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(短編集)
一茶
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一茶の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全9件 1~9 1/1ページ
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| 俳諧師小林一茶の生涯を描いた作品。江戸に奉公へ出た15歳から65歳で亡くなるまでがつづられている。二万句をものし名が売れるものの、貧困から抜け切れない忸怩たる思いがひしひしと伝わるだろう。この当時の俳諧師は、芸術家というより、お手当てをあてにパトロンを探し求め旅する山師のような印象だ。 一茶も一つ間違えば野垂れ死の憂き目にあう、切迫詰まったその日暮らし。著者から生まれた一茶は、名句からの洒脱な印象とは随分と違う人柄だ。 生きるためにとはいえ、家族への情も見られない、結構、独善的で嫌なヤツなのである。 | ||||
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| 小林一茶のことは2、3有名な句を聞いたことある程度でどんな人がわからず読みました。 一言でいうと暗い作品です。 自分の精神状態によってはかなり引っ張られるので読むなら気持ちが満ち足りた元気な時をお勧めします。 本の途中でいつ一茶の名が知れ渡るようになり今までがんばってよかったみたいな場面になるかと期待して読み続けましたが最後まで救いなく終わりました。 唯一よかったのはあの年になってもお嫁さんを紹介してもらえたことなのかも。 物を作る人の、作家と呼ばれる人には2種類あって、作品を作ることが好きだから作る人と、作らないと生きていくことができないから作っているという人に分かれる気がする。 一茶は生きていくために、表現しないと生きていけないからひたすら作っていた人なんだと思う。 そういう人はもうそれしかできないから才能なんて言われるけどすごく不器用だし生き辛い。 暗い話しなのに最後まで読んでしまった。 一人になった時のあの不安な気持ちに襲われる描写とかすごく良くわかるから読んでるのがつらくなるけどこの人の人生を見届けたいと思うようになってしまうのは、さすが藤沢周平だと思う。 人生で自分はまだやるべきことがある、必ず何かできるはずと思ってるのに現実を見つめないといけない年齢になっている。 いまちょうどそういう時期なのでこの作品はとても辛く刺さってきた。 人生ってなんなんだろう。 小林一茶は幸せだったんだろうか。 つらくても輝く瞬間があったからあのような句を残すことができたんだと思うけど。 でも生きているうちに社会的に認めてもらえなかったら意味がない気がする。 子孫がいてその人たちが自分が作った物で少しでも役に立ってると思えば浮かばれるのかな。 話し少しそれますが、一茶は野口整体でいう9種という感じがすごくする。 自分も9種があるので余計に読んでてわかるからしんどかったのかも。 まとまりない文章ですみません。 読んでからもう一週間以上経つのにまだ引きずってるので自分の気持ち整理するために書きました。 また数年してから自分のレビュー読み返そうと思います。 | ||||
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| いわゆる天才型ではない才能の一茶の物語でした。田舎出身で江戸にでて俳人として身を立てようとするが、食うのがやっとの状態。なんとか生きるために、世間を渡り歩く一茶の姿は、歴史に名を残した俳人とは思えないです。 晩年は、田舎に戻り、江戸帰りの俳人として少し楽な暮らしが出来るようになったかと思うが、家族を襲う悲劇に一茶の悲しさがあります。 それでも数万の俳句を残し、その数は圧倒的。中には駄作もあれば傑作もあるらしいですが、努力でたどり着いた境地というか、生きる為に俳句を作り続けた結果なのか。 藤沢周平の短編ような軽やかな読後感はなく、悲しい悲哀の物語です。 | ||||
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| TVで見た面白さが強くて こちらは印象が薄いです。田辺聖子さんのを読もうかなと考えています。 | ||||
