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五瓣の椿
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五瓣の椿の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.24pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全29件 1~20 1/2ページ
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物語の中で「午後四時」と書かれている箇所があって、それが気になって仕方がなかった。物語の設定は江戸時代のはずなのだが。 物語としては、八百何十両の遺産があり、信頼に足る付き人もいれば、商売を起こして地道にやった方がいいのにと思うだが・・・仇討ち物語と考えれば、おそのを殺したところで終わっているはず。おそのは精神的に病んでいて、性依存症に陥っていた、むしろかわいそうな存在なのだ。おそのをたぶらかした男を殺す道理がわからなかった。 結局、時間表記の件も合わせ、?を抱えながら、フワフワした感じで読むことになってしまった。 | ||||
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不義の子という宿命を背負った美しい娘、ふしだらで非情な母を含め六人を殺し、 生みの父には「あなたは生きている限り苦しむのよ、」と殺し以上の罰を与える。 しかし、最後に悟る、「その人の罪は、御定法で罰せられないとすれば、その人自身でつぐなうべきものだ、ということに気がついた」 日本の罪と罰であり、西洋のような宗教劇を超えた人間の葛藤がありました。 死体に添えられた山椿の花弁が鮮やかに悲しく蘇ります。 | ||||
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久しぶりに周五郎作品を堪能しました。 心の奥底にある秘めた想いを遂げようとする美貌の娘。 浮気性で男遊びにうつつを抜かす母親とは対照的で、養子に入ったお店の繁盛のため贅沢もせずに苦労の限りを尽くした可哀想な父親。 言いたい事も言えず労咳で痩せ細り亡くなった父の無念を晴らすために娘が計画したことは・・・。 1人の人間の恐ろしいほどの決意と実行力の結末は? | ||||
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山本周五郎の傑作です。単なる復讐物語ではなく、人間としてのアイデンティティを問題とし、その存在の根底を問い直す作品です。 なんと言っても、文章がうまい。昨今の何が書いてあるかわからない文章に酔っている人々に是非読んでほしいです。 | ||||
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好きな作家なので、おもしろく読めた。 | ||||
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確か1度、この原作の連続ドラマを拝見した記憶があります。父を偲ぶ娘の気持ちが切々と胸に響く作品だと思います。 | ||||
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動機云々より自己愛に満ちた犯罪の一つの形 | ||||
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泣いてしもうたわ。最初は小娘一人で復讐とか、荒唐無稽なと思うが、ならず者を手先に使ってるし、納得はさせられる。青木さんという役人は他の話でも出てきた気がるが気のせいかな | ||||
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山本周五郎の物語としては、やや異色だと思います。 時代もので、昭和風のサスペンス…といった印象を受けました。 つまり、凝っているわけですが、凝りすぎて、被害者も加害者もわからなくなる、 といった感があります。(個人の感想です) 山本周五郎を読んだ後の爽快感というものは期待できないかもしれません。 | ||||
