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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.24pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全216件 81~100 5/11ページ
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1963年にノーベル生理学・医学賞をもらったエックルスは、1982年の論文で、現実の物理的世界(脳:膨大な神経細胞の精緻な装置)と心(意識)が、別々に存在すると言わざるを得ない、という実験事実に直面してしまい、「脳の二元論」仮説を、最晩年になって提唱しました(現在でも、すべての脳研究者が直面する問題です)。 「脳の二元論」仮説では、頭骨の中にあるのが、コンピュターをはるかに凌ぐ “超複雑な装置:システム” であり、頭骨の周りに、物理的実態のない靄(もや)のような “心(意識)” が漂っている、というイメージです。 私は、エックルスが提唱した「脳の二元論」仮説には与しませんが、村上春樹は、生理学者エックルスやシェリントンの唱える「脳の二元論」を文学的手法で表現しております。 「世界の終わり」が、実体を持つ、我々の物理世界、すなわち、脳のシステムとしての概要・全体機能を表現しているのに対して、「ハードボイルド・ワンダーランド」は、脳システムに対する、心(自我、意識)のポジションを文学的に表現しております。ふたつの並列する物語の中で、「世界の終わり」では<影>が、「ハードボイルド・ワンダーランド」では<私>という表現が “心の実体(核)” である、即ち、<影=私>、というようなフレームワークで物語が構成されております。 村上春樹の作品は、総じて、いわゆる小説というより、小説の名を借りた哲学書、あるいは、心理学書と言えるのかもしれません。確かに、読むと癖になる、麻薬のような性質があると思います。 | ||||
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世界の終り、そしてハードボイルドワンダーランド。2つの世界は、最終的には隔てていた壁をすり抜けて繋がるというか、共存するというか、僕にはそのように感じた。 なんとなく「主人公が作り出した虚像の世界」のような意味深な文章が世界の終りには読み取れた。ハードボイルドワンダーランドは、太った娘の存在がキーである。彼女と主人公のやりとりは、村上春樹らしい独特な言い回しの会話といった感じで、春樹氏のファンはそれだけで楽しめる。 それにしてもテーマがよく分からないのだ。春樹氏の長編小説は読後にどこか青春を思い出させる、美しい哀しみや切なさを思わせるのだが、今回僕の読後の感想は、あまりにも難解だ。と頭がどこか混乱したのだ。 きっとこの物語の本質を知るには、行間や意図から、想像し、さらに創造し、読み取らなければ、本当の答えは見つからないのだろう。 やれやれ。 | ||||
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村上さんお得意のルートが二つある物語です。 暴力的な世界と童話のような世界が同時進行していくお話です。 世界が交差するかしないかで話がうやむやになったのが心残りです。 村上作品は毎回この続きはどうなったのだろうと気になってしまいます。 自分はカフカとこの本をお勧めします。 ノルウェイの森はちょっと肌にあいませんでした。 | ||||
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村上春樹は現実的な世界を舞台にした小説といわゆる奇妙な人物が絡み現実がどこかでねじれたような 奇妙なファンタジーの作品の2つの流れがある 本作は2つの物語を平行に進めているということもあってか、この2つのイメージがほどほどのところで バランスがとれていて、しかも長くない(長編連作のようなクドさがない)ということで村上春樹を一冊読んでみよう 村上春樹はどれから読めばいいか、と悩んでいる人に自信をもってお薦めできる一作 どこか達観した主人公、洒落た(スカした)会話、癖のあるヒロイン 抽象的な世界観、奇妙な登場人物、日常が非日常へと緩やかに変化するミステリー的エギミック 前半の要素がアンチを生む要因にもなっていると言われますが、それでも支持が厚いのはそれらの要素がスパイスになって より後者の要素が際立って魅力的に描写されているからでしょう。 平坦な文章ゆえ読み手を選ばないというのも大きいのかも。 個人的にはデヴィット・リンチと近い要素があるんですよね。特徴が被るというか。 主人公像だけはけっこうかけ離れてる気もするけど・・・。なんにせよ入門編としてお薦めです | ||||
