夜と霧の誘拐
評判
夜と霧の誘拐の評価:
3.20/5点 レビュー 10件。 C ランク
Amazonレビュー一覧
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全5件 1〜5 1/1ページ
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夜と霧の誘拐の評価:
3.20/5点 レビュー 10件。 C ランク
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1979年の第1作『バイバイエンジェル』から、延々と50年近く書き続けられている。
読者もそれに付き合って、読み続けていることになる。
しかも、この8作の舞台はパリを中心とするヨーロッパだが、1970年代半ばのわずか3年ほどの間に、語り手のナディア・モガールと矢吹駆は本作を含めて8件もの謎多き殺人事件に次々と関わり続けることになる。
というか、書き始められた時から、50年後の最新作までに時はわずか3年しか進んでいないのである。
これは、なかなかに凄いことであるw
第1作当時は、読者は同時代的に感じていたはずだが、50歳近い読者ですら生まれる前の時代を描いていた作品ということになる。
本書の中身だが、第4作『哲学者の密室』の舞台となった「森の屋敷」が再び舞台に設定されている。
『哲学者の密室』では、マルティン・ハイデガーがモデルのマルティン・フォルバッハなる哲学者が、自らのナチスへの賛同の証拠となる絶滅収容所訪問時の写真を抹消しようとして、罠にかかって死ぬ。
当然、テーマはユダヤ人絶滅収容者をめぐる哲学的議論が、この大部の作品のかなりを占めている。
本作では、ハイデガーの弟子でアイヒマン裁判を傍聴して『凡庸な悪』を著したハンナ・アーレントをモデルとするハンナ・カウフマンが登場し、矢吹駆とユダヤ人絶滅収容所をめぐる議論が繰り広げられる。『哲学者の密室』が2002年刊行だから、20数年たって続編を読んでいるような気分になる。
ところで考えてみると、前作第7作はサルトルとボーボワールをモデルとする2人と矢吹は哲学的議論を繰り広げるのだが、その内容も、本作に連続している。
つまり、「戦後日本の平和主義的理想も、崩れた均衡を回復できないことから生じた倒錯的病的な観念」であり、これが戦後世代の暴力への病的コンプレックスに転化する。その最たるものが連合赤軍事件であったという、作者・笠井潔の見解が矢吹の口を借りて述べられている。こうした内容は評論家・絓秀実との対談集である『対論 1968』においても、笠井の独自の見解として述べられている。
本作では、こうした戦後日本の在り方とユダヤ人差別、イスラエル建国との類似性を指摘する議論も孕みつつ、ミステリーが進展していく。
同じ日に、反ユダヤ主義的思想を持つ私立学院の学院長が射殺され、同時に2つの誘拐事件が発生する。誘拐事件の被害者の1人はユダヤ人富豪の屋敷に住む専属運転手の娘だったが、富豪の同じ歳の娘と間違われて誘拐されたものと思われた。この運転手の娘もユダヤ系である。
2つの誘拐事件には意外なつながりがあり、また殺人事件ともつながっていく。
キーワードは「犯罪の交換もしくは殺人の交換」であり、その「意味のブレと二重化」をめぐって矢吹が現象学的推理で、真実に迫るというもの。
驚くようなストーリーが二転三転四転五転・・・しつつが繋がっていき、読者をあっと言わせる手法は健在である。まあ、「あっ」と言いつつも、かなりの無理筋も押し通しているとも感じる。が、それがこのシリーズの特徴でもあるので、読者としては許容するしかないのである。
登場人物の名前が入れ替わってしまっているところが2か所ほどあって気になった程度で、第1作からのクオリティが維持されているというか、ますますペダンチックな要素を増しつつもレベルアップしているように思える。
雑誌連載の経緯を調べると、現在、第9作は連載が終了して刊行を待つばかりであり、第10作が連載中だという。
そこまで書いてほしいし、読みたいと思わせてくれるのであった。