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45年前に読んだが、新たに読み直そうとしたところ活字の小ささに辟易として 読み返せなかった。新たに購入して2日で読み終えた。活字が大きくなり、古いものは新たな本のルビ並み。 主人公の娘の健気さに涙、庶民に限らず武家にも人間の持つ根本的な優しさや強さを感じ 自分自身の生きる勇気になる。山本文学の真骨頂かも。 | ||||
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短編や、「長い坂」などで男性、さむらいとか庶民とか・・・を描くときには上手いのに、 女性はダメなのか。 この主人公の女性の「恨み」は母に向けられるべきもの。 母と娘の問題は、現代では心理学的にいろいろと解き明かされている。 母への恨みから、母と関わった遊び人たちを殺していく・・・ どうも心情的に理解できなかった。 | ||||
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樅の木は残ったを読んで、何冊かダウンロードしましたが、この作品は女性が男性をもて遊ぶシーンの連続で嫌気がしました。途中でやめました。 | ||||
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文章が美しく、格調高い風景描写、無駄のない厳選された言葉など期待していましたが、その通りでした。 一方で内容は、復讐に燃える女の執念の話でした。しかし、人気が高く小説はロングセラー、映画化は1回、 ドラマ化は4回しています。舞台にもなっています。表題の五辨の椿は、サザンカの事。サザンカの散り方は、 パラパラ散ります。父親の大好きだった山椿。供養のつもりで殺した死体のそばに置いていきました。 まるで昔見た必殺仕置人のように悪い人間を殺していきます。 殺し方は、かんざしで心臓を一突きして、横に山椿を一片置くというやり方です。父によびかける。これで 恨みは一つ減ったでしょうと。 殺そうとする男の悪行がばれていくのが面白く、5人をひとりづつ追い詰める過程がドキドキしていきます。 つい殺す主人公に味方をしてしまいます。 最愛の父の無念をはらし最後のシーンでは、涙が止まりませんでした。 何度もドラマ化される意味が分かりました。素晴らしい作品にで会えました。 | ||||
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さすが周五郎。ラスト数ページで泣かされました。復讐劇となってますが、単にそれだけでは終わらない、周五郎作品は最後にいつも読者に考えさせる余韻を残します。 | ||||
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コーネル・ウールリッチの某有名長編のプロットを見事に換骨奪胎して描かれた罪と罰の物語。人間の愚かさと気高さをサスペンスフルに情緒豊かな江戸市井の風俗と共に描き上げた名作。寂寞とした哀しみに満ちた結末は忘れ難い。 | ||||
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何度も映画・ドラマ化された山周作品の中でも異色なクライムサスペンス時代劇の名作(自分的にはやはり岩下志麻主演がベスト)。今読めば確かに『黒衣の花嫁』にそっくりな展開であり、夫の復讐ならまだしも、大店のお嬢様がいかに無念を残して死んだ養父の復讐の為とはいえ、母の情夫達を誘惑し閨で次々と暗殺してゆく必然性があるのだろうか?18才の娘らしい潔癖な正義感や義憤だけでそこまでするかな?・・と、設定が始めから無理がある気もするのだが、そこは山周。極上のエンターティーメント、人間ドラマとして読ませてしまう辣腕ぶりは流石です。『日本婦道記』とは真逆の悪女の世界が展開されており、小説としてはこちらの方が好きかも。少々の設定の瑕疵には目を瞑ってでも主人公「おしの」の清冽な残酷さが突き抜けていて純粋に勧善懲悪の必殺仕事人的復讐劇としてとても面白いです。 女の自分でもこんなにワクワクするのだから、真面目に働き続けてきたのに奥さんに邪険にされている世のお父さんは喝采を叫ぶのでは?お父さんはコンビニのオニギリとお茶でお昼をすませているのに、お母さんはホテルで豪華なランチを食べているとか、”亭主元気で留守がいい”どころか「ATM」とまで言われてるとかまでいくとやっぱり酷いんじゃないかなぁ、と思うし。 そんな究極のATMお父さんがこの小説の主人公「おしの」の養父、喜兵衛。 この小説を初めて読んだ時、たぶん自分は高校生位だったと思うのだが喜兵衛の今際の際の「八百七十両にしかならなかった」の台詞が忘れられない。「しか」って何?十分凄いよ、と。 