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断絶への航海
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断絶への航海の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.85pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全20件 1~20 1/1ページ
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可も不可もなし | ||||
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新品を購入したのに梱包の際に入れ方が乱暴だったのか、カバーが下にズレて入っていました。 おかげでカバーに折れ線がしっかりついていて、下の剥き出しの部分は破れていました。気を配って入れてほしいです。 断絶への航海については、ストーリーだけを追うSFではなく題材が道徳の範疇から哲学的な思考に誘ってくれる作品でした。 | ||||
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ホーガンの理想主義が最もよく表れている作品でしょう。 尊敬という通貨を流通させているケイロンと、現世利益に支配された地球との対比が実によく描かれています。 できることなら私自身、ケイロンへの移住を希望します。 地位や富が何の意味も持たない社会の方が、さまざまな分野で目覚ましい進歩を遂げるというホーガンの慧眼に大いに賛同します。 近年の世界の情勢は、ますますケイロンを支配しようとした強欲な地球人に似てきているのが恐ろしい。 私はホーガン作品の中でも、好きな作品として本作を推します! | ||||
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現在の教育制度を全て否定・棄却し全く異なった価値観で教育’すれば可能だと 考えられるんだよね、それには子供を親から切り離しコンピューターと子供だけの 空間を作る必要が在るけれど、これは物理的に可能ですね、むしろ問題なのは ほぼ無限のエネルギーとエネルギー物質転換技術、このうちエネルギーの方は 核融合とソーラー・エネルギ-でなんとかなるかもしれない、むしろエネルギー・ 物質転換技術、これに真空エネルギーの抽出が出来ればなおのこと良い、 スター・トレック・ネクスト・ジェネレーションなんかでは可能に成っているよね だから23世紀頃ならば出来ると考えているよ。 最大の問題は心理的側面、親と子供を引き離す事、これはSFでは結構している 洗脳や薬品、遺伝子操作による忘却を使用すれば出来るでしょう、尚の事、良い(?)のは 大天災、戦争による現秩序の破壊でしょうね、いずれにしろ一度、ディストピアが 訪れれば可能だと思いますよ。 レムの「星からの帰還」の様に薬品でも1世代から2世代で出来ると思いますよ その際の価値観を絶対的に変化させ得る社会が用意されなくては、しかし亜光速 での世代間宇宙船ならそう難しくは無いのでは、、何しろ現代の様なアホな選択を したらおわりだからね? この小説で気に入ったのシーンは ポーカーやっていて1のファイブ・カードをドリスコルが出した時に チェンがスミス&ウェッソン出して此方の方が強いと言ったシーンである これこそケイロン人がどういう価値観で動いているかの証明に 成る、即ち究極的な「自由と責任」がどういう風に守られるかを示している 他の力を借りずにこれを守るとすると最終的に生の力を示さなければならなく成る と成ると民衆は武装しなければならない。 所謂、既存の勢力と政治、宗教等からである、役者の後書きにも有る様に ケイロン人は姿かたちは旧人類と同じで在るがその思考面に於いては 全くの新人類なのである、ところがメイ・フラワーでも落ちこぼれの旧人類は その価値観からしてケイロン人で在ったので比較的容易に同化出来たのである そう成ると旧勢力の人間は勢力を維持しようとするが倫理面でもテクノロジー面でも 全く歯が立たないのである。 この移行は比較的容易だと考えている、重要な事は子供を親等の既存の 社会的枠組みから隔離し論理だけで育てる事で在る。 そして事実を事実としてとらえる事の出来る子供達に未来を託す事が 兎に角、真実は単純hな方が良い、別に新しい思想等、必要無い、 何故なら今迄の思想(生き方か?)