■スポンサードリンク
アメリカン・スナイパー
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
アメリカン・スナイパーの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.22pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全35件 1~20 1/2ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本作は映画『アメリカン・スナイパー』の原作です。 クリスカイルは米軍歴代トップレコードで、伝説の狙撃手と言われています。 とにかく戦場の姿が生々しいです。建物に隠れ、よい狙撃地点を確保し、ひたすら監視する。交戦規定に基づき、銃などの武器を持った相手を狙撃する。 いかに撃つかより、いかに決断するか、が重要だと思わされます。何度か「交戦規定に違反した」として、拘束され尋問を受けています。 いつ殺されるかわからない戦場でも、バカみたいな交戦規定を守らないといけない。そうした憤懣がときおり表に出ます。 通読して、生きるか死ぬかの戦場にいる兵士としての心情が細かく描かれていると感じます。とにかくリアルです。 敵を射殺することをゲームのように競い合う。新人兵士に対する過酷ないじめ(というより暴行)。野蛮人を殺したことで初めて平和になるとの確信。反戦運動への怒り。戦争にいくだびに、悪化する妻と関係。 奇麗ごとは書かれていません。 この本を読むと、現場を知らずに空論で軍事を語ることを無意味さを感じます。 ときおり挟まれる妻の述会も、カイルの心情を示すアクセントになっています。 非常に印象に残ったのが、変な話ですが、新人いじめです。 旧日本軍でも新人に対するいじめがあったことは周知の事実ですが、文化も時代も違うのに共通するということは、どこか人間の本能に根差しているのかもしれません。 また反戦運動に対する怒りでは「派遣を決定した政治家に抗議すべきだ」というのは正論です。 激しい戦闘が続き、肉体はむしばまれ、最後の派遣では銃弾が2発も命中します。防弾ベストやヘルメットに守られて命を落とすことはなかったものの、無敵ではないことを痛感します。 この本を著して1年後に、カイルはPTSDを患っていた元兵士に射殺されます。 現代におけるリアルなスナイパーを知りたいひとのために! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
映画版を観てからこの原作を読みました。映画はけっこう原作と違います。 映画のほうはブラッドリー・クーパー演じる主人公クリス・カイルのネイヴィーシールズとしての活躍がメインですが、この原作はそのクリス・カイルが書いた自伝なので、はじめの100ページほどはテキサスで生まれた彼が海軍に入隊して訓練を受け、ようやくSEALsになるまでが描かれています。 (全400ページ。ちなみにSEALsはSEA、AIR、LAND(海、空、陸)の略) あとの4分の3はイラクでの活動で、スナイパーになるのは後半から。 (SEALsになったあと、SEALsのスナイパー資格試験を受けます) 映画と決定的に違うのは、翻訳のためもあってハードボイルド調の文体になっており、武装勢力との戦闘も感情を抑えた客観的な表現になっているので、仲間が撃たれた時も映画のような荒々しい雰囲気はほとんどないです。 個人的には、そのハードボイルドタッチの文章が砂っぽい乾燥したイラクでの風景と戦闘に合っていると思いました。 全体的にもクリント・イーストウッド監督の映画版よりこちらの方が好きでした。 おもしろいのは、テキサスという保守的な南部アメリカの中でも元はメキシコの一部で、またその後は独立の共和国だったその土地出身の主人公が、カウボーイと銃を愛し、アメリカを愛し、ユーモアと仲間と家族、ヘヴィメタルとカントリー音楽を愛し、戦争と殺人を愛し、キリスト教を信じると明言する姿が印象的でした。 誰よりも血も涙もある、クリスチャンで愛国者で仲間と家族の大好きなクリス・カイルが、ほとんどゲーム感覚で楽しんで敵をスナイパーライフルで射殺してゆくのは、なんというか、いわゆる常識や普通の感覚とは違いますね。 