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青べか物語
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【この小説が収録されている参考書籍】
青べか物語の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.42pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全32件 21~32 2/2ページ
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山本周五郎といえば時代小説で人気がありますが、この本のように現代(といっても戦前ですが)を描いたものの方が私はよいと思う。 浦安の風景と人物が的確なデッサンのもとに「蒸気河岸の先生」の目を通して描かれ、幾編もの良質なオムニバス映画を見るようです。 かなり前に森繁久弥主演で映画になっていますが、DVDが出ていません。ぜひもう一度見てみたいものです。 | ||||
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研究者になるのを当然のこととしていた私が、病気をして会社を受けることになった。面接向けに山本周五郎をよむことを勧められた。なにせかたいものばっかし読んでいたから、傍目にもまずいと思ったのだろう。青べか物語は数ある周五郎の作品の中でも一押しである。修羅界へ方向転換を余儀なくされた、宗教的理想を強く持った若い私には、著者の芽が出る前の若い頃のことを思い共感することが多かった。全編にストリンドベリイの「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」ということばが通奏低音のように流れている。修羅界でこそ、と思わされた。 | ||||
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山本周五郎賞というのは「大衆小説」の賞ということになっている。しかしこれを読むと、この作品はまぎれもなく純文学なのである。浦安に一人住まいしていた山本が、「浦粕」というわざとらしい地名にして、そこで出会った人々について、短章をつらねて書いていく。「青べか」というのは、「先生」と呼ばれる山本が買い込んだ舟のことである。これをいくらか脚色して面白くしたのが、『季節のない街』であり、黒沢明の「どですかでん」の原作である。これについては、ちっと純文学すぎるよ山本先生、という気がする。 | ||||
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いまは大佛次郎『地霊』を読んでいる。書中にサーヴィンコフの名前を見出して、この小説を読みはじめたのだが、何十年もまえに読んだ『アゼーフ』よりも、その衝撃が強いのは、これはまたどうしたわけか? あのころはドストエフスキーの『悪霊』と『カラマーゾフの兄弟』、そして『蒼ざめた馬』を書いたロープシン、ことサーヴィンコフの『テロリスト群像』の存在が大きかった。アリョーシャ、あるいはカリャーエフのように振舞えたなら、あたしはあのころおのれを赦すことができたろうに、と。ともあれ、やがてアリョーシャが革命家となる物語を、ドストエフスキーが完成させていたならそれは、読むのがこわいような書物となったことだろう、に。 《別の場所に一人ずついる五人であった。これが共通した一つのことだけを心の全幅を傾けて追及している。最早熱情とは謂い得ず冷たく結晶したように見える意志であった。》大佛次郎『詩人』 ついでに『乞食大将』まで読みだしてしまった。筆運びが闊達で、これがすこぶる面白い。この作者の本領はむしろこうした時代小説にあるのではないか、とまで思われてくる。しかし、『パリ燃ゆ』をまだ読んでいないので、何とも言えない。 《 苦しむのも病むのも人間が生きておる証拠だ。根性さえ強ければ、そいつを突き抜けて見せられよう。幾たび躓(つまず)こうが転げようが、天日に向かって俺れは生きていると、胸板を叩いて叫び返す男が、又兵衛基次なのだ。一日の合戦に、数本の槍を突き折ったこともある基次であった。》大佛次郎『乞食大将』 それから『霧笛』も面白い。冗談じゃない、横浜の兄(あに)いのことも充分自由闊達に描くのだ、この作者は。 《二人は谷戸坂(やとざか)を登り始めた。遠く船の霧笛の声が崖(がけ)の暗い、空の高い深夜の静寂の中に聞えた。尾を港の空に長くひいて、淋しい音であった。》 