。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.268
(5pt)

村上文学の最高峰

ねじまき鳥クロニクルを越えて、村上作品の最高峰だと思います。切実さは遠のき、円熟と知性とユーモアと、魂の救済があります。なんだかんだ言ってもやっぱり、結局のところ「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」が一番だよな〜と思っていたけど、1Q84後に再読し、改めてその力に圧倒されました。何を読んでいたのか、と自分であきれました。これからの人生で何度も読み返し、そしてその都度、それまで気づかなかったその力を実感することになると思います。本当にすごい本だと思います。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.267
(1pt)

再読したいとは思えない

挿入されるエピソードに突拍子もないものが多く、読んでいて混乱させられる。 また、登場人物の会話も、妙に硬くてぎこちなく、作者の思考が反映されているような不自然さを受ける。 プロット間の整合性がチグハグで、全体的な統一感に乏しい。 主として以上に挙げた理由から、読後感は悪く、再読したいと思える作品ではなかった。 通読できたのは、これまでの仕事に対する信頼感のせいだろう。
海辺のカフカ (下) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553
No.266
(1pt)

この少年に感情移入できる人はいるのか?

「主人公が嫌い」という作品が面白いわけがない。父親を殺しておいて、「タフにならなければいけない」なんて気取っている15歳のナルシストはグロテスクですらある。初期作品にみられる、「ナイーヴで頑なだが、筋の通った青年」には素直に共感できたのに。近年の作品では、主人公に魅力を感じない。魅力を感じない以上、物語を楽しめない。駄作、もしくは読む価値はないと判断するが、これが売れているということは、いまや「国民的作家」となった村上春樹が目指す路線と、私の嗜好がずれてきただけなのか。どちらにしろ、もう読まない。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.265
(3pt)

生と死。

これは極論すれば、生と死をテーマにした物語だ。登場人物は生と死の境で、それぞれの向かう場所を選び、戻るべき場所へ帰って行く。 どこかのサイトで1Q84について、国語的想像力と数学的解析力が必要な本だ、と書かれた(著名な?)方がいたが、まったくその通りだと思う。それはこの本にも当てはまる。だから読書を選ぶ。よく村上春樹は謎を投げっぱなしにする、といった意見を目にするが、それは違う。材料はテーブルの上にちゃんと置かれいる。それもきちんと必要な分だけ。あとは読者がどう料理するかは自由だ。例えばラストの謎の白い物体。私的には招かれざる者として描かれたジョニーウォーカーだと理解したが、解釈は人それぞれ違うだろう。 読後の独特な感覚。それは心の中にモヤモヤした混濁を抱えながら、しかし頭は自然とすっきりしている。そしてモヤの向こうに光に投影された何かの輪郭がぼんやり見える。村上春樹の作品を読むたびに感じるものだ。こんなことを感じさせくれる作家は滅多にいない。
海辺のカフカ (下) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553
No.264
(5pt)

娯楽小説として一級の出来であることには間違いない

この小説の全編で読み返したいと思うのは、ナカタさんを巡る一連の猫エピソードと人間模様である。特に、ナカタさんが四国へヒッチハイクする過程で出会った運転手さん、例えばホシノ青年等との道中は思わず心がホノボノとしてくる。すなわち、この小説の中で最も魅力的な人物は礼儀正しく人柄のいいナカタさんであり、この小説の心暖かい面白さの中核をなし、ストーリー全体の雰囲気を著しくアップしている。  これに対し、主人公の15歳の少年のキャラクターには惹き付けられる要素があまりない。そもそも、この主人公の少年が大島さんとかの年長者にため口なのはどういうわけか? こういう点が主人公にいまいち共感できない一因である。また、この15歳の少年に絡む大島さんの言葉もリアリティーに乏しい。彼ら二人の会話は話に(おそらくは見せかけの)深みを添えるための観念(メタファーとか)の表明でしかないが、その技巧はあっぱれである。  とはいえ文章は平易で読み易く、ついつい先に読み急いでしまう筆力は流石であり、この先一体どうなるのか、読者の興味を常に駆り立てる技量も素晴らしい。  この小説は、暇な時間を楽しく過ごすための娯楽小説として一級の出来であることには間違いない。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.263
(5pt)

