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(短編集)
父と私の桜尾通り商店街
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父と私の桜尾通り商店街の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.69pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全29件 21~29 2/2ページ
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今村さんの著作を初期のものから順に読んでいます。どれも体に自然と染み込むような読後感があります。この一冊もそう。でもなんだかじわじわと不穏な後味もある。言うなればやや匂う水道水をちびちび飲む感じ。 | ||||
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今村夏子さんの短編集です。表題から感じられるようなほのぼのとした内容の小説ではありませんでした。読書前の予想を良い意味で裏切ってくれる作品ばかりでした。 主人公や登場人物たちの日常をサラッと描いているように見えて、奇妙に歪む世界へと読者をいざなう上手さと少しの怖さが独特の個性だと感じました。この読者の受ける感覚が作家の個性となって伝わってきます。 良い意味で、当初の期待を裏切るような風変りな今村ワールドを提示しているわけです。あまり類を見ない作風です。それだからこそ、純文学を味わう楽しみを読者に与えているのでしょう。 それぞれ作品の内容や感想は、未読の方もおられますので差し控えます。 第161回芥川賞を始め、太宰治賞、三島由紀夫賞、河合隼雄物語賞など数多くの優れた純文学賞を受賞した作家ですから、その力量の確かさはすでに定評のあるものです。 寡作だということですが、これまで読んだことのない香りが漂う小説群を紡ぎ出す独特の世界観をもった作家です。次回作の登場を待ち望む作品群でした。 | ||||
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淡々とした文章ですが、読み終わって心に残りますね | ||||
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とうとう芥川賞にまで到達しましたね。芥川賞作家では美辞麗句を並べて美文で唸らせる作家とその瑞々しい感性に驚嘆させられる作家に大別されるような気がしますが、今村さんは後者でしょう。一般的には前者の方が評価を得やすく、後者はその感性が陳腐と言われてしまえば元も子もありません。正常な感覚を持つ一般人は美文を並べた作品の方が素晴らしいように感じてしまうのものです。 この六編の短編はいずれも、その正常な感覚を持つ者と異常な感性を持つ者の対立、もしくは止揚によって成り立っています。そしてその正常と異常の境界が曖昧になり時に逆転することで、読者は自分の当たり前の地盤がグラついていることに気づく。そうなるともう、正常な感覚を持っているが故にこの異常をはっきりと自覚します。日頃美辞麗句に唸っているような一般人こそ、自分の境界が浸食され、違和感を持ってしまうようにできている。この感性のすごさよ。 ようやく芥川賞選考委員のみなさまも、自分の正常が揺らいでしまったことを認めざるをえなかったのでしょう。 表題作のラストで主人公がみんなの元にあの状況の中行ってしまう所なんかは、現代では非難轟々の行為でしょうが、「いや、そういう子もいてもいいやん」と今村さんは必死に抗っているような、こんな他人に厳しすぎる時代だからこそ光が当てられるべき作家だと思いました。 分断や対立(男女の違いや信条の違い)を肯定するような雰囲気が文学界にもありますが、そこから一つ飛び抜けているような高みにこの作家はいるような気がしました。生涯読んでいきたい作家です。 | ||||
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芥川賞受賞作家だ。 この人の作品を読んだことがある、と気づいた。 ほっこりしそうなタイトルにひかれて読み始めた。 だいぶ想像とはちがったが、どこか、最後まで読まないと気が済まない感じがした。 読んでいる間、そして、読み終えてしばらくたった今も、 情景やら雰囲気やらがとても印象に残る作品だったな、と思う。 心がざらつくとか、ふしぎな世界ばかりを描いているわけでもない。 とても感動する、というわけでもない。 でも、今村夏子という作者をきっと認知する本だと思う。 | ||||
