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君は月夜に光り輝く
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君は月夜に光り輝くの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.60pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全96件 81~96 5/5ページ
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二回鳥肌がたちました。読んでよかった。月光病という架空の不治の病気を持つヒロインと少年の淡い恋愛ストーリー。清水のなかにいるような空気感で仄かな暖かみも穏やかに冷やされるようで少し緊張しながら読みました。映像化したら美しい作品になりそう | ||||
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丁寧な文章力、今どきの若者の思考力の有り方が 考えさせられた。 また 死をマジかに迎える少女との 関わりのテーマながらも 文章に惹かれ 熱中してしまう 小説でした!。この主人公の母親と同世代であり、 母親からの言葉に 思わず 苦笑してしまうのは、私だけでしょうか?!。 | ||||
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ヒロインは難病を患っている設定です. ライトノベルということを考えると他の結末もあったのかとは思いますがこの本は容赦ないです. 骨格として登場人物も絞り込まれていて読みやすいと感じました. ヒロインは主人公に対していくつかの要求をするのですが,その辺りの現実との乖離に考えさせられたりします. 知らないからお願いできることって本作外,現実にもあることでしょう. 目についた,手にしたのならば読んでみて良いと思います. | ||||
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去年の12月から本を少しずつ読み始めた高校生です。20冊ほど読んできました。 まだ読書駆け出しの私が読み終えて感じたことは、面白かったのは確か。だが、何か物足りない!、と言うものでした。 具体的に言うならば、前~中盤が軽く感じました。ありきたりと言うか、先の転回が分かってしますというか、拙い日本語力では説明しにくいのですが、とにかくもっとひねりを加えることができたのではないか、と言う感じです。 それでも、終盤は作者の伝えたいことがどんどん伝わってきて読み入りました! 二作目以降も期待してます。 | ||||
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ネタバレするのもあれなのですが、作品を通して語られるのはひとつのメッセージです。 物語というものに見えません。たとえば二人が愛し合う根拠、感情がまるで見えてこないのです。 死ぬまでにやりたいことを代わりにやる理由。 ただたんに相手が美少女だったから。 寝たきりなら、筋肉もそげ落ちて、それは美少女とも呼べない状態になるはずなのに、そういうところがライトノベルすぎます。 死に憧れるとか、そういうメッセージが最後にでてきますが、葛藤などは読ませてくれません。 相手が美少女じゃなかったら、あんたつきあってないでしょ? っていう突っ込みは絶対してはいけません。 個人的には★ひとつです。架空の病気を書き手の都合で作っただけ。ファンタジーとかでやるなら切り分けができるけれど、 現実という信頼された情報を元にして、そこに偽物を加えてあたかも現実のように創作する方法はとても嫌いです。 それを差し引いたとして、★3 メッセージ自体が映画タイタニックのほうが上手に伝えてくるし、 死者のやりたいこと代わりにやるという構図は、読む前からなんとなくそうじゃないかと思っていたけれど、 アニメあの花などのほうが遙かに上手に使っていると思います。 この作品ならではの。というものが見えてこないんです。 圧倒的に精査が足りないし、 中身が足りないと思う。校閲さんも頑張って。 | ||||