娯楽小説として一級の出来であることには間違いない

この小説の全編で読み返したいと思うのは、ナカタさんを巡る一連の猫エピソードと人間模様である。特に、ナカタさんが四国へヒッチハイクする過程で出会った運転手さん、例えばホシノ青年等との道中は思わず心がホノボノとしてくる。すなわち、この小説の中で最も魅力的な人物は礼儀正しく人柄のいいナカタさんであり、この小説の心暖かい面白さの中核をなし、ストーリー全体の雰囲気を著しくアップしている。 これに対し、主人公の15歳の少年のキャラクターには惹き付けられる要素があまりない。そもそも、この主人公の少年が大島さんとかの年長者にため口なのはどういうわけか? こういう点が主人公にいまいち共感できない一因である。また、この15歳の少年に絡む大島さんの言葉もリアリティーに乏しい。彼ら二人の会話は話に(おそらくは見せかけの)深みを添えるための観念(メタファーとか)の表明でしかないが、その技巧はあっぱれである。 とはいえ文章は平易で読み易く、ついつい先に読み急いでしまう筆力は流石であり、この先一体どうなるのか、読者の興味を常に駆り立てる技量も素晴らしい。 この小説は、暇な時間を楽しく過ごすための娯楽小説として一級の出来であることには間違いない。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.262
(1pt)

再読したいとは思えない

挿入されるエピソードに突拍子もないものが多く、読んでいて混乱させられる。また、登場人物の会話も、妙に硬くてぎこちなく、作者の思考が反映されているような不自然さを受ける。プロット間の整合性がチグハグで、全体的な統一感に乏しい。主として以上に挙げた理由から、読後感は悪く、再読したいと思える作品ではなかった。通読できたのは、これまでの仕事に対する信頼感のせいだろう。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.261
(5pt)

なんか

村上さんはすげえよ。子供心を保ちつつせいちょうしているんだろうなー。こういう感覚は現代にたりないきがするよ。他のはあんまり読んだことないけど。この人のはたぶん駄作はないんだろう。特に上巻の最後のほうに出てくる歌詞には心底おどろいた。純粋で人間らしい人間じゃないとあの言葉たちは出てこない気がする。村上さんや何人かの「人間らしい」人間の持つ柔軟性は 本来人間全員が持つもの。人の感想はあてにしないで、自分が読みたかったら読めばいいと思うよ。自分が純粋なら 君がかかわるもの全部に感動があるとおもうよ。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.260
(5pt)

ひとりにひとつの物語

まず、この『海辺のカフカ』をお読みいただくに当たってこの小説の大きなテーマが誰もが経験する『大人への成長』である事を念頭においていただきたいと思う。そして、そのうえで初めてファンタジーであったり、時にはダークであったりもする様々な要素がこの小説を飾り立てているのだ。であるから、決して後者はメインキャストではない。その為、それらの描写は時に曖昧で読者を深く考え込ませたりもする。しかし、だからこそ前者として挙げた大きなアウトライン(筆者の伝えたい旨)に沿ったうえでの読者ひとりひとりの自由な解釈が可能となり結果として、読者は自らがあたかも一人の登場人物として作中に参加しているような感覚を与えられうるのではないだろうか。決して一字一句に対して理論的な解釈を求めるようなつまらない読み方ではなくぜひ、"あなた"の世界観に沿った『海辺のカフカ』を読んでいただければと僕は思う。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.259
(1pt)

大ベストセラーも・・・

大ベストセラーであっても、なかなか村上節が抜けないという期待を裏切れた1品。近年、村上さんはベストセラーを連発している中では、文庫本になってからでもいいやというような気持ちになってしまった。村上ファンには少し劣る作品と思える。
海辺のカフカ (下) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553
No.258
(1pt)

本当に高い評価で良いのか?

