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(短編集)
お腹召しませ
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お腹召しませの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.95pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全37件 21~37 2/2ページ
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表題に惹かれて入手したが、なかなか良くできた小説である。 歴史と言うより小説部分が大きく、伝代小説と同じ感覚で読めた。 淺田節に堪能。 | ||||
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家のためと国のためと、頑張った日本人たち。懸命な姿に涙。何時の時代も、ちゃっかり者とドジな人が。ドジを愛し助ける人が救い。 | ||||
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短編集ですが、切腹でものごとが収まるわけではないのでしょうが、同意できる面があります。 | ||||
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一編一編それぞれが実に浅田次郎らしい短編小説です。僕は満足しました。 | ||||
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新聞の連載小説が面白いので 代表作を選んでみました。 「お腹召しませ」は娘婿の不始末に切腹させられる 又兵衛がすんでのところで命拾いする短編で おかしく江戸末期の武士のお家に 書いてありほろりとします。 それにしても「お腹召しませ」と 死装束まで整えて待っている 妻娘はおそろしいです・・。 他五篇どれも時代の流れの中の侍の姿に しんみりしますが最初斜籠などの意味がとれず 歴史小説を読むにある程度の知識が必要と思いました。 | ||||
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短編6編がおさめられていますが、 表題作の「お腹召しませ」では、養子にきた婿が藩の公金に手をつけ出奔。 お家を守るために、妻にも娘にも「お腹召しませ」とせっつかれる話。 落語的な話なのかと思いきや、気が付くと 武士の悲哀にほろりとさせられました。 幕末の時代の流れに巻き込まれながらおのれを貫いた男たちの物語です。 | ||||
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古くは、吉川英治、大仏次郎、山岡荘八、海音寺潮五郎、山本周五郎・・・etc・・・そのあとに続く池波正太郎、藤沢周平、司馬遼太郎などなど時代小説に名の残す作家を数え始めたらきりがなくなるが、浅田次郎も名を残す時代小説作家であることを本作を読み終わって確信した。 江戸時代の江戸っ子が絶対に話していなかったような、ため口会話を平気で文中に書き込む新進女流時代物作家達に、浅田次郎の爪の垢でも飲ませたいと思いながら本書を読み終わった。 時代物を久しぶりに読んだのだが、浅田次郎という作家の際立った才能と個性を堪能させてもらった。 本書「お腹めしませ」は、さすが私の好きな作家である司馬遼太郎賞(第10回)を受賞した短編集である。 私事ながら、かって腰の手術後、病室で辛さを紛らわすときに読んでいた本の中では、司馬遼太郎ではなく藤沢周平が一番癒してくれた経験がある。 大昔のことなので病室のベットの枕元には、浅田次郎の本がなかったのを、本書を読み終わって本当に残念に思っている。 | ||||
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浅田氏の短編は、思わずホロリときたりクスリとしたりするので大好きです。 本書も期待通りの作品です。 幕末のお侍といえば、維新を成し遂げた元勲や志士のような、志に命を懸けた キリリとした姿を思い浮かべますが、本書のお侍はちょっと違う。 なぜか、お侍の姿がどこか現代のうだつの上がらないサラリーマンと重なってしまいます。 きっとこういうお侍がたくさんいたのだろうなぁーっと 勝手な想像をすると、幕末の時代もどこか親近感が湧きます。 | ||||
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職業上の分類ではサムライに属していても決してモノノフではなかった幕末のお侍さんたち。 「壬生義士伝」や「憑神」など、明治維新という一大革命に遭遇した彼らのメンタリティを描いた浅田小説を読む機会が多いが、私の中では本書も含めてどれも復読に値する名著である。 時代小説にはそれなりに時代考証という名の裏づけが求められるが、本書はところどころでそこから逸脱し、かつ著者が跋文の中ででそれを潔く認めている。 だからこそ余計に登場人物たちに人間らしさを感じてしまうのかもしれない。 | ||||
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『五郎治殿御始末』につづく幕末もの短編集。さすが浅田氏は短編の名手、どれも素晴らしい。しみじみとした悲哀を感じるが、浅田氏お得意の「泣かせ」はない。泣ける話も入れてほしかったな。表題作「お腹召しませ」と「女敵討」が秀逸。 | ||||