人を殺すのは血も涙もない悪人だ、という世間の(ニュース番組的な?)イメージとは真逆のうえ、本人は戦争を爽やかな態度で楽しんでいるので、もういわゆる「兵士=かわいそう」とはいえない。 たしかに、ここだけでもリベラル陣営がかなり困惑すると思いました。 兵士が平然と「俺、戦争行くの好きだよ」というのですから。もう普通の感覚じゃ訳わからないですね。 それはそうと、この本では主人公がUS海軍に入隊するために募兵事務所を訪ねるところから、訓練の様子、スナイパーライフルを中心にした武器の仕様や使い勝手の説明などをしてくれるので、現代の米軍兵士の様子や現地での戦闘の仕方を知りたい人にはちょうどいいと思います。 (車両や防弾ベストに勝手にスプレーアートしてもいいんですね。あと空軍への空爆要請ってこういう手順でするのだとはじめて知りました) あと、ときどき挟まれる妻のタヤの、彼女視点から1人の夫(戦場では英雄、家庭ではかなり難アリの夫)としてクリス・カイルが語られるので、その対比が効いていてそこもおもしろいです。 妻を愛し、祖国を愛し、ヘヴィメタルのslipknotを愛する、公式記録160人射殺の兵士カイルの記した狙撃シーンを最後に引用しておきます。 『私はスコープを慎重に標的に合わせ・・・引き金をそっとなめらかに絞った』(P225) 『それに私は戦場が恋しかった。興奮とスリルを味わいたかった。悪いやつらを殺すのが好きだった』(P296) 著者のクリス・カイルは本書の出版翌年に彼がサポートしていたPTSDを患う元米兵に射殺されますが、そこも含めて戦争問題は何か簡単にはいかないものがありますね。 (あと作中に出てくる彼の友人はローン・サバイバーの、あの生き残ったラトレルです) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
良質な反戦書である。その理由は最後に述べる。 海兵隊に向けて手榴弾を投げようとする非戦闘員(?)のイラク人女性を撃つシーンから始まる。 そんな衝撃的な描写に引き込まれたが、読み進めるにつれて、独善的な考えを臆面もなく語ることに苦笑を禁じえなくなった。イラク人の戦闘員を「敵」と表現するのは戦争だから当然としても、「悪者」という単語や「悪者をやっつける」という言い回しが頻出するのには驚いた(原文でどうなっているかは不明だが)。「敵にとっては、自分たちこそが“悪者”かもしれない」なんて考えは微塵もない。無邪気に、純真に、まっすぐに、自分たちの敵は「悪者」だと確信している。「優秀な兵士」とは、これくらい「単純バカ」でないといけないのかもしれない。 こんな文章も出てくる。 “イラク人のために戦ったことなど一度もない。あいつらのことなど、くそくらえだ。” 一兵士としての率直な気持ちなのだろう。とはいえ、ここまであっけらかんと正直に語られてしまうと、あの戦争は誰が誰のために殺したり殺されたりしたのか、そんなことを考えて目まいがしそうになる。 何十人も人を殺すうちに、頭の中でなにかがおかしくなっていくのだろうか。こういう記述もある。 “人を殺すのも、それが職業となればそのやり方に創意工夫を凝らすようになる。 (中略) 「まだ拳銃では殺してなかったか? それじゃあいっぺんやってみるか」 (中略) それがゲームのようになることもあった。” 読んでいて一番イヤな気持ちになったのは、逃げた戦闘員を追いかけ単独で民家に突入した場面だ。そこには一人のイラク人男性がポカンとした表情で突っ立っていた。著者は伏せるように命令するが、男性はどういうわけか命令に従わない。そこで著者は殴り倒して取り押さえるのだが、男性の母親が現れてなにやらわめき散らす。ようやく通訳がやって来て、男性には知的障害があるということが判明する。 著者は謝罪したのだろうか? そういう記載は一切ない。それどころか、続く文章ではジョークや笑い話のようなものが記されている。こんなことが許されるのだろうか? 出版前にチェックした軍関係者や編集者は、これを読んでなにも思わなかったのだろうか? 戦争・殺し合いという極限状態で上記のような事態が起こるのはやむを得ない。その場で謝罪する余裕がないのもしかたがない。しかし、少なくとも、執筆時には安全な場所にいたはずだ。だったら、謝罪の一文くらい書いても良かろう。