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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.24pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全216件 21~40 2/11ページ
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全てが不可解だった上巻から、一気に謎が回収されていく下巻。疲れました。途中、こちらの脳までおかしくなるかと思った。人の脳に入り込んで破壊する力がある作品です。これが37年前、村上さん30代の作品ということを考えると、やはりすごい。ものすごい。でも、個人的に好きな物語ではありませんでした。結末も?でした。そして村上作品は性的描写が多い。本作も例外ではなく、途中、しつこい!と叫びたくなりました。女性ファンも多いと思うのですが、こういう描写が好きなのだろうかと謎です。才能は認めますが、やはり村上ファンにはなれない私でした。 | ||||
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私は村上春樹さんの大ファンでオタクともいうべき存在なのですが、この【世界の終わりとハードボイルドワンダーランド】は私の村上春樹コレクションの中でもナンバーワン作品です。 もちろん他の作品も甲乙付け難い素晴らしい小説たちなのですが、こちらはちょっと別格で最高傑作と思われます。 何度読み返しても内容が深過ぎる。 この作品の本当の意味みたいなものを理解して読んでいる読者がいったいどれだけいるのだろうか。 物語としてストーリーを楽しむ程度に軽くも読めるし、ひとつひとつのシーンとセリフがとことん深くも読み解くことができる。宇宙の成り立ちのような壮大な背景も見えてきてしまう。 やっぱり村上春樹さんは天才であり、地球の宝です。 私は村上春樹さんの小説を読むためにこの時代に生まれてきたと言っても過言ではありません。 これからもぜひ健康で長生きをしてたくさんの文章を世の中に残して欲しいです。 私は毎日、村上春樹さんの文章を読むことで日々の幸せと人生の豊かさを感じております。 村上春樹さんへのラブレターのようになってしまいましたが、こちらの作品は本当におすすめです♪ もしあなたの人生にこの小説を読む時間が残されているのであれば、是非とも読んでいただきたい作品です。 私はよく考えるのですが、もし村上春樹さんの小説を知らずに今生の人生を終えるとしたならば、それはそれはもったいないというか、味気ないだろうなと思ってしまいます。 知らなきゃ知らないで幸せなんだろうけど、村上春樹さんの小説の面白さを知ってしまうともう元には戻れません。 村上春樹さんをまだ知らない若い世代の方にもおススメです♪ ぜひともご一読ください♪ | ||||
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異なる世界を交互に描写していく形式で進んでいく。完全な世界とされる壁に囲まれた街の立ち位置・世界観・最終的な成り立ちの経緯を自分の中で理解することに時間が掛かるが、その過程を楽しめるし、何回か読んでみてもその都度解釈が変わる様な深みを持った表現がなされている。一方、現実社会に生きる僕も、描かれているキャラクターは孤独な印象を与えつつ不自由のない生活を送っていたが、様々な外的要因によって実質的には非常に短い期間の中でとんでもないトラブルに見舞われて、急激に内面が変化していく様子が楽しめる。作者特有の食事や睡眠、性の描写に、その時代らしさも加わって気付くと惹き込まれている作品だった。 | ||||
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久しぶりに読みました。最初に読んだのはずいぶん前。社会人になってすぐの頃。文庫本を持っていたのを息子が持って行ったので電子版を購入しました。村上ワールドは今でも素敵です。実はほぼストーリーを忘れていて、ホントに楽しめました。平行して進む2つの世界は何を意味するのか?そしてまさかの結末。ぜひ読んでみてください。 | ||||
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30年前に友人に貸してもらって読んでから自分でも文庫本を購入して何回か読んでいますが、今回Kindle版を購入しました。並行する二つの物語はどこに向かうのか?村上春樹の作品の中でも大好きな作品です。 | ||||
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主人公(私、僕)の感情に喜怒哀楽が欠落しているので、感情移入しにくく、謎の提示は少しあるものの、前半はまだ、読み進める原動力に乏しい。後半、主人公の特殊性と、プログラム解除のタイムリミットが迫ってくるので、緊迫感がでてきて、引き込まれていく。 計算士である主人公のシャフリングのパス・ドラマが、「世界の終わり」という名称である。 「世界の終り」の描写は無意識の世界らしい。すると、司書はアニマ、大佐は老賢人なのだろうか。門番は何だろうか。切り離された影の描写は、ゲド戦記の影を思い浮かべる。 | ||||
