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哀れなるものたち
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哀れなるものたちの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.88pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全16件 1~16 1/1ページ
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読み終わってからずっとこればっかり考えています。ミステリーの殺人事件の殺人シーンで終わってしまったような、原作を読んだあとはそんな印象さえあります。 映画を先に見てしまったがばっかりに、話の展開がスローテンポで読むのが苦痛に思え、なかなか読み終わるまでに時間がかかったのですが、進むにつれて「あー、このシーンね」「!?」「えっ?どういうこと!?」と衝撃の連続でした。多くの本の注釈はそれほど読むにあって重要性は高くありませんが、この本の注釈はそれ自体が物語の一部であり、必ず読まなければなりません。 『哀れなるものたち』を映画だけで知ってるつもりになってはならないと思いました。原作を読んで良かったです。 | ||||
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記載内容が卑猥で猥雑で過激で評価の星印は無し。 でも、扱っているテーマや著者が言いたいであろう問題点については星5つ。 男性優位社会でなんの権利も持たない女性は自殺しか道が無かったところから、 あらゆる権利を得て天寿を全うするフェミニズム作品。 仕事が十分にできるOJTや業務知識という教育の必要性、 女性賃金の低さや労働環境の悪さという問題点は、 もしかしたら今の時代においても、大きな問題になっていて、 だからこの作品が映画化されアカデミー賞の有力候補作になったのかもしれない。 女性が男性と同等の社会的権利を得て、職業の選択の自由や経済的に自立できることが、 少なくとも望まぬ結婚を回避できる手段であることは、間違いない。 | ||||
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新品で購入してるはずなのに、届いたら角は破れているわ、表紙も微妙なシワつき。 極め付けは帯もついてない。ショック。 | ||||
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著者メアリーの両親の理想主義を巧みに反映している点に感動。マルサスまで出てきて思想史の蘊蓄も完璧。映画があまりにも良かったので、原作にも手を出して大成功でした。 | ||||
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映画は「笑っちゃうほど、えげつなく、頭が痛くなるほど、面白かった」のです。たまらず、翌日アマゾンにて原作の文庫版を所望。この、とんでもなく不思議で、巧妙に仕掛けられた物語は、映画を先に観て良かったと思う程込み入って、読み終わっても、又もとに位置に戻される様な、並外れた力量を感じました。2019年に亡くなられたアラスター・グレイ氏に哀悼の意を表します。 | ||||
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単行本も文庫本も、中身なにも変わらないってあって(文庫本訳者あとがきには訳を少し変えたという文言あるらしいが) わたしがamazonで取り寄せた文庫本には、あの書画やイタズラ書きのような走り書きは見当たらず、返品した。文庫本もそっくりそのまま内容同じ(訳じゃなくて挿絵や写真やら書画やら)なら、単行本売っ払っおうと思って購入した。 しかし、ざっと見たところ明らかに文庫本はそれらが抜けてて、ガックリきたので返品した。 どちらにせよ、話のあらすじ、内容の流れは変わらないのでオススメです! | ||||
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映画よりコクがあると感じる読者も少なくないように思います。なお、単行本は絶版ですが、文庫本も手書き文字やフォントの変化など、すべて単行本から移行されているようです。訳者の「あとがき」によれば、訳文も修正されているみたいですから、楽しむならむしろ文庫本の方がいいのかも。 | ||||
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三人の語り手(アラスター・グレイ、マッキャンドルズ、ヴィクトリア)という重層構造、物語の語り手としてのアラスター・グレイは作者ではなく作者が作者自身であると読者に思わせたい飽くまで物語の中の人物であるということ、敢えての「ヴィクトリアによる序文」を文末に異動させたという設定、なにもかもが罠に満ちている叙述ミステリと言ってもいいでしょう。 読み進めていけばこれが バーナード・ショウのピグマリオン (映画マイフェアレディの原作ですがもっと苦い)や メアリー・シェリーのフランケンシュタイン を意識した物語だなあ、とか「Born Sexy Yesterday(「無垢な心を宿したセクシー美女」という、映画 フィフス・エレメント のリー・ルーや スプラッシュ のマディソンみたいな「おっさんの夢」みたいな概念)のカリカチュアでもあるなあとか、それが読み取れる自分って知的で開明的、とか悦に入っていると最後に背負い投げをくらいます、ヴィクトリアに(というか真の作者に)。 そういう意味では、例えば「やっぱ差別はいかんよね」とか思いながら免許センターのナマケモノに笑っていいたらラストで自らの無自覚の差別に気付かされて衝撃を受けた ズートピア 」を思い出したり。 なお私の買った文庫版はちゃんと手書きのお手紙とか図版とか掲載されてますし、ベラ部分はフォントも変わってましたので版によるのかな? そうそう、性を中心テーマのひとつに据えつつ無垢な女性が世界を知って、最後は世界を変える力を付けるお話という意味では 酒見賢一の後宮小説 との精神的姉妹とも言えそう。「哀れなるものたち」が1992年で「後宮小説」が1989年と、ほぼ同時代なのもたいへん興味深いです。 | ||||