本の中で著者は「非戦闘員を射殺したことは一度もない」と繰り返すが、その労力の一部でも使って、「自分が傷つけた市民への謝罪」を書くべきだったのではなかろうか。「非戦闘員を殴り倒した」ことは確実にあるわけだから。 イラクに住む言葉の通じないその男性に向けて、本の中で謝罪文を書いてなんの意味があるのだ、と反論されるかもしれない。それならば、本の最初に記している「亡くなった友人に心の底から祈りを捧げる」なんて文章にも意味はないではないか。 さて、本書が良質な反戦書という理由についてだ。本書は読み手を惹きつけるが、最終的には戦争に対して不愉快な気分を抱かせる。そこが素晴らしい。戦争反対を強く訴えかけるような本があったとしても、読む気になれない内容では意味がないのだ。本書のように、少し眉をひそめながらも最後まで読み通してしまうものこそ「良質な反戦書」と言える。映画のほうは「戦争賛美だ」「いや反戦映画だ」と賛否あるようだ。クリント・イーストウッドがどのように映画化したのか、確認してみなければならない。 著者のクリス・カイルは本書執筆の一年後に射殺された。 最後になるが、160人の「悪者」を射殺した無邪気なクリス・カイルが、父母を愛し愛された息子であり、弟を持つ兄であり、夫であり、二児の父であり、退役後には傷痍軍人のための活動を熱心にやっていたということも記しておきたい。 160人を射殺した「スナイパー」は、クリスという人間の一部でしかないのだ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
素晴らしい、ただただ素晴らしい。 あの戦争がどういう物だったのか、アメリカ人とは軍人とはシールとは夫とは男とはをしっなり理解できる素晴らしい本 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
アメリカ海軍特殊部隊SEAL(シール)に在籍時代の体験を自伝として著者が書いた本書。 文章は作家ではないので読みにくい部分はやむ終えないと思います。 私も映画を観た後にもう少し状況を理解したくて読むきっかけとなりました。 実際に読むと映画でも過酷なシーンはありましたがあくまでも脚色されたものである事が分かりました。 本書からは戦場に身をおいた事がある者だけが知る極限状態に、その事が長く続くと普通の人間としての感覚に狂いのようなものが生じる事が非常に伝わってきました。 狙撃数の記録も体にかなり無理をきかせてでも戦場に行き続けることを努力して積み上げてきたものに他ならないとも思いました。 解説まで読んで、そうした人物がとってきた行動が正しかったのか、運命的な事を考えてしまうような読後でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
アメリカのプロパガンダ、という評価もあるかと思いますが、それでもこの作品はほぼ実話というところに価値があります。 普通のアメリカ人青年が海軍に入隊し、戦地に赴き、そこで精神に重い影響を受けながらもまた戦場に戻り、退役して死ぬまでが描かれています。 原著は伝説の狙撃手と呼ばれたクリス・カイルの自伝で、守秘義務から偽名を用いたり詳細をぼかしたりしていますが、ほぼ実話だそうです。 その映画化に当たって娯楽性を増すために改変は加えられていますが、それも敵側の狙撃手(こちらも実在だがクリス・カイルと交戦の事実はない)を宿敵として持ってきている程度で、大筋では変わりありません。 単にアメリカの戦争を正義の戦争として讃美するのではなく、戦争が人に与える影響を描き、主人公がそれに苦しみながらも戦場に吸い寄せられるようになっていくという怖さをしっかり描いているのでプロパガンダとは言えないと思います。 むしろ讃美ではなく反戦のメッセージが込められているのではないでしょうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「そんなに多くの人間をイラクで殺して、気がとがめないものか? 私はこう答えている。『少しもとがめない』 本気でそう思っている。初めて人を撃つとき、いくらかは臆病になるものだ。 本当にこの男を撃てるのだろうか? 本当に撃っていいのか? しかしその敵を 殺してしまえば、それでよかったのだと思うようになる。