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死の迷路(死の迷宮)



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死の迷路(死の迷宮)の評価: 4.17/5点 レビュー 12件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.17pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全12件 1~12 1/1ページ
No.12:
(4pt)

だいたいこういうオチ

こういう「色んな事情を抱えた人々が一カ所に集められてサバイバルして謎の怪物とか出てくる話」って大体同じようなオチになる印象があります。
「こういう陰謀があって~」とか「怪物の正体はこれで~」とか細かい設定も要らないし楽そう。と穿った見方をしてしまいます。
神様の設定は面白かったです。

本編には関係ないけど訳者あとがきには面食らいました。
普通はもうちょっと穏やかに作品の解説をするものだと思うのですが、びっくりするくらい偉そうに語り始めるので、「あれ、これ本編の一部なのかな?」と思わず見返してしまいました。
良く分からないけどそういう毒舌が売りの人なんでしょうか?
死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120706
No.11:
(5pt)

デタラメ章題にみるディックの矜持と誠実

読了後、私はこの小説の目次に各章ごとのあらすじ風の章題が載っていることに気づいた。しかしこれが内容を全く要約していない完全にデタラメな代物で、おふざけにしてもあまりウィットさを感じさせるものでもない。ほとんどの人が読みとばすであろうこのデタラメな章題の意図するところは何か、、、と私はぼんやり考えてみた。
  だんだんと私の脳裡に浮かんできたのが、昔デニス・ホイートリーという作家の小説をそのどぎつい章題に騙されながら読み進めていった記憶だった。一体どんな経緯でこんなあやしい事態が起るんだろうとワクワク期待に胸をふくらませながら話を追うのだが、章のおわりで裏切られ、続く章でも騙されつづけ、本が終わる頃にはこれがある種の釣り手法であることに気づかされた。実はたいしたことの起こらない小説を、仰々しい章題で最後まで読ませてしまうテクニックだ(デニス・ホイートリー・ファンの皆さんゴメンナサイ)。一昔前のペーパーバック物にはこういう手法が常套手段としてまかり通っていて、章題が購買層への訴求アプローチになっていたのかも知れない。
 ディック氏はおそらくこの手法をパロディ的に真逆の要素として本作冒頭に用いたのだと思う。そこにはパルプSFというジャンルで本を出す自分への諧謔めいたニュアンスもあっただろう。しかしそれにも増して私が感じるのは、作品に対するディック自身の矜持(とその裏返し)だ。実際この作品は本質的にはメインストリーム並みであるように思う。人類の叡智と真理よここに凝縮せよとばかりに小説を展開するディック。しかし今作もパルプSFである以上は安く扱われるのは必至。ならばこちらからB級パルプよろしくあらすじ章題を巻頭目次に並べて、それをわざと唆らない意味不明なものにしてやることで、逆説的にこの作品が高尚であることを示してやろうじゃないか。ディックがそうたくらんでいたのだと考えれば意味不明の章題にも合点がいくのだ(すごく解りにくいが)。
 しかしよく考えるとこれはつまりイカサマの逆であり、翻ってはディックの誠実さの顕われともなる。そして、実にこのような彼の掛け値なしの誠実さが、死後における彼のブランド化に一役買っているようにも思える。陳腐な物言いかもしれないが、読者は彼のこういう姿勢に人類愛めいたものを垣間見てしまうのだ。もっとも実際にディックは(その内面において)人間を、また偽らぬ人間性というものを愛した人物でもあったのだろう。私たちは本作「死の迷路」に登場する一癖も二癖もある人物達に対して、初めこそなんてイカレタ連中なんだとあきれるが、彼らがひとりずつ居なくなっていくに連れて、いつの間にか何とも言えぬ喪失感を抱いてしまう。おそらくディックは、このキャラクター達、そのモデルとなった実在の人物ひとりひとりをとても愛していたに違いない。
  そんな人間愛のなせる技か、ディックは本作で読者を一種のホーンテッド・ハウスに引き込みつつ、自らの神学的・哲学的到達点をなるたけ平易に開示してみせる。しかもその見解をキャラクター達に逐一弁証させることで、独断に偏向することを勤めて回避してもいる。ここに本作の読みやすさ、バランスの良さがあるのだろう。まあそもそも彼の真理への希求が本質的に純粋な問いかけから発生しているのだから、これは至極当然な姿勢なのだが。
 こうした彼の誠実かつ真摯な姿勢が、「社会への表向きの顔」としてデタラメ章題となって顕われている、とこう私は想像を巡らせたのだが、しょってる感じで一寸ディックらしいでしょ?
死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120706
No.10:
(4pt)

未来、宇宙船、変わった宗教、変な人々。今あなたはどこに向かっている?

