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十字架
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十字架の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.07pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全54件 21~40 2/3ページ
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奇しくもこの本を読み始めて間も無く、ある中学校で同じようないじめを苦にした生徒の自殺が起こってしまいました。その生徒の遺書にはこの本の中で起こったことに通じるような内容があり、非常に考えさせられました。しかも、その学校は私の卒業した母校でもあり、当時はなかったいじめなどの問題が根深く潜んでいるのかと思い、この物語を中断することなく一気に読み終えてしまいました。子の親として深く深く考えさせられるお話です。 | ||||
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実に深く、心に響き、多くのことを考えさせる見事な作品である。 いじめを苦に、中学校2年生で自ら命を絶った少年。主犯2人と そこに身を寄せるようにくっつく少年1人から受け続けた執拗な いじめ。取り囲む生徒はみんないじめを知っている。しかし、誰 も注意をするどころか先生にも言わない。いけにえであり、見殺 しでもあるいじめだった。 その少年が遺書で書いた名前が、主犯格の2人の名前と、親友と 書かれた真田裕と、自殺した当日に誕生日をお祝いされた中川小 百合。この本では、真田裕の視点から、中川小百合、残された母 親、父親、弟を主たる登場人物にとりながら、一人の自殺が与えた 影響が、かくのごとく大きく、長期間に渡るものかを、まざまざと 実感させられる。 突然起こった不慮の行為に愕然とし、深い悲しみに暮れ、徐々に 立ち直ろうとしてもまた地面に打ちつけられる…。葛藤する許し ・許される気持ち、懺悔や悔いの気持ち…。 自殺を扱うというのは非常に難しいことであろう。そんなテーマ に正面から真摯に向き合うためだろう、本書の話を構成するのに 4年近くを費やしたという。一人の自殺がもたらした十字架を、 多くの人がずっと背負っていくことが真摯にえがかれている。 さすがは重松清さんである。またしても著者の力量には心底脱帽 するばかりである。 なお本書は、2009年に刊行された単行本を2012年に文庫化したも ので、吉川栄治文学賞受賞作である。 | ||||
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純粋に『よみもの』としての評価で★五つ。 リアリティがあるかと言われれば、全く無い。 まず、主人公は、どうみてもとばっちりで傷を負わされた、ただの被害者。 たいした付き合いもなかった、いわゆる『その他大勢いる中の、単なる友人そのいち』レベルのヤツにいきなり結婚式に招待され、あまつさえお祝いスピーチまで頼まれてしまったかのよう。 「え'お前の中で、俺ってその位置な訳'」と、泡を食ってしまいます。 ヒロインに至っては、そんなに悩む必要が、どこにあるのか…。私だったら、呼ばれても家になんて絶対行かんわ。 ただ、このような題材では視点が母親に行きがちだが、主人公が、あまり語らない父親側に寄り添う感じが、ちょっと新しいかな、と。 随分美化されているので、リアルのいじめ事件などになにか参考になるようなものではないと思う。実際には、十字架を背負うのは家族くらいで、加害者も傍観者も、人生のページをめくって生きていく。途中退場者は、その分早く忘れられてしまうのが関の山。それが現実。 だから、あくまでも『よみもの』として楽しむべき。 | ||||
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中学2年でイジメを苦に自殺したフジシュン。 その遺書には4人の同級生の名前が書かれていた。 遺書で親友と書かれた裕と片思いを寄せ、ごめんなさいと謝られた小百合。 呪ってやると書かれたフジシュンをいじめた2人。 イジメがあったことを知りながら助けられなかった、 命を絶つことをとめられなかったという十字架を背負いながら生きる 裕と小百合、2人のそれぞれの20年間。 そして残されたフジシュンの家族。 読み進めるほどに辛く重たく迫ってくる内容でした。 モデルになった事件もあったそうで、 作者の重松さんはインタビューを重ね、 わずか2週間で一気に書き上げたそうです。 読み応えのある小説でした。 | ||||