大ベストセラーであっても、なかなか村上節が抜けないという期待を裏切れた1品。近年、村上さんはベストセラーを連発している中では、文庫本になってからでもいいやというような気持ちになってしまった。村上ファンには少し劣る作品と思える。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.257
(4pt)

ふう〜ん、これが、村上春樹か。

遅ればせながら村上春樹を初めて読んだ。朝日新聞の文芸欄で、2000年以降の10年間に出版された書物の中でこの小説が第2位に位置づけられていたので、遂に手に取ってみた。自分がよく読むノンフィクションや歴史もの、経済もの、国際政治ものなどと全然趣向が違う。想像力が漲っていて、ストーリーの展開が重層的、そしてメタファーの使用などとっても技巧的で印象深い。エンターテインメントとしてとても面白い。この小説の思想的傾向として、自分の頭に浮かんできた表現は「urban middle-class intellectual progressive liberalism」。皮肉な意味で使っているわけではない。自分自身、ストーリーの中に出てくる和洋様々な文学や音楽に改めて触れて見たいとの気持ちになった(早速、題名のカフカの作品「変身」を読んでみた)。15歳の少年がクラシックなジャズを好んだり、彼が中高年というべき婦人に恋したり、若干oldiesに流れるところもあるけど、村上春樹が世に広く読まれていることを思えば、このような趣向も一つの大きな潮流かなと思う。この本を読んでいて、日本語表現としてその場になじまない文章が時々出てくることがある。これは、この本が英語訳されることを想定してそうなっているのかなと思ったのだが、どうなんだろう。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.256
(4pt)

世界はメタファーだ

「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年になる」―15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。少年時代、その時期にしかない一瞬を扱った小説なのかな。よくある小説のように、現実をわかりやすく、より軽快に、より明快に描くのではなく、メタファーで満たし、より寓話的に、より暗示的に描くとこうなるのかなー、と感じた。「世界はメタファーだ」「この僕らの住んでいる世界には、いつもとなり合わせに別の世界がある」ほかの作品でもよくあるように、2つの世界から物語は語られる。別の世界。今回は対比がとてもくっきりしているように感じた。一つのものが、複数のものと隣り合わせにある。難しいことはさて置いて、ナカタさんとホシノさんのやりとりがすごく良かった。村上春樹はこういう単純なのも書けるんだ。正直、作者の意図とか文学的な価値なんてさっぱり分からない。書いてあることの、半分も理解できない。それでも、なんだかわかった気にはなれました。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.255
(4pt)

ファンタジー…

読めば読むほど面白いし、二つの物語が不意に互いに絡み合い、一つになっていく過程も、読んでいて時を忘れました。しかし、ガッカリしたのは、私は村上春樹さんの小説を読んだのがこれが初めてなので、彼の特徴や作風を全く知らずに読み進めました。すると、村上ワールドを知らない私は、読み終えた後「謎が全く解決されてない…」と言うどこか期待を裏切られた気分になりました。でも他の作品をよんで、「この物語の中にリアルを求めてはいけないんだ」と思い直しました。魔女ッ子の登場するアニメに「何で魔法が使えるの?」と聞くのと同じことです。それを踏まえて読めば、魅力的なキャラクターたち(個人的に大島さんが一番好きです)や、村上春樹さんの物語を読ませる力にグイグイ引き込まれて、とても味わい深い作品だと思います。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.254
(3pt)

評価が分かれる作品

主人公を軸とする物語とナカタ&ホシノ青年を軸とする物語が同時進行しつつ、徐々にシンクロしていくストーリー。後者の物語がほのぼの珍道中でとても面白い。一方、主人公側の話にはあまりのめり込めなかった。個人的に、頭で色々考える人間よりとっとと行動する人間の方が好きなので(もちろん主人公も行動しているけれど)、それが原因かもしれないし、美味しそうな料理が多いのも一因かもしれない。ホシノ青年は、あの部屋を出てからもネコの言葉が分かる人間なのだろうか。それがこの本で一番の気になるところだ。いずれにせよ、通常の村上作品らしくするすると読めるが、これは村上作品をあまり読んでいないか初めての人の方が評価が高いのではないだろうか。村上作品は、ねじまき鳥クロニクルを境として、方向性が微妙に変わっていったような気がする。その変化を好むか好まないかによって、評価も分かれるだろう。
海辺のカフカ (下) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553
No.253
(5pt)