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しかしもう一度、私が私の人生をやり直せるとしても、私はやはり同じような人生を辿るだろうという気がした。何故ならそれが――その失いつづける人生が――私自身だからだ。 「世界の終り」で人々は、自分の「影」を死なせることにより、感情を消滅させ、喜びもないかわりに苦しみもない、穏やかな世界に暮らしている。そこには義務も寿命も時間もなく、存在することはとても楽だ。しかし、心はどこへ行くのだろう。心を失って生きることが、果たして生きることになるのだろうか。 村上春樹はあまり好きでないのですが、この作品だけは宝石箱のようにすばらしいと思います。どのページを開いても、その言葉や文章のひとつひとつに、啓示のようなものを感じます。主人公の男性はある理由から、自分の意識の中に閉じ込められることになりました。そこは「世界の終り」であり、心を捨てた人々が、苦しみも悲しみも争いもなく、穏やかに暮らしています。しかし彼は気付きます。人々が捨てた自我は、「獣(一角獣)」が引き受けていることを、そして彼らが人々の代わりに苦しみ、やがて自我の重みで死んでゆくということを。 生きることは心を持つこと。苦しみ、悲しみ、あるいは喜ぶこと。ユートピアなんてない、幸せにはなれないかもしれない、それでも心をもつことだけが、ただ唯一生きている証である。大学生のときにこの本に出会い、私は自分の心が救われるような気がしました。 一番好きな一節を冒頭に引用しました。確かに人生とは失うことのような気がします。それでも自分は自分にしかなれないと、村上春樹は言いますが、それは決して絶望するようなことではなく、逆に希望や安心なのだと思います。自分が自分であることが生きる価値であり、自分は自分以外にならなくて良いからです。 すべての感情は心の作用(あるいは脳の電気信号)なので、あまりに大きな苦しみ・悲しみに直面した際、いっそ心を捨ててしまえたらと思うかもしれません。しかし、心を捨ててしまえば、生きることも死ぬこともできなくなってしまいます。不条理な世の中で、辛いことのほうが多いくらいですが、それでも、心をもって生きて行かねばなりません。それが生きることの価値だから。人間にとって最も大切な真実が、この作品の中にあります。 | ||||
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正直言って私は村上春樹の作品は好きではない。ナルシスト気味な主人公に、やけに鼻につく比喩表現。抽象的でとらえどころがなく、現実離れした村上ワールドはどうしても好きになれない。 しかし、本作に限っては別である。前述の村上春樹らしさがありながらも、この小説は現代人に充てた力強いメッセージがちりばめられている。詩的な芸術と恋愛、ミステリー、そして反抗というあらゆる要素を併せ持つ小説を村上春樹は創りあげている。 私はこの小説のテーマは、大量消費社会に疑問と不満を持った文明社会への反抗ではないかと思う。その理由として、まず「世界の終り」が反物質主義的な理想郷で、その反対に「ハードボイルド・ワンダーランド」は物に囲まれた〈私〉の物語になっている。 物や情報が飽和しているかのように見えるこの世界で、同時に人の心も満たされているとはいえない。それは「ハードボイルド〜」の世界から読みとることができる。逆に「世界の終り」には豊かさを求める心がない。どっちが幸せなのだろうか。「世界の終り」の〈僕〉は影の誘いを断って街にとどまることを決断する。この選択こそ人間がどうあるべきかを示しているのではないか。物に支配されていた〈私〉は解放されて、自分が創りあげた世界にいる〈僕〉へと変わっていくのだ。消費社会を批判することをテーマに、自然への回帰、より物に支配されない生き方をするべきだと言っているのではないだろうか。 独特の世界観に合う、合わないはあるだろうし、ご都合主義な点も多々あるが、真剣に本書の痛烈なメッセージと向き合ってみる価値はある。 | ||||
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心のない世界である「世界の終わり」は、 対照的に心を持つ我々の住む「現実」世界の尊さを教えてくれる。 勝つ歓び、負ける悔しさ、至福、そして絶望といった心の変化はまさに世界をバラエティに富ます。 心がなければ機械のように単調な作業が毎日同じように繰り返されるばかりだ。 「世界の終わり」にはこのような欠陥があるのだが、 本作品はそのことを問題点として提起しつつも、 全面的にそれを否定することはなく、 むしろ心のある現実世界との共通点が導き出される。 そこに本作品の意義深さの一つがある。 | ||||