……そしてまた敵を殺す。 ひとり、またひとりと。自分や同胞たちが殺されないために敵を殺す。殺す相手が いなくなるまで殺しつづける。 それが戦争というものだ。 私は自分のしてきたことが好きだった。今でも好きだ。……これは男であることの 物語だ。そして愛についての話でもあり、同時に憎しみについての話でもある」。 日本式スポ根のルーツは軍隊教育。 そんな真実をまざまざと見せつけられる。 例えば通称「ヘル・ウィーク」、「これは究極の戦士になれるだけの忍耐力と 意志を持ちあわせているかどうか確認するために、5日と半日ぶっとおしで 行われる“しごき”」、不眠不休の追い込みの数々、厳しい寒さに打ち震え、 「消耗しきっている場合でも任務を続行できるほどの精神的強さを示さなければ ならないのだ」。降参のベルを鳴らせばコーヒーとドーナツにありつける、 ただし、それは負け犬の烙印を生涯に渡り自らに科すこと。 マンモス西など生ぬるい! 「作戦に参加させない――考えうるかぎり、SEALにとってこれほど耐えがたい 拷問はない」。 とあるCGを用いた実験でのこと、「シミュレーションの初めは、血圧も心拍数も 安定していた。だが銃撃戦に入ると、どちらも下がった。私はできることすべてを 行ない、かなり快適だった。 銃撃戦が終わり、戦いがない状況になると、心拍数があがった」。 一見したところ、戦場を愛し、戦場に愛されたSEALの申し子、固定観念的な テキサス魂の権化の武勇伝、しかしそうしたマチズモの単調さを免れて、 本書にたまらない奥行きをもたらすのは妻・タヤの眼差し。 戦場から一時帰還した「彼が家に慣れるのは大変だった。寝ているとパンチを しながら目を覚ますのだ。……わたしが夜中に起きてベッドを出ると、戻るときに 彼の名前を呼ばないといけなかった。ベッドに入る前に彼を起こさないと、 彼が生きるために身につけた反射的行動で殴られてしまう」。 「クリスはあまりにも頻繁に人の死を見ているために、人は代わりがきくと思いはじめて いるんじゃないだろうか。……戦場で死ねたら最高だと彼は考えていた。それは ちがうと説得してみたけれど、信じてくれなかった」。 勇ましく戦いに明け暮れる夫とは対照的に、孤独な子育てに打ちひしがれる妻、 「自分が無力に思えた。強くなれない自分に怒りを感じた」。 タヤは早くに見抜いていた精神の闇に、クリス自身もいずれ直面することとなる。 「基地では何もかもがどうしようもなくゆっくり進んだ。何も起こらなかった。 そのせいで私の心は蝕まれていった。 戦場のさなかにいたときには、自分が傷つき、死ぬかもしれないという考えを 押しやることができた。あまりにいろいろなことが起きて、心配している暇も なかった。というより、ほかにやるべきことがたくさんあったので、本気で 向きあわずにすんでいた。 それが今ではそのことばかり考えていた」。 「戦争は人間を変えてしまう」。 妻のことばはあまりに重い。 戦場に置かれた人間の感情を多層的に切り取ってみせた記念碑的名作。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
商品も選びやすく、到着も早く、注文も簡単でした。 また商品内容にも大変満足しております。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読んだら何かを感じて、何かを得るはずです。 自分がここであれこれ書いて 先入観を持たれてしまうと この人が伝えたかったことが 歪んでしまうと申し訳なく思います。 どうやって言葉で伝えたらいいか、 とにかく衝撃的な内容で、たくさんの人に読んでもらいたい。 とくに戦場よりも安全な駅前などで おそらく戦争に行くこともないだろう 人達に向かって 「戦争反対」と叫んでいる人達に読んでもらいたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この作品は軍人の気持ちが伝わる作品でした。 特に終盤が印象に残ってます。 この主人公がどれだけ「伝説」だったか、どれだけ凄いか | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「後悔はしていない。もう一度やってもいい。