”海辺”という境界線で僕が手にしたもの

母なるものと交わる「これは夢じゃない。現実の世界なんだ。でもすべてはあまりにも速いスピードで前に進んでいく。僕にはその流れを押しとどめる力はない。僕はひどく混乱しているし、そして僕自身、時間の中に飲み込まれていく。彼女の夢が僕の意識をあっという間もなく包んでいく。羊水のように柔らかく、温かく包んでいく。」「いったいどこから君の責任は始まるのだろう?意識の視野の白濁をぬぐい取りながら君は懸命に現在の位置を見出そうとする。流れの方向を見定めようとする。正しい時間の軸を捕まえようとする。しかし夢と現実の境界線を見つけることはできない。事実と可能性の境界線さえ見つからない。君に分かるのは、自分が今とても微妙な場所にいるということだけだ。微妙で同時に危険な場所だ。君は予言の原理やロジックを突きとめることができないまま、その進行に含まれてしまっている。どこかの川沿いの町が洪水に洗われるように。そこにあるすべての道路標識が今では水面の下に沈んでる。目に見えるのは家々の無名の屋根だけだ。」姉なるものと交わる「僕の中にある窪みのような場所で、何かが殻から抜け出そうとしている。いつの間にか僕には、自分の内側に向けられた一対の目が備わっている。だからその光景が観察できる。その何かが良いものなのか悪いものなのか、僕にはまだわかっていない。しかしどっちにしても僕には、その何かの動きを後押しすることも止めることもできない。それはまだ顔をもたないぬるぬるとしたものだ。それはやがて殻を出あて、あるべき顔をもち、体からゼリー状の衣を落とすことだろう。そうすればその正体を僕は知ることになる。でも今のところ、まだそれは形が定まらないただのしるしみたいなものにすぎない。それは手にならない手を伸ばし、からの一番柔らかな部分を打ち破ろうとしている。僕はその胎動を目にする。僕は決心する。いや、そうじゃない。実のところ何一つ決心なんかしていない。だって僕には選びようがないのだから。」「僕はベッドの中にいて、周りには誰もいない。真夜中だ。闇はどこまでも深く、そこからはあらゆる時計が失われている。僕は何杯も続けて水を飲む。でもどれだけ飲んでも、僕の中にある渇きは収まることがない。僕はたまらなく孤独になる。真夜中の深い闇の中で、森に深い闇の中で、森に周りを取り囲まれて、それ以上孤独になれないくらい孤独になる。そこには季節もなく、光もない。」「君の中でその何かは、今では姿をはっきりと現わしている。それは黒い影としてそこに身を休めている。殻はもうどこにも見えない。殻は完全に破られ、捨て去られている。君の両手にはどろりとしたものが付いている。どうやら人の血のようだ。君は手を目の前にかざす。しかし何かを見るには、明りの量が足りない。内側も外側もあまりにも暗すぎる。」「じゃあひとつ聞きたいんだけどさ、音楽には人を変えてしまう力ってのがあると思う?つまり、ある時にある音楽を聴いて、おかげで自分の中にある何かが、がらっと大きく変わっちまう、見たいな。」「もちろん、そういうことはあります。何かを経験し、それによって僕らの中で何かが起こります。化学作用のようなものですね。そしてそのあと僕らは自分自身を点検し、そこにあるすべてのメモリが一段階上にあがっていることを知ります。