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明治維新直前の武家社会を描いた短編集。 著者が幼いころ祖父から聞いた物語をもとに、短編小説にしあげたという体裁をとっています。 「死に装束のまま未明の町を疾走する侍」 「抜け出すのが不可能な夜詰めの大手番所から、神隠しにあったように消えてしまった勤番中の侍」 「座敷から音も無く疾走し、斜めに立てかけられた庭の籠に飛び込む練習をさせられるお殿様」 といった、面白い題材がしみじみした人情話になっていて、どの短編も楽しませてもらいました。 間に挟まれる、著者の祖父がお茶を点てる様子や、子どもの頃のちゃんばらゴッコの風景などが、時代の思わぬ身近さを気付かせてくれる効果があってまた楽しいです。 | ||||
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こういう「大衆風時代小説」と言うジャンルがなかったので、 面白く感慨深かった。 逆に言うと大衆風、時代小説風に馴染んだ人には物足りないのかも。 どっか帰省とか旅先で、肩の力を抜いて読むのがいいですね。 つまり武士を滑稽にマジメに書いたわけですが、彼自身が武士の末裔だからこそ、 と言うような「身内ノリ」な気がしますね。 「祖父に聞いた」と言う怪しげな内容なので中身は明治混乱期前後の武士について。 誇りつつ、嘲りつつ、「泣く」ことはなかったけど何だか感慨深いです。 13−19歳ぐらいの少年に読んで欲しいかなあ。 「悲劇とは喜劇」 シェイクスピアやチャプリンにも通じるノリです。 | ||||
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ふっと笑わせたり、ホロリと涙させたりといった「キレ」が著者の小説の魅力だと思います。が、本書では維新前後の武士の話であり、落ち込んだ空気の中で物語が進むためか、「キレ」が冴えません。また話のネタの種明かしや、巻末の跋記での矛盾点の説明といった「現在」が入り込んでくるのもマイナス要因かもしれません。 いずれにしても少し期待はずれでした。 | ||||
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浅田次郎の文庫最新刊です。 幕末を舞台にした短編集です。 ひさびさの浅田次郎でしたが、楽しませてもらいました。現代の話を枕に振って、それからひょいっと幕末、それからご一新あたりの武家社会を題材にした短いお話が展開されて、それで現代にまた帰ってくるという典型的な枠小説がいくつか入っています。 そして、その短篇がまた実にいいんです。本人たちにとってはシリアスだったり困った話だったりするんですけれど、読み手からするとユーモアたっぷりに笑わせてくれてそれでいて人情にホロリとさせてくれるところもあって、いい意味で浅田次郎の美味しいところをつまみ食いしているような感じで、リラックスした感じで楽しませてくれます。 こんなリラックスした感じの話だったら、是非温泉か何かにいった時に、のんびりゆっくりと簡単ながら味わい深い料理でもつつきながら、お酒もほんのちょっと飲みながら、窓べりでのんびりとくつろいで読みたかったです。未読の人は、そんな感じで読むと一番いいんじゃないかなぁと個人的には思います。 | ||||
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五郎治殿御始末が気に入った人なら絶対にお勧めです。やたらに不器用な武士ばかりが、明治の初めの混乱の中で何とか生きていこうとするとこうなってしまう。ほんのちょっと昔のことなのに誰も考えないことをきっとこんなだったろうなうと思わせる絶妙な語り口で描いています。 明治以降現代においては当たり前のことが、江戸時代の常識で生活していた人にはどうしても理解できないことが沢山あったのだと思いました。戦前と戦後で考え方ががらっと変わった以上に。 タイトルの「お腹召しませ」は、読者に当時の武士にとって切腹とは何だったのかを考えさせます。 | ||||
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幕末から維新へと時代が変わる端境期。武士の本質を描いた6編の短編集。 武士=潔くて、男らしくい。本当にそうでしょうか? 人間の本質は、時代が変わっても同じなのではないでしょうか! 武士という職業だから許されなかった悲哀を、作者は語りたかったのではないのでしょうか。 | ||||
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「お侍」と言う言葉は、おそらく、江戸末期から明治にかけての変革期の武士をさす言葉でしょう。落語の世界では、江戸中期まで範囲は広がるが。 ここで、浅田次郎氏が描こうとする「お侍」は、「壬生義士伝」で描いた「お侍」とほぼ同時期の武士でしょう。太平の世の中で「武士(もののふ)」の根性を失った、切腹など「昔の話」に成り下がった「お侍」だと思われるが、それじゃあ、新撰組は、どうなるのでしょう? 吉村貫一郎は、どうなるのでしょう? 何も、「武士」を一面から捉えて書いてほしいとはいいませんが、一方で、「潔かった」〜壬生義士伝の吉村の最後は「潔かった」と判断するかどうかは読者に任せられるとしても〜と言う視点で書いてこられながら、このシチュエーションはないでしょう。 何か、基軸を失って、右往左往してませんか? 「お腹召しませ」・・・回顧録だとしたら納得できますけど。 | ||||
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