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ナ・バ・テア
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ナ・バ・テアの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.33pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全30件 1~20 1/2ページ
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飛行シーンの用語が沢山出てきて、頭の中に映像が取りづらく苦戦していました。 でも読み進めていくうちにスイトが気になり読破。 続けて次回作も購入。 シリーズ最後迄読み、再読しています。 | ||||
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解釈などは人によって異なるが、考えさせられる本だった。 大人、皆の目標として戦闘機を操縦するエースパイロットであるティーチャ、子供(キルドレ)としてティーチャ(大人)を目標に戦闘機を操縦する主人公たち。普段、自分たちが"大人"に描いている妄想と現実。大人になるとは、どういうことなのか?をストーリーを通じて考えさせられた。 | ||||
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散香の動的安定性マージンは、負である。 コックピット後方にプロペラを持つ、プッシャ式(推進式)の戦闘機。主翼の前方にカーナード(前翼)を持つ特異なスタイルは、劇中、天才パイロットである草薙水素によって、軽く、極めて機動性が高い機体として評価されている。この散香の、航空力学における動的安定性マージンは、マイナス(負)となっている。 旅客を快適に輸送するための旅客機は、たとえ操縦桿から手を離したとしても安定したグライド(滑空)を見せる。しかし戦うために作られた散香は、その不安定さこそがアイデンティティーそのものとなっている。一瞬にして揚力を失い、追尾してくる敵機を前方にやり過ごし、そして瞬時に攻守を入れ替えての銃撃。劇中で草薙が得意とする、ストールターンのマニューバ(戦闘機動)だって、この不安定さがあってからこそ成立するギリギリの行動だ。 未だピストンレスエンジン(=ジェットエンジン)は発明されていない、今とは異なる世界。 そこでは世界の安定を図るため、戦争を一企業の営利活動として行わせる、という政策がとられている。有史以来、人の歴史に戦争の絶えたことはなかった。しかしそれを、国家間の大規模な争いでなく、私企業同士の空中戦という形での限定された形に封じ込めることにより、民衆の国家への帰属意識を暴走させることなく、また、人間が本来持っている闘争心を代理消費させることで、大きな混乱を未然に防ぐことに成功した世界。 その私企業の空中戦は、キルドレ、という子どもたちによって行われている。 成長をやめた子どもたち。誰もが中学生程度の年齢で成長を止め、精神的にも肉体的にも未熟なまま、言い換えれば純粋さを持ったまま、永遠に生き続ける子どもたち。 キルドレは誰もが世界の安定のための生贄であることを感じながら、それとはまったく異なる次元に生きている。 それは、白い雲を越えた先の、スカイブルーの世界。 そこで行われる戦闘は、相手を落とさなければ自分が落とされる、という厳然としたルールのもとで行われる、しかしあくまで優美で美しい、“ダンス”。 強烈なGと混濁する意識の中で、互いに相手の後ろを取ろうと、互いに自分優位の体制で機関銃の引き金を引こうと競り合う子どもたちはしかし、とても深いところで互いを尊敬しあい、互いの命を預けあう。どちらかが撃墜されるという前提のもとで交わされる、極めて純粋な敬意と称賛。 そして何より彼らが大切にするのは、高空の中でしか得られない、真の自由。命をやり取りすることで初めて生まれる、尊く気高い自由。 ラダーを切ってフラップを上げ、ナイフ・エッジの体勢からスロットルを開ける。どこまでも自由で、美しい戦闘機動の描写が続く。冷たく、冴えた高空の上で。 それと対比され、キルドレ達が激しく唾棄する、地上の世界。換言すればそれは、大人の世界であり、汚れて、粘着質の情念が渦巻く世界。そこで彼らは呼吸することも満足にできず、コミュニケーションも不全となり、自らを律する背骨を失うように見える。 その、空と陸の、子どもと大人の、清と濁のコントラストが、この「スカイ・クロラ」シリーズのテーマそのものだ。 自分自身は一体、どこを飛んでいる、と思うか? 空気が薄く、気温は低く。その代りどこまでも青く透き通ったあの空か。あるいは濃密な大気圧に押しつぶされ、さまざまな匂いの入り混じったこの地上か。 心はいつでも少年のつもりでいても、自分がしていることは、彼らが憎む大人のやりくちなのではないのか? 筆者である森は、永遠のキルドレのひとりである森は、読み手の喉元に鋭く、その問いを突き付ける。お前は敵なのか、味方なのか、と。 本書の主人公であるキルドレのひとり、草薙水素の愛する機体は散香A2。先行開発型の高性能テスト機である。極めてピーキーなその戦闘機の、動的安定性マージンは、負である。 まさに、この物語そのもののように、危うく、そして鋭角な印象をもたらす。 そしてそれは、我々が生きるこの、二律背反した世界そのものであるとも言えるのではないだろうか? | ||||
