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国境の南、太陽の西
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国境の南、太陽の西の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.22pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全187件 121~140 7/10ページ
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瑞々しい文章を書かれる作家さんと聞いて、店頭で何気なく購入してみました。 その際ページをパラパラと捲って中身を軽く覗いてみたのですが、一行あたりの文章量が多く、「読むのに疲れそうだな」と思いました。 ですが、読了後の感想としましては「買って良かった」の一言です。 購入前気になっていた文章ですが実際のところ、一文一文はさっぱりとしていて余計な付属品がなく、単純に読み進めているだけで面白味がありました。他の方の言うとおり、確かに登場人物たちの会話はどこか冷静すぎて、一つの問いかけに関してまるで一週間ほど家で考えてきたような印象を受けます。が、私としては逆にそこが良かったですね。 物語については……購入される前にあれこれ言ってしまうのはどうかと思うので、少しだけ。 少なくとも二十一歳男性の私でも共感、感心するものが随所にあり、決して年齢を選ぶような作品ではないと思えます。そのあたりで購入を検討されている方にはお勧めしたい作品です。 | ||||
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読んでみて、この本での一番の重要人物は有紀子の父なのではないか、という気がしました。そして、彼に教わった「自己増殖していくシステム」との「僕」の闘いが描かれているように思われます。その過程で「僕」は多くの人を傷つけてしまう。そういう風に、というより、そういう風にしか「僕」は生きていけない、という点が重要なのではないか、と思いました。 『国境の南』を聴きたくなりました。 | ||||
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春樹作品の中で、最も認めている作品のひとつです。いつもと同じように内向的で欠如を抱えた主人公が、これまで出会った重要な女性達(=初恋の人、初体験の人、妻)を愛したり傷つけたりしながら、大人になってしまった自分の社会生活や家庭と向き合っていくストーリです。 自分ひとりで煩悶し、妻に問いかけることが全くなかった主人公が、妻にそのことを指摘されてからのポジティブな感じが、他の春樹作品には余りない読み心地を生んでいます。 「少年が大人になること」をいつも書いている作者が、一人の男が「大人であろうとすること」に焦点を当てて書いたこの作品の持つ、「救いようの無さ」と「救いの感じ」の両面性が好きです。 | ||||
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桜庭一樹『私の男』(文藝春秋2007年)を読んでいて、本書の存在を 思い出した。 ずっと以前、出たばかりのときに読んだときは何だか当惑させられた。文 章そのものは、いつもの村上テイストだからどんどん読めるけど、セック ス描写がとても多くて、辟易してしまったのだ。セックスだけが持つある 種の力が、小説の主題なのだから、描写が多いのは当然なのですが。 今回、『私の男』と並べて読んで、小説のつくりとテーマが、初読のとき より遥かによくわかった。『私の男』は、同じ一つの部屋で、ひたすら深 く濃い関係を持つ設定で、性の深さをさぐっていく小説である(時系列を ひっくり返すなどの仕掛けはあります)。それに対し、こちら『国境の南、 太陽の西』は、主人公の僕と島本さんの関係は、決して縦に深まっていく わけではない。むしろ、セックスを軸に主人公のいる場所は横にどんどん 動いていく。最後の最後に、深く濃いところへ入っていこうとするのだけ れど、それはほとんど死と隣り合うような場所である。 こうまとめてしまうと、つまらない感じですが、実作はもちろんもっと余 白に満ちていて、もちろんこんな拙い要約からは漏れてしまう広がりを 持っています。 本書は、きっと作者の村上さんの実体験・実感が小説的に変奏されている のだと感じられました。この通りの経験が生のものとしてあったというの ではありません(小説家という人種はそんな風には素直でない。まして村 上春樹なのだから)。言いたいのは、100%想像力で書かれたファンタ ジーではなく、実感の裏打ちのある小説だという意味です。 だから素直な小説というのが、再読の感想です。1949年生まれの春樹 氏は、本書出版時で42歳。そのぐらいの年齢以上の人が読むと面白い小 説だと思います。 | ||||