大佛次郎『霧笛』 いや、気がつけば『ドレフュス事件』まで読んでいた。 《――猶太人への蔑視は、欧羅巴人が十数世紀を批評の外に置いて来た心のくら闇の部分なのである。》 大佛次郎『ドレフュス事件』 その大佛次郎は実は『帰郷』も読んでいた。まだ四つだったのに戦争を挟んで生別れした娘と、十八年ぶりに主人公が再会するくだりで、何としたことか、泣けてしまった、このあたしが。涙など、夢の中ではじめて流してすこし楽になったのは苦しみのあれは何年後のことであったか? 「いや、おまえは酒を呑むとよく泣いたんよ」と、瓢太郎がおればまぜっかえすだろうが、そのあのひとももういない。 《……それから、この世に生きているということはな、他の人間との関係の、つじつまを合して行くことではなくて、どこまでも自分との勝負だけだ。……》 大佛次郎『帰郷』 cf.緩詰(ゆるづめ)修二『最悪の戦場 独立小隊奮戦す』光人社NF文庫 飢餓と悪疫の「靖国街道」を幽鬼のごとく痩せ衰えて生還した兵隊が三人。と、眼前二十メートルを副官を従えて颯爽と歩みくるのは、忘れもしないインパール作戦を強行した軍司令官だ。路傍に立ち尽くす三人の兵隊。真ん中の兵隊がくるりと背を向け、自決用に隠しもった最後の手榴弾の安全ピンを抜く。振り向きざま、すでに八メートルの距離に迫った軍司令官の足許にそれを投げつける。轟音、爆風とともに空中に四散する軍司令官と副官。磨きたてられた長靴一足だけが路上に落ちて立っていた。盧溝橋事件の立役者(当時、連隊長)牟田口の最期としては似つかわしい、たとえ白日夢にすぎぬにせよ。 いまは山本周五郎の『青べか物語』を読んでいる。これは何十年か昔、結婚まえの彼が「おもしろいよ」と言った本だ。それをいまはじめて読んでいる。なるほどすこぶる面白い。《やはり確かな目をしている》 あたしが、ではない、彼が、である。その確かな目をしている彼がえらんだ女があたしなのだから、《あたしもどこか、おもしろいのだろう》、ふとそんなことを思いながら読むのである。ふりかえれば、知らずに〈青べか〉を地(ぢ)でいっていたところが多々あるのであった。 幼くして甲州初狩から上京していらい異郷にあった周五郎は都落ちして、方角は真逆だが東のここ、浦安に東京人としてある。海のある浦安で異郷人周五郎は二重に疎外されつつ、第二の故郷を見出す。情景描写は的確だし、土地言葉が躍動する。食うにこと欠くおのれ以上に貧しい人びとに背をどやしつけられる日々、《人間まずしいのはあたりまえだ》。「芦の中の一夜」などいいなぁ、わが〈青べか〉号のボンネットに腰をあずけて、木挽き橋で一服しながら、あたしはふとつぶやく。これは『柳橋物語』も読まずばなるまい。まだ若い母に連れられて柳橋の銭湯にかよい、はだかの芸者の姐さんたちに女湯でちやほやされたのはあたしが五歳くらいのことだった。そんなこともついつい思い出しながら読むのである。 海音寺潮五郎の『剣と笛』なども実におもしろい。しかし面白いだけでよいのか。こういうおもしろみは深沢七郎の文章にもある。けれども「天皇の首がコロコロ」とは、山本周五郎や海音寺潮五郎や大佛次郎には書かけまい、そんなこともつい思いながら読むのである。cf. 愛洲昶『海の風と雲と』 | ||||
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今回の読書会のテーマ本は山本周五郎氏の「青べか物語」である。担当は私だが、この「青べか物語」を読んだことがあるわけではない。この本を選択した理由は山本周五郎氏の他の本が気に入っていたからで、「きっと青べか物語も面白いに違いない」と思ったからだ。 私が山本周五郎氏の本を最初に読んだのは大学生の頃で、友達の本棚に「ながい坂」が置いてあった。この本の要旨は「見知らぬ世界に想いを馳せ」と言うブログに、以下のように適切にまとめられていたので参考にしてほしい。「下級武士の家に生まれた阿部小三郎は、いつも使っていた小さな橋が権力者の都合で取り壊されるという出来事を屈辱に感じ、勉学や武芸に励み平侍の子どもはなかなか入れない一級の藩校で学ぶ。その後藩主飛騨守昌治(ひだのかみまさはる)に信頼されるようになり、元服して主水正(もんどのしょう)と改名し大火事や孤児対策で手腕を発揮し異例の出世を遂げることになる。その後、昌治が計画した大堰堤工事の責任者に命じられ、工事を進めるが藩主継承争いや藩内の利害関係の中で工事は妨害され、主水正は命をも狙われる。様々な困難、そして孤独に耐えながら主水正は人生を歩んでゆく。」 