一両10万円と換算しても8700万円もの大金を喜兵衛は耐えに耐えに耐え抜いて可愛い娘の(実の子でないとわかっている)「おしの」と一緒に婿に入った商家を出ていくためだけに貯め続けた。椿の花一輪愛でる金も暇も自分に許さず、自由を求めて必死で働き続け、結局夢叶わず死んでゆく。やはり可哀想すぎる。妻にはもうとっくに愛想を尽かしていても娘だけはやはり可愛い、この子のためだけに俺は働く!というお父っつあんの為にもここは一丁復讐してやろうか?という気持ちもわからなくはない。 とはいえ、妻の「おその」の方にも言い分はある。浪費家で享楽的で良人以外との男達と浮気し放題。「おしの」という不義の子を産んでも平然として悪びれる風もない。悪妻の典型以上に酷い女、というよりは何処か精神的に壊れている。買い物依存症とか、セックス依存症とか、ボーダーライン人格とか、今なら色々考えられるけど、彼女の中には遊蕩を尽くしても埋められない昏くて深い漆黒の空虚がぽっかりと顎門(あぎと)として開き、彼女はその虚しさを遊びで埋めようとしていた感もある。金持ちのお嬢様として我儘放題に育ったとしても、ここまで堕落を極められるのも一種の才能、病的なパワーのある女だ。そんな「おその」は「おしの」に言う。 「女というものはね。自分のためには何もかも捨てて、夢中になって可愛がってくれる人が欲しいものよ、あたしのためならむさし屋の店も財産もくそもないほどうちこんでくれたら、あたしだってもう少しはあの人に愛情を持てたと思う」 娘である「おしの」にはそんな母「おその」の言葉はただの屁理屈とか思えない。 そんなのごまかしだ、おっ母さんは遊び好きなだけよ、という「おしの」に、 「いまにわかるわ。あんたも女になればあたしの気持ちがきっとわかることよ」 と、「おその」は ”微笑” しながら言うのだ。(この微笑がリアルだ) 「女になる」とはどういう意味か?女どころかオバさんからお婆さんになりつつある今の自分には何となく何を隠喩しているのか推測できますけど、それでもやっぱり「わかりません」ねぇ。 結婚すれば大きな子どもである夫一人で手いっぱい、家事や育児や介護や仕事で大変なのに浮気を繰り返す気力・体力からして自分には無いし、途中で面倒くさくなるとか飽きるとか諦めるとかが普通では?「おその」は何をそこまでして欲しがり続けたのか? 喜兵衛と「おその」という決定的に相性の悪い夫婦の間に何があったのか? どうしてここまで事態が悪化する前に互いに何とか少しでも現状を改善できなかったのか? 男と女の間には第三者には絶対に知りうることのできない何かがあり、こじれる時はどこまでもこじれ、もはやどうすることもできない破滅に突き進むよくある愛憎の縺れの悲劇の一つだったとしても、罪の結果生まれてきた娘「おしの」には何の罪も無い筈。 そもそも喜兵衛は「おしの」が復讐として次々男を殺めていくことを喜んだろうか? いや、そんなことは決して望んでいない、なさぬ仲でも父親なら自分のことは忘れてとにかく幸せになって欲しい、そんな馬鹿なことは止めて欲しい、そう願う筈では? 結局「おしの」は御定法で裁けない罪は自分で裁く、という思い上がりを反省し、自害して果てるがそのラストも観念的すぎてスッキリしない。むしろ父は本当は自分がこんな猟奇な娘になってしまうことを望んでいなかった筈だ、自分は大嫌いだった母と同じことをしている、と今更ながら気づいた、という結末にした方が良かったと思う。 なんとなくこの夫婦の決定的な不和の要因として喜兵衛の八千七百両「しか」という単語がやはり引っかかる。 キリのいい数字まで極めなくては気のすまない真面目だが融通のきかない理知的な男と、 とにかく私を見て、私を可愛がって、もっともっと!と貪欲に欲する刹那的で直情的な女、 この最悪の組み合わせの果てに娘は思い詰め、殺人という犯罪を正当化していく悲劇。 千両になるまで我慢せず、十分大金なんだから思い切って別れるべきだった。 8700両「しか」無い、じゃなく「もう」8700両もある、という発想が、離婚には必要なのかもしれない。 (新潮文庫版初版は昭和39年。旧版カバーの意匠は赤と黄の縦縞紬。当時の価格は110円。解説は山田宗睦氏。本来こういう風に読む本ではないとは思いますが申し訳ありません(汗)) | ||||
