死が招く
評判
死が招くの評価:
3.70/5点 レビュー 10件。 D ランク
Amazonレビュー一覧
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全5件 1〜5 1/1ページ
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| | ||||
| ||||
|
死が招くの評価:
3.70/5点 レビュー 10件。 D ランク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| | ||||
| ||||
|
小説の詳細ページを閲覧すると、ここに履歴が表示されます。最近閲覧した小説詳細ページへ簡単に戻る事が出来ます。
あとがきには二階堂黎人氏の大絶賛の解説もあって、いやがうえにも期待は高まります…一読、仰るところはよく判りましたが、筆者自身の読後感はイマイチでした。
いや、作者のせいではありません。ポール・アルテはとても忠実に(だと思う)師父と仰ぐカーの作風、特徴を学び、それを現代に蘇らせた名手だと思います。と言っても申し訳ない、筆者じつはカー、未読なのですが、アルテの作風から見ると、鬼面人を驚かすタイプの謎が乱舞する陽気な作風にお見受けしました。
読みながら「犯人はこの人…?いやこの人…?」と狐疑逡巡するのも楽しかったし、死後24時間経過した死体が、できたてのフルコースの食事の前で顔も原形なく破壊されて転がっているとか、もうケレン味たっぷり、さながら江戸川乱歩の少年探偵団シリーズを読むときのわくわく蠱惑感にひたりながら読み、ラストでも「あーっこう来たか、もしかしたらこの方こそホンボシではないかと思ったりしたけど、実はこの方がこうでしたか」という意外性もあるので、一体どこにケチのつけようがあるんですか?と問われれば「物言いのつけようもありません」。
そこなのです。
筆者はミステリをここ35年、ほぼ読まなかった人間です。はるか昔、小学館の図書室で江戸川乱歩、中学校の図書室でクリスティ、ヴァン・ダイン、クイーンを読みかじった程度で、…その後人生からミステリの快楽を完全無視して生きてきました。
なんのものの拍子か、マイブームが起こってミステリを一世代ぶりぐらいにかじり、京極夏彦や桐野夏生、マーガレット・ミラーやスティーヴン・グリーンリーフ、P・D・ジェイムズやイアン・ランキンを初めて読んだ(手あたり次第です)あとでポール・アルテを読むと、「なんか・・・昔から変わっていない」というある種の落胆というか、
①明智小五郎とエルキュール・ポワロから桐野・ジェイムズ・グリーンリーフに飛ぶと、その後半世紀以上の間に進化・深化・複雑化したミステリの歴史を完全無視、江戸川、クリスティの時代のパズル的、冒険小説的、なぞ解き特化的な作風が化石のように凍結保存されている印象
②明智・ポワロ的な「大時代などきどき感」はやはりその時代とマッチしている。アルテを読んでいて「あれえ?ミステリってこんなに単純だったんだっけ」と、そのパズル的な謎解きに特化したシンプルさに、逆に江戸川乱歩の小説も「もしかしたらエラく単調な要素でできているのでは」と生まれて初めての懐疑を抱きました。
この「死が招く」は1927年を舞台にした作品ですが、1950年代生まれの著者の生きている時代背景からは、このタイプの小説を現代で成立させるのはちょっと難しく 、意図的に「時代ミステリ」的に工芸品として作らないと単調に見えかねない弊があるのではないかしら。というのもああした大時代のミステリはある種の童心というか、世界の見方を意図的に児童文学的に設定する、たぶん普通の著作家には不可能な操作が不可欠で(そうでなければ少年探偵団の一種現実離れした妖異の感覚は生まれない)この意識の意図的な再構築は、古典的な画風を書きこなすこともできたピカソが意図的にものの見方を「崩して」あの画風を作り出したように、ある意味では幼児の感覚を意識のなかで操作して再現するという高度な操作がないと現代を舞台にしてこのタイプのミステリを成功させることは難しいと思えるのです。
そしてポール・アルテ氏は「自覚的に娯楽をやろうと決めた大人」なので、この種のピカソ・江戸川的な幼稚さがない…のではないかと。
とかなんとか言いつつ、先程挙げたようにミステリを重厚壮大、ほとんど文学にまで高めた諸氏のなかで、ここまで創成期ミステリの古典的作風を堂々と展開するのは逆にむしろ大変だしその作風は壮図というべきではないかと思います。
こういう作風に殉じる覚悟、それは一つの生き方ですし、それについては尊敬のほかありません。
と言う訳で、30年の不在のあと、もう初老になってしまった筆者は残された時間を考えれば、現代の百花繚乱のミステリに疲れた時、気休めに読む「ちょっと古風なおちつける喫茶店」に立ち寄る作家になりぬべきかな、といった感じかと思います。
何様目線ですいません。