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10年以上前に大学生だった僕は、世間の評判と同様、まったく面白さを感じることができなかった。 先日、再度読み返してみると、この作品の面白さ、すごさを感じることができた。 この主人公と全く境遇も異なるし、不倫なんてできっこないのではあるけれど、日々の生活の空虚感や島本さんの「吸引性」など、共感するところ多く、考えさせられた。 渋谷や青山の細かい描写も学生時代と比較して、今はよく知った土地・地域となっているのも過去読んだ時と異なり、現実味が出てきている。 過去、駄作と評し全く読み返していない方へ是非お勧めします。 | ||||
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私は、この「国境の南、太陽の西」が村上春樹作品の中で一番好きだ。10代の学生の頃によみ、20代、30代と思いだしたようにページを開く。10代の時には分からない主人公の心情が分かるようになってくる。 本書主人公「はじめ」は経営者として成功をし、妻子もあり幸せな部類に属す生活をしている。しかしある日突然、小学校の頃に好きだった女性が現れ、今ある全てを捨てる覚悟を一度する。どのようの転んでもおかしくない精神状態の中で主人公は人生の選択をしなければいけなくなった。結末は本書に譲るが、大切な局面での人生の綱渡りの在り方を考える。 この物語を読んでいると、なぜか自分の人生にあてはめて考えこむ。とても良い小説です。 | ||||
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20代の頃から(現在45才)作品を読んできましたが、この作品は若い時に読んでも、たぶん読めなったでしょう。 私は主人公の男性の感覚に共感する部分が非常に多く、島本さんに対する主人公の感情に移入してしまい切なくなりました。 人生も40才に近くなると、生活の安定と引き換えに背負うものも多くなり、時には辛く逃げ出したりなくなる瞬間があります。そんな時、自分について考え過去に関わりあった人を通じて自分を再確認したくなる瞬間があります。実行に移すかどうかは別として。そんな時、封印されていた記憶が抜け出してきて、今の自分を試します。過去の恋人やもっと早く出会うべきであった人と出会った時に。 そんな感覚を持ってしまった世代なら、この小説は特別なものとなるでしょう。 特に村上体質の人には。 けれど女性の立場として、島本さんは、男性の「妄想の対象としての理想の女性」という感が拭えませんが。そういう女性に魅かれる男性がまたいいんですけどね。 | ||||
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この本のテーマはノルウェイの森、ダンス・ダンス・ダンスに共通のものがある。成熟しきれない主人公は自分でそれに気付いているが、どうしたらいいのかはわからない。しかし最終的には自分の責任で自分の世界を創ることに希望を見い出していく。人生が物語のようなものと考えると、この繰り返されるテーマは作家自身が自分を癒すために書いたものなのだと解釈できる。人間は同じ話を何度もすることによって悩みや苦しみから開放されていくものだからだ。しかし、村上作品の良いところは、そうであっても決して「自分には同情しない」ことである。このクールに、しかし誠実に自分を見つめた結果、それは現代の我々と共通のもの、あるいは人間の普遍性を教えてくれるのだ。だから同じテーマを読んでも私はそこに常に新しい発見をする。村上作品が癒しになっているのはそういう理由なのだろう。 | ||||
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男というものは中年になっても、若い頃につきあった女性の事がいつまでも忘れられず、 今頃は不幸な人生を送ってるんじゃないかなどと勝手にクヨクヨ考えている生き物である。 本書はそんな中年男の妄想を実に見事に具現化していると思う。 普通の作家がこういう小説を書いたら、おそらく陳腐なメロドラマになってしまうのだろうが、村上氏お得意の解釈に悩むキーワードやフレーズが巧みに仕掛けられ、秀逸な芸術作品として仕上げられている。 途中で映画「カサブランカ」みたいで、ちょっと陳腐かなーと思っていたら、最後の方でピアニストが「カサブランカみてえだよ」といって、それ以来主人公の顔を見ると時々冗談で「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」を弾くところなどは結構笑えた。 | ||||
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相思相愛の初恋が 紆余曲折を経て ぎりぎりの妥協点で 実を結ぶお話です。 恋愛というのは さわやかであり もどかしくもあり 分別があり いやったらしくもあり 情熱的でもあり そういうのを総称して恋愛と呼ぶと思いますが そんな感情が極限にまで描写されています。 浮気と呼ばれるものの手本みたいな感じで やるんならここまで パーフェクトにやらないと 誰も許してはくれないでしょうね。 気持ちも行動も含め。 | ||||
