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(短編集)
女のいない男たち
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女のいない男たちの評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.77pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全222件 121~140 7/12ページ
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| 女性と死別したり離婚したりしてしまった男が主人公の話が多い。このような設定のせいで、重く暗い話が目立つ。 心理学者のフロイトによれば、人間の心に大きな影響を及ぼす要素が「死」と「性」だそうだ。村上氏の小説には、この二つの要素がとても色濃く反映されている。本書も例外ではない。だからこそ、読者の心の深い部分に「ささる」ものがあると思う。 印象に残った部分を、いくつか挙げます(カッコ内は私のコメントです)。 ・ただの肉体じゃないか、と家福は自分に言い聞かせた。やがては小さな骨と灰になってしまうだけのものじゃないか。もっと大切なものがきっと他にあるはずだ(p62)。 (人間にとって大切なものは、愛や、信頼など、物質的なものとは異なる次元にあるのかもしれない。) ・彼と離れていると、胸の決まった部分がしくしくと疼(うず)くの。虫歯みたいに。本当よ。私の心の中には、彼のためにとってある部分があるの(p106)。 (愛する相手は、自分の一部になってしまう。だから、ときに別れは肉体の剥離のような激痛を伴うのだろう。) ・渡会医師もまた独立した器官を用いて恋をしていたのだ。それは本人の意思ではどうすることもできない他律的な作用だった。・・・僕らの人生を高みに押し上げ、谷底に突き落とし、心を戸惑わせ、美しい幻を見せ、時には死にまで追い込んでいくそのような器官の介入がなければ、僕らの人生はきっとずいぶん素っ気ないものになることだろう。あるいは単なる技巧の羅列に終わってしまうことだろう。 (恋をすると、脳の一部が機能停止する。つまり、私たちはバカになってしまうのだと聞いたことがある。だが、そのような「危険な状態」にならない人生も、つまらないものだと思う。「独立した器官」が起動したとき、私たちは自分を制する術を失ってしまう。それもまた、人間というものなのかもしれない。) | ||||
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| 独立器官が一番好きです。渡会医師の行動に共感できました。何度も読み返したいです。 | ||||
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| いつものことですが、村上主義者の私としては、タイトルとは内容が違うんだろうねぇ~と思って読み始めました。 やはり! とても素敵な大人の恋を中心とした物語です。 「彼女のいない男性」をイメージしてはいけませんよー。 感動的な短編小説の集合体です。 | ||||
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| にわか村上春樹ファン並感の感想です。 ドライブ・マイ・カー 演技と本気を不倫を題材にしてみつめる。 折り合いをつけるためにできることは自分自身を深くまっすぐ見つめることだけと言う高槻。 そのなんでもなさに惹かれた妻に納得できない家福。 なんでもないからこそ抱くんだと言うみさき。 そんなやりとりが印象的だった。 イエスタデイ 自然で円滑で心地よいこと問題。 好奇心と探究心と可能性。 自分自身がそうだったからよく分かる。高3の頃、ようやく好きだった子と付き合えて幸せだったはずなのに、好きすぎてセックスには至らなかったり、でも他の恋愛の形が知りたくて別れたり、その後付き合った子とは割とすぐにセックスに持ち込もうとしたり。 大人になってからも昨日のことのように思い出す不思議な時期が今なのかぁと思って残りの学生生活大切にしなきゃと思った。 独立器官 女性の嘘は時として確かに完璧かもしれない。 シェエラザード 毎日決まった時間に性行をしてはシェエラザードの昔の話を聞く。それだけの話。 最後に情熱的な性行為になるが、性よりも結局は女の人と過ごす特殊な時間こそありがたいってのは分かるなぁ。 やつめうなぎが印象的。 