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初めて小説を1日で読みきってしまいました。内容は詳しくは書けませんが、病気の女の子の願いを男の子が叶えて行くと言うものですが、所々笑いありで最後には感動ありで、最後まで飽きずに読み終えました。凄く読みやすかったです。作者の次の作品が楽しみです。 | ||||
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様々な意見があるかと思いますが、自分は凄く感動出来ました。 詳しく書いてしまうとネタバレになるので、皆までは言いません。 この作品を通して、改めて実感したのは命の重みでした。この作品は作者自信が大切な友人を亡くされていることもあり、フィクションでありながらも、リアリティが強く感じられました。 作品から少しそれますが、自分は大学三回の時に心臓発作で親を亡くしました。朝になかなか目を覚まして来なかったので、部屋に入ると、既に亡くなっていました。救急隊員が家にやって来て心臓マッサージを病院に着くまで行い、病院に入ってからは機械で何度も心臓を動かそうとしましたが、戻ることはなく、自分が発見する一時間前には亡くなっていたと鑑識の人間に言われました。その時「自分はなんて無力なんだ。何も親孝行してないじゃん。憎まれ口ばっかりで、感謝の言葉なんてかけてもない。なぜこんな事になったんだ?俺の日常の行動にバチが当たったのか?本当に死んでしまいたい。」と思いました。 こうした実体験があるので、作中の卓也の気持ちは凄く共感できます。恋人と家族って違いはあるかも知れないけど、大切な人を失った悲しみは文字では表現出来ないものがあります。作者があとがきで大切な友人が自殺したと語っていらっしゃいましたが、やはり自分の悲しみとは違うけれども、似ているものだと思います。近すぎる関係っていうのは、酷なものですね。その人がいて当たり前になるというのは、ありがたみ、大切さを時として曖昧にするのですから。 人間は誰にも干渉することなく生活するのは、ほぼ不可能です。誰かに関わった以上は、その相手の影響を多少は受けることになります。その人の関係が深くなれば、それに比例して、その人を失った時の悲しみは大きくなります。大切な人が亡くなると、大抵の人は何かを悔いることがあるのではないでしょうか?あの時、何であんな事言っちゃったのか?とか、もう少し色々なところに旅行したかったなぁ…とか人によって悔いる内容も様々でしょう。ですが、悔いる内容が万が一に無かったとしても、別の痛みは残るものです。悔いがないということは、それだけ相手との仲が良好だったということです。ということは、思い出も沢山あるでしょう。そして、その思い出を思い出しながら、感傷的になってしまうことでしょう。 一定以上の関係を持った相手を失うということは、どちらにせよ傷つくのです。悲しみを避けるというのは不可避な訳です。そういった観点を巧みな文章で表現しているこの作品を自分は評価したいです。 この作品が難病ものだから、最愛のヒロインが亡くなってしまう設定だからという理由だけで高評価を得た訳ではないと自分は考えます。 この作品の真価は、大切な人を亡くした事のある人にしか問うことが難しいのかも知れませんね。 | ||||
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ふと読んでみたが、読みやすく、 内容も個人的には好きで、 オリジナルだからこそか、引き込まれあっという間に読める泣ける作品。 | ||||
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正直な感想は、ガッカリ残念賞。 文章も拙く、伏線の貼り方も下手で、イライラしてくる。難病モノは受けるという作者の意図が見え見えで、小賢しさを感ぜざるを得ず、何故こんな駄作が大賞に輝いたのか、納得がいかない。去年の大賞作品もそうだが、これは自分の好みに合わないとか、そういうレベルでなく、あきらかに未熟な作品が選ばれていることに疑問を感じる。電撃大賞は、これ以上駄作が大賞にされるという悲劇を避けるために、選評員の総入れ換えを実施した方がいい。さもなくば、大賞の威厳を保てなくなるだろう。 この悲劇な駄作が読みたければ、本屋ではなく、あと二週間ほど待って古本屋に行った方が良い。いとも簡単に見つけることが出来るだろう。 よって、点数は0.1。星一つ以下である。 | ||||