私はこの「ながい坂」がとても気に入り、その後山本周五郎氏の代表作でもある「樅の木は残った」「さぶ」「赤ひげ診療譚」などを読み「山本周五郎と言う作家は、何と誠実な作家なのだろうか」と感嘆し、さらに「赤ひげ診療譚」にでて来る庶民の生活の描写のうまさにうなったが、なぜか「青べか物語」は読んでいなかった。 青べかとは青く塗られた一人乗りの平底舟で、これを使用して現在の江戸川下流域にある浦安一帯の漁師が貝や海苔取りに使った舟のことを言う。山本周五郎氏は昭和3年前後の数年間、この浦安で生活しておりその時見聞した経験を元に、1960年にこの「青べか物語」を上梓した。(妙見島付近) 「青べか物語」は実に興味深い本だ。当時(昭和の初期)の庶民生活が手に取るように分かると言う意味で刺激的だ。特に私のように戦後の教育を受けてきたものにとっては、戦前は全否定の世界で、特高警察が常に思想弾圧を行っており市民は逼塞してものも言えず、暗く何ともやりきれない世界と説明されてきた。 しかしよく考えてみると思想弾圧などと言うかなり高等な営為は、そもそも思想なるものを持っているインテリ階層が対象で、小学校を出るかでないかがほとんどの庶民にとっては、当初から対象外だ。数少ないインテリ世界と圧倒的多数の庶民生活はほとんど切り離されており、庶民には庶民の生活があった。 そこでは東京あたりからやってくる裕福な釣り客をどうだまくらかして金をせしめるかとか、男女の性道徳なんぞはまったくないところで自由な性生活を互いに楽しむとか、男女差がなく生活力が上のものが優位に立ち男女が平等に競争しているとか、何とも騒がしくほほえましい世界が広がっている。 この舞台になった浦安は今では日本有数の住宅地だが、当時は辺鄙な漁村で交通の便はもっぱら蒸気船だったのだから、ほとんど陸の孤島と言ってもいいような場所だった。 私はこの浦安一帯がとても好きで、よく江戸川沿いをJOGするのだが、当時有った「沖の百万坪」と言われた広大な荒地は埋め立てられ今はディズニーランドがそびえている。また東の海も埋め立てられ、とても品のいい住宅地になっているが、かつてはここで浦安の漁師が貝や海苔採取をしていた場所だ。 (沖の百万坪は今では東京ディズニーランドになっている) この本の題名になっている「青べか」はここの芳爺さんにだまされて購入させられた「青いペンキの塗られたぶっくれ舟(たちの悪い舟)」で土地のものからは軽蔑されていた舟だが、先生と呼ばれていた作者はこの舟を強引に売りつけられる。 先生は当初この舟に見向きもしなかったが、子供たちがこの舟に石を投げつけて壊すのを見て、愛着の情が起こり、なんとかこの「ぶっくれ舟」を操作する方法を覚えて、江戸川の河口で釣りをして遊ぶことができるようになった。 この小説は全体で33章からなり、それぞれが独立したエピソードになっている。その始めの章に「青べかを買った話」があって、この小説の導入部になっている。 この「青べか物語」は小説と言ってよいかかなり迷うところだ。ルポと言っても間違いではなく山本周五郎氏はこの浦安の庶民生活を帳面に詳細に残しており、明らかに将来小説の素材にしようとしていたことが分かる。 33の章ので出来具合は、サマーセット・モームの短編集のように完成度の高いものと、そうでないもののごった煮だ。しかし読み始めるとやめられないのは昭和初期の日本と言うものの庶民生活が分かるからで、庶民と言うものがかなりおおらかで、かつ食わせ物であることを知ることができる。 | ||||
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周五郎20歳代半ば、浦安在住時代の体験に関わる作品とのことだが、そんなことはどうでもよい。 本書が面白いのは、その“語り(ナラティブ)”である。読んでいて語りを意識させる周五郎作品は珍しく、読ませるお話の巧みさとは別に、先鋭な方法意識を持った現代作家・周五郎の実力のほどを垣間見させる。そのさり気なさがすごいのである。 平野謙のプロにしては朴訥・不器用な解説でもその経緯に触れている。 ほかの現代作品『季節のない街』などと同様に、いくつかのエピソードによる連作形式であるが、本作には“大団円”が待っている。それはアンチ大団円であり、ほとんどカフカ的??? 畏るべし山本周五郎!!! ただの人情作家ではない。人情も泣かせるけれど・・・。 | ||||
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ディズニーランドがあり高級住宅街のある浦安のイメージから程遠い浦安(本書では浦糟)がここにあります。本書でもかかれていますがこの本は著者が6年間過ごした当時の浦安のノンフィクションで実に方言なども忠実に書かれています。そこに住む人々の狡猾でありながら純粋な人間性が非常になごましく、読みながらついつい笑ってしまう場面も多かったです。疲れたときに読むと何となく元気が出る本でした。 | ||||