木野 おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだーその結果こうして中身のない虚ろな心を抱き続けることになった この部分がすげえ迫ってくる。人との別れや人への怒りってその場で消化しきれないことが自分自身多いけれど、それってもしかして心にとって良くないことなのかな。 女のいない男たち エムの死になぞらえて女の子との別れとはどういうことかをつらつらと。 今更やけど本当に文章が上手い、共感の嵐でした。 とても静かなテイストで描写されててその世界観に浸っていられる時間が楽しいです。 女性に対して我々男性が抱くもどかしさのような何かをここまで言語化してくれて感謝です(*^^*) 自己理解につながります。 | ||||
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| 村上春樹さんは「村上さんのところ」で論理とともに物語が大切だと。また、物語にはホワイトマジックとブラックマジックがある。ブラックマジックに陥らないようにと書いてあったと思います。一昨日、昨日この短編を2つ読むと不思議なことに少し元気になりました。優れたホワイトマジックだと思います。是非読んでください。 | ||||
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| 「イエスタデイ」良かったです。こういう感覚のモノが定期的に欲しくなるんですね。人間が抱える情念というか、危うい気分、そういったものをドライに汲み上げて体験させる。村上春樹、流石やわ。昨日は明日の一昨日で…。 | ||||
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| GOODGOODGOODGOODGOODGOODGOODGOOD | ||||
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| 心に傷。それほど痛いものってないと思う。 傷は見えぬから、状況は他人にダイレクトに伝わらず、仮面(笑顔)を身にまとったりする。 そしてびっくりするのだけれど、意外と自分でも傷の根源がわからなかったりもする。 この小説を手にとった時の私はほぼ失恋をしていた。 そんな気分が晴れない時に読んだこの小説は、男性がことごとく失恋をしていく。 あらゆる環境で愛しき女性を想う。 私は、初めて知った。あー男性も心を傷めるのだ、と。 呼吸がしづらいほど、強く心臓を握りつぶされる感覚。 どうにも解決できない窮屈さ。 そんな気持ちって男女間変わりなく共通なのねっていう感想。 とても薄っぺらいような表現だけれど、これは私にとって鳥肌がたつような発見で。 どこか安心して気が楽になったのだ、随分。 男性が可愛い子供になったかのような感覚に襲われ、ぎゅっと抱きしめたくなるような温かい気持ちになる一冊でした。 読み終わったあとの心の安定が半端ないのです。 きゃんと大事な人を傷つけることなく、支えたいと心から感じました。 | ||||
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| 中高年世代の男性の女性に対する感情を描いた様々な物語をしみじみと味わえます。 若い頃なら、主人公に反発を覚えて素直に作品を味わえなかったかもしれないけれども、若い時はそれもまた有りですね。 でも、もう自分も若くはない。この本の主人公の男性たちと同じくらいの年齢です。 今は、同様の趣向で女性が主人公だとかえって自分はこの主人公とはこういうところが違っているから、と、物語を楽しむのに気配りをしたりするのが、男性が主人公だと、男の人のことだからストレートには自己投影できないのが前提になっているせいで、かえって物語を追いながら登場人物の気持ちを想像することがストレスを感じずにできたりしてしまう。何枚かフィルターを通した上で作中の登場人物に共感を覚えるという営為が、読者として想像力を働かせる流れの中で自然にできる、こういう話は男性が主人公のものの方が読みやすいみたいだ、という、読者としての自分の変化も感じました。 いろいろな意味で有意義な読書体験となりました。装丁もよいですね。 | ||||
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| なぜこのタイトルか、まえがきを読んでみてください。 なるほど。 そして読み終えて、なるほど。 どの作品も先が気になってつい読んでしまいます。 少し怖い感じのものもありますね。 誰もが満たされない何かを抱えて生きています。 確か、北海道の実在の地名でいろいろあったかと思いますが、そのまま残しておいた方がその町にとっても良かったのではないでしょうか。 読んでみて、その土地のことを悪く思うより、実際にどこか調べたくなったと思います。 (町の名前は忘れてしまいました・・) | ||||
