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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.24pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全212件 141~160 8/11ページ
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「海辺のカフカ」、「ねじまき鳥クロニクル」・・・というような最近の作品から読んできたためこの作品は私にとってショックなものでした。 「私」と「僕」が見事にクロスしていくさまや、引き込まれ、圧倒される村上氏の独特の世界観など上記の作品と同様完成度の非常に高い作品でした。 しかし、非常に個人的な見解としてはラストの終わり方だけはどうにも納得のいくものではありませんでした。ずいぶんと内向的なものだったように感じました。 このように言いましたがすばらしい作品にはかわりません。とても楽しめ、考えさせられる作品です。多くの人が読まれることを願います。 | ||||
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世界の終わりとハードボイルドワンダーランド。なんとも長ったらしいタイトルですが、村上春樹ファンにも彼の著作をまったく知らない人にもお勧めできる名作です。春樹さんらしい不思議な話で、一読しただけではすべてを把握することは困難だと思いますが、何度読んでも飽きないつくりになっています。この小説だけでも十分に楽しめますが、読後に村上春樹イエローページなどを読まれれば、この作品の持つ底知れなさに驚嘆させられること間違いなしと思います。彼は、多少の議論はありますが、現代日本文学の最高峰に位置づけられている大作家なのでもし興味をもたれた方はぜひ読むことをお勧めします。他に「ねじまき鳥クロニクル」や、「海辺のカフカ」という世界的に有名な小説もありますので、熱烈にお勧めします。もうノーベル賞受賞は決まったようなものなので、同じ日本人としてリアルタイムで彼の作品に触れることができて、本当に幸せに感じます。 | ||||
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何が何だか分からないままに事態に巻き込まれ、振り回されていく「私」の世界と 限りなく穏やかで淡々と過ぎていく「僕」の世界。 最初は全く関係なさそうな二つの世界が、物語が進むにつれて交差していく。 そして最後には。。。 最初から最後まで、息つく暇もないくらい圧倒的な迫力で物語が進み、 先の展開が読めないままにどんどん引き込まれていきます。 対照的な二つの世界が交互に語られるのですが、どちらの世界にも共通して、 なんとも言いようのない哀しさが漂っています。 それぞれの世界の最終章。 とても静かで、穏やかな、それでいて切ない余韻が残ります。 「私」は、そして、「僕」はこれからどうなっていくのだろう。 読み終わってしばらくは、どっぷり物語の世界に浸って現実に戻れないくらいです。 著者のメッセージは難解で、多分十分にはできていないと思うのですが、 それでもおもしろく、何度も読み返してみたくなります。 | ||||
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『世界の終わり』 と 『ハードボイルド・ワンダーランド』という一見何の関わりも無さそうな物語が交互に進行していく。 前半では、『ハードボイルド・・・』 の摩訶不思議な空想科学世界と軽快なテンポのストーリー展開が楽しめるのに対し、『世界の終わり』 は暗く、静かで、退屈であり、読むのが苦痛ですらあった。 ところが一転、後半では 『ハードボイルド・・・』 が最後の一点に向けて収束して行くのに対し、『世界の終わり』 は突如として動き始める。 凍えるような冬の夜の図書館で 「夢読み」 の謎が解き明かされる場面の何と幻想的なことか。 また、門番から逃げるシーンなどは、手に汗握るほどの緊迫感がある。 そして意外な結末に 「なぜ?」 という疑問が残る。 この割り切れなさ、後味の苦さがあとを引き、強く印象に残るのである。 今や 『世界の終わり』 は、私の最もお気に入りの物語となった。 | ||||
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2005年の夏、 フランスのルルドへ行く道中で、読みました。 衝撃を受けました。 面白い、面白い、面白い。 それまで、『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル(途中で挫折)』を読みましたが、友人たちほどには感銘を受けることなく、ただ単に自分には合わないのだと思っていました。 しかし、これは面白かった!! 1988年、20年も前に書かれていたことを知ったときは、 本当にびっくりしました。ぜひ一読してみてください!!!! | ||||