自分の世界がひとまわり広がっていることに。僕にもそういう経験はあります。たまにしかありませんが、たまにはあります。恋と同じです。そういうものが全くないとしたら、僕らの人生はおそらく無味乾燥なものです。」「僕はどうすればいいんだろう」「そうだな、君がやらなくちゃならないのは、たぶん君の中にある恐怖と怒りを乗り越えていくことだ。そこに明るい光を入れ、君の心の冷えた部分を溶かしていくことだ。それが本当にタフになるということなんだ。そうすることによって、はじめて君には世界で一番タフな15歳の少年になれるんだ。僕の言うことはわかるよね?今からでも遅くはない。今からならまだ君は本当に自分を取り戻すことができる。君は決して馬鹿じゃない。考えることはできるはずだ。」そして森の中へ「深い森の中で、ひとりぼっちで、自分という人間がひどく空っぽに感じられる。自分がいつか大島さんの言っていた”うつろな人間”になってしまったような気がする。僕の中には大きな空白がある。そしてその空白は今でも少しずつ膨らんでいって、それが僕の中に残されている中身をどんどん食い破っていく。その音を僕は耳にすることができる。自分という存在がますますわからなくなっていく。僕は本当に途方に暮れている。そこには方向もなく、空も地面もない。僕は孤独で、薄暗い迷宮の中にいる。風の音に身を澄ませるんだ、と大島さんは言った。僕は耳を澄ませる。しかし、そこには風なんて吹いていない。」「頭を使って考えるんだ。どうすればいいか、考えるんだよ。」「でももう何も考えることができない。何をかんがたところで、僕が行きつくところは結局、迷宮のつきあたりでしかないのだ。でも僕の中身とは一体何だろう?それは空白と対立するもんなのだろうか?」「ここでこのまま、自分という存在を抹殺してしまうことができたらな、と僕は真剣に考える。そうすることによってはじめて僕の戦いは終わるんじゃないか。僕は考える。目を閉じて、自分の中心を見つめる。そこを覆う闇はひどく不揃いで、ざらざらとしている。暗い雲が切れると、花ミズキの葉が月の光を受けて千の刃物のように光る。その時皮膚の奥で何かが組みかえられる様な感覚がある。頭の中でカチンという音が聞こえる。僕は、森の中核へと足を踏み入れていく。僕はうつろな人間なのだ。僕は実態を食い破っていく空白なんだ。だからこそ、もう、そこには恐れなくちゃならないものはないんだ。なにひとつ。」「前に進むことだけに気持ちを集中する。僕はもう森に対して恐怖を感じてはいない。そこにはルールのようなものがある。あるいはパターンのようなものがある。いったん恐れることを止めると、そういうものがだんだん目に見えるようになってくる。僕はその反復性を飲み込んで、自分の一部になるようにしていく。僕はもう何ももっていいない。そうすることによって、僕は、自分がもうおびえてはいないし、だからこそ無防備になることを選んだんだということを、目に見える形で森に伝えようとしている。あるいは、僕自身に伝えようとしている。僕は硬い殻を捨てた生身の僕として、一人で迷宮の中心に向かっている。そして、そこにある空白に身をまかせようとしている。」
海辺のカフカ (下) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553
No.252
(5pt)