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話題の映画の原作ということで、非常に興味を持って手に取ったわけですが。話の展開がスローで、じっくり読み進められずに、飛ばし飛ばしになってしまった。また、美女を蘇生される医者の目的が、結局のところ自分にとって都合の良い美女を手に入れたいだけのように思われ。結局ただのエロオヤジではないか。メアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」は良くできていたな、と思いました。美女が出てこなくても、こういう小説読みたいのよ。魂や情念が激突する、とでもいうか。 | ||||
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若い娘時代はお砂糖とスパイスと素敵なものでできている、というような表現が本文中にあった。 妊娠した女性が命を断ち、臨月に近い胎児の脳を移植して女性を生き返らせる、という天才科学者の話を、その友人が書き残し、それを作者が注をつけるなどして本にまとめた、という設定。 でも、「フランケンシュタイン」ゆかりの名前が随所に使われているのでは、これを実話と思うのは無理だろう。実話なら無関係な名前のはず。 ヒロインのベルあるいはベラあるいはヴィクトリアは、父親の姓がハタズリーという。 この名前が出るたびに、「未来のイヴ」のハダリーの名前が頭に浮かぶので困った。つづりは似ていないのだが。内容的には「フランケンシュタイン」より「未来のイヴ」に似ていないか? ベルは「美女と野獣」のベルか? 逆説的な何か、とタイトルに書いたのは、このヒロインが幼い純粋な心の持ち主で、世の中の醜いことに心を引き裂かれ、泣き叫ぶほどになるシーンに、逆説的な何かを感じたからだ。 ヒロインが心を引き裂かれるのは、女性差別、男性中心主義、男らしさの崇拝、貧しい者は自己責任、といった、現代ならば普通に批判されるものを、登場人物の男たちが平気で主張しているところ。 こうした男たちがいやで、ヒロインはやさしい男に惹かれる。 天才科学者の友人の語りの中にこのヒロインの語りが多く含まれていて、ちょうどフランケンシュタインの語りの中に怪物の語りがあるような構成だが、最後に再び、別の形でヒロインの語りが来る。 この2つのヒロインの語りのうち、どちらが本当のヒロインなのか? 冒頭に序文は2ついらないと書いてあるが、「フランケンシュタイン」には序文が2つある。初版に詩人シェリーが書いた序文と、改訂版にメアリ・シェリーが加えた序文。 と、こんな具合に構成の妙を楽しむことはできるし、物語もそこそこ面白いのだが、実話に見せるために長い注をつけたりといった趣向を、楽しめるか、わざとらしいと思うか。 どちらかというとわざとらしい、めんどくさい、と思ってしまったので、星3つにした。 | ||||
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わたしは真実しか言わないし、書きもしない、 嘘をつくとき以外は……。 クスクス。この作家、 完全に人を喰っている。 著者の親友である天才外科医は、 身投げした美女を、彼女が身ごもっていた子の脳を移植する手術で 蘇生させて調教し、理想の女性に改造することに成功したという。 美女の手記。無数のイラスト、学術データ、「証言」。巻末にも詳細な注釈。 著者だけじゃなく訳者までが一緒になって、信ぴょう性を盛り上げる。 大人の、手のこんだ遊びは楽しい。 | ||||
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アラスター・グレイ氏の処女作『ラナーク』よりもぶっとび加減が大きいこの小説はまずなかなかに面白い。他のレビュアの方も触れているがメタフィクション特有の仕掛けが幾つも仕掛けられ、本創りも相当に出版社や編集者氏が頑張ったのだとおもう。そして肝心の中身なのだがメタフィクションとしての注釈が相当の重みを持った創りとともにクリーチャーに対する科学論のようにも読めて小説を読む楽しみがなかなかにある。が、残念な点があるとすれば『ラナーク』に比べると文章が多少粗雑になっている印象が否めない。著者の本は本書と『ラナーク』しか読んだ事がないのだがその間の作品はどうなっているのだろうか?僕は英語ができないため洋書をあたる事ができない。だがアラスター・グレイ氏の奔放な才能からすれば本書までに書かれた作品も興味が湧いてくる。なかなか売れないかもしれないが本書版元のハヤカワ書店はレベルの高い面白い純文学を文庫で攻める気概のある出版社なので、著者の他作もぜひ手を伸ばして頑張ってもらえると嬉しい。 | ||||