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| 村上春樹の恋愛短篇集です。 「ドライブ・マイ・カー」 生前妻がなぜ浮気をしたのかその理由を探るために浮気相手の男に近づいていく主人公。 その描写はあくまで現実主義的で相手の内面にも死んだ妻にも深く入り込むことはしません。 しかし、その後の短編が進むごとに村上春樹独特の内面世界がメタファーを使用して少しずつ奥深くへと誘われます。 そして最後に描き下ろしの短編「女のいない男たち」にいたっては内面の嵐吹き荒れる想像力の世界となっています。 | ||||
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| とてもよかったです。 整形のお医者さんの話が印象に残り、何度も読み返しています。 最近の村上さんの作品は「呪いをとく」ということがテーマになっていますね。 次の作品も楽しみです。 | ||||
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| この本を貫くテーマは 「男」 にとって 「女」 が如何に重要な位置を占めているのかということなのでしょう。 この本の6つの短編の中で思わず再読してしまったのが 「木野」 という作品です。ここでは、妻の浮気という動かし難い事実に直面してしまう男、木野の話が書かれております。一読しただけでは、運悪く妻の情事現場に鉢合わせ (浮気相手の上になり、腰を揺する主人公の妻と、何も考えず寝室に入った主人公の、目と目が合ってしまう) てしまった主人公の心に刻まれた本当の精神的ショックが描写されておりません。 もちろん、妻の浮気現場に、心ならずも出くわし、最初はいわゆる脳が真っ白になる状態から、徐々に “この世の終わり” のような強い絶望感を感じない人間なんて居るわけもなく・・・・・精神の破壊を防ぐために、主人公が巧妙に封殺している心の扉を開いて・・・・いつか、現実と、対決せざるを得ない時期が来ます。そして、妻の愛の不変を信じている男ほど、取るべき手段は・・・・自死、ということになります。 木野のバーに来る、不思議な常連客がそれとなく教えてくれた通り、この世界に留まるには自分の居据を変えつつ “文面の無い絵葉書” を伯母に出し続けるしかないのですが・・・・・ 結局、木野は、常連客 (この世とあの世のトランスポーター) のアドバイスを破り、伯母への絵葉書に、宛名以外の文章を書いてしまい・・・・・・このレビューのタイトルのように、 “静かに雨の降る夜” 次の世界 (伯母さんとの会話が成立する世界) に旅立ちます。 静かに雨の降る夜に、この世から次の世の扉が開く、というのは作者が他の作品でも使っているレトリックで・・・・私は好きです。 あの世からみると、この世は、些細なことに笑ったり、怒ったり、悲しんだり・・・・・ができる愛すべき世界のようですね。 | ||||
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| 昔、私の某レビューに「”鎌倉”の一語がなかったら何のレビューかわからない。なぜ本の感想を書かないのか」というコメントが来た。普段私はコメントを読まない。つい、出来心で開き、少し傷ついた。もちろん本来の意義を考えると、その人は正しい。しかしいい大人が、小学生みたいなストレートな読書感想文を読んで、面白い? 村上春樹氏の作品は平易な言葉で書かれ、筋を追うだけなら誰にでもできて、しかもそれだけで楽しい。しかし彼は現代音楽と同じ意味での「現代」作家だ。単なる「おしゃれで知的なエンタメ小説」の売文家ではない。彼の真骨頂は、物語の奥にこそある。 たとえばあの「やみくろ」は、例のカルト宗教団体の成立前に書かれ、現代の通称ネトウヨをも先取りした。二つの月がある世界、それは、正に現代の先触れだった。静かな世界、そして、「手をつなぐ」。本書のテーマはここに関わる。それが私の(今の)理解である。 少なからぬ若者が恋愛に興味を持たないらしい。友達付き合いも互いに傷つかない距離をとり、その場だけを楽しく乗り切る。しかしここに自我の交流、自分と異なる他者への共感はない。相手を思い遣る想像力は芽生えない。相手を血の通った同じ人間と思わなければ、人は眉一つ動かさず人を殺せる。そうした事件はたくさん起こっている。 静かな世界を作者はかつて一種の地獄として描いた。私はその静謐さにむしろ憧れたが、作者はそう考えない。不器用でも、ともあれ「手をつなぐ」こと。つながること。ときには正しく傷つき・怒ること。本書に登場するのは「手をつなぐ」相手を失った人々である。その深刻な孤独を、さまざまな形で作者は描く。 絶望の果て、最後の希望は、大切な誰かの手を放さないことだ。村上氏はそんなメッセージを、昔から発し続けていると思う。意味ない?でもたとえば最期の瞬間に、愛する誰かが手を握り「ここに居るよ」と言ってくれたら、私はきっと嬉しい。 | ||||