だが、戦争はまちがいなく人を変える」。 ノンフィクション。クリント・イーストウッドが監督を行って映画化されている。米軍史上最多の狙撃成功記録を持つスナイパーの回想録である。射殺した敵は公式記録として160名。しかし、これは目撃者がいて敵の死亡が確認されたものだけである。本書を読む人の多くは、非公式記録である255名の方がおそらく実態に近いだろうと思うのではないだろうか。 「ファルージャはひどかった。ラマディはさらにつらかった。サドルシティは最悪だった」という。クリス・カイルが4度にわたって従軍したイラクでの戦闘の数々。命を失いかけたことも一度や二度ではない。「私には守護天使がついていると思いはじめた」というくらい、運にも恵まれている。身体は次第にボロボロになってゆくが、大きなケガをしていると告げると前線から下ろされてしまうので、黙っている。戦闘に参加したい。戦いたい。悪党をやっつけたい。そして、愛国心。 イラクの武装兵力たちを次々駆逐していったことについて、良心の呵責のようなものは一切見られない。むしろ、そうすることで多くの仲間の命を救ってきたと強調している。クリスにとって、彼らは単に憎むべき悪である。一方、守り切れなかった味方の命に対する後悔は半端ではない。人生で最悪の瞬間は、仲間を失ったこと、若者を救えなかったことだという。実際、本書には、仲間について書かれたページが結構ある。 生い立ち。カウボーイに憧れ、バイトとして牧場で働いていたときのこと。軍に応募した動機。SEALの訓練の強烈さには特に驚かされた。いじめも当たり前にある。荒くれ男たちは、喧嘩も多い。そして、SEALと知らずにバーで殴りかかった連中はただでは済まない。 妻であるタヤのコメントが時々挿入されている。タヤの感覚は一般人に近く、こちらの方が抵抗なく共感しやすい。遠く離れた異国の最前線で、いつ命を落とすかわからない夫を待つ身のつらさがにじみ出ている。 スナイパーについての誤解を解いてくれるところもある。まず、狙撃の距離は思うほど遠くない。市街地では180m~360mくらい、郊外で730m~1100mだという。好みの距離は「近ければ近いほどいい」のだそうだ。また、スナイパーはいつも頭部を狙っていると思われているようだが、絶対に命中するという確信があるときを除いて、狙うのはもっとも外しにくい体の中心なのだという。また、陸軍の狙撃手は観測手を伴うが、SEALは観測手は使わない。銃の使い分けについても説明されている。 除隊後は、メンタルに問題をきたしたことも書かれている。常に死と隣り合わせの緊張の戦場から一般の市民生活に戻ることは、簡単なことではないようだ。戦場の狙撃兵の生々しい記録である。それにしても、こんな凄腕のスナイパーの命を奪ったのは、あれほど憎んでいた敵ではなく、元アメリカ兵とは。あまりにも強烈な皮肉である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
イーストウッドの映画に触発されて読む。 妻タヤとの掛け合いにも似た記述が、内容を複眼・重層的にし、言うに言えぬ深みを持つ、卑近なドキュメントにしている。 戦場が舞台であり、敵を狙撃することが仕事という、稀な特殊性を敢えて捨象すれば、「優れたプロフェッショナルとは何か」を解き明かしてもいる。 驚嘆するしかない「ぶれない視点」、己の業績への「全くの謙虚さ」、チーム仲間への「限りない同胞愛」などが、極めて印象的。 また誰であれ、他人と向き合い、繋がりを持つことなくしては生きられない、という「人生の普遍」を改めて強く意識させる本でもある。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
一般市民にとって馴染みの薄い職業軍人のなかでも「スナイパー」という役目は、あまり見聞する機会が無いので大変興味深かったです。 SEALsでは、一般的に知られる「射手と観測員」という2人1組の狙撃班ではなく、射手単独で行動するというのを初めて知りました。 敵とはいえ「人の命を奪う」といことについて、著者の割り切った考え方は独特であり、色々と考えさせられます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