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とんびを、読んで、ものすごく良かったので読んでみました。 とても、考えさせられる話でした。私も、子供がいますが もし、いじめで自殺したら、親として いじめていた子供をどう思うだろうと考えながら読みました。 重松さんは本当に、心理描写が分かりやすく 読んでいる人にも課題として考えさせる本を書く人だと思いました。 | ||||
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同級生の自殺、その同級生から身に覚えのないまま突然に遺書に「親友」と記された主人公、そして「ありがとう」と書き記された女生徒、そしてイジメの加害者たち。大人になった主人公が自殺した同級生の父親、「あの人」に捧げる形で書かれたこの作品は同じ作者の名作「きみの友だち」とはまた違う形で心にぐいぐいと入り込んできます。 突然の同級生の自殺はイジメをしていた加害者だけでなく、傍観者であった同級生全てを巻き込み否応なく人生を変えていき、見殺しにしたと生徒たちを責めるマスコミや大人たちの姿はとにかくひどく冷徹で、読んでいる読者に非常に重い印象を植え付けます。この大人たちの姿はある種の魔女狩りのようで、一方的な正義の側にたった人間がどれほど醜悪で残酷かが描かれています。逃げてはいけないとか責任をとれとか、自分が安全なところにいると平然と弱者を追いつめられるというおこがましさ。それは「土下座しろよ」と言い放つ男も、一見理解者風を装う女性記者も同じです。 ですので、この作品のテーマは自殺ではなく「いけにえ」だと感じました。自殺した少年はクラスの他のものが被害を被らないようにする為のいけにえ。見殺しにしたと責められる生徒たちは歪んだ社会の鬱憤のはけ口の為のいけにえ。親友と名指しされた主人公も、自殺した少年の最後の電話をそっけなく切ってしまった為に、ずっと重荷を背負わなければならなくなった少女もいけにえ。いけにえになる犠牲者無しでは人間社会は成り立たないのかと考えさせられました。 小説の世界は当時中学生だった主人公が大人になり、結婚し子を持つまでが描かれています。それと並行して、わが子を亡くした親やその家族、加害者、傍観者、批判者がどういう風に生きていくのかが描かれます。なぜ、自殺した少年は主人公を親友と呼んだのかは明らかにはされません。しかし、主人公は自分自身の人生を通じて、親友という言葉に込められた思いを知り、その時初めて慟哭するのですが、この場面が特に洗練された描きかたで自然にこちらの心も震えてしまい泣けました。 巻末のあとがきに記された遺された家族の想い―。加害者や傍観者だったものを憎んだり恨んだりしているのかと問う筆者に、その遺族は「そういうのは今はありません」と答えます。しかし、彼らのことを今はもう、許しているのかと問われれば、静かに「…それは、ないですね」と答える。この静かでけして消える事のない、憎しみとも恨みとも怒りとも違う感情。これをこそ表現したいと思った作者の熱意や思いが確かな形で作品になっているのを感じました。 けして読んで楽しい作品ではありません。感動して泣いてスッキリするような作品でもありません。しかし、読まなければ人生の損失のような、大切な事を気づかせてくれるような、そんな素晴らしい作品でした。 | ||||
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『いけにえ自殺』 いじめを受けて自殺をしたフジジュンの遺書の内容には違和感がありました。 『ありがとう』『ゆるさない』 『ごめんなさい』 しかし、その違和感には、ちゃんとした理由がありました。 物語を読み終えてから、『フジジュンの思いを背負った子供たち』に宛てた遺書の言葉を読み返してみてください。 区切りをつけ、新たなページをめくろうとする、かつての子供達への門出の言葉となっています。 重い言葉を背負った子供達が、どのようにその言葉を果たしていくのか―― 。 『ありがとう』という言葉を背負った少年は、その言葉を果たしたと思います。 | ||||