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まず、編者の序文でいかにしてこの本を作ったかの理由が簡潔にもっともらしく語られる(この辺はシャーロック・ホームズの贋作のようで面白い)。後ろの脚注も編者のものと説明される。 続いて、ある医師が若い頃体験したとされる奇怪な話が全体の3分の2を費やして詳述される(この辺はこの当時の伝奇小説を彷彿とさせる禍々しさで面白い)。 更に最後の3分の1で前の話に出てきた女性が先に書かれたことは全て嘘であると、暴露する(この辺はポー以降の合理的精神で書かれた感じで興味深い)。 しかし、最初の3分の2の話と後の3分の1の話が両方とも1人称で主観的に書かれていて、どちらが嘘でどちらが本当かは判然としない。これはどういうことか。 ここからは私の個人的解釈ですが、この当時の英国で自己中心的な考え、欺瞞、偽善、が蔓延りそれらが至って虚しい世界大戦に繋がっていったという編者を装う著者グレイの当時の英国への暗喩的批判ではないかと思いました。小説の構成を破壊するかの如き一番最後に出てくる34番目のやたらに長い脚注がその考えを補足してるようにも感じました(脚注が重要な意味を持つ所はナボコフの「青白い炎」の影響でしょうか)。 だから題名の「哀れなる者たち」とは戦争に突き進んだ当時の世界にたいする揶揄であり哀惜であるようにも思いました。 という解釈も哀れなる私の主観的なものなので100%信用しないでください。 夥しく挿入されるイラスト、凝った目次、写真等、版元や訳者の苦労が忍ばれます。最初は図書館から借りて済まそうかと思ってましたが、面白かったので買うことにします。2読3読できる面白さでこの内容でこの価格は安いと思いました。 | ||||
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ありえないような設定から始まるのですが、その世界観に入り込めるかどうかが問題。 しかし、著者の力量で案外すんなり入れました。 注釈まですべてに仕掛けが施されていますので、見逃してはいけません。 ある種のフランケンシュタイン同様の物語です。 よみがえったベルはなんとも魅力的に感じます。 そして、彼女は「哀れなる者」なのです。 いや、登場人物が皆、ある意味「哀れなる者」なのです。 | ||||
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本書は作者アラスター・グレイが入手した古い私家版を翻刻して世に出したという体裁になっている。ここで、すでに作者のたくらみは始まっている。このグレイが手にした医学博士アーチボルド・マッキャンドレス著「スコットランドの一公衆衛生官の若き日を彩るいくつかの挿話」という本には、19世紀末に実在した医師の驚くべき半生が書かれていた。それは外科手術によって死から蘇った美女が登場する、もう一つのフランケンシュタインの物語だったのである。驚くべきは、詳細にわたる訳注によって浮かび上がってくる物語の信憑性だ。どこまでが真実で、どこからが虚構なのか?ただ単純に物語を楽しむだけなら、そんなことに関わらなくても十分楽しめるのだが、これだけ綿密な訳注が付加されていると、読み手としてはそれに思いを馳せないわけにはいかなくなってくる。それほどまでにグレイの手の込んだ術中にまんまとはまってしまうのである。物語自体もタイトルから汲み取れるように、登場人物すべての人が憂愁をまとっていて忘れがたい。ラストにいたって当の女性が書いた書簡も登場し、いままで読んできた物語が根底からひっくり返される構成も秀逸だ。しかし、これを鵜呑みにしてはいけないのだ。ここにも作者のたくらみがあるのである。いわば本書はポストモダンを代表する『騙り』の技法で語られた物語なのだ。作者自身による本書確立の過程を綴った『序文』から、付加された『批評的歴史的な注』まで徹頭徹尾この精神で貫かれた、大いなる疑惑の書なのである。 | ||||
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グレイが序文で自ら言ってるように面白い話が衒いなく語られればそれが何よりです。ただ商品の説明にある通りの内容(天才医師による創造物:クリーチャーはニンフォマニア?)と構成(グレイは序文と脚注を作成、きな臭い自家出版本とその作者の妻<クリーチャー?>の書簡をほぼ原文通りに編集)であれば策略と陥穽の臭いがプンプンします。でも読み終わった今その猜疑に満ちた読書態度は訳者も忠告されてるように誤っていると反省しています。 天才外科医は語ります。「(病理解剖重視の風潮は)多くの医者を、生命とは本質的に死んでいる何かにおける揺れや動きである、という思考に導くことになる。患者の身体を治療する彼らには、心つまり<命>に対する敬意など微塵もない」と。レンブラントの作品をいくら解体/分解して微細に観察したところで巨匠の技芸を学んだことにはならないということです。『哀れなるものたち』はグレイの技芸であり息づく生命/心の動きこそ主点なのです。虚実の些細にこだわる人は、偉大な名著『グレイの解剖学』からの挿絵で癒されて下さいということなのでしょうか。(その他にも図譜は豊富で楽しめますが、虚実にこだわらなければです。)グレイにとっては心のダイナミックな動きを通してひとつの社会の全体像を明らかにしていればそれは真実の書なのです。心の動きでは「慎重に隠された嫉妬」や「いくばくかの放縦な官能性の要素」などが描かれ「19世紀に蔓延したあらゆる病的なものの放つすえた臭い」や「ヴィクトリア朝趣味の強烈な臭み」「戦争の本質である自己卑下という流行病」を体感できるのです。ということでやはりグレイは「真実しか言わないし、書きもしない。嘘をつくとき以外は」という訳者のあとがきもまた真実であると確信しました。 そして奔放なヒロインが最後に求めるのは「暖かく揺らがないもの」ですと。泣くなりわめくなりしたい方にはお勧めです。 | ||||
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