キリスト教でもイスラム教でも仏教でもユダヤ教でもない宗教、というか神学が出てきて、それに対する登場人物たちの態度がストーリーと深く絡んできます。これをSFの「社会環境設定」の一つとして飲み込めるなら、「そして誰もいなくなった」的な生き残りサスペンスとして楽しめるでしょう。P.K.ディックのファンでなくても大丈夫です。もちろんディックファンなら、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」や「ヴァリス」に通じる雰囲気や概念が散見され、味わいもひとしおです。感覚が裏返しになるようなどんでん返しもあり、最後にかっちりまとまっているようで、実は作り込まれた大きな穴が残されているところなど「あなたが落下し続けているゾッとする現代社会」を直観させてくれますよ。
死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120706
No.9:
(4pt)

ダメ人間描写がすごい、そしてあと10ページでどう落ちを付けるのかと思ったら…

ディックの小説はたいていの場合「本物と偽物の違いは何か」「そもそも本物ってそんなに価値がある物なのか」「むしろ偽物の方が優れているところもあるのでは」という問いが常に投げかけられるように話が組まれているんですけれども、これはその中でも最たるものなのではないかと思います。

帰る手段のない、辺境の植民惑星に集められた男女のグループ。
何の目的でそこにみんなが集められたかということが、全員そろった段階で衛星からの通信で伝えられるはずだったのですが、それが予期せぬ事故でメッセージの途中で止まってしまいます。

何の為に来たのかもわからず、奇怪な環境の中で、ある者は事故で、ある者は殺されて、どんどん死んでいく人々。
彼らが信じている独特の宗教。
ここに集められた目的の謎、惑星の環境の謎、人々が死んでいくことの謎を、かれらはなんとか解き明かそうとするのですが…。

面白くてどんどん読み進めてしまいましたが、残り10ページくらいになったところで「これどうやって落ちを付けるんだろう」とふと気づきました。
その解決手段はまあ、この頃のSFとしてはこんなもんなのかもしれませんけれど、救いがあるようなないような感じでしたね。
結局「何が本物で何が偽物なのか」というのはわからずじまいでしたし。

アマゾンプライム限定ドラマになった『高い城の男』や、映画になった『トータルリコール』『マイノリティリポート』『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』あたりを期待すると、ちょっと肩すかしかもしれません。
中には怒ってしまう読者もいるかもしれません。

しかし、巻末の訳者の解説を読むと、これはこれでディックの文学史上の価値というものを考えるうえで重要な作品なのかもしれません。
ダメ人間賛歌というか、そういう登場人物たちのダメ加減のリアルさにも、やはりディックの手腕を感じますし。
登場人物はみんなどうしようもないダメ人間なんですけれど、自然と彼らについて感情移入ができ、どんどん物語に引き込まれていきます。
そこを味わうという意味でも価値があると思います。

とりあえず☆4つ。
ディックの他の作品も読み進めていきたいと思います。
死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120706
No.8:
(3pt)

昔、東京創元社のものを買ったのだが。

10年くらい前に古本屋の100円コーナーで置いてあったのが目につき、買って読んだ。読んでいる最中は面白いと思ったが、少しして手放してしまった。ディックの小説はとくにヴァリスなんかは保存して何度も読みなおしているのだが、これは売ってしまった。
 なんでかな、と思って今回電子書籍で買い直したが、それも納得だった。
 これはディック後期の小説で、当時の彼の私生活では妻との不仲や知人の死が続発して参っていた時期のもの。その気分が小説に徹底的に反映されていて登場人物は次々に死ぬのに、それに恐怖するわけでもなく、助けようとするわけでもない。最後にSF的にありふれたオチがつくのだが、それもこの小説を覆う絶望感を覆すものではない。
 ただ、全体的にユーモアはあり、慢全と読んでしまう。後期のディックは人生につきまとう絶望感に自分で発明した新宗教で対抗しようとした。この小説でもその新宗教の片鱗はあるものの、最後の三部作ほど徹底して捏造されたものではなく、擬似現実のキーアイテムでしかない。
 ディックの小説の魅力はディックみたいな社会不適合者たちがたとえ狂ってでも現実に立ち向かおうとするところにあると私は思う。それは最後の三部作には顕著でそれが静かな感動を呼ぶのだが、今回は狂気の度合いが抑えられていて物足りないと感じた。
死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120706
No.7:
(4pt)

