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遠い声 遠い部屋
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遠い声 遠い部屋の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.25pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全24件 1~20 1/2ページ
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この小説は、詩情のある文章で、南部黒人のおかれた立場を混ぜ合わせながら、少年が大人へと目覚める自己肯定の内容となっている。だが、ただの自己成長物語という視点だけでは解釈出来ない点に、この本の奥深さが表れていると思う。主人公ジョエルは、最後の場面で自由になり、同性愛者の屋敷主人ランドルフを受け入れていく。この小説は、「鏡」という単語が頻出するのが印象的だが、この単語を上手く駆使して人物の内面描写を行っていると思う。ジョエルがランドルフを受け入れるシーンにも、鏡「窓」が出てきて、両者の立場が描かれている。この小説での重要人物は、やはりランドルフだろう。ランドルフは、「未来の全ては過去に存在する」といった意味のセリフを発するが、彼は、過去を回顧して存在している、いわば「死んだ」人間である。黒人女性のズーも、死と孤独と過去に呪縛された土地から脱出して、北部で自由と夢を果たそうとするが、結局失敗して、 死の町へと戻って来る。主人公ジョエルの父親も廃人状態である。黒人のリトル.サンシャインも、過去に経営していたクラウド.ホテルの全盛期の呪縛、思い出から逃れられずにいる。この本は、「死の不可避性」が隠れたテーマのように考えられる。つまり、人間は孤独や死、無価値といった概念から避けられない宿命を背負った動物なのだなと実感するのである。最後の場面で、ジョエルが同性愛、そして自分自身という存在を受け入れていくが、それは、過去や死からは逃れられない、ということを受け入れたとも解釈出来ると思う。因みに、この小説は、近年「クィア」(変態)という視点からジェンダーや性的マイノリティについて研究が進められているという。 | ||||
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作品の批評は出来ない。 | ||||
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表紙から芸術です。 ゆっくり読みたい本です(^^) | ||||
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前に進めない人、というのがテーマか で、停滞している人というのは「自分についての荒唐無稽な夢を見る」 精神や身体に問題があるように見える彼らは、現実的な路線をとれない(とりたくない)故に 夢を語ることに慣れると、それなりに楽しくてそこに埋没してしまう 仲間もいるし 自分もそういう経験があるのでそう思いました | ||||
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それなりに満足 | ||||
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アメリカ映画を見ているような、そんな印象があります。とても映像的で、後半のたたみかけるような展開はずっと心にひっかかり、何べんでも読み直したくなるような、久しぶりにいい本に出合えたと思える作品でした。 | ||||
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3日前に原書を読み終え、(たぶん)27年前のあの全く殺風景な読後感が何故だったのか検証するために再読。翻訳のせいか己の未熟のせいか。 もちろん小説を味わう力量が今より遥かに未熟だった、それは疑いない。しかも別に拙劣な日本語ではなく意味はきちんとわかるし、登場人物が退屈なわけでもなく(Idabelはとても魅力的だ)小さな事件もいくつか起こる。昨今の三文小説のワクワクもどんでん返しもないがそんなもの一度だって欲したことはない。これなら読めたはずだった。なのに何故、となれば、やはり次に翻訳の問題が来る。 翻訳とは意味を移し替える作業だけではない。作品の雰囲気から土地の背景や時代まで伝えなければ作品を移したことにならない。加えて文体。訳文にどんな日本語を使うかは、作品にどんな衣装を着せるかに等しい。 