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「スカイ・クロラ」シリーズ第2作で、年代順で行くと第1作にあたる作品。 「スカイ・クロラ」で指揮官だったクサナギがパイロット時代が描かれます。 永遠に子どもである「僕」と大人の「彼」の物語。 登場人物それぞれがなんらかのいらだちを抱えながら、戦争という日常を生きていきます。 戦争が舞台であるのにとても静謐な作品に仕上がっており、そのために超リアルな戦闘シーンが際立ちます。 | ||||
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文章の緩急が物凄い。 きっと、考えるスピードと書くスピードが同じくらいなんでしょうね、森氏。 読んでいて、文章で書いてあることなのか、今自分自身が考えていることなのか、一瞬混乱するぐらい。 読んでいて、文章で書いてあることなのか、今自分が操縦しているのか、一瞬わからなくなるくらい。 皆さんにもきっとクサナギと同じような時期があったはず。 クサナギはその時期がずっと続いているんです。 | ||||
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田舎だとなかなか揃わないのでポチりました。買えて良かったです。 | ||||
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自分の場合は過去に映画版を見ていて、当時理解できなかった部分を補完するために読み始めたのですが素直にハマりました。 映画のイメージでこれを読むと草薙氏の印象に少しギャップを感じますが内容が面白いので特に気になりませんでした。 戦闘シーンは空戦機動の専門用語オンパレードなので、一体何をしているのか分からない人も沢山いると思いますが、 そこが分からなくてもスト-リー的には殆ど影響ないので「なんか飛び回りながら撃ち合ってるんだなぁ」程度でもイイと思います。 (とはいえ、状況がイメージ出来た方が更に面白くなるので、軽く調べてみるのもいいでしょう。) 「で、結局、映画版の謎部分はハッキリしたのか?」というと、大まかな部分はスッキリしました。 | ||||
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ごく一般的な事だろうが、私は戦闘機を操縦できないし、戦闘機に詳しくもない。 ただ、とても共感できる。 ひそやかで冷たく見える、子供の思い描く完全な世界。そこに長くはいられないことも、いつしか彼女も飛ばなくなるだろうという物語の促す〈予感〉さえも、とても覚えのある感覚のように思う。 「キルドレ」などの特殊な設定が目を引くかもしれないが、その〈特殊さ〉を引けば、それは結構、現実味のある感情ではないだろうか。 ただ「あとがき」で、よしもとばなな氏も『人よりもむしろ犬のほうが話が合うような人生』と述べているように、それはよそから見たら、ちょっと偏屈というか……「誰にも分かってもらえなくて結構」、むしろ「なぜみんなはわからないんだろう?」というような視点を持ったことのないタイプには、ひょっとしたら鼻につくのかもしれない(いや、この説明のほうが、もっと鼻につく気もしないではないが)。 戦闘機が分からない私にも、戦闘シーンの描写は見ていて気持ち良い。怖いくせに。でも、楽しいんだろうな。そんな気持ちにさせられる。 ――昔々、私も空にいた気がする。そんな錯覚を覚える一冊。 いや、やっぱ海だったかも。まいっか。 | ||||
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大人になれない子供たちの空を愛する純粋で美しい飛行機乗りの物語。 僕はもう大人になってしまい、こんな真っ直ぐな気持ちに近づけることはもうないのかもしれないと感じました。 登場人物の同じ飛行機乗りであり、主人公とは異なり大人であるティーチャーとその主人公との関係は尊敬や恋愛感情、空の仲間としての距離感を不安定に保ちながら話は進行していきます。 主人公の心の揺れる様がとても新鮮で僕みたいな人間には踏み込めない世界だと感じました。 こんな綺麗な心を持った人間の話を僕は初めて読みました。 この本に出会えたことに作者に本当に感謝します。 森博嗣さん ありがとう。 オススメの一冊です。 | ||||
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中学3年の頃、公開された「スカイ・クロラ」の映画を観れず、どうしても読みたいと思い、手に取りました。シリーズの中で、この本を最初に読むべきだと思います。「大人」になるとはどういう事なのか、「戦争」の意義とは…?たくさん考えさせられました。こんな本には初めて出会いました。私の大好きな一冊です。 | ||||