「人間はいつになってもかわらない」という慨嘆が残る小説

1982年に53歳の若さで亡くなったフィリップ・K・ディックの世界はなお健在である。本書は1970年にA Maze of Deathのタイトルで上梓されたが、1989年になって創元社から日本語版が出版され、さらに2016年に早川書房で文庫化された。彼の魅力は年月を経るほど増幅するようだ。但し本書は、作家が得意とし映画化もされやすい「時間操作」劇とは異なる、心理劇とも言うべきドラマである。

「2105年」頃の銀河系宇宙。そこには「フリーネットワーク」と称するインターネット網はあるがパソコンが無い。ケータイ、スマホもなく、探検に出かける登場人物たちはトランシーバーがないのを悔やむ。録音再生ギアもHDDやフラッシュドライブではなく磁気テープだ。今読んでみて、作家の未来予想力の限界を笑ってしまうところもある。ここはむしろ現実世界の、SF作家の想像力をはるかに超える技術進歩の速度に驚くべきであろうか。

とにかく物語の始まりは、22世紀初頭の地球は既に人が住む惑星ではなくなり、20世紀人の子孫たちは地球を知らずに、銀河系の他の星や宇宙船の中で暮らしている。それらのあちらこちらから14名の男女が「デルマク・O」という宇宙最果ての惑星植民地への移住に志願し、片道分の燃料しか積めない小型宇宙艇で到着するところからである。

この移住者たちだが、経歴が異常である上に性格も異常とされる(カッコは「語り」が付けた性格)。博物学者(アル中)、言語学者(薬中毒)、海洋生物学者(過食症)とその妻、居住地管理人、神学者(幻想病)、プラスチック工学者、医師(心気症)、心理学者、写真家兼土壌専門家(分裂症)、コンピュータ技術者(発明狂)、超高齢の社会学者(110歳?)、タイピスト(セックス狂)、経済学者(潔癖フェチ)。

発令者が何を目的に彼等を選んだか全く判らす、その上、全員が揃った後で聞かされるはずの指令が録音機の「故障」で消えてしまう。交信するには余りに遠い宇宙の果て。彼等は自分たちが「落ちこぼれ」で故意に遺棄されたと感じざるを得ない。

ここまで読んで気づくことは、この小説の元ネタだ。ジューヌ・ベルヌの『十五少年漂流記』(1888)やウイリアム・ゴールデングの『蠅の王』(1954)の他に、居住地の外にある「ビル」を目指して入れないシーンは、カフカの『城』も思い出させ、一人ずつ団員が殺されてゆくシーケンスは、アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』(1939)を彷彿とさせる。剽窃を非難しているのではない。テクスト(小説)とは本来「先行テクストの再構成」(間テクスト理論)であるとされているのだから。それ自身に読み応えがあれば良い。

もう一つ気づく点は、登場人物が本当に「異常者」であるかという疑問である。この程度の性癖は誰もが持っており、あの程度の自己中心主義、他人への無関心等は普通人程度だ。一人一人を観れば理性的に振る舞おうとしている知識人の彼等が、人間精神の「低位」に当たるとは思えず、彼等を異常と決めつける現代人の方がよっぽど異常でないのか、と考えさせられる。それとも1970年代から2016年の間に人間全体が「低位」に落ち込み、彼我の違いが判らなくなったとでも言うのだろうか。

