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(短編集)
疾き雲のごとく
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疾き雲のごとくの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.33pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全15件 1~15 1/1ページ
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北条早雲は、歴史研究が進んで、『昔』とは別人です。 素浪人が仲間たちと駿河に乗り込み、幼子を抱えた『妹』を救う。太田道灌を向こうに回して、若造のくせに『きらり』と光る目で語る。そして、あっという間に、駿河の実権を取り戻すや伊豆を平定する。 …ウソでしたよ。 室町幕府の政所の偉い人でした。『妹』じゃなくてお姉ちゃん。太田道灌を唸らせたかどうか? これは謎。 それでも、やっぱり初代戦国大名としての凄みあり…です! 信長、信玄よりも、はるかにやり手なのがよく分かります。 ところで、伊東さんの『北条モノ』は、読者を唸らせるので、星五つです。 | ||||
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戦国武将の生涯は面白いです。 | ||||
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脇役のような人から見た、伊勢新九郎。 城主みずから、みすぼらしい坊主姿で敵地に現れる。あっ、この坊さん、もしかしたら…・やっぱり伊勢新九郎だ。三浦氏討伐のさい、登場した若い僧侶。最後のほうになって、その正体がわかる。これなんか面白い設定だと思う。実際にあったかもしれない。 | ||||
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久しぶりの歴史小説、かつ、地元の神奈川県を中心とした関東で活躍した北条早雲を主人公にした短編集。短編集でありながら、それぞれで登場する人々や関係を毎度丁寧に表現してくれているので、関連性が非常に分かりやすいです。寄居の鉢形城や逗子の住吉城のも出てきて、歴史を身近かに感じることができます。 | ||||
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ただの長編よりもストーリー展開が見事。この手法を今後も宜しくお願いしたい。 | ||||
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欲得ずくの争いでありながら、そこに他人を納得させる理や大義がなければ、いずれは生き残ることが出来なくなる。 そこに戦国物の妙味はあり、日本の戦国であれ中国の春秋戦国であれ、どこのどの業種であっても人間を生かすものはかわらない。 長らく勤めていた会社で筆者は深く得るものがあったに違いない。 この連作短編集は、伊勢宗瑞を取り巻く男たちを描くことで宗瑞を浮かびあがらせる、といったレベルにとどまらない。 時代の脇役とみえる人々の意地や懸命な生き様を描くことで、誰もが自分の一生の主人公であることを教えてくれる。 そして、そのことを深く理解し決して軽んじない男だったからこそ、伊勢宗瑞は時代の主役たり得たと、鮮やかに逆照射する。 再読したい、大人にしか描けない小説だと思う。 | ||||
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早雲が生きた時代背景が意外と細かく書かれていて参考になりました | ||||
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北条早雲の青年期から晩年までを,早雲と直接・間接に関わる人達を題材にしながら6編の短編の形で表現している.太田道灌・足利茶々丸・今川氏輝・三浦道寸といった武将・大名を主材とした作品が4つ,馬丁・僧侶を主材としたもの2作品から成る.個人的には『守護家の馬丁』の中に描かれている扇谷上杉家の当主,上杉定正の生涯がもっとも愉しめた.“早雲の馬泥棒”の逸話ともよく整合性が取れているように思え,話全体も面白かった.その他の話もそれぞれ楽しく,数時間で読み終えてしまった. なおここでの減点理由は,伊藤潤氏の長編作しか読んだことが無く,短編を手にするのが初めてであることによる,私的な違和感です.作品自体への減点ではありません. | ||||
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本書の構成は面白い。6つの短篇の主人公はすべて異なるのに、必ず物語のキーマンとして伊勢宗瑞こと北条早雲が登場するのだ。戦国黎明期の関東地方の騒乱がどのような結末を辿っていくのかを時系列に描く中で、当時の主要武将を登場させ、彼らと北条早雲がどのように関わったのかを鮮やかに示す著者の着想と手腕は実 に見事。 本書を読んで北条早雲という人物に興味が湧いてきた。司馬遼太郎に「箱根の坂」という長編があるようで、まずはこちらを読むことにしたが、著者にも是非腰を据えた長編を描いてほしい。 | ||||
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私は、伊勢宗瑞という人物がすきである。しかし、残念ながら、彼を主人公とした作品は、下克上を演出した最初の戦国大名という程度で、多いとは言えない。 伊東潤の新たな力で、彼を紡ぎなおしてくれたことは、まことにありがたい。 若き日、体制側の人間として、地方を秩序だてようと奔走し、その後、その体制の腐敗と崩壊を知り、自らが立つ! 変革者として歩む。真摯な姿をあらわしていた。 新たな発見をまた著者には与えてほしいものである。 | ||||