観測員が必要ないなど、銃の種類によって体制ずくりが違うんですね。 。 新しい銃器、車両が多く出ていて。 。 今までの古い銃器との違いが勉強になりましたね | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
アメリカ史上最高のスナイパーの実在の人物の話。 イラクに何度も行き、アメリカに帰ってきたのに アメリカ国内で殺されてしまうという。 最初ニュースを聞いたときは、アメリカに本人の情報を売られて殺されたのだと思っていました。 実際にイラクでは懸賞金がつけられていたということなので。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
反戦でもなく戦争肯定でもない。 自分が徴兵されたと想定すると、とてつもなく共感できるところがある一方で、好戦的なところや、あまりにも短絡的な政治的イデオロギーにはやっぱり共感できない。 ただ、偏りなく、(意図せずに)両面から戦争をとらえているところに強烈なリアリティを感じる。 そして、そこに焦点をあてたクリント・イーストウッドはやっぱりすごいな、と、原作を読んでなおさらに感じる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
とにかく訳がひどすぎの一言。 何度も読み返さないと意味が分からない部分も多数あるほどで、訳者が本当に理解しているのかどうか疑念を持ったほど。 軍事関係の記述についても一貫していない部分もあり、訳者がこの軍事分野においてもあまりわかっていないことが明白。 読んでいてとにかく疲れる日本語だった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
筆者はSEALに所属していた実在の人物で、タフで短気で好戦的な、典型的なアメリカ映画主人公のような人です。 本の内容は、筆者の生い立ちや、イラク戦争等の経験を通じた手記になっています。筆者の思想に納得出来ない部分はあれど、それも生々しく感じられ、様々な感想が浮かぶので、面白い本だと思いました。 後、この本の本筋とは離れてますが・・・ 読んで気になった部分は、イルカ・アシカが沿岸警備に利用されているという記述です。動物を軍事目的に使用する話は、よく耳にしますが、かような事まで出来るとは、とんと知りませんでした。 地球全土に版図を広げる人間にとって、影響を与えぬ生物は居ません。動物をこのような形で利用するのは、人のエゴではありますが、人と動物が共存する一つの形として、好感を持ちました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
戦争がどうであれ、スナイパーがどうであれ、本書は実際におきた事が記載されている。 日本人には非常に理解しがたい内容だ。 実際に日本は直接戦闘行為に加担していない。 日本人から見た本書は後半部分に多い、戦争による心の闇だ。 これは戦争映画や戦争ドラマでも描かれてきたものだが、アメリカ軍最高のスナイパーでさえ、悩まさせる重要な課題だ。 読み終わってなお、心の闇に考えされ、自分がPTSD に陥ってしまったような感情移入が抜けだせない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
現場のことは現場の人間が一番というスタンスの私は、戦場のことなどを知りたい際には常々兵士や前線に赴いた人の記したものを読む。 この本は構成が巧いと思う。クリス・カイルの妻タヤの筆があるのが何よりも良い。一見すると避けられそうな本書を大衆向けにするのに一役買っていると思う。 クリス・カイルの筆ではシールズや兵器、戦場、敵(相手)などの情報が上から規制はかかっているものの、知ることができる貴重な史料であることは言うまでもない。 そして、無論本人の心情だってそうだ。 著者の筆と妻の筆、その相互関係を読めることが特に良かった。 また、アメリカという国、著者はあぁ、やっぱりアメリカ人ってと思い何度も苦笑した。また、著者の妻の心情は貫かれるほど共感できる(恐らく大抵の一般人はこっち視点だろうし) 色々な点で非常に勉強になった。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!