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| 田辺聖子の一茶の小説は、随所に一茶の俳句がちりばめられており、一時によまずにおれない楽しさがありました。こちらのほうは、作家の想定した一茶像を表している様で、長すぎて、読み飛ばしてしまいたい感覚になりました。すこし一茶本人とちがって、作家の一茶像がはいっている気がします。 | ||||
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| 俳句をかじつている者として購入した、まだ途中まで | ||||
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| お勧めです。幾つかの類似作品を読みましたが、類書との違いは、一茶の俳諧としてデビュー前の生活と俳句との接触の発端が想像されています。そして一茶の西国での放浪が詳しく語れています。ただ全体のトーンは、田辺聖子や井上ひさしの作品とは異なり、一貫して暗く重いものです。この作品には、場面として房総や西国が登場しても、太陽の光が注ぐことはないようです。 これは藤沢周平がとらえた一茶の人生なのです。というわけで著者の人生が、一茶の生涯の解釈に強く投影されているのかもしれません。それは田舎の出身者の何の後ろ盾も持たない人物の上京と挫折の一生です。業俳としての生活もそのネガの部分に必然的に焦点が置かれます。一茶の信濃への帰還とその後の生活の解釈にもこの視角が強く投影されます。露光のように行き倒れにもなりかねない江戸での後ろ盾のない業俳としての生活からの脱出そして脱出後の生活の基盤となるホームグラウンドの信濃での確保、その観点から遺産相続の争いの激しさが位置付けられます。 ここでは江戸での様々な生活上、芸術上の袋小路と信濃へ都落ちした一茶の俳人としてのdead endとしての状況が強調されます。ただこの部分は類書では疑問が提示されている部分でもあります。そして一茶の最後の部分も、ある一点をのぞいては重く描写されていきます。これはあたかも信濃の気候を描言いているようです。 | ||||
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| しかし、一つも楽しくなれなかった。 一茶に感情移入することも、その生き方に共感することも、正直難しかった。 多少なりとも趣味で、句というものに触れ、だからこそ、元々フアンであった藤沢周平の一作品の中に、一茶を見つけたときには、少なからず興奮して、期待を持ってこの一冊を手に取った。 しかし、これが確かに一茶の人間像、人物像なんであろうが、さすれば一茶とは、正直私はとうてい好きになれる人間ではない、と言う気分になった。 一茶が江戸で過ごしても、西国を旅しても、どこにいても、彼の生家新潟の、重く雲が垂れ込め、雪に閉じ込められた日常が、いつもいつも、一茶の頭の上を覆っているような、そんな人生であった。 これが彼の句作に必要だったのかもしれない。 と言うか、だからこそ、血を吐くように、ほとばしるこの世への、不遇の思いが機関銃のように、滝のように、怒濤のようにほとばしったのだろう。 自分自身も決して恵まれてはいないな、と言う思いがある私は、だからこそ一茶を見るとまるで自分の嫌な部分を見せられているようで、たまらなかった。 正直、読後決してさわやかとは言えない、一茶の青春であり、成熟であり、老年期であった。 | ||||
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| 一茶というと、「痩せ蛙まけるな一茶是にあり」、「やれ打つな蠅が手を摺り足をする」といった句で知られるように、善良な目を持ち、多少こっけいな句を作る俳諧師のイメージがありました。しかしこの小説を読んでみて、一茶の全く違ったイメージにびっくり。世俗にまみれ、生活に苦労し、諸国を廻っては生活の糧を得る。貧乏は生涯ついて廻る。それでも俳句を捨てず、独自の境地を開いていく。その俳句は、結局は俳諧には受け入れられず、孤高の人となっていきます。とうとう晩年は遺産分配でトラブルを起こしてまでも、故郷に帰らざるを得なくなってしまいます。老境に入ってから娶った妻と子どもに死に別れ、これでもかこれでもかと不幸が襲ってきます。しかしそのような境遇にあっても、けっして俳句への情熱は忘れません。自分や自分の境涯を皮肉った句の中にも、どこかユーモアが漂うのはなぜでしょう。初めて一茶という人に触れ、その生き様に感銘しました。 | ||||
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