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何か来そうな来なさそうな、結果的に来たり来なかったりの短編集であったような印象です。 自分の日常に起こったら起こりそうだったら既に起こってしまっていたら、と思わされた時点で、優れた作品であると思います。 | ||||
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『 こちらあみ子 』と『 あひる 』を読んで以来、とても気になる作家のひとりとなった今村夏子の最新短編集が先月(2019年2月)出ました。今回は全部で6つの作品が収録されています。 ◆「白いセーター」 :ゆみ子はフィアンセの伸樹と暮らしている。ある日、伸樹の姉ともかに、幼子4人の面倒を見てくれるよう頼まれる。引き受けたものの大声を上げる陸に手を焼き、思わず口をふさぐと胸をこっぴどく叩かれてしまう。やがて幼子たちの証言が曲解されてともかに伝わってしまい、ゆみ子は……。 ◆「ルルちゃん」 :ヤマネは10年ほど前、図書館で安田さんという40前後の女性と知り合いになる。安田さんに自宅に招かれたヤマネはそこで幼児の知育用人形「よちよちルルちゃん」が飾ってあるのを目にする。安田さんは幼児虐待のニュースに接すると突然ルルちゃんを抱きしめて悲嘆し始める……。 ◆「ひょうたんの精」 :チアリーダー部のなるみ先輩はかつてひどく太っていた。しかしある日、<神社の女性住職>に、あなたの中には七福神がいると言われた途端、食べる物をその神様たちに吸い取られるようになり、みるみる痩せていった。そして見事なジャンプ力を見せるようになり、部の主力選手になっていくのだが……。 ◆「せとのママの誕生日」 :かつて「スナックせと」で働いた経験のある女性たちがママの誕生日を祝うために店にやってくる。今はねずみの巣と化した店の奥でママはひとり居眠りをしているが、女性たちはおかまいなしに酒盛りを始め、昔話を語り合う。ママは女性たちの身体的特徴を売りにしては客を喜ばせようとしていた。そしてその特徴が失われた途端に女性たちを首にしていたのだが……。 ◆「モグラハウスの扉」 :道路工事のおじさん「おぐら」は自分を実はモグラだと称している。子供たちは半信半疑ながらモグラおじさんを学童保育の松永みっこ先生に紹介する。先生はせっせとお弁当を作ってモグラおじさんのもとへと持参する。そして先生はマンホールの地下に降りていき、モグラおじさんの暮らす大きな部屋がそこにあると言い出す……。 ここまでの5編は、その語り手である主人公が世間一般、常識の範疇に暮らす者として登場します。私たち読者は語り手と同体となって物語世界に足を踏み入れるのです。だからこそ、眼前に現れる狂気に満ちた存在――言うことを聞かない幼子、常軌を逸した形で子供用の人形を慈しむ中年女性、自分の中に七福神がいると信じる先輩、従業員の乳首をペンチで締め上げるスナックのママ、地下にもぐらおじさんが暮らしていると主張する学校の先生――との出会いを介して、ぱっくりと口を大きく開いた異界へ迷い込んでいきます。 こちらの制御が利かない事態を目の前にして読者は、戸惑い、臆し、大いにたじろぐことになります。なんとも居心地の悪い思いをぬぐえない物語ばかりですが、なぜか魅惑されてならないのです。自分の良識や感性がこの物語群によって試されているといえるかもしれません。そしてまた、あるべき域内に自分がかろうじて踏みとどまれていると確信できる点も魅力なのかもしれません。 ◆「父と私の桜尾通り商店街」 :表題作である6編目は他編とは少し趣が異なりました。 桜尾商店街で長年パン店を営んできた父娘の物語です。母が商店街組合の役員と不倫した末に出奔してしまったため、父娘はずっと組合から切り離されて店をやってきました。しかし、父は年を取り、店じまいを考え始めます。そんなある日、物腰のやわらかい女性客がやってきます。ここまでの5編を読めば、この女性客がまたしても主人公を異界へと連れ去ろうとするかのように予想して身構えてしまったのですが、物語は意外な方向へと舵を切ります。 よくよく考えれば、この主人公こそが商店街の常なる世界と時間から切り離されて生きてきたのです。むしろ異界で暮らしてきた主人公が、多数の読者が日常世界だと考える時間と空間へと帰っていく物語であると私には感じられました。その世界が明るくぬくもりある場所であることを強く信じさせてくれる幕切れであり、爽やかな思いがしました。 ---------------------------- 居心地の悪さを感じさせる奇怪な物語で編まれた短編集として下記の書を紹介しておきます。 ◆津原 泰水『 11 eleven 』(河出書房新社) :11編はいずれもが他編とは趣を異にしていて、次に現れる物語がどのように自分を震わせるのか、それは心地よい共振なのか、はたまた激しい震撼なのか、先が見通せないままの読書を続けることになります。体力のない時に手にすると受け止めきれない物語が多く、壮健な読者にのみ許された一冊であるということを注意喚起しておきたいと思います。 ◆ジェフリー ディーヴァー『 クリスマス・プレゼント 』(文春文庫) :登場人物が憂いに満ちた表情を浮かべていれば、そっと駆け寄って、悲しみにくれるその人物のために力を貸したいと思うことでしょう。平穏な日常を切り裂く事件に娘が巻き込まれた父親が、決死の覚悟で決着をつけようと奔走する姿には、やはり心寄せたくなるでしょう。読者のこうした「当然至極な思い」を梃子にして、思い切り遠くへ投げ飛ばす物語群が詰まった580ページの書です。次から次へと繰り出されるディーヴァーの巧みな投げ技に感嘆のうなり声を抑えることが出来ません。 投げ飛ばされた後に読者をじわりと襲ってくるのは、自分がいかに思い込みに満ちた存在であるかと恥じ入る思いです。世間や他人を単純明快な図式に当てはめて判断することのなんと無邪気で剣呑であることか。そしてさらに思い知るのは、信じている家族や友人ですら十全に理解することの絶望的な不可能性です。どんなに相手に心を開いても、その言動を信じても、その心の奥に闇が広がっていることを知りえない場合がある。最後はそんな底なしの悲しい思いに駆られる短編集といえます。 . | ||||
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タイトルと表紙の絵から、どちらかというと爽やかな感じや温かな感じがしますが中身は違います。 あみ子ほどの衝撃はありませんが全ての作品に著者の独特の世界が広がっています。 どの話も結末的なものは具体的には書かれておりません。 でもそこが、それぞれの話の結末や、どのような解釈や推測をするかで読む人それぞれでこの本の楽しみ方が変わってくるのかなぁと思いました。 じっくり何度も読めば見えないものが視えてくるのかもしれませんが。 個人的には、 「白いセーター」は、とにかく胸が痛い。 話の中で出てきた出来事やキーとなる全ての単語をゆみ子にあてがうと、とにかく色々と胸が痛くなる。 「ルルちゃん」は、安田さんの旦那さんって… 安田さんが作ったチキンカレーが怖いです。 どうして安田さんは食べないんだろう?本当にチキンカレーなんだだろうか? 「ひょうたんの精」は、「ピクニック」の世界観や後輩が思い浮かびました。 何度かプッてなる場面があるのですが純粋に笑っていいのか、それとも深い部分に何か真実が隠されているのかわかりませんでした。 一つ言えるのは、なるみ先輩が途中から、ちび○子ちゃんの永沢君のようになってしまうんじゃないかって心配でドキドキしました。 「せとのママの誕生日」では、女の子達のノリに「ピクニック」の"ルミたち"が頭に浮かびました。 そして主人公たちの行動と現場の状況にちょっとゾクッとします。 『生きてるの?』『まだ生きてる』の会話に凄く違和感を感じました。 「モグラハウスの扉」のみっこ先生も、同じく「ピクニック」の七瀬さんと少し同じニオイを感じました。 そして表題の「父と私の桜尾通り商店街 」は、ホッコリするようなタイトルから珍しく最後は少し心が穏やかになるお話なのかなと思いきや、やはりやはり違いました。 ラスト、お父さんは逝っちゃってるんじゃないかと… 「大人になったあみ子のパン屋さんバージョン」的なものを私は頭の中で咄嗟に浮かべました。 幾つかのお話は序盤の方に大事なものが書いてあって、中盤からラストにかけてじわじわと何かがおかしい。何かおかしくないか?ってなります。 主人公たちは基本的にズレてる感じがするんだけど、どこか愛おしく感じる人物も。 ズレてるって感じる自分も実は気付かないだけで他者からするとズレちゃって見えているのかもしれない。 | ||||
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平凡な日常の風景を描いていると思っていたら、少しずつ日常から外れていくという今村夏子さんらしい短編集でした。今村夏子さんの作品は、物語に現れる全ての事象に対して答えを書くのではなく、読者に想像させようとするところがいいです。 今村夏子さんのいずれかの小説を読んだことがあり、それに魅了された人ならば本書も必ず楽しめると思います。また、今村夏子さんの作品を一つも読んだことがない人でも、独特な世界観にはまってしまうと思うので読んでみてください。 | ||||
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