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維新の肖像
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維新の肖像の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.59pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全24件 1~20 1/2ページ
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華やかな明治維新の成功から第2次大戦敗戦に至る僅か2世代60年の我が国の歴史は禍機とか転落とか呼ばれる。近代史最大のテーマであり現在に繋がる重い避けて通れない問題提起の時期でもある。歴史とは言えまだまだ生々しい。この話題をオムニバス風に父は会津戦争の敗者として子は米国から日本を見る歴史の碩学の立場で夫々小説風に著者一流の 歴史観でまとめている力作である。興味深く 読むと共に夫々個々人に深く考えさせる課題を提供している。 | ||||
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学校で習う歴史は勝者からの視点。ただ歴史が好きでその奥深くに入り込んで行くと別の角度からみた歴史にたどり着く。歴史とは勝者と敗者の両面から見ないと真実は見えてこない。。。 | ||||
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どっちが良い悪い どっちが正しかったかどうかとは 何とも言えないですよね 明治維新がなければ 軍国主義、国粋主義の天皇陛下万歳の大日本帝国として太平洋戦争まで突き進まなかったのかどうか? それはわからない 誰も100%悪者には出来ない と飴村行さんがこの本を巻末のあとがきで取り上げて仰ってました。 | ||||
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大変読み応えがあり、内容も素晴らしく、良かったです。 | ||||
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すごく真剣に楽しくまた深く歴史に入り込め勉強にもなり嬉しかったです、 | ||||
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田原坂の戦いは二本松の戦いの報いだったのですね。孝明天皇暗殺者は、伊藤博文かな? | ||||
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きっと本当だろうと思わせる執筆。かなりおもしろかったです。目から鱗でもありました。 | ||||
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事実をもとにしたフィクションですが司馬遼太郎氏と違い殆ど知られていない二本松藩士に焦点を当てて戊辰戦争を描いています。当然反薩長側からの描写ですがあまり触れられていない明治維新の闇と謎の部分に大胆な仮説を展開しており小説としての凄みがあります。斬新な描写方法は好き嫌いが分かれるでしょうが歴史小説というジャンルを超えた傑作だと思います。 | ||||
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二本松藩の終末についてよくわかりました。父祖の霊が鎮魂されると思います。ありがとうございました。 | ||||
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小生ごときが何を云わんや。圧倒されてぐの音も出ない、主人公の朝河貫一氏のその後は察するに余りあり。さぞやご無念であったろう。 合掌するのみ。 | ||||
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戊辰戦争&明治維新の一面を知るのに大変勉強になりました。一読に値する本です。 | ||||
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恥ずかしながら本書を読むまで、主人公である朝河正澄、貫一親子のことを存じ上げませんでした。しかし明治維新については原田伊織さんの「明治維新という過ち」を読んで以降疑問に思っていました。歴史は勝者によって紡がれる…勝てば官軍、負ければ賊軍。で済ませていいのか? | ||||