森鴎外訳「ファウスト」には訳語に「襦袢」が出てくる。19世紀初頭のドイツ文学、滑稽を通り越して無残である。本書にもこれに近い例が、何故か冒頭に集中して現れる。こりゃダメなはずだわ、と思ったが気を取り直して読み進めると途中から違和感は減った、けれどやはり古風な日本語が時に興を削ぐ。筆者の責とばかり言い切れない。何しろ初出が1955年だし、この時代、アメリカを実見した人がどれだけあったろう。ただbrokenな黒人英語は普通の日本語に逃げているしFlorabelは到底思春期前の少女と思えない。 アメリカ人の心の原風景は、Aaron Coplandが音楽で表したような、あるいは、土埃舞う日に焼けた庭を鶏が走り回る農家、といった風情なのだそうだ。この作品は南部の「ど」がつく田舎が舞台、しかも夏、だがこの翻訳からアメリカ深南部の未開の空気は感じられない。もっと湿って鬱蒼とした感じ。ここは日本の避暑地じゃないのだ。 雰囲気のミスマッチ。訳者の努力には申し訳ないが、作品の粗筋だけを伝える原文とは別の作品である。 | ||||
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自分が読んだ小説の中では一番というぐらい意味不明でした。 この本、ちょっとゲイテイストが入ってるんですね。 大昔に何かの雑誌でゲイを取り扱った小説みたいな特集が有り、 その中にこのカポーティの作品があったため、興味が湧いて読みました。 しかし、主人公の少年の性的な趣味も結局はっきりしないような、 なんだかさっぱりよく分からない小説でした。 でも、ボワーッとした世界に連れていかれたい人にはいいかも。 なんか、ゲイテイストというよりかは、 ショタテイストという感じがしたような気がします。 少年の目覚めの頃のお話なので、一応ショタといえばショタです。 しかし、ショタエロなどを好んで読む男性の方とか、 そうか、文学作品のショタか、よし、読んでみよう、と思って読んでも、 「はぁぁぁぁああああ???」となるであろう小説だと思います。 結局、思春期に入るか入らないかの頃の少年の内面世界というのが、 わりと気まぐれであり、また幻想的なものでもあり、 それをカポーティがそんな少年の内面のままに描いたから意味不明なのかも知れません。 | ||||
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こういう小説を読んでいると、こういう極上の小説を読みながら無為に人生を過ごすのが正しいのではないかと思えてくる。。。のですが、なんでそう思ってしまうのか、誰か教えてください。 | ||||
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表紙が違う。まあ、いいかあ。という気もするんですけど、だけど僕は、こっちの方が気に入ってて、何となく釈然としなぃ。 | ||||
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支離滅裂。なんだか主人公が顕在意識と潜在意識を境なく行ったり来たりしてるみたいで、論理的な一貫性を見出すのが難しかった。加えてジェンダーマイノリティのことを言いたいのか、少年と父親の繋がりに注目してほしいのか、テーマがブレてるような気もしなくもなかった。 それともそれら全部ひっくるめて人間の多面性やフロイト的無意識を描きたかったのだろうか。 ただただ文章は美しかった。詩的で。文章の美しさは原文でも楽しめる。 この作品はギャツビーのようにアメリカ特有の問題を抱えているわけでもなければ、ライ麦畑のようにいつの時代にも大衆(pop)に共感される尾崎豊的精神を含んでいるわけでもない。ただただ、芸術。 | ||||
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瑞々しさ、ミステリー、幻想…遠隔の田舎でエキセントリックな人々に囲まれ、謎解きのような出来事が展開していく。子供の自分になって読んでいる自分にふと気づく。 | ||||
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最初はとっつき難いし、よくわからなかったのですが、 読み進めていくうちに、先が気になり、なんだかせつない気分になりました。 いろんなものが朽ち果て、沈んで行きます。 2回目読むときはどんな気持ちになるんでしょうか。 | ||||