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人間の深層心理を描いた斬新な小説です。 瞬間冷凍された深層心理の核を、暗号に使うという斬新な設定に驚きます。 無意識の核である「世界の終わり」の夢読みの行動とは、暗号化のことなのだろうと思います。 「世界の終わり」に入り、影が完全に死ぬまでの間しか、夢読みの仕事はできません。計算士が短命なのもこのことからきているのでしょう。影が完全に死ぬということは、現実世界の本人が生命力を失い、現実世界でも死ぬのだと思います。 「世界の終わり」における、最終的な主人公の選択には驚きました。考え抜かれた選択だと思います。 最先端科学の犠牲になった1人の男の人生の終焉を描いた、秀逸な作品だと思います。 しかし、瞬間冷凍された深層心理の核とはいうものの、「世界の終わり」には普通の生活があります。全然、凍結されてはいません。これはどういうこと・・・? | ||||
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初期小説は好きでしたが、ねじまき鳥クロニクル以降あまり好きになれず、 ずっと読んでいたのがこの「世界の終わりと~」でした。 ずっとキンドル化を期待してましたが、去年の終わりにようやくキンドル化しました。 それとなぜか上下巻セットよりバラバラに買ったほうが少し安い謎。 もう、これ以上の傑作は生まれることはないだろうので、最高傑作、のキンドル化ですよ。 | ||||
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「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」は傑作だと思います。わたしは村上作品の熱心な読者ではありませんが、この小説は素晴らしいと思います。 様々なテーマが交錯し難解な物語ですが、中心を貫くのは「心」=音楽 主人公が、ダニー・ボーイの旋律をを思い出すと、 古い夢がいっせいに光を放つ。 このシーンはとても美しく感動的です。 | ||||
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新潮文庫の村上春樹作品、全部Kindle版で発売して欲しいです。 好きな作品沢山あるので。 よろしくお願いします。 | ||||
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※アマゾンで購入していません 以下は参考程度でお読みください 話は場当たり またも2世界が同時並行(?)で推移 作者の得意とする手法ですね これで小説が書けて賞まで取れるなら自分も何か書こうかなって思わせてくれる良書です 多分 続編も買うと思います | ||||
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十年ぶりの再読。人から言われるまで気付かなかったが、この小説には二つの全く同じ地図がある。一つは冒頭に付与されている「世界の終わり」の地図。もう一つは「ハードボイルワンダーランド」の主人公と太った女が歩いた軌跡を辿ると、壁に囲まれた全く同じ地図が出来上がる。これはなかなか気づかない。村上小説はあまりにも多くのメッセージが隠れていて、サラッと読み飛ばしてしまうと気づかない。しかし、同じ地図(二つの意識)が示すものの意味とはなんだろう?ここでも謎解きを開始することになる。それとは別に、主人公が最後に「自分が作った世界への責任」のために「世界の終わり」に踏みとどまることに、なんとも言えない深い共感を呼び起こす。 村上小説はどれも不思議な構造を持っている。変幻自在に読者を引きずって、結局終着点にはたどり着かず、もやもや感を与えて終わる。読み解きも解釈も読者自身に任せられるようになっている。「つまり、こういうことなのです」という明確な解釈を与えないという意味では、既存の文学小説とは別格な位置にある。 | ||||
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失う。諦める。モノとかヒトとかではなく、いやそれもあるかもしれないけど、なにかこう、理念というか精神性というか、そういったものを。 それで、やさぐれて世間を渡るわけでなく、周りと断絶してしまうわけでなく、多少頑固ではあるけれどさまざまな事物と適度な真面目さで付き合う。 文章だけ読んでいると村上さんの小説は海外のもののように読めるけれど、なんというか底に流れているのは東洋的なもののように感じる。全体と個とか、存在と無とか、表層とのその奥とかの捉え方なのかなあ。 20代で読んだ時に辛いものを感じたような記憶があって、今回もやはり辛さを感じたのだけど、どこか浄化されたような気持ちもある。それはどこか境地に至った感覚というのではなく、自己に責任を持った自己愛を理解したようなカンジ。 | ||||
