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永遠に残るは: クリフトン年代記 第7部
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永遠に残るは: クリフトン年代記 第7部の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.25pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全28件 21~28 2/2ページ
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| 「クリフトン年代記」第7部『永遠に残るは』上巻は、エマ・クリフトンの「船尾にカナダの国旗を揚げた船を、エマは必ず二度見ることにしていた。」というエマの複雑な心境を描写しながらのプロローグで始まる。 「メイプル・リーフ号」が、老朽船となって解体されるから、その船底からハリーの父アーサー・クリフトンの遺骸が確認できる可能性を秘めているからである。(下巻でDNA検査の結果ハリーとエマは異母兄妹でなかったことが証明される。) 第7部上巻では、ジャイルズの妻のカリンが、危うい諜報の仕事が露見し、間一髪殺されるところで救助される。 総選挙で保守党が勝利し、マーガレット・サッチャーが、ダウニング街10番地の主となり、エマが閣僚に任命され、兄のジャイルズと対峙することになった。 著者は、エマ対ジャイルズの政治家としてのエピソードなどでページを割くが、なんといってもこの物語では悪漢たちの動向が一番面白い。 あらたに登場したソールキン・インターナショナル代表のソールキン・コンラッドが気になるし、もちろん、レディ・ヴァージニア・フェンウィックや刑務所の住人となっているデズモンド・メラー、メラー・トラベルを乗っ取ったエイドリアン・スローンなどからも目を離せない。 この物語は、なんといってもレディ・ヴァージニア・フェンウィックが、窮地に追い込まれながら次から次へ繰り出す狡知に長けた遣り口に、評者などは期待さえ感じながらページを繰っていたのです。 評者は、この「クリフトン年代記」は、レディ・ヴァージニア・フェンウィックが主役ではないだろうかと思いながら読み進んでしまった。 第7部上巻は、セブの娘ジェシカの唐突としか思えない目障りで面白くもない、とってつけたようなエピソードで終えていた。 さて、さて、第1部の上巻を読んだ時に、最期まで読む気力などないとレビューに書いてしまったが、とうとう第7部『永遠に残るは』下巻まで辿りついてしまった。 この下巻では、レディ・ヴァージニア・フェンウィックの次なる謀りごとは?と、期待しながら読みはじめてしまった。 イギリスの富裕層の成功物語として読んでくると、少々退屈してくるへそ曲がりな評者だから、これだけ長編になるとあまり本筋に興味がなくなり、脇役であり敵役のレディ・ヴァージニア・フェンウィックを応援したくさえなってきてしまったのです。 ハードフォード侯爵から遺贈(彼女が生きている間だけ所有できる)された明時代の超高価な花瓶二個を叩きつけてしまったエピソードには、拍手さえしたくなってしまったのである。 ハリーの追悼礼拝式で大聖堂へ入っていったジャイルズが意外な参列者を目にして、「侯爵未亡人としてふさわしい待遇を受けられることを期待してはいないように見えた。」と語っている。 この物語のレディ・ヴァージニア・フェンウィック最期の登場シーンである。 著者ジェフリー・アーチャーが、このヴァージニアの謀ごとのエピソードを生み出す上手さは抜群であり、もうハリーとエマが人生の終焉を迎える感動のシーンなどは、おまけのように感じながら『クリフトン年代記』第7部上・下巻を読み終えたのです。 | ||||
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| 全巻読んでいますが、クリフトン家の波瀾万丈の一代を見事に描ききりました。ハラハラもあり、ついつい読み進んでしまいます。 | ||||
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| 最終巻ということで、様々な伏線も回収されたりしましたが、7巻まで続いたのに終わり方があっけなさ過ぎるように思います。 上下巻で展開されるのは、悪役たちへのお仕置き物語と、孫娘のご乱行矯正物語でほぼ占められ、主人公サイドには、ほぼ波乱や緊迫と呼べるものはありません。まあ、議会での兄妹対決ぐらいでしょうか。 悪役たちには後味の悪いお仕置きもあったりしますが、ラスボスのヴァージニアは、最後までしぶとく生き残りましたね。 「ハリーの父親」問題も、DNA検査結果が来てあっけなく決着ですし(まあ、この問題もハリーとエマの結婚、相続問題が片付いた時点で読者にとっても恐らくは著者にとってもどうでもいい問題になってはいましたが)。 最後のジャイルズの追悼演説は泣けるかもしれませんが、敵対していた二人が最後の最後で理解し合う「ケインとアベル」のラストの方が泣けるんじゃないでしょうか。 主人公ハリーは、急死したエマに事実上後追い「自殺」するわけですが、リチャードの死によつ絶望のどん底から立ち直った「ロスノフスキ家の娘」のフロレンティナのような展開は考えられなかったのかな、と思います。 やっぱり7部もの長編っていうのはアーチャーほどの作家にとっても難しいのかな、と思われられました。 | ||||
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| 最終巻だと思うと、ゆっくり味わって・・・と思いつつ、先へ先へと読み進みたくてたまらない。 | ||||
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| あっという間に上巻から下巻へと読み進まされて・・・最後の数十ページは涙を流しながらでした。 | ||||
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| いよいよ最終巻。この第7部の評価だけだと甘く採点しても★4程度です。 なぜなら曾孫層のキャラクター設定や周辺エピソードが薄く、感情移入できなくなってきます。 そしていつもの妨害キャラクターですが最終巻なのでお仕置きが待ってます。 苛烈なものとお笑いに走ったものと2パターンありますが、どちらも爽快感は薄かったです。 しかしながらラストが秀逸。第1部から第6部までの名シーンがよみがえり、胸が熱くなりました。 第7部下巻は電車やカフェ等で読まないことをおすすめします。涙を他人に見せるのが恥ずかしいのであれば。 | ||||
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| 最初の1,2巻は面白かったのだが、その後の失速感がいなめない作品だった 処女作の「100万ドルを取り返せ」の頃の軽妙さと勢いもなく、中期の「ケインとアベル」ほどの重厚感もなく、だんだんと主人公のハリーの存在感が薄れていく中で、他の登場人物達も月並みに落ちて個性がなくなっていったように思う 多分アーチャーは現代のディケンズと呼ばれたいのだろうがそれは無理だ 150年前の作品なのにディケンズのディビッド・コパフィールドの登場人物達は今も生き生きと人の心に感動を送り込んでいるが、アーチャーの作品がそのレベルだとは到底思えない アーチャーはこの作品の主人公を作家にしたことで自分の野望を露わにしてしまっていると思う 主人公のような葬儀を営んでもらい、主人公のような悼辞を読んでもらいたいのだ それがにじんでいて、つくづく俗な人間なんだろうと感じさせられたことが誠に残念だ | ||||
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| 最後の20ページは7部作の最後を締めくくるにふさわしい内容で一気に読みました。もう一度最初から読み直したくなりました。ジェフリーアーチャーのサーガの作品としてはケインとアベルに匹敵する素晴らしい作品です。 | ||||
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