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『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』といった三部作後の長編小説。 私見では、現代小説としての、この作品の価値は、極めて高い。 「世界の終り」という深層世界、「ハードボイルドワンダーランド」という現実世界の、交錯した繋がりを描き出し、ここまで上手く創れている小説は、なかなかに稀有なものである。 外国文学を模倣しすぎだとか言われているが、批判するのは簡単で、寧ろどのような作家であっても、多かれ少なかれ、先人の影響を受けているものである。そういった必然的な影響の下に、このような、現代の東京を舞台にした、エンターテイメント的でもあり、純文学的でもある、独自のパラレルワールドを創造出来てしまうところに、村上春樹の偉大さを感じる。「書くことが無くなった」或いは「小説は終わった」と言われて久しい現代において、まだ書くことはある、書けることはある、という逞しい暗示的宣言を、本作より私は感ずる。 三部作からの飛躍が高く、繰り返し読んでみたい気にさせられる、想い返すと懐かしく哀しい作品。 | ||||
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<世界の終り>と<ハードボイルド・ワンダーランド> 二つの異なるストーリーが交互に描かれて織りなす物語。 この作品のテーマはちょっとありきたりな表現だけど、 「自分探し」もしくは「アイデンティティ」でしょうか。 特に<世界の終り>パートではそれが「影」という形で くっきりと表現されていると思います。 <ハードボイルド・ワンダーランド>の方でも、 意識に回路を埋め込まれるというのは、 「我思う、ゆえに我あり」に始まる近代的自我を 崩壊させることだといえるかもしれません 二つの物語は最後にリンクしていくわけですが、 それはメビウスの輪のようにどちらが表かわからない、 永遠に続くループのように感じました。 村上春樹は好きではないけれど、最後までちゃんと読みました。 力はある作品ですし、読んで損はない。 主人公が「ノルウェイ」や「羊」と少し違うので、 その点で肌にあったのかなと思います。 | ||||
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風景の綺麗な描写や主人公の哲学が読ませます。これといって特別なイベントは起きないんですけどなぜか読み進められるんですよね。不思議だ。上巻にひきつづき<僕>と<私>二つの視点から交互に物語が綴られるわけですけど、最終的にこの二人の物語が交差すると思い込んでいた僕はラストで少々肩透かしを食らいました。同じ手法なら海辺のカフカの方が良かったですね。今作はあまり交わらないので何故このような構成にしたのか理解に苦しみます。肝心の話も描写が細かいためかなかなか先に進まないので、人によっては苛々するかもしれません。('-,_ω-`)プッ ひょっとしたらこの小説における物語は別に無くても問題ないのかもしれません。ただ作者が自分が考えている哲学を披露したかっただけ?とも取れるような。('-,_ω-`)プッ | ||||
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交互に話が展開される《世界の終わり》パートと《ハードボイルドワンダーランド》パート。 両者は、一見まるで別の世界の話のようですが、だんだんと読み進めるうちに微妙にどこかがリンクしてきます。 おそらく下巻では、2つの世界がぴったりと重なるようにリンクすることになるでしょう。 一体、この小説がどのようなオチを迎えるになるのかっ! ぐいぐいと引き付けるストーリーは、この先どうなることかとワクワクさせられ、すいすいと読み進められます。 おもしろいっ!エクセレンッ! | ||||
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かなりの長編ですが、一度読み始めたら途中ではやめられないくらいひき込まれる作品です。 全く違う世界の二つの物語がどうこでどう交わるのか。村上作品の中では『海辺のカフカ』に近いものがあります。 大人向けの童話・・・とでも言いましょうか。こういう作品を書かせたら村上さんの右に出るものはいないと思います。 老科学者、一角獣、思考回路に隠された秘密・・・レビューを読んだだけでもうワクワクしてきませんか?!期待通りの内容でした!! | ||||
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2つの物語が展開していき最後につながっていくという異種な 小説です。ですから最初は読むのに戸惑うでしょうが、物語がつ ながっていくうちにだんだん引き込まれていきます。 確立された独特の世界観とSFっぽいストーリー。村上さんの 長編では一番印象が強いです。 | ||||