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私は前に買うかどうかを躊躇しましたが、私がそれを得たとき、私はこれを買う良い決断をしたと言わなければなりません。 問題は全くありません。 価格のために素晴らしい作品。 超高速輸送! 友人への贈り物としてでした。 それはとても安価です, 説明されているように, 完璧に動作, 非常に便利.彼らはそれを愛している。一度に非常に幸せなショッピング 絶対に完璧! 素晴らしい製品を、日付として送られる予定です! | ||||
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原題『Other Voices Other Rooms』。1948年、出版はトルーマン・カポーティ24歳。 著者初めての長篇小説。「Other」は「遠い」と訳されている。リアリズムとシュルレ アリスムを併せ持った小説と云われている。著者の繊細で幽玄な描写は読者を不思議な 世界へ誘う。じっくり読ませ考えさせる作品である。文章の美しさに天才と謳われた彼 の力量がいかんなく発揮されている。 「遠い声、部屋」は、過去の繁栄と凋落、華やかさと苦々しさの記憶、思い出であろ う。また、著者の心の叫び、無意識からの表出である。 「昔のことだ、と草は言った、行ってしまった、と空は言った、死んでしまった、と森 は言った、だが世の移り変わりを嘆く哀悼の歌は、夜鷹にまかせられた。」。まるで、 能舞台を見ているような深遠な台詞だ。作品のすべてを象徴している言葉である。 暑い六月から十月にかけての物語。昔「ふっといなくなった」父の居所を探し求め、 そこで数奇な経験をする十三歳少年ジョエルが主人公である。ニューオーリンズからヌ ーンシティー(架空の都市だろう。従って、冒頭の意味深い文章となる)のスカイリズ・ ランディングを目指す。スカイリズ邸は、さびれて静まり返り、壁の中や天井裏の囁き が聞こえ、複雑な物音がする奇妙な屋敷である。 甥のランドルフと父の妻エイミイ、女黒人奴隷ズーが暮らしている。 ランドルフは「芸術家」らしいが喘息もちで青カケスの青い羽根を集め、厚紙に張り、 死んだ小鳥が好きな人物。女装し「奇妙な女」としてジョエルを虜にしていく性倒錯者。 しかし、教養があり、多くの箴言をジョエルに残している。 エイミイは父エドワード・R・サムソンを看病しているヒステリックな女性。左手に 常時手袋をし、義手であることを推測させる描写がある。 サンソムは、身障者であり、「赤いテニスボール」を落とすことが彼の意思伝達手段、 合図である。なぜ、身障者になってしまったのかは後半でランドルフから語られる。 ズーは、アコーディオンを弾きながら祖父ジーザース・フィーバーと祈祷会を開いて いる狂信者であるが、ジョエルには優しく接し、「雪のあるところに行きたい」と云う。 スカイリ家ゆかりの「クラウド・ホテル」、今は廃墟同然でリトル・サンシャインが 隠者、まじない師として住んでいる。「遠い声が遠い部屋が、失われ遠くかすんだ声」 に呼び戻されたのだ。ジョエルが、繁栄した当時の華やかなホテルの舞踏会を空想する 場面は音楽とダンスに興じる人びとのざわめきが聞こえてきそうである。 お転婆で中性的な赤毛のアイダベル、十三歳。ジョエルと八月の「巡回ショウ」でメ リーゴーランドやフェリス観覧車を楽しむ光景や河で裸水浴する二人のたわむれに思春 期特有の甘くせつない香りが漂う。 「遠い声遠い部屋」は「時間」「空間」を意味し、作中人物が各々体験を語り、ジョ エル少年が聞く構図になっている。その回想話にジョエルが夢想する華やかで幻想的な 表現は、著者独特のシュールな描写として色彩を添えている。 また、「鏡」が多く登場する。ジョエルが「内面」を覗き見る鏡、枕元にある鏡にう つる毒蛇のような父サンソムの目、ランドルフの「鏡とナルシス」の話など象徴的な役 割を果たしている。 表紙にある旧約聖書エレミヤ記十七章に云われているように、人の心はとらえ難く病 んでいる。誰にもそれはわからない。神だけが知り尽くしている。 ジョエルを可愛がるランドルフの真意は何か。ジョエルが書いた親友やエレン叔母への 手紙を破棄し、エレンからきた手紙も見せず、廃墟のホテルに誘い込む。(手紙のこと は物語を注意深く読むと暗示されている) ランドルフは、ジョエルに遠い未来からの声も聞かせず、あるべき遠い部屋も約束せ ず、羽根を切り取られた飛べないきれいな鳥として飼っていくのだろうか。 訳者の河野一郎が難解な描写を解りやすい表現にしている。名訳である。 | ||||
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カポーティー自身が経験した少年期特有の繊細な心理を描いている。中高生が読んでも、また年寄りが読んでも心に響く作品である。中高生でこの本を読めるならマセタガキだね。 | ||||