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新聞広告を見て、市井の書店で購入です。 ストーリーはどこかに転がっているような、不治の病の少女に恋した同級生ものに「生きる」のテーマを盛り込んだもの。 まず、中1から入院してるヒロインが出席日数も足りないはずなのに高1になって、 入院しているお友達に書付けを贈りましょう...って、序章から躓いてます(笑) トピックスも作者さんは一生懸命考えたんですね。よくがんばりました! 病院の屋上から飛び降りそうになる場面、転機の場面ですよね〜 人はそんな状況まで行けば止まらないんですよ。心理描写もまだまだ拙いかな。 これで電撃小説大賞は疑問符。 まあ、男ばかりのタレント事務所の売れっ子で映画化しやすそうなシナリオですね。 ☆1個の評価ですが、「まみず」が可愛いかったので1個追加です ^^; | ||||
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とても読みやすく一日で読み終えましたが 終盤の女の子のセリフには感動して 涙が出ました…泣 生きている素晴らしさや残されたものの生き方なんかがとても印象的でした! | ||||
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物語はありきたりで、テーマも作者の思想が混じっているものの、難病モノではよく扱われるものだった。 だが、主人公やヒロインだけでなく、その周囲のキャラクターの描写が巧かった。 文章の描写力が素晴らしいということはないが、読みやすくスラスラ読める本だった。だからこそ、読了後に胸に残るものがなく、もったいなかった。 | ||||
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2016年の日本国内の死亡数は約130万人。 今日もまたどこかで人が死に、それと同時に「残された人」が生まれ続けているわけだが 中には「自殺」みたいな生者の世界に残された側が「何故だ?」と悶々とした物を抱え続ける死も含まれている。 けど、その割には「親しい者、愛する者の不幸な、受け止め難い死をどう受け止めるか」という議論は なかなか世に広まらないのが現実。 昭和12年「文学界」に中原中也が発表した「春日狂想」は息子を失った上での作者の言葉が綴られている。 愛するものが死んだ時には、 自殺しなきゃあなりません。 愛するものが死んだ時には、 それより他に、方法がない。 けれどもそれでも、業が深くて、 なおもながらうことともなったら、 奉仕の気持に、なることなんです。 奉仕の気持に、なることなんです。 愛するものは、死んだのですから、 たしかにそれは、死んだのですから、 もはやどうにも、ならぬのですから、 そのもののために、そのもののために、 奉仕の気持に、ならなきゃあならない。 奉仕の気持に、ならなきゃあならない。 第23回電撃小説大賞「大賞」受賞作品である本作はこの中原中也の一編の詩をベースに 時代がどれだけ変わろうとも人間不変の問題である大切な人を失うという 「もはやどうにもならぬこと」をどう受け止めるか、という問題を 一人の「生き残ってしまった少年」と一人の「死にゆく少女」が残された時間の中で 関わり合いになりながらせめて生き残った者が立ち止まったままにならない生き方を模索する、そんな物語。 高校生の岡田卓也は「発光病」で長期入院中の渡良瀬まみずという女子生徒にクラス一同の寄せ書きを届けにいく 役目を任せられ首尾よくまみずとの面会を果たすが、宣告された余命を過ぎてもまだ生きている、というまみずは 「私って、いつ死ぬのかなあ」と妙に明るく話す奇妙な少女だった。 まみずの雰囲気に中一の時に車に轢かれて死んだ姉の鳴子に似た物を感じた卓也は繰り返しまみずの病室を訪れる中で 不注意からまみずが飾っていたスノーボールを壊してしまった事でお詫びにまみずが作った「死ぬまでにしてみたい事」の リストから指示されたものをまみずに代わって体験し、まみずに伝えるという奇妙な頼みごとを引き受けるが… 「死」を描いた作品はライトノベル・ライト文芸に限らずあらゆるフィクション・ノンフィクションに 溢れかえっている感もあるが、「死」を劇的に描くのは諸刃の剣。 ちょっと匙加減を間違えれば登場人物のドラマチックすぎる「演技」に読者が置いてきぼりにされて 「はーん、また人を殺して感動狙いですか?安っぽいですね」という、どっ白けの反応が返ってくる危険性すらある。 その「死」をメインの題材に扱いながらここまで「劇的」感を抑えた上で 「大切な人の喪失」という状況を描き切った作品は珍しい。 