が真実からかけ離れているだけである より単純な生き方をすれば新しい思想の方からついて来るだろう それを持たせようと強制等したのが旧体制の連中である、そして 彼らは滅ぼされた、要は真実に対し単純に生きる事である、そして それが宇宙の真理なのだから仕方が無い、人間の構築した文明は エントロピーを増大させ過ぎる。 それからシステムが相転移する時に起こる事は色々な旧システムと新システムの 争いに成り迷惑を被るのは一般の市民だから、それに対処する方法を備えていなければ 駄目だね、その為の情報は出来る限り早く知っておく必要性が有るね、例を挙げるなら この前アマゾンが全配送料を350円にすると云った様な事は、3か月有れば対処は比較的 容易だけれど突然それをやられたら混乱するのは必定だからね、また値上げをする方も 出来る限り情報は出すべきだね、そういう事が無くなって始めて円滑な移行が可能に成る と思うよ。 | ||||
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これはハーラン・エリスンの言葉です。J・P・ホーガンの作品を読むのは初めてですが、本書はスペキュレイティヴ・フィクションの名にふさわしく、また娯楽作品としても十分な仕上がりになっていると思います。 地球人類の種から生まれたものの、そこが惑星ケイロンであり、機械によって育て上げられたゆえに、宇宙人であるケイロン人と、40年後に地球から<メイフラワー二世>で、ケイロンを新世界として当然の権利とばかりに植民しようと乗り込んできた人類との出会いが生む葛藤、軋轢、衝突、和解といった様々な状況で、登場人物と共に僕自身、内宇宙に誘われ、ある種の気づきに直面せざるを得ませんでした。優れたSF、あるいは幸運な読書体験というものはいつだって他者との邂逅、つまり自己の変様を用意してくれるものです。 「われわれはすべて地球という異邦の惑星に住む異星人である」再びハーラン・エリスンより 本書から印象的だったセリフをいくつか紹介します。 「でもだれでも何か、見どころはあるものです。人間の心は無限の資源だって言ったけど、でもそれは無駄遣いしないとしての話だ。これ、面白いパラドックスだと思いませんか?」 「ケイロンでは、富はその人の能力なんです!気づきませんでしたか?彼らはよく働くし、やるときには全力を尽くす。そして常に向上に努めている。いいことであれば、何をしようとそれは問題じゃない。そしてみんながその価値を認める。あなたの言われた他人に認められること――それが彼らの通貨なんです……能力を認められることです」肩をすくめ、両手を広げて、「これでかなり意味が通るんです。今あなたも、それこそみんなが求めるものだと言われましたよね。そう、ケイロン人は、象徴的なものを媒介とせず、直接それを支払っているんです。世の中をわざわざややこしくする必要はないでしょう?」 | ||||
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惑星ケイロンには「富」という発想そのものがない。すべての「モノ」は無尽蔵にあるから無価値、つまり「タダ」なのだ。だから取り合いにもならないし、徒党を組む必要もない。そして、彼らは自分がなにをすべきかは「自分の頭で考えて決める」。 そんな究極のフリー社会である惑星ケイロンで、あくまで市場を作り、利権を生み出し、組織を作って君臨しようとする地球人が自壊していく様子が痛快。ケイロン人はその様子を「われ関せず」という顔で見守っているだけ。 いよいよ追いつめられた一部の地球人指導者が軍事力によるケイロン支配、またはケイロン人絶滅へ踏み切ったとき、「不適応者や変わり者の寄せ集め」といわれた鼻つまみ者集団の「D中隊」が立ち上がる。 著者は、フリー社会への「相変化」は「数光年の空間を隔てて、独自のスタートを切ってこそ成立する」としているが、フリー革命が進行中と言われる現在、すでにこの地球上で「相変化」は進行している。てことで、我々もそろそろ「ひとりまたひとりと脱落して」ケイロン人の流儀に同化していくか、「D中隊」に参加することになるだろう。 脱落するというのは「経済的に負け組なのに勝ち組よりも幸せに暮らす」ことだと思うのだが、「D中隊」の戦場がどこになるかがわからない。なんとなく食べ物とか田畑をめぐる戦いになりそうな気がする。 | ||||
