雲奔る 小説・雲井龍雄
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藤沢周平氏の小説は好きで、中には2度、3度と読み返したものが、随分とある。山本周五郎のように説教臭くはないし、描写が緻密で、しかも自然、そして無理に話を作ろうとしないところが好い。素直に共感できる小説が多い中で本書は、書棚に30年近く留まったまゝで、あった。「あとがき」に氏は、「私の郷里から、明治維新と呼ばれる激動期に、志士として積極的にかかわり合った人が二人」と記すが、うち一人「清河八郎」は、「回転の門」で、知を誇り、才に溺れる男の顛末として描かれており、あと一人「雲井龍男」も、最期は「梟首」となる人で、志半ばにして斃れる、の話ではと、遠ざけて来た。 ところがである。氏の著作でいえば、本書は直木賞受賞直後の初期に属し、最初の方は、この時期特有の鬱屈した暗さが支配的であるが、志を得て江戸・京都に出る頃からは、その暗さが緊張感ある筆致と展開の速い動的な運びに移るに連れ、生得の生真面目さや御し難い「逆上(のぼせ)」の気質に引き摺られる場面は残るものの、志への一途さや真摯な向かい様が物語に爽やかさを醸し出し、印象が全く違った。「雲井龍男」には、『時』よりも『地』が、それも奥羽の、過ぎし歴史を含む、『地』に沁みた一種の『心情』が最期まで働いた、その物語として、心静かに受け止めることが出来た。 藤沢周平氏の「龍男に対する、長い間の一種の気がかりのようなもの」からの解放が、筆致とともに伝わる、好著と評したい。 | ||||
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幕末・米沢・会津のことを知らなかったので とても考え深い気持ちです。 | ||||
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藤沢周平1974年の作品、 雲井龍雄(1844-1871、天保15年-明治3年)の評伝風歴史小説、 藤沢周平を初めて読んだが、作風をまったく誤解していた、 映画化された作品の印象からメロドラマよりの人情話調かと思っていたが、これは堂々たる歴史小説、 著者は私の予想をはるかに超えて漢籍に詳しく、重厚な単語が頻出する格調高い文章が並ぶ、 ただし美文の印象はない、 この後、長く活躍した著者だから晩年に向かってさらに文章が円熟したに違いない、 雲井龍雄はいわば知る人ぞ知る幕末維新期の志士、 遅れてきた志士が時と場所を得ることなく、時代の濁流に飲み込まれてゆく悲劇がたんたんと綴られてゆく、 司馬遼太郎系の薩長主導明治維新に何の疑問も抱かない歴史観からは生まれようもない小説だから、明治150年を経過した今、改めて幕末維新を再考してみたい読者に最適な小説として推薦できる、 著者の主人公に対する姿勢はきわめて公平であり、雲井龍雄を強く美化することなく彼の称えるべき点は遠慮なく称え、彼の性分と遅れてきた者ゆえの限界も遠慮なく指摘しながら物語を進めてゆく、 それゆえに司馬遼太郎風歴史小説のような娯楽性は著しく低く、読者を選んでしまうと思う、 著者の冷静さは賢人として現在も人気の高い上杉鷹山の限界も冷静に指摘している、 で、以前から思っていたが兼続以降幕末までの米沢藩の処世がきわめて狡猾な印象を再認識してしまった、 P.266に龍雄の名言が載っていたのでメモしておく、 ”制度というものは漸を以って成り、人力を以って変じ得べきものではない、これを強いて一変しようとすれば民の不幸となる、” だから龍雄は制度を強いて一変し民を不幸にし続けた20世紀を予言していたと大げさには評価していいのかもしれない、 | ||||
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壮大かつ緻密で面白い。また、色々な歴史感が味わえて良かった。 | ||||
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今までに無かった内容の長編小説で、日本の歴史にのっとった新しい作品で、大変興味深く読みました。 | ||||
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