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子供時代は素晴らしい、などと誰が言ったのだろう。 訳もわからぬムシャクシャする気持ち、風にそよぐ木を見ただけで泣きたくなる気持ち、大人の理不尽な(子供にとっては)会話を聞いているうちに恐ろしさが膨れ上がってくるような気持ち……思春期前後の不安をこれほど丁寧に書いてくれる作家っていないと思う。 あまりに不安なので「現役」の子供のころは、現実を忘れさせてくれる冒険小説や、ケストナーの楽しい児童文学が好きだった。子供が主人公ではあるけれど、たぶん、「現役」の子供は、カポーティの作品は読めないのではないかと思います。読めたとしたら相当な早熟。 「冷血」のようなドキュメントタッチのサスペンスは、カポーティでなくても書けたような気がしてならない。「草の竪琴」「遠い声 遠い部屋」など少年期を描いた初期作品でカポーティは「終わってしまった」気がしてならない。最後はアル中で変死、というカポーティ自身の生涯とあいまって切ない。人は一生少年ではいられないのだ。 | ||||
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※ 以下、ネタバレ含みます。ご注意下さい。 "多感な男の子の一夏の成長譚"として、 割合、ボーイズ・トゥ・メン的に語られがちな本作ですが、 実際は、変態おじさんの館に預けられてしまった13歳の美少年が、逃れようとしつつも、 からめとられていく様を描いた、かなり危ないゴシック・サスペンスです。 新潮文庫の中でも、もっともあやうい作品のひとつではないでしょうか。 ヘミングウェイがこき下ろしたというのもわかります。 また、カポーティはのちに、ヘンリー・ジェームズの『ねじの回転』が映画化される際、 脚色を担当して、1962年、エドガー賞最優秀映画賞を受賞していますが、 本作と映画『回転』には、テーマや設定に通底するものがあり、興味深いです。 南部の泥臭く気だけるげな雰囲気と、少年の涼やかなまなざしの取り合わせが、 チョコレートとミントのように絶妙に溶け合って、 甘く夢幻的な世界を現出させており、ハマると抜け出せません。 ラストは衝撃的です。 | ||||
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本書が発表された当時,本書の評価はまっぷたつに分かれたといいます。 たぶんそれは,最終章「その3」の展開をどう捉えるか,というところが評価の分かれ目となったのではないでしょうか。 本書は,「ヌーンシティへ行こうと思う旅行者は,今のところ何とか自分で方法を講ずるよりほかに手がない」という洒落た文書からスタートします。主人公の少年ジョエルが父親を捜して旅を開始し,アメリカ南部の小さな町まで出てきたものの最終目的地まで到達できず,誰が自分を車で乗せていってくれる大人を捜している。この出だしは上手いなあと感心していまいます。 カポーティの作品は,「夜の樹」収録の作品や自伝的な「クリスマスの思い出」などの短編が好きで,本書もそのような自伝的要素の強い作品かと思って読み進めていくと,除々に不気味で不思議な要素が増してきて,本書のタイトルの意味が明らかになってきます。 その暗くなりがちな雰囲気から脱することができているのは,赤毛の女の子アイダベルの存在です。彼女の存在が本書の光となっています。 本書を執筆したときのカポーティの年齢は22歳。 彗星のごときに現れた若き天才と言われることも頷けます。 | ||||
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カポーティは若くしてNY文壇の寵児に。ろくな教育も受けていない。苦節10年の同世代のケルアック(コロンビア大学アメフト奨学生。美男。だが貧乏でホームレスに)は体育会系でチビでゲイで南部育ちのカポーティに嫉妬が入り混じった嫌悪感、テレビ局で顔を合わせたら「チビの***野郎」と罵倒。カポーティがなんと答えたか知らない。ノーマン・メイラーも「あのチビ」とほんとに外人にしては小柄な人。「名探偵登場」という映画に出てる。50歳位か。この小説は早大第二文学部英文学科の授業のテキスト。英語は難しくないし短いからペーパーバックでも。クリスマスに彼女(いれば)に英語でよんでやればワインの酔いも伴い「まあインテリね」と見直すだろう。カポーティがゲイだというのは伏せたほうがいい。あとは知らない二人は若い。メリークリスマス | ||||
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