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あらすじを読まれた方は期待するところ大かと思います。 恒星間移民と、おそらくは異質な世界/世代との「コンタクト」ものです。期待するなと言う方が無理でしょう。表紙も素敵です。 しかしながら、本書を読み進めて、事前の期待と興奮はどこかに消え去ってしまいました。 ・登場人物 軒並み凡庸で不必要に人数も多く、ストーリーと関連性のない心理描写が延々と続きます。 ・独自の素粒子論 悪くはないのですが、作品内においてうまく機能していません。 ホーガン自身の科学的主張なのかも知れませんが、違和感だけが残りました。 ・異世界の構造や社会的な仕組み ケイロン社会が過不足なく維持・運営される保証であるとか、この手の社会構造の本質的な欠点である「フリー・ライダー」を抑制する具体的な仕組みについては何も語られていません。ヒッピー幻想あるいはリバタリアンの寝言の域を出ておらず、説得力に欠けます。この点ではアシモフの「神々自身」などの方が遥かに優れています。 しかも物語の終盤でケイロン人が、自ら捨て去ったはずの故郷の論理を剥き出しにして用いるくだりがあります。作品内での矛盾でしょう。 星新一であれば20Pほどで完結するであろう内容を、延々と膨らませてしまった。そんな印象が残りました。 ホーガンには他に素晴らしい作品が沢山あります。小説として不出来な作品に付き合って後悔する必要はありません。 | ||||
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あらすじを読まれた方は期待するところ大かと思います。 恒星間移民と、おそらくは異質な世界/世代との「コンタクト」ものです。期待するなと言う方が無理でしょう。表紙も素敵です。 しかしながら、本書を読み進めて、事前の期待と興奮はどこかに消え去ってしまいました。 ・登場人物 軒並み凡庸で不必要に人数も多く、ダラダラと無意味な心理描写が続きます。 ・独自の素粒子論 悪くはないのですが、作品内においてうまく機能していません。 ホーガン自身の科学的主張なのかも知れませんが、違和感だけが残りました。 ・異世界の構造や社会的な仕組み ヒッピー幻想あるいはリバタリアンの寝言の域を出ないものです。 ケイロン社会が過不足なく維持・運営される仕組みであるとか、この手の社会構造につきものの欠点である「フリー・ライダー」を抑制する具体的な仕組みについては何も語られていません。 説得力の無さが致命的で、この点ではアシモフの「神々自身」などが遥かに優れています。 しかも物語の終盤でケイロン人が、自ら捨て去ったはずの故郷の論理を剥き出しにして用いるくだりがあります。これは作品内での矛盾でしょう。 星新一であれば20Pほどで完結するであろう内容を、延々と膨らませてしまった。そんな印象が残りました。 ホーガンには他に素晴らしい作品が沢山あります。小説として不出来な作品に付き合って後悔する必要は無いでしょう。 | ||||
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オルダス・ハクスリーの『島』やル・グウィンの『所有せざる人々』と似たところがあると思う。SFなんだけど、ある側面ではユートピア小説。 この物語の「異星人」であるケイロン人たちは、幼少の頃から「自分の頭で考える」ということを、知識としてでなく、方法論としてしっかりと教え込まれている。また貨幣のないこの社会では、「尊敬こそが価値」というマインドセットが共有されている。 ただ、これを許すのは、この社会の「物質的な豊かさ」という条件。危険な労働等をロボットに任せることができ、資源は無尽蔵にある、という社会だから成り立つ。まあSFだからそういうもんですね。 が、優生学的問題はどうなってるんだろう? たとえば障害者もいるのではないだろうか? 先天的な障害は科学力で克服しているかもしれないが、中途障害者だって存在しうると思う。できれば、それらを科学技術での解決でなく、社会装置的に解決した部分を描写してくれると、この世界についての理解が深まったと思う(もちろん、ケイロン人の行動原理からすれば、障害の有無は「尊敬」という通貨の価値を減ずるものでないのは想像に難くないので、SF小説でそこまで描写する必要はないのだろうが)。 SF的な側面としては、物語冒頭部分、人間の社会を他の恒星系に築こうと考える際、別に生きている人間を送らなくてもよい、というあたりで、巧いこと、いっぷう変わったファースト・コンタクトものにしているところだろうか。こういったSFにつきものの勧善懲悪的なカタルシス構造もしっかりあるので、読んでて楽しい一冊です。 | ||||