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二つの物語が交互に語られていく。 短編集を読んだ後だったので、その進め方がちょっとかったるいなあという気もしたけど、村上作品にしては話が進むほうかな。 “ハードボイルド・ワンダーランド”でドキドキしながら場面を楽しみ、“世界の終わり”で過去の村上作品を思い出しながらいろいろと考える。 よい按配で二つの物語は進んでいるようだ。 下巻でどう結びつくのか、どう拡がっていくのか、楽しみ。 | ||||
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村上春樹をそれこそデビュー作あたりから最近の作品まで、全部でなくてもいいけどある程度の時代に渡って読んでみるとわかるが、やっぱりこの作品が最高傑作なんだと思う。 村上春樹独特の比喩表現や文体などのバランスがとにかく絶妙。過不足なく盛り込まれていて存分に楽しめる。 そして、この作品にはムラカミ文学のすべてがある。足りないものも余っているものもないぐらいちょうどいい。 逆に言うとこれが気に入らないならば、あなたは村上春樹とは無縁の人生を過ごす運命にあるのだと思う。他の作家さんの本を読みましょう。 | ||||
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本当に素晴らしい世界観なんだが、よくこの作者のレビューで目につく世界観がいい=雰囲気がいい(だけ)ではないからな 全ての作家全ての小説を読んだ訳ではないし、そんな事不可能なんだけど未だにマイナンバー1だわ 文学として素晴らしいとか、ノーベル賞にふさわしいとかは分からんけどもね 最後にどうしてもハルキストにこれだけは言わせてくれ スパゲティに意味を求めるな | ||||
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大好きで何度も読み返しています。文庫もボロボロになって2組目を買いました。 特に秋から冬へ向かうころ、無性に読みたくなるのですが、老眼で文庫本はメガネなしでは読めなくなりました。はやくKindle化してほしいです | ||||
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GOOD | ||||
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世界の終わりとハードボイルドワンダーランド 読書感想文(アマゾンレビューで沢山の☆を貰うための) この奇妙な取り合わせの題名の村上春樹の初期の小説は、題名と同じく奇妙な二重構造の物語です。 上巻の最初のページに挿入されている抽象画的な挿絵はこの物語の不思議さを具体化しているようです。 神話的な物語と実際的な場所に存在する物語は、人の持つ意識の表層と深層という二つの捉え方でその関連性を保ちつつ展開していきます。 上巻初めの挿絵の中の貝は人の心のカオスの部分の象徴であり、それを紐で縛って管理している人物が左側にいて、何かを懸命に読み解いている人が右側にいます。これは実際に人の心の中に実在する小宇宙なのかもしれません。 「ハードボイルドワンダーランド」の主人公は「私」で書かれ、世界の終わりの主人公は「僕」で書かれています。 まず物語の始まりは「私」が現実世界とは違う不思議なエレベータに乗るシーンからはじまりますが、その時点ですでに日常とは別の世界に足を踏み入れていて、この物語に村上春樹のどんな仕掛けが仕込まれているのかとワクワクしながら読み進んで行くことになります。 「ハードボイルドワンダーランド」は実際的な場所での描写で書かれていますが、「世界の終わり」の物語は非現実的な神話的な場所に置かれていて日常的な生活の描写はありません。読み進んで行くうちに二つの物語はリンクしていることに気づかされるのですが、それぞれの場所で同時進行的にクライマックスへと突き進んでいきます。 物語の流れとしては、それぞれの物語が深層的な部分での繋がりを感じさせながら進行し、それぞれの最終章で深く人の心に意味付けされた重厚な物語を提示しています。 読む方はその二つの物語がどのような形でリンクするのかを期待しながら読んでいるので、物語の中に深く引きずり込まれてしまうという事になります。 「僕」の物語は人の持つ深層の意識の中の世界で展開しています。その世界は心を無くした者だけで構成されている街が存在していて、心を手放した者達によって完結されいるとも言える構造であり、限定されている世界だという事になります。 その街には決められた秩序があり、そこに住む門番は新しく入ってきた人の影をナイフで剥ぎ取ります。剥ぎ取られた人はその街の図書館で一角獣の頭骨の中から夢を読み取るという行為をしながら自分の影との分離(決別)を待ちます。 最初の頃の「僕」は自我とされる影がまだしっかりと生きていますが「僕」は次第にその街に馴染んでいき、元通りの自分とは一体何なんだろうと自分がわからなってきます。しかし自分の影から心という存在の大切さを諭され、まともな人として生きていく事を決意し影と一緒にその世界から脱出することを選択します。 影と二人でその世界の出口までなんとかたどり着きますが、一転して「僕」のとった行動はその世界にとどまることです。 ハードボイルドワンダーランドの「私」は二つのシステム・博士・太った娘・図書館の女と、題名通りハードボイルドな展開の中でワンダーランド的な場所で冒険をします。