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「世界の終わり」の住人たちのほとんどは、自分自身の影を持っておらず、また心も持たない。 一方、「世界の終わり」に住みだした「僕」は、そこに住む代償として自身の影を切り離されたものの、完全に影も心も失ったわけではない。 このことは、「影」が心そのものではなく、心の投影であることを示唆している。 実際、図書館で「僕」の夢読みを手伝う女の子は、自身の影を失っているにもかかわらず、心を取り戻す可能性を感じさせる。 それは心そのものを失っていないからにほかならない。 | ||||
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完全な世界は存在するはずがない、だがその完全な世界であっても影をとどめておくことはできず逃がしてしまう。それはさながら世界のほうから影を逃がしてやるかのようだ。この小説が素晴らしいのは、二つの物語が展開すると同時に、その二つをつなぐもう一つの物語、影の物語をも浮かび上がらせているということ。伏線が展開されずに残っているように見えるのはそのためか。様々な主題を詰め込んでごちゃ混ぜにした、コラージュとして読むこともできるだろう、だがごちゃ混ぜにしてはずいぶん整理が行き届いている。この小説が書かれたことをぼくたちがどう受け止めるべきか、そうしたことを本気で考えてしまう……そんな渋みのある作品かもしれない。それは通常の意味での渋みとは違っていて、それまで読み手の中でぶれてしまった世界に揺さぶりをかけ、読み手にとっての「完全な世界」に留まることを要求するものなのだ。こんなにハードボイルドな本はそれまであり得なかったろう。 | ||||
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二つの世界がを表現しながら、主人公は誠実に課題に挑戦していく。村上春樹の作品の登場人物は誠実なのがいい。 | ||||
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二つの世界を見事にひとつに重ねた結末には唸りました。安部公房の「壁」を思い出しました。 | ||||
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書き出しから結末まで、すべての筋書を頭に描いてから文字にしたんだろうと感じさせる一本通った内容が気持ちよく面白い。 へそ曲がりで、流行の作家を読まない私だが(この本は人の推薦)、成る程これなら・・・と思わせられる一冊(上下だから2冊か)だった。 | ||||
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二つの交錯するストーリー、そして最後にそれらが結合していくエンディング。圧巻でした。とても印象深い。世の中には、余命が分かってしまった人が気を取り直した後に「どうやって残りの日々を楽しく過ごそう?」と知恵を絞ったり、視力が尽きてしまう人が「何を見ておくべきだろう?」と熟慮する映画があって、そんな作品を見た後には「もし俺(私)だったら何を?」としみじみと考え込むことってありますよね。何が大切なのかを考えたり、そういう状況に自分は立ち向かえるか勇気を問い直したり。そんな重厚感のある読後感です。作りはSFチックですが、文学だから構いません。村上氏の才能に酔いしれてください。 | ||||
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村上春樹の小説は「ノルウェイの森」「スプートニクの恋人」「海辺のカフカ」などを読んだが、その中ではダントツに好きな作品。 村上春樹小説の特徴である「ニヒリズム、オシャレ感、性的描写」がこれほど上手くはまり込んだ作品を、僕は他に知らない。 他作品では、普通の学生が主人公なのに、嫌にニヒルで偏屈なため、感情移入しにくかったりするが、本作の主人公は特殊な職業に就く特殊な人物なので、そこに嫌らしさがなく、音楽、料理のオシャレ感や、性的な描写も、非日常に翻弄される主人公(及び読者)に、ホッとする日常を感じさせる、箸休めのような存在となっている。 村上春樹の「ニヒリズム、オシャレ感、性的描写が苦手」と毛嫌いしている人でも、この小説は好きになってもらえるのではないかと思う。 SFとファンタジーが織り成す、独特の世界観。 設定の面白さと、それを肉付けするディテールの作り込み。 アクの強い登場人物たちの魅力と役割設定。 物語が収束していくカタルシス。 適度に謎と余韻を残す、もう一度読みたくなる読後感。 全てが素晴らしく、非常に考え込まれた完成度の高い作品。 とにかくオススメ。ノルウェイの森などの上記3作にハマれなかった人にもオススメしたい。 | ||||