より具体的に言えば愛する者の「死」を突き付けられた人間がその悲しみから 立ち止まったままで終わる事無く、受容し、再び歩み始めるに至る… その間の成長を描いた作品、と言えるかもしれない。 主人公の卓也は冒頭で明かされる様に三年前に姉の鳴子を 「交通事故」で失くした少年である事が明かされるのだけど 物語が進むにつれてその死が姉が交際相手を喪った悲しみから、 ほぼ自殺同然に道路へ飛び込んで行った事、 その前兆とでも言うべき姉の死への準備に気付く機会がありながら 止める事が出来なかった事、 そしてその姉の死を止められなかった後悔もあって卓也が 「死」を受け止められないまま、歩みを止めて三年間を生き続けてきた事が 次第に浮き彫りにされていく。 その上で卓也は「次は息子が死んでしまうのでは」という 異常な怖れに取り付かれ精神を病んだ母親の為に「僕は正常だ」と言い続ける羽目になり、 更には心無い級友たちの煽りを受けて一度は「なら死んでやろう」としたが ある意味自分以上に破綻していた少年・香山の行動によって 死ぬことも出来ずにいる事が語られる。 まさに中原中也の言う「業が深くて生きながらえている」、 生きていたくも無いけど死ねないから生きているだけとしか言いようのない 「ドン詰まり」の中で生きているだけの存在である。 本作で描かれるのはその死ぬも生きるもできなくなった卓也が 「発光病」という奇病で死ぬしかない運命と対峙している少女・まみずと出会った事で 自分の「生き残ってしまった人生」とどう向き合うか、その一点に絞られている。 ある意味非常にシンプルな作品なのである。 大ネタバレになってしまうが、まみずの死は最後まで回避不能である。 しかしそれは劇的な物ではない。 卓也にとって劇的な死は既に鳴子の自殺同然の事故死という形で三年前に起きてしまっており、 その死を自分が食い止められなかったから、と信じ込んでしまっている卓也にとって 「生」と「死」の境目は非常にボンヤリとなった、ひどく危うい状況が存在する。 そんな卓也の砂を噛むような日々が姉に似た雰囲気を持つまみずとの出会いで少しずつ変わり始める。 まみずと付き合っていれば受け止められずにいた姉の死を理解できるんじゃないかと通い続けるのだけど、 まみずの「やっておきたい事」は中々にハードで一発目の「遊園地に行く」ですら中々ハードで 誘う友人のいない卓也は一人で遊園地に行くというとんでもなく高いハードルに挑む羽目に。 このコミカルなやり取りのうちに次第に卓也がまみずに惹かれていく姿が描かれる。 ただ、恋模様としても淡々としたもので、病室から手に手を取っての逃避行みたいな大それた行動も取らないし (逃げ出しちゃったら片岡ともの「ナルキッソス」になっちゃうし) 死にゆく人間の我儘に付き合っていたら、いつの間にか好きになってしまっていた、という 何とも不思議な距離の詰め方がまみずの無茶ぶりに応える中で描かれるばかりなのである。 出会った少女が死ぬのを見守っているだけの物語なのか、と言われれば「その通りです」としかお答えようがない。 だって、卓也は普通の少年。 中原中也の言う通り「奉仕の気持ち」になっても、「格別の事」なんか出来はしない。 なので「死ぬ前にやっておきたい事」リストに従ってやれる事はやるけど、 肝心のまみずを死の運命から救う事だけは絶対に出来ない。 まみずの両親やまみずと中学の入試の日に出会い、惹かれていた香山にも誰にもまみずの死は 不可避の運命として覆いかぶさってくる。 その不可避の運命を前にした群像の描き方もこれまた淡々と描かれている。 既に破産した挙句、離婚し、別居しているまみずの父親は娘の入院生活を借金取りに巻き添えにしない形で 支えるべく他県で汗水垂らしているし、 香山は香山でそれまでのプレイボーイ生活を捨て、身ぎれいになった上でまみずの前に出ようと アレコレしている姿が描かれる。 卓也なんかまみずのお願いを聞くために「メイド喫茶」でバイトを続けている。 「春日狂想」の中では愛しい者の死を受け止める上で淡々とした日々を送る事を称揚しているが まさに誰もかれもが死を劇的な物と受け止めまい淡々と過ごそうとしている様に見えるけれども、 作中で演じられる「ロミオとジュリエット」の舞台上で香山が嗚咽を始めてしまった様に 死の前に淡々と過ごそうとしている人間の破綻と、死を受け止めてからでは意味が全然違う事に注意。 放っておけばブラックホールに星が飲み込まれる様に愛しい人の死に自分の人生を飲み込まれてしまう、 そんな危うさを人間が生来的に持っているのだ、という事が読み進めるうちに理解できてくる。 