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幾分不協和音的で、不思議な統一感を持ったこの小説の主題は、「夢を追いたい男、夢は嫌いな女」といったところだ。日本で屈指のストーリーテラーで、プロットの巧みさでは英米小説の優れた作家の域にある著者の隠れた傑作である。男は、少年時代の夢を大人になっても持ち続けている。女は、少女時代に見た同じ夢を現実に昇華しなければ、その夢は価値が無いと考えている。純粋な恋愛の葉っぱの裏側に浮き出ている葉脈を読み取らなければ、この小説を読みきったことにはならないだろう。エピローグは、ドラマチックな結末を期待する読者に肩透かしを喰らわせるかもしれないが、当然の帰結といってもよい幕引きだ。セックスと夢と死は連鎖しているが、男にとっては、sex-DREAM-deathだが、女にとってはSEX-(dream)-DEATHなのだ。恋愛を生きることに関して、女の方がずっと厳しい。女は、現実から逃れて夢を見続けるといった曖昧な糸の切れた凧みたいな感覚が大嫌いなのだ。一方、男の長く続く夢は、いつか壊れてしまうことを知りながら、眼が覚めるまで見続けたいと思うイマジネーションの産物。女のリアリズムに男のナイーヴな夢が敗北を喫するThe Same Old Story…。男が夢の破片を掃き掃除しなければならない惨めなステージだ。ニール・ヤングの“僕は夢見る男。あなたはただの夢だから、他の女に代わっても同じこと”という強がりはこの局面では通用しないのである。 | ||||
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この小説を読んでいたら「浮気」ってしても良いんではないか?というオイシイ感情が浮かんでしまう、何だかドラマチックに書かれているために勘違いしてしまう自分が恐い。 でもやはり人を好きになるって事は本能であって結婚とか浮気っていう概念は後着けで作られた物のため、タイミングが合わなかった凄く好きな人が急に目の前に現れたらやはりなるようになってしまう、というほうが自然な事のような気もする。そのへん複雑ですが読んでいてドキドキする作品でした。 「店には落ちつくべき次期と、変化する次期がある、それは人間と同じなのだ。」と主人公が言っておりましたが、この言葉が作中一番心に残りました。 | ||||
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村上作品では、 本格的で恋愛小説。 「ノルウェーの森」に次いで、 正面きって恋をテーマにしてます。 喪失感や他人との関係性の欠落といった村上作品のテーマは、 本作でもしっかり描かれていますが、 本作はしっかりと恋の始まりと終わりを描ききった点で、 シンプルな作品だと思います。 主人公はもてない男のはずなのだけど、 ストーリーの中では、 しっかり女性からもてていて、 村上作品に共通するお約束はしっかり生きています。 「ぼくは女にもてるって」いつか書いてもらいたいものです。 | ||||
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村上作品のすべてを読んでいる訳ではありません。 これまで読んだ中で、最も面白かったのはカフカで、何回も読みたくなるくらい理屈抜きで好きなのが、この作品。最高傑作との呼び声高い「ねじ鳥」は途中で挫折したので、偉そうなことは言えません。「ダンスダンスダンス」「世界の終りと〜」も途中挫折(笑)。独特のシュールな舞台設定についていけないようです。ですが、羊三部作、「ノルウェイの森」は中学時代に読み、カフカと「スプートニクの恋人」は30代になってから大変楽しんで読めました。ですから、もし「世界の終り〜」や「ねじ鳥」で「村上は合わない」と挫折された方も、この本から手に取られてはいかがでしょうか?島本さんという初恋の女性は、「もしかしたらこうなっていたかも」という過去への幻想を具現化した存在なんでしょうね。今はこういう人生を送っているけれども、本当は○○していたかも知れない、という幻想を絶ち切る=島本さんと決別し家庭に戻る、なのかな、と。それだけではないでしょうけれど、今の自分(30代)に一番呼応するのがそこの部分。私自身が、「もしかしたら〜になっていたかも知れない自分」という心地よい甘い幻想と決別出来るのはいつのことでしょうか? | ||||