”海辺”という狭間で僕が目にしたもの

「そこにいると、自分があとに引き返せないくらい、損なわれていく気がしたんです。自分があるべきではない姿に変えられてしまう、ということです。」「でも、時間というものがある限り、誰もが結局は損なわれて、姿を変えられていくものじゃないかしら。遅かれ早かれ。」「たとえいつかは損なわれてしまうにせよ、引き返すことのできる場所は必要です。」「引き返すことのできる場所?」「引き返す価値のある場所のことです。」「大島さんには乗り越えなくてはならない課題はないの?」「乗り越えるも何も、僕がやるべきことはたったひとつしかない。この僕の肉体という、何にもまして欠陥だらけの入れ物の中で、何とか日々を生きのびていくことだけだよ。単純といえば単純だし、難しいといえば難しい課題だ。いずれにせよ、うまくそれができたからって、偉大な達成とみなされるわけでもない。誰かが立ち上がって温かく拍手してくれるわけでもない。」「でもね、僕だって自分という現実の入れ物が決して気に入っているわけじゃないんだ。当たり前の話だ。便利か不便かという文脈で言えば、はっきり言ってひどく不便だ。しかしそれにもかかわらず、僕は内心こう考えている。外郭と本質を逆に考えれば、つまり外殻を本質ととらえ、本質を外殻だと考えるようにすれば、僕らの存在の意味みたいなものはひょっとしてもっとわかりやすくなるんじゃないかってね」「ヘーゲルは自己意識というものを規定し、人間はただ単に自己と客体を離れ離れに認識するだけでなく、媒介としての客体に自己を投射することによって、行為的に、自己をより深く理解することができると考えたの。私たちはこうしてお互いに自己と客体を交換し、投射しあって、自己意識を確立しているんだよ。」「お前もわからん奴だな。啓示というものはそういうもんなんだ。啓示とは日常性の縁を飛び越えることだ。啓示なしに何の人生だ。ただ観察する理性から行為する理性へと飛び移ること、それが大事なんだ。わしの言っていることが分かるか、このメッキしゃちほこボケ。」「いいか、ホシノちゃん。神様ってのは人の意識の中にしか存在しないんだ。とくにこの日本においては、良くも悪くも、神様ってのはあくまで融通無碍なものなんだ。その証拠に戦争の前に神様だった天皇は、占領軍司令官ダグラス・マッカーサー将軍から、”もう神様であるのはよしなさい”という指示を受けて、”はい、私はもう普通の人間です。”って言って、1946年以降は神様ではなくなってしまった。日本の神様ってのはそれくらい調整のきくもんなんだ。いると思えばいる。いないと思えばいない。そんなもののことをいちいち気にすることはない。」「いいか、ホシノちゃん。すべての物体は移動の途中にあるんだ。地球も時間も概念も、愛も生命も、正義も悪も、全てのものごとは液状的で過度的なものだ。ひとつの場所にひとつのフォルムで永遠に留まるものはない。宇宙そのものが巨大なクロネコ宅急便なんだ。」「田村カフカ君、あるいは世の中のほとんどの人は自由なんて求めてはいなんだ。求めていると思い込んでいるだけだ。全ては幻想だ。覚えておくといい。人々はじっさいには不自由が好きなんだ。すべての文明は柵で仕切られた不自由さの産物なんだ。最もオーストラリア大陸のアボリジニだけは別だ。彼らは柵をもたない文明を17世紀まで維持していた。彼らは根っからの自由人だった。好きな時に好きな所へ行って、好きなことをすることができた。彼らの人生は文字通り歩きまわることだった。歩き回ることは彼らが生きることの深いメタファーだった。イギリス人がやってきた家畜を入れるための柵を作った時、彼らはそれが何を意味するのかさっぱり理解できなかった。そしてその原理を理解できないまま、反社会的で危険な存在として荒野に追い払われた。だから君もできるだけ気をつけた方がいい、田村カフカ君。結局のところ、この世界では、高くて丈夫な柵を作る人間が有効に生き残るんだ。それを否定すれば君は荒野に追われることになる。」「あなたは強くなりたいのね」「強くならないと生き残っていかないんです。特に僕の場合は。」「あなたはひとりぼっちだから」「誰も助けてはくれない。少なくともこれまでは誰も助けてはくれなかった。だから自分の力でやっていくしかなかった。そのためには強くなることが必要です。はぐれたカラスと一緒です。だから僕は自分にカフカという名前を付けた。カフカというのはチェコ語でカラスのことです。」「でもそういう生き方にも限界があるんじゃないかしら。強さを壁にしてそこに自分を囲い込むことはできない。強さというものは、より強いものによって破られるものなのね。