この小説の表面的な面白さを担っている展開の部分でもあります。 科学的な仕組みで自分の頭脳が博士により操作されていて、最後は自分の意識が現実世界で終了(消滅)するという運命を知らされるまでの成り行をスリルとサスペンスをともなって書かれています。 残り少ない時間が過ぎていく中、「私」はその時間を自分の心の流れのままに任せた行動をとります。まるで自分の今までの人生を噛みしめながら確認しているようにも見て取れます。 いよいよという時間が訪れて自分のこれまでの人生を総括し一旦混濁の中に沈みますが、最後は自分を肯定したかのようにその回路を閉じ深い眠りに身をまかせます。 この「僕」と「私」のとった行動に人格としての共通する部分を感じてしまいした。 影の言う正しいロジックに反して最後は自分の心の流れの方を選択した「僕」。 最後に自分の心の存在を後悔するよりも受け入れることで静かに閉じた「私」。 その行動には規範的な教示からの束縛というものは取り除かれているように感じられます。 この二つのリンクされた物語から何かを汲み取ろうとすれば、人が所有するところのアイデンティティと心の流れは尊重されるべきものであり、固定化させるものではないという事ではないかと考えました。 この物語に出てくる主人公の最後の章を読んで頭の中に浮かんだのはカミュの異邦人という小説の中に出てくるムルソーのとった行動です。 ムルソーは自分の母親が死んだにもかかわらず恋人と戯れたりするのですが、その行為の中にキリスト教などの規範的教示(負の部分の)のようなものに思考を囲われてしまう危うさに警鐘を鳴らすことを埋め込んでいます。ムルソーの自発的な行動に意味を持たせているとも言えます。 それは人の心の自発的で自然な流れを尊重するという考えです。 カミュのそうした思想は戦争のもたらした不条理というものが根源としてあるのですが、村上春樹の場合は人との関わり合いにおいての不条理的なものからその考えが来てると思いました。 「僕」の最後の選択と「私」の穏やかな閉じ方。 その部分を書いた村上春樹の思いという部分に通底しているものは以下のようなものなのかも知れません。 ムルソーの行動を非人道的な行動と短絡的には決めつけることは出来ないという見方。 倫理・道徳という類の言葉が人の考えを固定化させることへの危険性。 ロジックがロジックの中でしか成立しないその回路の狭さ。 難しいことを難しく語れば語るほど説得力ということから遠のいていくこと。 村上春樹は物事の理解は経験則を伴わないとうまく受け止めることが出来ないと何かに書いていました。そのことから繋がった個人的な憶測ではあるのですが。 「私」の最終章で最後の時に近づいている場面で公正という言葉が何回も使われています。 しかしその中で使われている公正という言葉の意味する部分は具体的には書かれていません。公正という言葉を世の中の規範的なもの、あるいは正しさというものの抽象的な枠としての表現で使っているとも受け取れます。 そして解説・答え・導きなどの通過儀礼的な記述はないままにその枠は解決へと向かってるのです。 公正さを考えるという行為を一つのロジックとして扱っているようにも考えられます。 思考の道のりを省き、するりと抜けて「私」の頭の中の白いちりという形ができるという到着点に着地しています。 論拠が省かれた格好です。 ここの記述の後で太った娘との会話が出てきます。 この娘との会話の中で気持ちが変化した訳ではないという事ですが、この「私」の心の平穏をもたらしたものは何処から来たんだろうという問いが生まれてきます。 過去の出会った見ず知らずの人物にさえも祝福するという平穏さなのです。 最後に書かれた、「私はこれで失ったものを取り戻すことが出来るのだ、と思った。それは一時失われたにせよ、決して損なわれてはいないのだ」という主人公の言葉。 これは「私」は死というものを別の意味で捉えているという事なのか。 それとも「世界の終わり」という場所へとつながっていくのか、あるいは頭脳の再起動という装置が起動するのか。 はたまた「僕」の影が消えることと「私」の脳が停止することはリンクしているのか。 読む方が混沌としてきます。 読者はそのままページを閉じなければなりません。 不思議な感触だけが読後に残ります。 村上春樹の初期のころの作品。 いい材料と素晴らしい調理法で料理を差し出されますが、食する前に振りかける調味料はご自由にお選びくださいという事なのだと思います。 そしてその調味料の注意書きにはきっと「味覚はあなたの選択次第で激変する可能性があります」と書かれているのでしょう。 | ||||
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この本の読み方を発見しました。最初にざっとそのまま上下巻を読みます。感想としてはぼやけてよくわかりませんが、なんとなく薄っすらと内容を覚えているくらいです。次にもう一度読みますが今度はハードボイルドワンダーランドだけを読みます。それを全部読み終えたら世界の終わりを読みます。そしたる物語が繋がっているように読めますよ。大発見です。 | ||||
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