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(短編集)
甘い復讐
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甘い復讐の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全11件 1~11 1/1ページ
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6作品からなる短編集。相変わらずの破壊力。そして、R-18(と思う)。 主婦の愛人となった男の正体は『甘い復讐』、胸くそヤローの行く末は『永遠とドラゴン』、披露宴での衝撃ビデオ上映とその真相『さくらの結婚』、とある芸者の悲恋語り『ある芸者の証言』、リアルダンジョンゲームの顛末『十階建てのラブストーリー』。そして、著者の近況報告?『余生』。 基本的に著者の作品に爽快さを求めてはいけないが、予想通りのどんより感を味わう。まぁ、バリエーションに富んでいる作品集、とは言えようか。アンダーグラウンドだね。 | ||||
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樋口毅宏氏の作品は余り面白く無い。 誰がどうなってどうなるか解らないです。 | ||||
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僕はさくらの結婚がおもしろかった。視点がコロコロ変わるのに、全く読み手に負担がない。ゲラゲラ笑いながら読みました。僕は勝手に、このさくらを某有名アナウンサー?(今は売れっ子司会者?)に被らせて読んでました。タイトルが甘い復讐ですので、一貫して復讐に関するお話なのですが、最後の「余生」は一体誰に対しての復讐なのかが曖昧だと思いました。おそらく著者の書いた本に文句を言ってくる人間に対してですかね?でも「余生」が一番魅かれるものがありましたね。 | ||||
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本書には、短編6つが収録されている。初出の時期や雑誌がほとんどバラバラであり、作品内容も随分と異なる。 1「甘い復讐」2「永遠とドラゴン」は、鬼畜なアンチャンが主人公で、前者はピカレスク・ロマンの雰囲気で読むことも可能だが、後者は全編これ鬼畜の所業を露悪丸出しで書いており、一番抵抗感を持たれる作品だろう。 3「さくらの結婚」4「ある芸者の証言」は、前者はさくら(新婦)の結婚披露宴を描いたもので、後者はタイトルの通りだが、最初の2作との違いに、著者の意外といっては失礼だが作家としての間口の広さに感心させられる一方で、かくも悪辣なスラプスティック・コメディもないだろうという展開もまた、著者の魅力と再認識もさせられた。 5「十階建てのラブストーリー」は、露悪趣味の著者が実は、偽悪なだけで正しくストーリーテラーなのではと思わせるバランス感覚に優れた作品であり、著者らしいテイストが最もマイルドに味わえる。 6「余生」は、無頼作家の私小説のパロディのようで、多面的にこの著者を俯瞰できる出来。これだけが書き下ろしだが、うまいトメになっている。 ちなみに、初出の順番は、2,3、5,4,1、6です。この通りに並べると、著者がデビュー当時から誇っていたインモラル・ハードバイオレンス・エログロなどが次第に薄れていく形になります。それは、著者の傾向がそうなっているという意味ではなく、発表順に並べると短編集として面白くないんだというだけのことです。 タイトルで「悪意の露出過多」と書きました。悪意には、インモラルや鬼畜など著者の作風を一言で評した部分と、故意にやってるよね「偽悪」「露悪」だよねという私の受け止めを書いた 2つの意味を込めています。 だから、私はこの著者にはデビュー当初から、醒めた受け止めで巧いエンターテイナーとして好意と一定以上の評価を抱いています。一方で、読み始めの高いテンションが最後にグンと伸びることなく、ほぼ常に放物線のように降下してしまう出来には残念でなりません。4や6のようなきれいなサゲを1や2でやってほしいです。 それにしても、この著者のレビューって過去作品をみても、多く本のレビューをしている方が皆無に等しい(でもレビュー件数は多い)というのが面白いです。いくつかの仮説は浮かびますが、蛇足にしかなりませんので、割愛します。 | ||||
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人間のいろんな面を見たような気がする。 綺麗事では済まされない人間のドロドロしたところが主観的に書き表されていて、今まで理屈では理解できなかった人間の感情とか思考が理解できたような気がする。 | ||||