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朝河正澄と貫一の父子の物語。朝河貫一はイェール大学の歴史学博士で、教授として西洋史を担当した。 歴史小説の材料は、父の正澄が書き残した伝記と二本松市史の記述、そして朝河貫一の残した朝河資料が主である。これらをもとに、幕末の薩摩藩邸「焼き討ち」に加わり戊辰戦争で白河城の戦いから二本松城落城までの正澄の行動を、1932年の冬から春にかけての貫一が追想して、歴史小説にまとめるという想像上のストーリーが骨格となるが、正澄の思想や、貫一の思想は丹念にフォローされ、ストーリーの中に織り込まれている。 また、小説には、もう一つの舞台設定が施されてあり、歴史小説を1932年に朝河貫一が書き上げる過程で父を追想しながら、戊辰戦争を既得権益擁護に走った封建的な東北諸藩と、近代的な革命を志向する薩長という構図をひっくり返していく。 そこで主張されたのは、明治維新とは従来言われきてたようなものではなく、むしろ、謀略を使って武士の倫理に反する計略を使って将軍を貶め、孝明天皇を暗殺し、武器商人からアメリカ南北戦争後に不要となったスペンサー銃とアームストロング砲を買い込み武力に任せて、有司専制体制を薩長が築いていったものではないかという主張であり、また、その延長に日本の軍国主義の台頭はあったという主張である。実際、朝河貫一の想像上の歴史小説執筆ストーリーが展開される際には、同時代的に起こっていた第一次上海事変における日蓮宗僧侶の謀殺や柳条湖の謀略が展開される。 実際に、朝河がこうした事件への抗議を有力者宛に書簡を送出して展開したことも、朝河貫一が想像した父の歴史小説執筆ストーリーと重なって展開される。かつての長州に武器を売り込んだアメリカ企業のネットワークは武器商売から成長したアメリカの鉱山企業に伸び、それはイェール大学を裏からコントロールせんとする人間たちとなって、貫一をイェール大学から追い出さんとする計画として展開され、それらに抵抗しながら、貫一は歴史小説を執筆するというストーリーとして展開される。 戊辰戦争は首級のための戦争ではなく、むしろ、死をとして旧時代の武士の生き方・正義を守り、それに殉じることで、薩長の非を未来に訴えようとした行動であったという点を、貫一自らが執筆を通じて悟り、父への思いを反省しながら、それを満州事変以後の軍部の起源に重ねることが、大きな焦点となる。 歴史小説とは、こういう仕掛けをするものなのか、圧巻の思いで読み通した。事実としては、貫一と正澄の父子の関係は極めて良かったと考えられる(早稲田大学で2020年2月に展示された朝河正澄の掛け軸…貫一がイェール大学のアメリカ桜の押し花を送ったことに感銘して書かれたもの)ことだけが気になったが、歴史的事実に大きく矛盾する記述はほとんどなく、想像上の人物を登場させることで、生き生きとしたストーリーが語られる。イェール大学で朝河が無事に研究生活を続けることができたのも、このような苦労の賜物ではないかとさえ、感じられた。 | ||||
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私だけが愚かだったのでしょうか。明治維新とは旧体制を覆す、新しい日本を作り上げた素晴らしい運動だつた。だからこそ近代日本の礎が築かれた。そのお蔭で今日の日本の発展が作られたのだと。これまで明治維新は素晴らしいものだとの考えには少しも疑問を持ちませんでした。そして旧体制をあくまで固持しようとした奥羽や諸藩の何とも利己的な既得権利を守りたいという抵抗によって戊辰戦争がひきおこされ、その旧幕府軍の抵抗と戦い勝ち取った新政府の勝利それが明治維新であり、その立役者たちは英雄?だが考えてみれば、旧幕府軍の起こした戊申戦争といわれる全国規模の抵抗は何だつたのでしょう?なぜあれほどの規模で全国で戦いが起こったのでしょう。そして明治維新から続いていく軍閥体制の起こした世界大戦を私たちはどう考えなければならないのでしょう。著者の提言を改めて考えました。もしかして明治維新とはイスラム国のテロ革命と同じだった?そんな側面もあるのではないかと。 | ||||
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浅学ながら、主人公である二人の父子のことは知りませんでしたが、この小説によって本当の日本人の精神性を再考させるには十分でした。維新は先見性のない徳川幕府の無血開城と一部の侍の時代にしがみついた残党の争いで終わりみたいな歴史教育はしないでほしいものです。 | ||||
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朝河貫一は日本と西欧の封建制を比較検討した学者で日本人として初めてイェール大学の教授になった人だ。日米開戦をなんとか避けようと昭和天皇からルーズベルト大統領への親書を送るべく奔走した人物である。それほど有名な人ではないと思うのだが、筆者にとっては、郷里の偉人であり青年期に朝河貫一の人物や業績がまとまった形で紹介されたこともあって、割となじみ深い。 その朝河貫一が、満州事変へ向かう日本のダメさは薩長の謀略と覇権という明治維新の性格自体に由来すると考え、戊辰戦争では二本松藩士として賊軍の一員であった父・朝河正澄が残した維新期の資料を基に小説を執筆するというのが本作品のあらましである。日本の横暴に対して反日機運が高まる米国内での貫一の日常生活とその中で起きる事件もストーリーに絡んでくる。筆者はたまたま著者の南北朝ものの作品を続けて読んでいて、本書が目に留まりあらましを知った前述の様ななじみ深さもあり読まないわけにはいかない。 作中、貫一が維新期を扱うに当たって小説という形式を選択し、また父親の残した資料を用いながら客観性を失わないために英語で執筆するという描写は、「小説を書く」という作業に対する作中人物による自己言及であり、メタフィクションぽい趣向で面白い。 内容的には正澄が上役に「よく士魂を練ってきた」と褒められるあたり、今までに読んだ作品と同様に倫理性や理想といったものへの作者の姿勢が表れていて好ましい。