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この小説のテーマは不倫ではなく、欠落感・喪失感・幻想性にあると思います。 とにかく共感するところがとても多かったですね。共感というよりも、まるで自分のことを言われているような感覚になった、と言ったほうが近いかもしれません。 やはりそれは、人間の誰しもが「欠落感」「喪失感」を抱えて生きているからだと思います。自分の中にあるその空虚を埋めようとし続ける作業が、人生だと言える部分もあるでしょう。 主人公のソレは、有紀子との理想的な結婚と仕事の成功で埋まったようにも見えました。しかし、かつて自分に全てを与えてくれた人(そういう感情を抱かしてくれた人)島本さんとの再会により、隠れていた空虚や喪失が動き出し、主人公は彼女の中に「本来あるべき自分」を見出していきます。そして日常は一気にひっくり返ります。 そういった「吸引性」は、人生のひとつの導きとも言えるかもしれません。 主人公はどうしようもなくそれを求めてしまう中で、決定的に人を(自分も)傷つけることを繰り返していきます。その部分を強烈に描いているところが、私の中では印象的でした。 これは、人間の持ちうる悲劇性の物語とも言えるかもしれません。 また最後の有紀子の言葉は、救いでもあるような気もします。 「あなたはまた私を傷つけるかもしれない。今度は私があなたを傷つけるかもしれない。何かを約束することなかんか誰にもできないのよ。でもとにかく、私はあなたのことが好きよ。それだけのことなの」(要約)本当に「それだけのこと」だけが確かなことなのかもしれません。 そして、幻想の消えた主人公が、新しい世界へ動き出しそこにあるものを掴むべく、その世界の重みを感じる姿が心に残りました。 | ||||
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幸せな日常を送る主人公の前に、かつて最も好きだった女性が現れる。 村上春樹お得意の喪失感が胸に迫る。 これ読むといつも泣く。 切ない本です。 | ||||
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ハジメくんの言う「吸引力」(抗いようの無い、また他人に説明する事の出来ない自身の性的欲求の事)のある人生と、無い人生のどちらが良いのかによって評価は異なる。 が、恐らく40才前ぐらいに過去の思い通じた事のある人物との邂逅により(人により大きさは異なるであろうが)「吸引力」を感じない人は少数派ではないだろうか? 出版された当時にはサラリとした印象で、すぐに薄れたが、歳を取って読み返しその評価ががらりと変わった。 「吸引力」を飼いならそうとする事がいわゆるオトナであり、その事に異論はないが、逆らえない、抗えない何かを感じる事もある種の醍醐味です。 「吸引力」を感じても相手にされない様では困るのし、「吸引力」はいつくるか分からない。「吸引力」を感じつつ、節度ある行動をとる事が出来るオトナでありたい、と感じました。 逆らえないから流れに任せてしまった、は小説としては必要かもしれませんが、現実にはちょっとね。 | ||||
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一人っ子であることに起因して、幼い頃から孤独感を抱き続けてきた「僕」がふとしたきっかけで昔好きだった女性に再会し、恋に落ちる物語。村上春樹の作品群のなかでは中編小説といったところで、たとえば「ねじまき鳥クロニクル」ほどの重厚さや完成度はないかもしれない。しかしそのぶん読みやすいともいえる。 「僕」が現実の日常のなかで追い求めてきた純粋性・絶対的な夢・憧憬、そういったものが不思議で魅力的な「島本さん」という一人の女性に象徴されている。主人公はイズミや有紀子といった現実の女性たちと生活をおくる一方で、対立する存在である島本さんに徐々に惹かれていく。国境の南があいまいなこちら側の世界を表しているのであれば、太陽の西とは死の象徴ともいうべき、たぶんの存在しないあちら側の世界を表しているといえるだろう。 最終的に主人公はこの世界に踏みとどまることになるのだが、結末はどこか謎めいている。 それにしても、島本さんは本当に存在したのだろうか。 | ||||
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村上春樹にセンチメンタルを求める人には一番お勧めかも知れない。 ある国の評論家は「文学のファーストフード」と貶したらしいが、マックもたまにはおいしいよ。って感じ。 キャラ小説と思って読んでみると、すごいなぁって思う。 | ||||
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主人公「僕」が恋した3人の女性との話だが、それが実におもしろかった。 小学校の恋話、大学生の恋話、そして結婚。 結婚後の絵に描いたような幸せな生活。再会した初恋の人への激しい想い。 一度は妻を捨て子供を捨て、すべてを捨てようとするが、消えてしまう女性。 そして時を経て今までの生活に戻っていくという、 至って普通の話だが、実に現代を的確に描いているなと共感する部分が多かった。 現代の人の心に潜んでいる、欠落感であるとか空虚感であるとか、 踊らされているという感覚であるとかが、よく描かれている。 言ってみれば明治時代の文豪、 夏目漱石の説いた「皮相上滑りの開花」の現代版が、 この『国境の南、太陽の西』の作品である。 | ||||
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