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ほんとうの意味で大切なこと、というのは世の中にいくつあるだろう・・・ 本書が提示するテーマは、まさにその中のひとつ。 著者は英国に住んでいた頃、友人とアイルランド問題を論じていて本書のアイデアを得たという。 ”民族間の確執を解消するには、少なくとも一世代のあいだ子供達を親から離して育てる他あるまい” と考えたのがそもそもの始まりとか。 ケイロン的な社会の実現可能性に関して、いささかの疑念も持たないといえば嘘になる。 しかし旧弊に凝り固まり小利口に振舞おうとする私たちの精神に、本書は真に明るく鮮やかな イメージで語りかけてくれる。 現代の社会はケイロン型社会へと到る道筋の、ほんの通過点に過ぎないのだということを。 | ||||
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登場人物が多すぎて、よくわからず、途中からスーパー流し読みしてしまった。 | ||||
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序盤の恒星間植民のアイデアや終盤の攻防部分は面白かったけど、 中盤はだらだらと間延びした印象を受けた。 著者は古くさい地球社会と新しいケイロン社会の対比を印象づけたかったのだと思うが、 集合知とでもいうようなケイロン社会に矛盾を感じて感情移入できなかった。 | ||||
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ある意味ファーストコンタクトものですが、テーマは全く違うところにあります。 機械に育てられたケイロン人の社会は地球とは異なり、ささいなことでも、 例えば壁のペンキ塗りでも、個々の能力を発揮して社会に貢献することを旨と するものであるという設定が肝です。 現代の大国による覇権主義に警鐘を鳴らす、哲学的な思想が見え隠れします。 国家や組織の庇護を受けず、人間が裸になったとき一体何ができるのか、考えず にはいられない示唆に富んだ作品です。 そんな思考実験だけではなく、メイフラワー二世号での終盤のアクションシーン も作品のハイライトです。 しっかり楽しませながら大団円を迎えるラストが爽快の一語です。 | ||||
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なぜ他の方の星の数がこんなに少ないのか理解できません。どのようなジャンルの小説でも、面白い・はらはらドキドキ・ああこんなことが!+読み手自身の人間に対する深い洞察を喚起する要素が巧みなストーリー展開に乗って終結へと向かう、というのが優れた作品だと私は思うのですが、この『断絶への航海』はまさにハードSF分野におけるその典型だと思います。魅力的なキャラクターの数々、後半の盛り上がりとスピード感の素晴らしさ、さらに読後何日もそこに提示された大きな問題を考えさせらる、という幸福な体験をもたらしてくれました。組織の中でジレンマ、トリレンマに苦しみながらも自分を潰さずに働き続けている大人たちへの御褒美のような小説です。 | ||||
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西暦2020年、人類初の恒星間無人移民(!)船<観音>号は、 太陽系を離れ、遥か銀河の奥深くへと、 移住可能な惑星を探す旅に出た。 そして、第三次世界大戦後の2040年、<観音>号から通信が入った。 人間が生存可能な惑星を発見したので、人間を創造すると! かくして<観音>号のコンピュータは、電子記号に直した遺伝子情報から、 惑星ケイロンに人間を誕生させ、地球社会の無意味な教育は施さずに、 知的に論理的に教育し、地球上とはあまりにも異質な (人間は教育されなければ人間にならない。狼に育てられた赤ん坊の精神は狼である) 人間社会のユートピアを出現させた。 だが、2060年、荒廃した地球からケイロンに移住しようと精神レベルの低い人間たちが <メイフラワー二世>号で旅立った。 内部に宗教施設さえある精神のレベルが低い<メイフラワー二世>号の移民たちは、 人間の常識と神の倫理と悪魔の知恵を遥かに越えたケイロン人に驚愕する。 狼が人間になるよりも、はるかなギャップがある。 人間たちはケイロン上でさまざまなトラブルを巻き起こす。 ケイロン人は神より上位の精神を持つ仙人をも越えている! 最高の魂とはコンピュータの魂にきまっとりゃーすがね! とてつもなく素晴らしくて楽しい作品である。 異質のアイデアの噴流である。 普通のSF作家だったら長編10本分ぐらいになるだろう。 異質というのがワンアイデアで表現できると思っている想像力のないSF作家どもは反省するヨロシ。 政治形態とテックレベルが歴史に存在しなかった組み合わせであれば、 それで立派な異質な社会だと思っている自分で考える頭のない作家どもはサウナ風呂でのぼせ死んじゃえ! この作品の社会こそが本物のセンスオブワンダーに満ちた異質社会である。 そして、人類が進むべき理想の社会である。 ホーガンの作品は理想的すぎて綺麗事を並べただけと思う人でも、本書は楽しく読めるであろう。 | ||||