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『五瓣の椿』(山本周五郎著、新潮文庫)のおかげで、極上の小説を心ゆくまで味わうことができました。 天保5年の江戸、常磐津の師匠・岸沢蝶大夫が深川の料理茶屋で、左乳の下に平打の銀の釵(かんざし)を打ち込まれて死んでいるのが発見されます。そして、なぜか枕許には一片の赤い山椿の花びらが置かれていました。間もなく、いかがわしい婦人科医者・海野得石が浅草の料理茶屋で、同じやり方で殺され、やはり山椿の花びらが置かれていました。日を置かず、札差の道楽息子・香屋清一が芝の宿屋で、中村座の芝居茶屋・枡屋の出方だった佐吉が神田川に浮かぶ屋形船で、同じように殺され、やはり山椿の花びらが残されていたのです。次に狙われたのは、日本橋の袋物問屋の主人・丸梅源次郎でした。 一連の殺人事件を担当する八丁堀の与力・青木千之助が調べを進め、徐々に犯人に迫っていきます。 殺された男たちに共通しているのは、どの男も魅力的な若い女にぞっこん惚れ込んでいたことです。 「男はひからびたような声で笑い、眼にけものめいた色を湛えながら、上下の唇を舐めた、『おりうさんのような人にそれほど思いこまれれば本望だ』。・・・湯にはいったのだろうか、洗い髪をさっと束ねて背に垂らし、浴衣に丹前を重ねた上へ、黒衿を掛けた半纏、紫色の地に絞りで大きく紅葉の飛び模様を染めた、――をひっかけ、口紅はつけず、うす化粧をしていた。蝶大夫は心の中で『うっ』といった。これまでの娘むすめしたつくりと裏返しのような、あだっぽい、むしろ伝法な姿であって、しかもその身ごなしの柔軟さや、羞(はにか)みのために消えたそうな表情のういういしさは、たとえがたいほど嬌(なまめ)かしく、いろめいてみえた」。 「『(おみのは)逢うたびにだんだん色っぽくなり、いまにもおちそうなようすをみせるんだが、際どいところでするっと逃げてしまう、するっと――』。得石は手で一種の動作をしてみせた。『あのとおりの縹緻(きりょう)で、金がふんだんにあって、おまけに触れなば落ちんという風情でもちかけられるんだ、これでのぼせあがらなければ男じゃあない、そうだろう』」。 「『その娘はお倫といって、年は十七か八だろう』と彼は上唇を舐めた、『いかにも箱入り娘らしくて、縹緻もいいが、軀つきや身ごなし、ものの云いようにこぼれるような、色気と、おっとりと匂うような品があった』」。 「『世間知らずのうぶなお嬢さんにみえるかと思うと、いろごとの手くだを知り尽くした人のようにみえ、またひらりとお嬢さんらしくなってしまう、初めて逢ってからもう百幾十日になるし、こうして二人きりで出会うのも七たびか八たびになるだろう、それでも私にはおよねさんという人がわからない』」。 この一連の事件の背景には、已むに已まれぬ事情があったのです。人が人としてしてはならないことをしたとき、天がそれを罰してくれるというのでしょうか。「お父つぁんは独りで、誰にもうちあけようもない辛いおもいに苦しんでいた、財産もあり、しょうばいは繁昌し、人に羨まれるようなむさし屋の主人が、本当はどんな貧乏な人より貧しく、どんな不仕合わせな人よりも不仕合わせだった』。世間はこんなものなのだろうか、とおしのは思った。幸福でたのしそうで、いかにも満ち足りたようにみえていても、裏へまわると不幸で、貧しくて、泣くに泣けないようなおもいをしている。世間とは、本当はそういうものなのかもしれない。――そうだとすれば、おっ母さんのような人はいっそう赦すことができない。心では救いを求めて泣き叫びたいようなおもいをしながら、それを隠してまじめに世渡りをしている人たち。そういう人たちの汗や涙の上で、自分だけの欲やたのしみに溺れているということは、人殺しをするよりもはるかに赦しがたい悪事だ。『ああ』とおしのは呻いた」。 | ||||
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角川文庫新版で、再読、改めて面白く読めた。文字が少し大きくて、新漢字をシヨウして有るので、スラスラ読める。 | ||||
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久々に味のある時代小説に触れ,山本ワールドを満喫しました。 五べんや椿の言葉も,これから起こることを暗示しており,人間としての矜持を感じさせてくれました。 調べてみると,映画化やドラマ化されているようですので,それを観てみたいです。 | ||||
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まず、この時代に、よくこんなプロットが、かけたとおもうぐらいに、面白く、、、サスペンス要素たっぷりな時代物、、単なる、人情時代小説ではない面白い作品にあがッている。 | ||||
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