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さらりと入ってでてこれる、くねくねと気持ちの良い不思議の文体の国。著名なのと、装丁が目を引いたので読んでみた「ノルウェイの森」は、何が言いたいのかさっぱり分からないうっとうしい自己陶酔本にしか思えなかったが、これは面白かった。特に心に残るストーリー内容や人物描写といったものはないが、独特の文体を追っていく過程で、むにゅむにゅくねくねとした材質のストレス解消系トイをいじくっているのに似た、妙な快感が得られる。分量もちょうど良いくらいだし、ゆきとどいたテーマパークのような質の高い娯楽作品であると思う。子供時代に不思議世界を描いたファンタジー絵本が好きだったが、それは今更、かといって重厚な本格ファンタジーを紐解くほどでもないという方向けでは?ただ、「ねじまき鳥」の分厚さとタイトルの<第一部>を見せつけられてからは、げんなりしてしまい、以降村上作品は手にとっていない。いくらむにゅむにゅのオモチャが気持ちいいからといって、何時間もずっといじっていられるわけではない。 | ||||
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操り人形。今の自分がそれだ。 現実感で囲われた「ハードボイルドワンダーランド」。平板彫刻に例えれば、それは掘り進められた部分だ。光のもとで、しっかりとした影の調子をつくる。逆にそれがしっかりしているからこそ、幻想に包まれた「世界の終わり」は、薄らいだ平面から、そっと浮き上がってみえる。 生暖かい微風が漂う「世界の終わり」で、<僕>は最終的に意外な行動を取る。その意外な行動に、読者は困惑し、村上が載せたメッセージを探ろうとする。 物語で最後の驚きを創れる作家はたくさんいる。しかし、たいてい読者が感じるのは驚きだけだ。本を読み終えて一息ついた後に、物語について深く考えるような行動をとることはなかなかない。 作品を読み終えた読者は、気がつつけば、隠されたメッセージを捜そうと、主体的に行動をしている。こんなふうに読者を動かすことが出来るストーリーをつくれるのは、彼の魔力の一つだと思う。 あの<僕>の行動はなんなのか。どうして最後にそうしたのか。 必死にメッセージを探ろうとする自分は、この時点で村上の操り人形となっている。 巧妙な文章や、奇抜な構成も楽しめる良作。隠されたメッセージを探ろうと、もう一度読みたくなる素晴らしい作品。 | ||||
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「あたたかく親密に自足していながら、 何かが途方もなく狂っていて不吉な、負の桃源郷的小世界」 村上春樹の文学世界の核心にあるイメージを、 そんなふうに言い表すことができると思う。 『羊』の北海道の農場や、『ノルウェイ』の「阿美寮」、 『カフカ』の四国山中の村などは、その好例だろう。 この作品に限って言えば、 隔章形式で繰り返される「世界の終り」と 「ハードボイルド・ワンダーランド」のうち、 前者が丸々この根源的なイメージの絵解きに充てられている。 となれば、多くの読者によって最高傑作と見做されていることも、 ある意味当然と言えるかもしれない。 作者自身、「その時点での自分の力よりも、 二、三段高いところにハードルを設定して書いた」 という意味のことを、どこかで書いていたはずだ。 あえて言うなら、「世界の終り」のパートの結末近く、 図書館の女の子の「心」を見つけるために 手風琴を弾く場面の描写は、やや甘過ぎるように思う。 「ダニー・ボーイ」という曲に特別な思い入れでもない限り、 いささか白けた気分になってしまうのは、仕方のないところだろう。 最後に一つだけ。 最近気付いたのだが、この作品の着想の少なくとも一部分が、 手塚治虫の『ばるぼら』にインスパイアされていることは、 ほぼ確実だと思う。 文庫版なら下巻の後半あたりで、主人公の作家が、 「ばるぼら」という名の女と一緒に、 東京の地下をさまよい歩く羽目になり、 ようやく地上に脱出したかと思うと、 「センセ、あと○時間だね……」 と言われる場面があるのだが、 こう書いただけでも状況が酷似していることは、 すでに読まれた方はお分かりだろう。 興味を持たれた方は、チェックしてみることをお勧めする。 | ||||
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村上さんの本のなかで一番気に入っていて、何回読んでいるか分からないくらいだ。何回も読んでいるのにたまにふっと読んでしまうそんな魅力のある本だと思う。「ハードボイルド」編では計算士である「私」が架空の生物、やみくろがいる地下へ自分の秘密を知りに冒険する。真っ暗でやみくろが支配する地下での冒険はシリアスでとてもおもしろい。そして、壁に覆われて完璧な世界「世界の終わり」編に少しずつリンクし謎が明らかになっていき、最後に驚くべき結末が待っている。このラストシーン・・・大好きです。また、最後に残された時間が少ない中で図書館の胃拡張の女の子と食事をし、一緒に過ごすシーンも好きだ。あと、やはり主人公がかっこいいんだよね・・・しゃべり方とか、考え方とか女の子への接し方とか。ぜひ、もっとたくさんの人に読んで欲しい!! | ||||
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エレベータの中で左右のポケットの小銭を数える私。 うーん、冒頭から引き込まれる。 美しい情景の中で、引き剥がされた影を思い、図書館の女の子に恋をする。 この話は初期の三部作と繋がっている。影はすなわち鼠であって、その影に対しての僕の選択は極めて重要な意味と真実を持つ。 さて、その世界の中で僕は何を選択をするのか。歴史に残すべき傑作。 | ||||