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「タモリ論」で知って、はじめてこの作家の小説を手にとってみました。 結果、腹がよじれるほど笑いました。どの短編も悪趣味で不謹慎でアンモラル。 それでも笑えるのは、笑うしかないからだったと思います。 あまりに悲惨な無軌道な展開の数々に、開いた口がふさがらず、絶句が怖くなって、笑ってしまう。そんな感じ。うまく伝わらないかもしれませんが、とにかくそんな感じでした。 ある高名な落語家が「笑いとは緊張と緩和だ」というようなことを言っていましたが、この短篇集はどれも緊張を強いるものでした。そして、人間の業を突きつけてきます。そうなると笑うしかありません。諦念の大笑い、とでも言えばいいのでしょうか。 この益体のなさ。身も蓋もなさ。 「余生」は太宰の「人間失格」や三島の「仮面の告白」に通じる、赤裸々さとアホ臭さが横溢していて、2010年代日本のカオスが活写されていました。 ここまで小説を貪り読んだのはいつ以来か、ちょっと思い出せません。 登場人物はみんな望まれないかたちで生まれ、生かされてきた不遇のひとびと。 彼らの呪詛に戦慄し、笑い、また戦慄しました。とても新鮮なエンタメ小説でした。こういうのを書く人がいたんですね。 『民宿雪国』という作品が有名らしいので、さっそくそちらも読んでみます。 この作家は本物か、単なるペテン師か。この一作では判断しないでおこうと思いました。 | ||||
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樋口毅宏は白石一文の紹介という、いわば“裏ルート”でデビューした作家だ。 つまり新人賞という最大の関門をくぐってこなかったアンフェアなコネ作家である。 それが理由かは分からないが、氏の作品はどうしようもない自意識過剰の空気と、 オナニーのような表現で覆い尽くされている。 つまり読者のためではなく、自己満足のための文章の羅列。 読者に楽しみを提供するのがプロ作家なのだから、『どう? 俺っていいこと書いてるでしょ?』という 自己アピールがしたいだけなら今すぐ作家をやめるべきだ。 タモリ論もそうだが、とにかく行き当たりばったりで書いたような作品が多い。 氏は以前、『本が売れなくなるので図書館で自分の書籍を貸し出すのを自粛してほしい』という趣旨の 発言をしたそうだが、図書館云々ではなく、単に自分の作品がツマラナイから売れないのだという自覚を持つべきだ。 それから樋口氏だけでなく、白石一文ルートでデビューした作家が最近やたらと増えてきていて、 どういうわけか彼らがマスメディアで優先的に紹介されている傾向がある。 そしてこれまたどういうわけか、Amazonレビューでも発売1週間も経たないうちに、 新規レビュアーによる5つ星の評価が投稿される。ここに不自然さを感じるのは自分だけなのか…… | ||||
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『甘い復讐』単行本の赤色の帯に、こう書かれている。 『民宿雪国』『タモリ論』で話題沸騰中の 小説界の異才が放つ、衝撃の猛毒短編集。 文字通り、人間のクズの物語である。 卑小な欲望にこそ突き動かされ、希望というものとは無 縁の者たちの悲惨を、樋口毅宏はみごとに描き出した。 四方田犬彦氏(評論家)推薦 「人間のクズ」。 これは、芥川龍之介「羅生門」の下人もそうだ。 きっと、「罪と罰」のラスコーリニコフもそうだ。最後まで読めてないけど。 文学とはそもそも「猛毒」だったのだと思い出した。 『タモリ論』の「おわりに」において、 著者がこう書いていた。 ――なぜ、「海」と「笑い」を置き換えることができるのか。 それは、人は「笑い」の中で生まれてくると信じているからです。 『タモリ論』のなかで、私はここが一番好きだ。 生をまっすぐ肯定している文章は、 この著者においてはめずらしいのではないだろうか。 より一層の愛着をもって著書を読むことができると思った はずなのに。。。 『甘い復讐』には、 そんな甘い愛着を無に帰すような、 悪い男たちが登場する。 一番の「猛毒」は、 つまり最も文学であるのは「永遠とドラゴン」だ。 恐ろしく鬼畜で陽気な主人公が語り手となる一人称の小説。 語り口のリズムが良いから、 読み始めてしまったら一気に読めてしまう。 しかも途中で何度も笑わされながら。 最初に引用した推薦文の一文。 文字通り、人間のクズの物語である。 「永遠とドラゴン」を読むと、この一文が冷酷に響いてくる。 登場人物であり語り手でもある主人公が、 「文字通り、人間のクズ」にされた後に語り始めた物語だったからだ。 しかし、 それは「神」を信仰する人には冷酷ではないのかもしれない。 シスターの予言(p.98)通りに、 主人公が「永遠に救われ」るまでの経緯を語るための姿であり、 主人公が「神サマ」(p.97)の存在を疑いながらも、 シスターへの罪を悔い改める機会そのものであるからだ。 表題作「甘い復讐」は、 語り手でもある主人公が「神様」に語った一人称の小説。 ―――私は……神様にかわって、ゆるしたよ(^_-)☆ 3(p.20-p.27)で、体を使ってまっとうに働く姿、健気さを知ってるから。――― 「十階建てのラブストーリー」は主人公が、 「マリア」という源氏名の女性に、見える両目を捧げるまでの物語。 神とは明記されてはいないが、 源氏名や「讃美歌を模した短い歌」(p.197)から単純にキリスト教を連想した。 