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圧倒的な質量を感じる小説です。 実は、この作品は何度か読み始めて途中で挫けてしまったことがあります。 村上氏の長編小説はこの作品から二つの物語が交錯するスタイルが出てきたんですね。 村上氏の小説を読むのが今では何よりの楽しみなのですが、まだ十分に慣れていない頃、受け入れづらかったんだろうなと思っています。 『海辺のカフカ』『1Q84』を先に読んでから再びここに戻ってくると今度はもうどうしようもないほど興奮させられました。 こういう場合もあるかもしれません。 ビートルズの曲に『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』というのがありますが、ポール・マッカートニーとジョン・レノンが作った別々の曲をつなぎ合せています。 同じく『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』はジョンの曲ですが、別々のレコーディング・テイクをつないでいます。 この小説を読みながら、こういった2つをつなぎ合せた曲を連想しました。 村上春樹さんの小説はいろんなことを想像させられます。 | ||||
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村上春樹は初でしたが世界観を彩る文章力は流石です。ハードボイルドワンダーランドと世界の終わりがくっつきそうで完全にはくっつかない。どちらが先か疑問が出て来るのも面白い。世界観自体はしっかりしており文章のうまさを実感。代表作と言われていても不思議はない。 ただ好き嫌いは別れそう。正直、1行の事を5.6行にこねくり回されたり、中盤から後半にかけての世界観の構成には役に立つにしても展開といては無駄のある文章はこの世界にどこまで感情移入出来るかが勝負。 正解、不正解の線引きがしっかりしたのを読みたい人には向いていない。 | ||||
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村上作品の中でもかなり上位に位置する作品です もっと読んでいたい気持ちになる一冊です。 | ||||
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あらゆる物事に断固とした因果関係や意味を求める方にはおそらく向いていませんが、それ以外の方なら面白く読めるのではないでしょうか。 相変わらず村上春樹独特の言い回しが溢れています。 そして彼の作品には珍しく、若干SFや幻想といった要素がありますが、それも良いアクセントとなっているようです。 | ||||
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村上春樹の中で一番好きな本。自分にとって文学作品の中で最も示唆に富んでいる本かもしれない。 2つの世界が章立てで交互に展開していき、最後に収斂する構成とそれをストーリーとしても両立させていく手腕は見事と言うほかはない。 とっつき難さはあると思いますが、村上春樹好きのヒトには手にとって欲しい作品です。 これからも折に触れ読み返してみたいです。 | ||||
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いろいろレビュー読んでて、やっぱり村上春樹さんの本は無理だ、っていう人は全ての物事をいちいち考えすぎているのだと思います。 やみくろって一体何なの?記号士と計算士の争いはなぜ起こっているの?結局何が言いたいの? なんでサンドウィッチなんかつくるの?なんでパスタなんか茹でるの?なんでそんなに女が寄ってくるの? みたいに。 そんなこといちいち考えてしまう人はきっとこの人の本は受けつけないのかな、と思います。 洗練された文章、構成が織りなす不思議な世界、雰囲気にただ身をあずける。 それが自然にできるか、できないか。 それによって評価が変わってくるのだと思います。 | ||||
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