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| とりあず大変気に入りました・・・・・・・・・・・・・・・・。 | ||||
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| はるきすと に レビューを書けといわれますか 世界中のはるきすとが 同じことを思うわけではないとおもいますが いまの 世に 村上春樹の 小説がなかったら ちがう世界が どこかに ひろがっていたかもしれませんね | ||||
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| 読んでいて、昔の短編を思い出しました。「女のいない男たち」というタイトルからは想像がつかないけど、心楽しいお話もあります。私は「イエスタデイ」が一番楽しく読めました。どの短編も、比喩が光っていて、さすがは村上春樹といったところです。 | ||||
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| もしかすると村上さんご自身の言葉か、評論家の誰かの言葉の受け売りかもしれませんが この作品ほど「男性の集合的無意識」をとらえたものはないと思います。 「木野」はすごいね…今の世の中に「草食系男子」なるものが未曾有の現象として 認識できるのだとすれば、「木野」はその帰結を示す警鐘かもしれない。 僕自身、「木野」みたいな性格ですから… 自分の感情を素直に受け止めないと「病」になります… 自分の感情を素直に受け止められないのは、日本人男性の特徴かもしれないけれど でも、「自分の感情を素直に受け止められない」ということ自体を受け止めてくれる 受け皿が、今の社会にはなくなっちゃったのかもしれません… (「明治の男」がもう今いないのは、そういうことですよね…) 皿は皿であるから「そういうもので受け止めよう」と皆で思い込んでいれば それでお互いに皿の機能を果たしたのだろうけれど… 今大皿で皆で御飯食べるより、一人鍋とかだもんね… 「イエスタデイ」も自分の感情を無視している点では似ているけど、 こちらはなんだか、読後に不安で物悲しくなります。 まだ「木野」の方がましで、「イエスタデイ」の木樽は辛い。 「自分の感情」が初めから認識できない(彼の責任というより人類の進化の過程? でそういう個体が出現した)か、あるいはどこかの段階で自分で切除してしまって、 ふわふわと漂う、糸の切れた凧。なんとなく自罰的な感じを私個人が感じるのは、 木樽の行動が、生存競争に敗れた男性たちの、ルサンチマンの結晶のように 思えるからです。ゆえにこの一篇も、大変癒されました。 | ||||
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| ある程度のご年齢になったら、恋が懐かしくなる、 この世のどこかに、いるはずのいない女の幻想を見る していない恋が懐かしくなる また、自分の人生に関わった女性との人生の謎に興味深くなったり 自分が歩んでいない、もう何本かの人生を書き留めなければ そこに女がいないのは、実際いないからで でも確かに「そういう女がいた」人生なのだ、その人にとっては。 真夏の午後を通り過ぎて、幻想で真実の真夏の午後をなぞる 女は、最初から居ない 村上さん、歳とったのかな…なんちゃって | ||||
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| 神の子供たち~に見られたような強いエナジー。 ミステリー性。、 得体も知れないものにふれるような感じがなくなってきている。 「海辺のカフカ」が彼の最後の代表作になったのか。 やっぱり作家には全盛期があるのだと痛感。 | ||||
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