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スカイ・クロラシリーズの第二弾。 時間軸的には、「スカイ・クロラ」より前で プッシャタイプが投入され、 トラクタタイプが衰退しはじめた時期の話。 主人公は「僕」。 この「僕」は、ストーリの前半で誰だかわかるのだが、驚く人物であった。 「スカイ・クロラ」で登場するクサナギ・ミズキの秘密が明らかになり、 エプローグではカウリングに施す反射防止の黒塗りを黒猫にしている戦闘機が登場する。 このパイロットも誰かがわかる。 「スカイ・クロラ」同様に ドックファイトの描写は冴えていて 読んでいて熱くなる。 | ||||
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個人的にとても好きで繰り返し読んでいます。 おそらく人生で一番読み返している作品です。 森さんの作品では四季も好きなのですが、この作品が一番好きです。四季は天才の世界を垣間見て、自分とあまりに違うのでゾクゾクするような感覚を覚えます。この作品は自分の世界とは全く違うのですが、四季とは異なり感情は心に染み渡るような感覚があります。読みたくなるのは大抵の場合、落ち込んだとき、嫌なことがあり悶々としてしまうとき、やるせない怒りが沸々と湧いてしまうときなど。 何のために生きているんだろう、 こんな人生何の意味があるんだろうなどと、 思い悩んだときに救われています。読むことで渦巻いていた感情が不思議と落ち着いていき、 まだ大丈夫、生きていける という気持ちになるのです。自分ではどうしようもないことも受け入れつつ、生きていこうという気持ちになれます。生きることが辛くなったとき、明日がやってきてしまうことに怯えるときなどには、少しの気力すら湧かない気持ちに陥ることもあるのですが、この作品を読むとそんな気持ちが少し軽くなるのです。癒されたような、救われたような気持ちになるのです。文庫版のよしもとばななさんの解説もとても素晴らしいので 是非よしもとさんの解説も読了された後読んでいただきたいです。 これまでに、好きな作家さんの本を読み終わった後で解説を読み、 こんな解説なら読まなければ良かった 素敵な気分が台無しだ、 と思うことは何度もありました。 しかし、よしもとさんの解説は唸ってしまう程に絶妙で美しく、 解説込みで大好きな作品です。解説を読んでよしもとさんにも惚れ惚れしてしまいました。 | ||||
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前作【スカイ・クロラ】シリーズの第二作。ストーリーは前作よりも数年遡った頃を描いている。 始め主人公が一人称【僕】を使い、やたら僕、僕言うので主人公は男なもんだと思い込んでいた。だが途中で主人公が前作にも登場した主要キャラクターの【クサナギスイト】だと解ると面食らってしまった。そういった一方的な決め付け(女の子は僕とは言わないもん)などが要するに大人のエゴなのだなと実感した。 でも、作中でクサナギは自分が女である事を毛嫌いしている節がある。にも関わらず、ティーチャを見る目が尊敬や憧れから、ほんの僅かな恋心へ変わってく。これは戦死したヒガサワの感情が乗り移ったような不思議な描き方をしている。 その戦死したヒガサワを見ていた野次馬が「可哀想に」と口々に言い。それを「馬鹿野朗。可哀想なんかじゃない。」と一蹴するシーンは特に印象的だ。 | ||||
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時系列順でいえば最初に当たる作品なのですが、多くの方は「スカイ・クロラ」から読み進んで来られたのではないでしょうか。 斯く言う私もその1人でした。 当然の如くクサナギの過去を紐解く事を欲していた私には堪えられない作品です。前作では垣間見る事の出来なかった過去の一端が、自らを「僕」と呼ぶクサナギ自身の視点で語られてゆきます。 「読み出して広がる世界にワクワクする」と言えば少し語弊があるかもしれません。 が、最初に読み進むときの気持は正にそんな感じでした。 クサナギの視点を通して観る世界。 先ずその事で変にテンションが上がってしまうのです。 実際、クサナギの空での素顔やティーチャとのやり取りは初々しいと表現したくなる様なモノです。ササクラとのコミュニケーションをしてる姿など目を細めて見たくなる程の魅力に満ちています。(個人的にササクラにはシリーズを通しての助演男優賞を差し上げたい!) 今作の魅力を1つ挙げるなら思春期(!)のクサナギの気持が直に伝わる感覚。それこそが今作のキモと言う気がします。 後々のクサナギとの対比で鮮烈に蘇るその姿を。 読み返す度に、強く感じずには居られない。 私にとってはそんな作品です。 | ||||
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信じる神を持たず、メカニックと操縦桿を握る自分の腕だけを信じて、戦闘機乗りを職業に、戦争を日常に生きる子供たち。地上を厭い、空でしか笑えない「僕」は、飛ぶために生まれてきたんだ―大人になってしまった「彼」と、子供のまま永遠を生きる「僕」が紡ぐ物語。 「戦う理由があるから、これだけ大勢が、これだけのエネルギィを使って、準備をして、苦労をして、命をかけているのです」 | ||||