しかし、それ以上に小説としの見所は、ずるい薩長は圧倒的に強くて統制も取れているのに対して、賊軍側には立派な人もちらほらいるのだが、どちらかというと少数派で俗物に足を引っ張られる。しかも無謀に戦争をして負ける。ちょど薩長が非道な日本軍の源流だとすると、賊軍はダメな日本軍の源流といった感じだ。両軍どっちもどっちの中で「良い人」たちは一生懸命頑張るのだが、報われることなく死んでいったりする。貫一パートに比べて正澄パートは描写がより客観的だ。そして戊辰「戦後」の貫一の回想に描かれる「生き残った」正澄の描写はもっと客観的である。この辺の描き分けの演出も趣深い。 こう書いてくると本作品は極めて暗い感じだし、私たちはその後の歴史を知っているのでいくらでも陰惨な想像を掻き立てることができるのだが、読後感はむしろさわやかである。その辺が貫一パートの事件の顛末と落ちのつき方にある。巧みなんだろうが外連味のない展開だ。しかし落ちには旧秋田藩佐竹家が関わっている。秋田藩はさっさと官軍について庄内藩や盛岡藩に攻め込まれたりしたわけだが、東北6県の中で県庁が主要な藩の城下に置かれたのは岩手、秋田、宮城の3県で、そのうち県庁所在地名と県名が一致するのは秋田だけなのは前述の様な事情によるものと思われる。そういう秋田藩佐竹家をオチに絡めてきたのは「ダメダメな日本」を最後に「ダメなりに良いところもたくさんあるよね」とひっくり返す作者の狙いと感じられて構成の妙に感じ入った。 | ||||
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日露戦争後に「日本の禍機」を著し、驕れる日本に警鐘を鳴らした慧眼の歴史学者、朝河貫一。満洲事変以降、排日の気運が日に日に高まる米国において、日本人たる貫一は、身の危険すら感じるようになっていた。 強引な対外侵略を止めるよう日本政府高官に手紙を書き続ける貫一だが、増長する一方の祖国の姿を見て、無力感に苛まれていた。 そんな折りに思い起こしたのは、道理を無視した薩長に抵抗し、奥州で新政府軍と激しく戦った父の生きざま。明治維新を礼賛する教育を受けて育った貫一は、「賊軍」であった父に長い間反発していた。が、暴走する日本を見るにつれ、明治維新そのものの正義に疑問を抱くようになった。 物語は、1930年代の米国と、幕末維新期の江戸・奥州とを行きつ戻りつ展開する。 大政奉還した幕府を戦いに引きずり込むためだけに、江戸の無辜の民を殺傷し続けた薩摩。慶喜の恭順は受け容れながら、会津の恭順は頑として認めずに奥州で殺戮を繰り返した長州。その姿が、大陸進出時の日本に重なる。 最近は、明治維新礼賛史観を真っ向から否定する書物が、多数上梓されている。明治維新で得たものだけでなく、明治維新により日本から喪われたものにも目を向けなければならない。そう強く思わされた作品。読んでよかった。 | ||||
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あるきっかけで朝河貫一『日本の禍機』(講談社学術文庫)〔1909年(明治42年)実業之日本社刊〕を知り、朝河貫一とはどんな人なのか知りたくなった。その時、福島県立図書館で『海を渡ったサムライ 朝河貫一没後70年記念展』(2018年6.8~9.5)が開催されることを知り、さらに『維新の肖像』が朝河貫一親子の物語であることを知りました。 宗形幸八郎昌武(朝河正澄。貫一の父)の維新時の生き方と貫一のイェール大学教授としての生き方が二重構造で示される。 2011年3.11の東京電力福島原発事故について、2012年7.5に出された国会事故調報告書の『はじめに』で黒川清委員長は、「100年ほど前に、ある警告が福島が生んだ偉人、朝河貫一によってなされていた。朝川は、日露戦争に勝利した後の日本国家のありように警鐘を鳴らす書『日本の禍機』を著し、日露戦争以後に「変われなかった」日本が進んで行くであろう道を、正確に予測していた。「変われなかった」ことで起きてしまった今回の大事故に、日本が今後どう対応し、どう変わっていくのか、これを、世界は厳しく注視している。この経験を私たちは無駄にしてはならない。…」と述べている。 イェール大学教授であった朝河貫一博士は、比較法制史の世界の学界では名声であったが、日本では知られていない。たまたま『日本の禍機』を知ったことから、貫一の生涯を知りたくなり、本書によって、貫一親子の生き方・考え方が活き活きとよくわかる素晴らしいものです。しかも、貫一が父親の歴史を小説に書くという二重構造になっている。 本書のあとは、ぜひ『日本の禍機』や『100年前からの警告』(花伝社)も手にとってほしい。まさに、現在の私たちに対する警告であることがよくわかる。 | ||||
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いい悪いという二元論ではなく、それぞれの生き方に感激しました。 | ||||
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実際に維新をくぐり抜けた人物で、面白かった。 龍馬が何故死んだか、そして犯人が不明と言うが、この人は江戸を守るために 働き、結果的にはその後教師になり、息子を立派に育てた。 その生き様は見事。 | ||||
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