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この小説は北条早雲に関わった人々を主人公に描かれている短編集で、一通り読み終えると北条早雲と呼ばれる伊勢新九朗盛時(早雲庵宗瑞)という武将が浮かび上がる仕掛けになっていて面白い。 次々とページをめくっていて気づいたら終わっていたという感じの作品集だった。初期作品なので、途中でもしかして? と先の展開が見えたけど、それでも途中で飽きることなく読み終えることができたのはさすがだとおもう。 『箱根の坂』(司馬遼太郎先生)とは趣も違って、早雲が若くエネルギッシュな人物に描かれていて、次はどういう所にでてくるのだろうか、ウォーリを探せでなく宗瑞を探せ見たいにどこで出てくるのか楽しみにして読み進めている間に終わったような印象だった。 また、『叛鬼』と合わせて読むと、戦国関東史がよりくわしく判るので、一緒に合わせて読まれることをオススメする。 | ||||
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著者、伊東潤の初期の作品を文庫用にリマスターした短編集。 戦国時代の先駆け、北条早雲を絡めた六編の短編集だが、つながりがある小説のようにも読める。 各六編とも最後の締めの言葉が面白い。 これを読むことにより、後北条氏が関東で何を求めて、何をしようとしたかが理解できる。 まさにこの短編集が、関東戦国史に精通した著者の原点になる作品だと思う。 | ||||
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名だたる戦国武将たちと、馬丁、仏師、薬師といった名も無き人々を同じステージに立たせ、その権謀術数や交わり、生命の煌きと無常観を短編ドラマのような映像的な情景描写とストーリー展開で活写した佳作。 歴史背景の丁寧な解説と解釈が、物語の背景に厚みを持たせている。 お勧めは「守護家の馬丁」「箱根山の守護神」「かわらけ」です。 「ただの“かわらけ”となれ」という言葉が、想像力を刺激して心に残ります。 | ||||
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この作者の緻密な文章構成は既に定評のあるものだが、この作品は短編集という性格から歴史小説初心者の方にも受け入れやすい仕上がりとなっている。 早雲という男を媒体に各章それぞれに個性際立つ登場人物が登場して飽きさせない。 短編集と言うと、どうしても一編ずつの内容が希薄になりがちだがこの作品では的確な歴史解釈により深みのあるものになっている。 これも地道な考証の賜物ということなのだろう。 しっかりした考証に基づいた流麗な文脈が際立つ素直に楽しめる秀作と思う。 | ||||
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本書では戦国時代初期の関東地方を舞台に短編6編が収録されている。それぞれが伊勢宗瑞(北条早雲)に何らかの関連性があり、各登場人物が伊勢宗瑞の知略・策謀によって運命が大きく変わっていく。いわば伊勢宗瑞という男は、それぞれの登場人物にとって破滅の記号でなのである。それだけに、各章を読み進めるにつれ、伊勢宗瑞が敵対して登場するならば、その男は必ず破滅するということがみえみえなのである。これは水戸黄門を視ているかのようで、小説としてはこれほどおもしろくないものはない。 文章は流麗で、耽美・諦観・焦燥感がよく出ている。また歴史の考証を行っており、場面場面の歴史的記述は詳細を極めている。両方がうまく組み合わさっているのであれば、これほど素晴らしい著述はないといえるのだろう。しかしながら、実際にはその組み合わせは完全に破綻しており、文はそれぞれ美麗字句であっても、文章の性質がことなるため、不協和音を奏でている。いうなれば「冬のソナタ」のようなメロドラマに、NHK教育の「高校日本史B」が組み合わさったような、強烈な違和感が感じられる。この破綻ぶりは違和感と通り越して、滑稽ですらある。 しかも歴史の考察は、(仮に)それ自体は問題ないとしても、そこの考察はいったい何の意義・必然性があるのか、よくわからないところがある。その最たるものが、「箱根山の守護神」である。本書の「あとがき」には、著者が大森氏について、考証を行ったあとが見受けられるのであるが、しかしながら「箱根山の守護神」本編には、それらの考証は全く意義をなしていない。主人公は架空の人物であるし、それをとりまく第二の重要人物ですら、架空の人物である。つまり、それ以外の人物は、別の時代、別の場所に置き換えられたとしても、話は成立するのであって、考証を付け加えることによって必ずしも付加価値を得られるものではないことを端的に示している。 以上のように、欠点は多いものの、文章の流麗さはそれをカバーしてあまりある。とくに「修善寺の菩薩」は本書のなかでも傑作である。著者が足利茶々丸の諱をあえて設定せず、幼名の「茶々丸」のままにしておいたことによって、茶々丸の甘えぶりや暴虐性が、「茶々丸」という幼名の印象と相俟って、その行動倫理が未成長の精神性に基づくものであることが、深く印象づけられるからである。さらに茶々丸にとってファムファタール的存在である香月は、破滅の記号である伊勢宗瑞が登場する以前から、茶々丸が破滅に導かれることを示唆している。著者の今後の作品が期待できるところである。 | ||||
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