とにかく団員の相互疑惑と相互不信のために人殺しが人殺しを産んでゆく。さらにはこの惑星にいないはずの外部者の侵入があり、宇宙最果てのデルマク・Oに居るはずの入植者たちは、実は廃棄されたテラ(ギリシャ語で怪物の意)と呼ばれる地球に来ていること、等々が段々とネタバレされて行き、さらにそれすらも「脳重合の融合意識」と教えられ、さらにそれすらも……と、物語は二重三重の「マトリューシカ構造」になっていて、最後は馬鹿馬鹿しくなるが、筋書きのどこで止め、どこを読むかは読者の読書力だろう。わたしには「人間は何時の時代になっても変わらないものだ」、という陳腐ともいえる慨嘆が強く残った。

面白かったのは、宗教に関する記述である。22世紀、地球の既成宗教は消え去り、新たに「宇宙教」とも言うべき信仰が創造されている。人々の祈りはインターネット回線を経由して、神に届く仕組みだ。ネットから隔離されている居住地の人々に祈る手段は失われているが、それでも人は祈らずにはいられない。宇宙教の三神、「導製神」「仲裁神」「地を歩く者」もキリスト教の「ヤハヴェ」「イエス・キリスト」「預言者」になぞらえ得るし、「形相破壊者」についての議論は、悪魔についての神学的な論争と同じだ。人間は「極限の神」を既に手にしているのかも知れない。

死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120706
No.6:
(4pt)

創元推理文庫で89年に刊行されたもの

書架をチェックした際、サンリオ文庫の同名の作品があったが訳者が違うので購入。
が、既読感満載でおかしいなと思ったら創元推理文庫で89年に刊行されたものであった。
巻末にはしっかり東京創元社のを再文庫化と記されてあった。。。
死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120706
No.5:
(4pt)

ディック入門には適してるようです。

ディック作品としては分かりやすいほうではないかと思うのでディック入門には適してるんでしょうね、たぶん。
それでも他の作家に比べたら分かりにくいわけですが。

それはともかく、翻訳者の山形浩生の御大層な御解説は余計ですね、若造時代のものも現在のものも。
独善的で知ったかぶりで身の程知らずで気取り屋で。
死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120706
No.4:
(5pt)

私はディック入門編としてお薦めしますが如何?

私のポリシーとしてストーリーに言及するのは控えます。
本編の謎が謎を呼ぶ強烈なサスペンスや、めくるめく奇想天外な展開に「予備知識」を与えることは読者の快感を減ずるばかりで、読書のガイドどころか「害読」になるので。

この作品でもディック特有の「何が現実で何が幻想なのか?」という問いかけが登場人物達によってしきりに為されます。いわゆる「現実崩壊感覚」が襲って来ます。
これを快感とするか、不快感とするか読者の側でも混乱が生ずることでしょう。
しかしディックの筆を信じ(タイプライターだけど(笑))読み進むしかありません。
やはり最後にはディック十八番の「●んで■返▲」が待っています。
これで「ホッとひと安心」する人も居れば、「えっ何だよインチキじゃん!」と不満に感じる人も居るでしょう。
人は様々ですが、実はディックの言いたいこと・メッセージは物語の中に隠れていて読者の心に何時の間にやら侵入しているのです。
「相手のことを思いやり」「仲間同士で助け合い」「信じあう心を持って人に接する」等々。敢えてひと言で言うなら「優しさ」です。

ディックは奇想のSF作家であり、各作品で独自の様々な異世界「恐怖と猜疑心の支配する世界」を作り出しましたが、その中に在っても人々は希望を失わず隣人への「優しさ」を忘れずに居ます。
これがディックの最も言いたかったことなのです。ディックの「優しさ」に是非触れてみてください。
死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120706
No.3:
(5pt)

どんでん返し

こねくり回して、こねくり回して、最後に「エッ」今までのなんだったの?みたいなディックな所全開だと思います。読み飛ばし感が最高。
死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120706
No.2:
(4pt)

訳がいいのかなあ

山形浩生氏の訳は読みやすい。
筋もサスペンスがきいていて、一気に読ませる。
ディック節も全開の鬱小説。
読後はスッキリ感あり。
死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120706
No.1:
(4pt)

ダメな人達

ディックお得意の、ダメダメな人達てんこもり作品。切実なシチュエーションにも関わらず、たいして何もしようとしない人達の話。そこが最高にステキなのだけれど、ディック作品でまっさきに読むほどの出来ではない。
 ディック初心者は、「暗闇のスキャナー」や、お約束の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」あたりから入るほうが良いでしょう。
死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:死の迷路 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120706

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