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無味、無色、無臭。 そんな感じさえ与える世界観。 言い方を代えると 非常に乾いた大陸の草原のような感じの世界観といえるかもしれない。 けれども、空中戦を描写するテンポ、話の展開のメリハリ。 どれも、理系的に計算されているような印象を与える。 頭の良い著者の世界に、すーっと引き込まれる。 このシリーズに共通する一貫した世界観が、読者に上質の楽しみを 与えてくれる。 著者に感謝。 | ||||
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スカイ・クロラから時間をさかのぼったクサナギスイトの物語。 空は幾分、死に近い。空戦はゲームに似ていて、死はキルドレにとって単なるゲームオーバーだ。爆音も、手に残る衝撃も、Gも匂いも吐き気も、事実ではあるが生々しさには遠い。 キルドレたちは生や現実に感情を吐き出さない。 子どもにとって、死は近い。まだ生の実感から遠いからだ。普通の子どもはだから死をひどく恐れる。キルドレにとっては、死も生も同じ無関心さの先にある。 ならば何故、ティーチャは飛ぶ?ふたたびチータに戻って黒猫マークを描いた敵機に、クサナギスイトは意味より先に親近感を抱く。 | ||||
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『ナ・バ・テア』を読んでいて、途端にあることが判らなくなった。 彼らが言うところの、「大人」や「子供」とは何だろうか。何年ぶりかに会った親族に言われた「大人になったね。」という言葉みたいに、それは自分を子供とみて発したものなのか、額面どおり大人に発したものなのか、考えてみると判然としない。そんなどこか飲み込み難い違和感を、同じように、本作中の「大人」と「子供」という言葉にも覚えた。 原因は、おそらく「キルドレ」という概念にあるのだと思う。しかし、何を拒めば子供のままでいられるのか、何を受け入れれば大人になれるのか、現実世界でもそんなにはっきりとしたものだろうか。 「あの人は大人だ。」とか「お前は、まだ子供だな。」といった言葉を聞くたびに、そうだよな、と一旦は飲み込むものの、何を基準にそう判断しているのかは判らない。 メディアで、「働かない20代・30代」や「罪を犯した20代・30代」のことを、「いつまでも子供のままだ。」と言ったり、「ゲーム世代」とか言うことで非難する「自称大人」は、ただ単に、自分とは違う存在とみなしたいがゆえに、あまりに安易に「子供」という言葉を使ってはいないか。 「無責任な大人」と「責任感のある子供」に決定的な違いがあるとすれば、それは年齢でしかないのではないか。「無責任な大人」を「子供」とみなすことで自分の世界から排除する「自称大人」は、明確に「大人」と割り切れるものなど存在しないということを認めることで、罪を犯す者もまた、自分と同じ存在であると認めることになるということを恐れているのかもしれない。 果たして、「大人」と「子供」の境界線が曖昧になったところで、いま一度『ナ・バ・テア』を読むとき、草薙が拒む大人とは何か、子供のままでいるとはどういうことか、新しい視点が生まれるはずである。 この本を読む人は、作者の仕掛けた罠によって、一度自分の内にある先入観に囚われる。しかし、先に述べた新たな視点で、もう一度これを読み返すことで、その罠から解放されるだろう。しかし、その「解放」もまた作者の仕掛けた罠なのかもしれない。 「解放・開放」された先には、「孤独」が待っているかもしれない。それは、草薙にも、死んでいった人間(キルドレ)にも当て嵌まる。『ナ・バ・テア』。題名に込められた意味を考えたとき、ふと、得体の知れない感情が産まれた気がした。 | ||||
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スカイ・クロラを読んだときは、くじけそうだった・・・。でも、このナ・バ・テアは、読んでいて私も一緒に空を飛んでる気分に慣れたし、主人公の感覚に好感がもてました。 でも、ずいぶん読み進めるまでは、この主人公は一体だれ????って非常にわかりませんでした。「ところでこれは一体誰??」と思いながらいい意味のモチベーションで読み進められました。この本を読んだから絶対続きよんじゃいますよね!! | ||||
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……そうですか、これが2巻でしたか……最初に読んじゃったよ。 推理小説では迷走気味の森博嗣さんの他分野での作品で、以前から色々な人に薦められていたので読んでみました。 大正解でした。 戦闘機乗りの女性とその憧れ、目標になっている「ティーチャ」との話を軸にシンプルに、まるで読者が空を飛んでいるかのように浮遊感のある心地よい作品になっています。扱っているストーリーは生死を分けるものもあり決して軽いものではないのですが、なんとなく心地よく感じてしまいます。 新谷かおるさんの小説版を読んだような感じ……かな。 続けて読んでみようと思います。 | ||||
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