『甘い復讐』の表題作、「永遠とドラゴン」、「十階建てのラブストーリー」、 この「猛毒」感はアンデルセン童話に通じるものがある。 「赤い靴」の少女は、 両足首を斬り落とす事が神への信仰の契機となった。 「ある母親の物語」の母親は、 我が子を死神から取り戻すために、 胸の温もり、目玉、髪の黒さを道中で捧げる。 体そのもので信仰している。 「正論」と「良識」は文学よりもずっと上なのだ。――「余生」(p.223) 語り手が、主人公を「きみ」と語る二人称の小説「余生」。 主人公が上梓した『二十五の瞳』「終章」の2文に寄せられたネット上での批判を列挙して、 「つくづくきみは利口じゃない。」の後に続けられた語り手のことば。 『甘い復讐』は、 「正論」や「良識」よりもずっと下に自らを置いている。 体を使って神と対話している。 だから「猛毒」で、官能的で、魅力的。 うふふと感じ入る。 バレンタインデーだから、 金色に輝く星型チョコ5つでーす。 | ||||
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樋口毅宏の初の短編小説集。 読後は一気に疲れが湧いてくる。この疲れはなんなのか? それはとてつもなく「クズ」である自分の内面を各短編はことごとく揺さぶってくるからだ。 貧乏な家庭に産まれ、なにかの優遇を受けたりすることもなく そして異性からモテるなんてことも全然なかった、 これまでの我が人生でさしたる明るいエピソードもない男の自意識に 樋口氏の言葉がいちいち突き刺さってくるのだ。 どの作品にも登場する樋口氏の小説に共通している敵「権力、金持ち、偽善、宗教、差別…」。 反体制を掲げているかのように見える樋口氏の小説世界だが、 巨大な力に対して弱者が復讐をし「倍返しだ!」(このドラマを観ていないのだが)のごとく ヒーローのような活躍をする訳ではない。 そこに繰り広げられている復讐光景は強者が失禁し、秘穴に異物をぶちこまれ、ただ無様に壊れていく姿をあざ笑う…。 被虐、凌辱、恥部の露呈が小説世界の中だけで終われば、それは大したことでもない。 しかし短編小説集のために書き下ろされた「余生」を読むと樋口氏はヒーローではなく 「クズ」の部類に入るのではないかとことごとく思わされる。 どこまでが事実かは分からないが、とにかくあるモノに対して執拗にビビッているのだ。 この短編での内面の吐露(?)は一見、氏の小説観とずれているように見えて 実は密接につながっている事も分かる。「クズ」が思うどうしようもない嘆きと思いに溢れているからだ。 そしてその言葉は自分のような「クズ」に心地よさと痛みと疲れを与えてくるのだ。 読後の疲れを癒すために湯船に熱い湯をためて気分転換をしたくなった。 気持ちよい浴槽の中で僕は知らず知らずのうちにこの歌を歌っていた…。 ♬終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため 終わらない歌を歌おう 全てのクズ共のために 終わらない歌を歌おう 僕や君や彼等のため 終わらない歌を歌おう 明日のは笑えるように <THE BLUE HEARTS「終わらない歌」> | ||||
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樋口さんの小説を読むと、行間からあふれてくるエネルギーに圧倒されます。 それが怒りなのか、絶望なのか、愛情なのか。 力のある小説と一言でくくるのは簡単だけど、短編集なので、そのひとつひとつに いろんな形で作者のパワーがみなぎっています。 そして、どんなにエログロでも読後感が爽やかなのはなぜなのだろうか。 やりきってしまう、ぶれのなさ、だろうか。 中毒になる作家さんだと思います。 | ||||
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最後の『余生』以外は雑誌に掲載されたものだが、それぞれが過去作を彷彿させ、樋口毅宏という作家性が強く浮かび上がる。 だからそれらがひとつの書物に綴られて形になると樋口毅宏という作家が立体的に感じられる。『タモリ論』ブレイク後だから余計にこれから樋口作品に入るのには最適だろう。 『余生』は諸々と複雑な気持ちになるしいろいろめんどくせえ人だなと改めて思う。正直さ故に自らの自意識を吐露して関係者は複雑な思いをする内容である。真実は人を傷つけるが、それをかまわないのではなく作家として書くことで責任を引き受けようとする姿勢だろうか。 樋口作品にあるゲイ的な関係性や最後に思わぬ人たちが実はみたいな展開(オチ)が苦手な人もいるかもしれない。 性的な描写や暴力描写は生死の間でもがく私たちを奮い起たせ、虚無感すら感じさせる。 樋口さんの小説はどうしようもない人間という生物の抱えきれないものへの対峙や想いを拾い上げていく。樋口さんの作品は読み終わるとどうしようもない自分を肯定したくなってまだまだ悪あがきしていこうと思える。たまに哀しくもなるけど。 装幀イラストも古谷実さんですごく印象的。 | ||||
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