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SFとは、形式が未来形を取っているだけで、現在の柵から開放された上で、純培養された、テーマを読むものというのが、わたしのスタンスです。その意味で、この作品は、子供も大人も自分のできることを、精一杯することが生きる喜びになるということを、改めて確信させてくれる ものです。この世界の一人でも二人でも利権を追うことでなく、自分のできることが、世界を回していくことに気づき、どんなひとにも、何かは在るんだと発見することで、変化していくことができたらと希望がわきます。「気がつくのが遅くても、気がつかないよりは良い。」変えるのではなく、自らが変わって行くことを体験してください。 | ||||
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SF的な冒険活劇を求めるとちょっと違うかなと思うかもしれませんが、この作品で出てくるαケンタウリの社会構造は哲学的に結構面白いと思います。 自分はこの本を読んで、社会を見る目が少し変わりました。 今になって読み返してみると、著者の想定している社会はオープンソース運動に実に近いと思います。 実際に生活必需品が無償で提供される社会であれば、この本に出てくるような社会が実現しても不思議ではないと思います。 | ||||
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学生時代ホーガンの作品に出会い夢中になりました。 その人類に対する楽天主義、科学・合理主義思考を至高のものとする内容は当時の私に大きな影響を与え、現在の私の考え方の元になっています。 しかしながら、最初の出会いから十数年がたった今、この本を読み直してみて感じることは、「SFとしては今や古い」というものです。 言い換えると「わくわくする気分」がもはや感じられなくなったということです。ホーガンの作品は大半が「アイディア小説」の範疇に入るものなので、そのアイディア自体が古くなってしまうと小説自体の説得力が大きく落ち込んでしまうという根本的な弱点を持っています。 具体的には遺伝子工学の取り扱いの弱さや、世代間宇宙船の技術的アンバランス(わずか20数年でアルファケンタウリに到着してしまう。)、そしてその中で営まれる現在とあまりに代わらない社会構造などが物語の説得力を落としているように感じられます。 個人的には今でも愛読書の一つですが、SFをある程度読まれている方であれば、あえてこれを薦める理由はありません。 昔の思いも含めて☆2つとさせていただきます。 | ||||
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人をお互いに本当に信じ会えたらこれほど素晴らしい世界はない。 この本のおかげで、私は性善説で生きていこうと思った。だってその方が楽だもの。外れる人は醜いもの。 SFはあまり読まないけれど、ホーガンには、これではまった。 | ||||
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ユートピア小説である。 遠く離れた植民星…。 子供たちが今現在の地球にはびこる様々な社会的矛盾から切り離され、機械によって育てられ、自然環境と闘ってたくましく成長した社会…。 物質転換技術の実現により、資源は無尽蔵にある世界…。 人種的・民族的偏見も、経済的な収奪・搾取も、その結果生ずる差別も、社会階層間の対立も、戦争もない社会…。 そうしたユートピアに、今現在の社会を引きずったままに到来する地球からの植民船団…。 彼らがもたらすドタバタ劇…。 設定は大変に面白い。それだけでも買いだと思う。 だが、理性は「こんな楽観的な状況、こんな人間が、あり得るはずがない」と言う。 「夢がないなあ」と感性がつぶやく…。 そんな作品。 | ||||
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