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周五郎翁の作品はどれも秀逸なのだけど、この作品は、「うらかす」の世界観がビビッドで、まるで西アフリカの秘境のような人間の精彩さがあって、旅好きの僕には、「行ってみたいなこんな街」と思わずにいられない場所なのです。自分自身が、べか船に乗っている姿を思い浮かべてみてしまいます。 | ||||
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浦安という名を耳にして、某遊園地の名以外に連想するものがある人 は希有ではなかろうか。浦安に行ったことのある人でも、街に足を踏み 入れたという人を探すのは一苦労だろう。しかし、まだ所々に漁村の風 情は残り、曲軒先生が住んでいて物語の下地となったであろう姿はない 訳ではない。物語に登場する場所を探すのも一興ではないだろうか。沖 の夢の城よりも確かな物がそこにはある筈だろう。 この書を読んで妙に鮒味噌が食べたいなどと思った人は、地下鉄東西 線で浦粕こと浦安に降りてみては如何だろうか。もしも都内より来るの であるならば、進行方向に向いて左側の扉の前に立ち、浦安に着く直前 の旧江戸川の橋梁を渡る時に浦安側の岸に注視してみるといい。 何が在るかは観てのお楽しみである。 | ||||
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この物語のモチーフ、浦安(作中では浦粕)は本当に不思議な町です。大規模なテーマパークを配し、全国から人が集まる顔。ただ、一歩でも街中を外れて歩くと、そこには古くからの漁師町のニオイが今でもなんとなく感じられます。ディズニーランドが出来る前の浦安をギリギリで知っている僕にとって、この作品は郷土資料集みたいなもの。そうでない人でも、この本を読んでから浦安をブラブラしてはいかがでしょう?いたるところにニヤニヤ出来るものがあると思います。 | ||||
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篠咲は篠崎、根戸川は江戸川、やっぱり浦粕は浦安としか思えない。すなわち、いまのディズニーリゾートは百万坪で、倉なあこたちが「砂粒はこんなだけど生きてるだぁ」と語り合いながら「魚を踏んでいた」満月の青い夜、幻想的な風景の中にいたのだ、80年近く前は......。浦粕の住人達は周五郎の時代小説の中の江戸っ子達のように優しくもなければ人情家でもない。むしろ日々貧しい暮らしを支えるがために意地悪く油断も隙もない悪意さえ感じられたり....海外強力などで第三世界に行った人たちの経験談と近い感じがするところだが、主人公の「私」はそういった技術指導的立場では到底あり得ず、半分失業者半分作家のような存在。「蒸気河岸の先生」として棚上げされつつ(けっして敬われはしない)、浦粕に硊??かされていることを意識しながらも旅人の目線でこの生きるエネルギーが炸裂したような街をスケッチしていく。例えば住民との会話の中では「私」の言葉はほとんどの場合省略されていて、浦粕人の独白のようになっているのも印象的だ。驚くべき事に、70年は経っているはずなのにその問題意識は少しも古びていない。貧困、家族の崩壊、介護、公害、不倫/偽善、社会保障の不備、生老病死、そんな中での人情や情愛の機微。日本は自然が壊れた意外に浦粕町からどれほど進化しただろうか。こゆくてリアルな人間模様の中には、後の周五郎の名作の原型となるようなストーリーが散見できる。それはそうと、青べか、欲しいですねー | ||||
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昭和初期、東京郊外の川の下流の猟師町にしばらく移り住んだ「私」は「青べか」という舟を買い、少しづつ町にとけこんでいく。その「私」が見たりきいたりした町の人々の話がいくつもの短編として語られていく。読んでいくうちに、昭和初期の田舎の、その原始的ともいえる人々の熱気のようなものにぐいぐいひきこまれてしまう。ここには、日本という国がまだとてつもなく若かった頃がある。そのエネルギーを感じてみてください。 | ||||
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