輝きを増すまみずの体(バイオフォトンという設定が絶妙。死に近付けば…って上手い設定だ) 次第に近づいてくる死を前に卓也とまみずも「本音」を隠せなくなるのだけど、 まみずから「猫の死」的な絶交を突き付けられた卓也の生と死のバランスは 一度は香山の犠牲の上に止められていた死の側に大きく傾いていく事に。 まみずの真の想いに気付いた事で、姉の死の意味を理解した卓也が一旦死に傾いてから 「全てが過去になっていくのが怖い」という卓也の本音と 「これから先、を知りたい」というまみずの本音とをぶつかりあい、 一気に全てを巻き取っていくスピーディーな展開の中で 姉の死で「生と死」が危ういバランスで隣り合わせになっていた卓也の生き方の大きな揺れが、 ブラックホールの様な回復しない悲しみの中から再び歩み始める方向へ描き始める過程に 確かな説得力が生まれているのは見事な構成力と言うほかない。 全てが終わった後に初めて迎える「喜び過ぎず悲しみ過ぎず」 残されてしまった人間としての人生を生きる事が出来るようになった卓也の日々は 生き残った者が愛しい人の死を受容した上で自分の「その後」と向き合えるようになった心境、 本は熟読、人には丁寧という「奉仕の心」なのだな、と不思議な納得が得られる 何とも言えない清々しさに満ち溢れている。 こうも穏やかに「他人の死」を迎え入れるに至った作品というのはなかなか類を見ないし、 「死」という下手に描けば空っぽな劇的さだけになる題材をここまで淡々と描いてみせる作風と言うのも かなり希少な作品では無いかと。 いつか来るであろう「大切な人の死」とその後に始まる「その後の人生」を心穏やかに迎え入れたい、 そう思う方には是非手に取っていただきたい、まさに大賞の名に恥じない一冊であった。 追記 この作品における重要なテーマ「愛しい人の死とその悲しみからの回復」という部分に関心を持たれた方は 宮川さとし氏の「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」をご一読する事をお勧めする。 | ||||
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難病を抱えたかわいい女の子のお願いをきく話。 文章は読みやすい。 病気は調べるのが面倒くさかったのか、オリジナルの病。パーツ扱いで掘り下げが少なかったのが残念。 雰囲気を楽しむ本。 | ||||
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大切な人を失った絶望を背負って日々を何となく生きてる卓也と、不治の病気で死ぬ絶望を背負ったまみず。思春期の生きずらさを感じなからみんな一生懸命生きている。立場の異なる二人の心からの告白、独白に胸を打たれた。ひたすら純粋で素直で、大人になり忘れ始めていた感情に触発されて自らを振り返る良い機会になった。あなたは、愛する人の最後の瞬間に、愛する人に何を願いますか?エンディングに向けて、号泣しなから泣きまくりました。香山君との不器用ではあるが暖かい友情にも胸がいっぱいになりました。死にたいなぁと思っていたけど、生きてみるのも悪くないなと前向きになれた作品でもあります。loundrowさんのイラストがこの小説の世界を素晴らしく表していて感動しました。 | ||||
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泣けはしませんでした。 それは多分、私自身、誰かの死に直面したことがあまりに少なく、同時に、死にたいと思ったことも無いからだと思います。 また、その強すぎるメッセージ性に、知らず目を背けてしまったからかもしれません。 この作品では身近な人間の『死』がテーマとなっています。 誰にでも必ず訪れる一大イベントであり、その悲しみ、残酷さ、虚無感については、あらゆる創作において扱われ、それが意味するところはほぼ全て、語られてしまったのではないかと思います。 それでも尚、この作品には他とない、決して娯楽の範疇に収まらない強い思いを感じました。 誰もが共感できる話では無いと思います。 もしかしたら、私自身、あんまり感動していないかもしれません。 それでも、この作品を読んで、死にたくないなぁ、とじんわり思えました。 | ||||
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