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他の人はどのように思っているか分からないですけど、僕自身は「私」という感覚に対してとても不確定性を感じています。おそらく、その感覚は身体の外にあるのではなく、しかし意識の中にあるのでもないと思います。「私」を「私」として実感させられる物事というのはそういったものではなく、人との関係であると思います。 美味しいコーヒーを飲んで、気に入った服を着たり、または優れた本とか音楽とか映画に自己を没入させても、そこには活動をする自分という与件しか感じることはできない。僕たちの存在を肯定してくれるものは、他人との交歓ではないでしょうか。それは数少ない「友人」とか好きな異性とか「小さき者」との語らいだと思います。 村上の作品を多くは読んでいないので確かなことは言えませんが、彼の作品の主人公は独りである場合が多いように見受けられます。周りの人間に馴染むことができないという状況で物語が始まり、何かの出会いがあって話が進む。その間、主人公は分析的な独白を続けます。主人公には好きな異性も出てくるがそこにも内省がある。他人との関係に酔えないような、自己を絶え間なく対象化する透き通った(?)感覚のようなものがある。 その一方で、個人を道具として見なす管理社会化が進み、僕たちの意識はますます希薄になる。社会が人間を使役させるのは当然のことだとしても、その結果が希薄な現実感覚であるというのはあまりにも哀しいことだと思います。村上さんは現実態としての自分を受け入れろと言っているんじゃないでしょうか。 この作品は読むのが疲れますね。マンガの『MONSTER』にしてもそうですけど、途中で中だるみしている感が否めない。特に物語の中盤とか。そこにも何らかの意味があると思うし、そもそも文学というのは中だるみとかそういうものではないと思いますが、僕には退屈に感じられました。それ以外の部分は読ませる内容です。 | ||||
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著者の最高傑作だと思います。 稀有の物語る人、村上春樹。 小銭稼ぎのような本も何冊か出ていますが、彼をサポートしていると思うと分かっていて買ってしまいます。それもこれも、本書や初期三部作、短編の数々の素晴らしさのなせる業です。 2重構造の鮮やかさ。ハードボイルドワンダーランドと世界の終わりを別に読んでも楽しめます。 我々誰もが持っているであろう、現実と非現実、意識と無意識。こうした、人間の多重構造をも示唆しています。 そしてなにより、次はどうなるんだろうとわくわく楽しみながら読めます。 この作品でというのではないですが、ノーベル賞を取るかもしれませんね。 | ||||
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出だしから全く別の2つの物語が交互に進められていくのに多少違和感を感じて読み始めました。それでも、下巻に入るとその二つの物語の係わりが分かるようになり、段々と話に吸い込まれるようになり、最後の「世界の終わり」まであっと言う間に読み終えました。 「死」は誰にでも訪れることなのに、誰も「死」ということがどういうことなのか認識できていないでしょう。身体は消滅しても、心はどうなるのと言う疑問を多くの人が持ったことがあると思います。そんな疑問に対する確かでない答えの一つをここに見たように思います。意識の上で人間が死ぬということが、どのように訪れるのか。認識によって捉えられる世界の姿とは。永遠の生を受け、自分自身になれる不死の世界とは・・・。 一人の人間の今現に生きている世界と、その世界が終わってからの永遠の生の世界の認識の仕方がおもしろいです。 | ||||
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この本を読んだのはこれで3度目です。機会があってまた手に取ってみました。丹念に読んでいるつもりでも、読み始めるとスピードがついてしまう不思議な物語ですね。「本が好き」という方でも、『同じ本を2度手に取る』という機会は少ないのではないでしょうか?(実は私がそうなのですが・・・)確かこの本を初めて手に取ったのは学生の頃だったので足掛け10年になると思いますが、その間になぜかこの本は複数回「ああ、あれが読みたいな」と思わせられることがありました。とても不思議な感覚です。そんな気持ちになる本は私はあと2つしかありません。内容は「世界の終り」と「ハードボイルドワンダーランド」の重層構成になっていて、それぞれの物語が短編形式で“繰り返し登場”します。そこにリンクを読み取るも、2つの物語として読むも、それは読者の自由。好きに読んでいいのではないかと思います。とっても想像力をかきたてる物語(その割には淡々とした描きぶりで読者に押し付けるようなところがないのが好きです)で、私の中のイチオシです。 | ||||
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