原理的に。」「強さそのものがモラルになってしまうから。」「あなたはとてもわかりがいいのね」「僕が求めているのは、僕が求めている強さというのは、勝ったり負けたりする強さじゃないんです。外からの力をはねつけるための壁が欲しいわけでもない。僕が欲しいのは外からやってくる力を受けて、それに耐えるための強さです。不公平さや不運や悲しみや誤解や無理解。そういう物事に静かに耐えていくための強さです。」「それは、多分、手に入れるのが一番むずかしい種類の強さでしょうね」「知っています」「私のまわりで何かが変わり始めているような気がする。」「うまくいえない。でも私にはそれがわかるの。気圧や、音の響き方や、光の反映や、体の動きや、時間の移り方が少しずつ変化している。小さな変化のしたたりがちょっとずつ集まって、ひとつの流れが出来上がっていくみたいに。」「僕の子供時代からはずいぶん沢山のものが奪い取られてきました。たくさんの大事なものです。僕は今のうちにいくらかでもそれを取り返さなくてはならない。」「そうすることが必要なんです。人には戻ることのできる場所みたいなものが必要なんです。今ならまだ間に合うことがある。たぶん。」「あの頃は何も考えなくて良かった。ただそのまんま生きていればよかったんだ。生きている限り、おれはなにものかだった。自然にそうなっていたんだ。でもいつの間にかそうではなくなってしまった。生きることによって、俺はなにものでもなくなってしまった。そいつは変な話だよな。人ってのは生きるために生まれてくるんじゃないか。そうだろう?それなのに、生きれば生きるほど俺は中身を失っていって、ただの空っぽな人間になっていったみたいだ。そしてこの先さらに生きれば生きるほど、俺はますます空っぽで無価値な人間になっていくのかもしれない。そいつは間違ったことだ。そんな変な話はない。その流れをどこかで変えることはできるのだろうか?」「ハイドンはある意味では謎の人です。彼が内奥にどれほどの激しいパトスを抱えていたか、それは正直なところ誰にもわかりません。しかし、彼が生まれおちた封建的な時代にあっては、彼は自我を巧妙に服従の衣で包み、にこやかにスマートに生きていくしかありませんでした。そうしなければ、彼はきっと潰されていたでしょう。多くの人々はバッハやモーツァルトに比べてハイドンを軽く見ます。その音楽においても、生き方においても。確かに彼はその長い人生を通して、適度に革新的ではありましたが、決して前衛的ではありませんでした。しかし、心をこめて、注意深く聞けば、近代的自我への秘められた憧憬をそこに読み取ることができます。それは矛盾を含んだ遠いこだまとして、ハイドンの音楽の中に黙々と脈打っているのです。例えば、この和音をお聞きください。ほらね、静かではありますが、少年のような柔軟な好奇心に満ちた、そして,求心的かつ執拗な精神がそこにはあります。」「こういう言い方は冷たく響くかもしれないけれど、今のところ佐伯さんに関して、君にできることは何もない。君はこれから一人で山の中に入って、君自身のことをするんだ。君にとっても、ちょうどそういう時期が来ている。」「僕自身のこと?」「耳を澄ませればいいんだ、田村カフカ君。耳を澄ませるんだ、蛤のように注意深く。」「そうだ。相互メタファー。つまり、迷宮というものの原理は君自身の内側にある。そしてそれは君の外側にある迷宮と呼応している。君の外にあるものは、君の内にあるものの投影であり、君の内にあるものは、君の外にあるものの投影だ。だからしばしば君は、君の外にある迷宮に足を踏み入れることによって、君自身のうちにセットされた迷宮に足を踏み入れることになる。それは多くの場合とても危険なことだ。」「そう。ヘンゼルとグレーテルみたいに。森は罠を仕掛けている。君がどれだけ用心して工夫しても、目ざとい鳥たちがやってきて目印のパンくずを食べてしまう。」「だからさ、おじさんも字が読めねえってのはきっと不便だろうけど、つらいこともあるだろうけど、それがすべてじゃないんだ。たとて字が読めなくたって、おじさんにはおじさんにしかできないことがある。そっちの方を見なくちゃいけない。たとえばほら、おじさんは石とだって話ができるじゃないか。それは、たぶんナカタさんにしかできねえことだ。どれだけいっぱい本を読んでも、普通の人は石や猫とは話せないものなんだ」「俺は字は読めるけど、本なんてさっぱり読みやしない。世の中ってうまくいかねえもんだよな。」
海辺のカフカ (下) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553