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「家族の愛」を描いているところは、いつもの重松さんなのですが... 通勤電車で読んでいて困ってしまうような... ほろっとさせてくれたり、クスッとさせてくれたりする重松さんの文章は、 このテーマを描くと、 ずっしりと重く...背負った十字架の重量感をこれでもかと味あわせる文章に なるんですね。 出来事から20年の時を追って、 遺書を残された両親が、遺書に名前を書かれた子どもたちが、重いものを 背負いながら歩いていく姿を、丁寧に描き出しています。 恨んでもいないし憎んでもいない、でもゆるしてはいない...と家族に語らせる。 「人間って、死にたくなるほどつらい目に遭った時に絶望するのかな。 それとも、死にたくなるほどつらい目に遭って、それを誰にも助けてもらえない時に、 絶望するのかな」 答えられない。... 後半に語られるこの台詞が...ずっしりと響きます。 | ||||
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読み終わった後に 「君ならどうする?」 「あなたも知らないうちに、同じ立場になってないですか・・・?」 「自分が学生という立場でなかったとしても、自分の子供が同じ立場だったらどのように対応しますか?」・・・ 読み手に対して、色々な問いかけをしてくる本だと思いました。 あとがきに『2週間集中して書き上げた作品』との記述があり、 きっと、問題提起をして何かを考えるきっかけにしなければならないと追い詰められたのだろうと思ったのと同時に 重松清の人間をみる暖かい目と背中を支えてくれる優しさが滲み出てくる本の1つでした。 | ||||
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本書は、いじめの傍観者であった「僕」による一人称の物語であり、読書当初は傍観者で何もしなかったことを十字架として背負って生きる少年の物語なのだろうと思っていました。 いじめの傍観者であった同級生たちは、無意識のうちに悲劇が起きても受け入れる心の準備ができていた。だから、現実に同級生が自殺したとき、不思議なほどショックがなかった。そして、いつの間にか心の準備をしていたことに気づいて戸惑ってしまう。 そんな少年たちの罪悪感についての物語かと思っていました。もちろんその意味もあるのでしょう。 しかし、読んでいくうちに何か違和感のようなものがずっとまとわりつき、もうひとつ他の重松作品のように感情移入できません。 何なんだろう、この感じは。 筆者による文庫版あとがきによれば、本書には核となる現実の物語があるといいます。 現実に中学二年の少年がいじめを苦に自殺してしまった家庭があり、少年の命日には、いじめを止めなかった同級生らが仏壇に手を合わせている。そんな父親に「彼らのことをいまはもう許しているのですか」との質問に、父親は「いや・・それは、ないですね」ときっぱりと答えたという。その父親の声を自らの物語の中で響かせられるだろうか、という想いが本書のお話の始まりとなったのだといいます。 そうです。本書は実は、いじめを苦に自殺した少年の父親が背負う十字架の物語だったのです。 本書に登場する「森の墓地」の十字架はストックホルム郊外の共同墓地にあり、20世紀の建築作品としてユネスコの文化遺産に登録されています。写真でみると、一面芝に覆われたおだやかな丘に巨大な十字架そびえており、心が洗われるような美しさです。 スウェーデンでは「人は死んだら森に帰る」といわれているそうです。 この森の墓地が、本書において象徴的に描かれて印象的です。 | ||||
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とんびに引き続き重松作品を読みました。 今回も子供をもつ親として色々と考えさせられました。 いじめに対して、どう向き合うべきか、子供に何を伝えるか…なかなか答えは出てこないけれど、これからも考えていきたいと思う。 | ||||
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久々に濃い内容でいろいろと考えさせられましたが読後にかなり落ち込みましたねえ。虚脱感が回復するまでしばらく時間かかるな。ちなみに30代男性ですが耐性なさすぎですかね?繰り返し読むと新たに考えたり気付いたりすることの多々ある作品だと思いますが、これもう一度読むの辛いかも、でも素晴らしい作品には違いないと思いますよ。 | ||||
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人間の生々しい本性の発現である「いじめ」が無くなることは、無いのだろうと思いますが、それでも「いじめは人権侵害であり、やってはいけない」と主張しなければならないと思います。 重松清さんの著書は「ビタミンF」「流星ワゴン」に続き3冊目になりますが、電車内の中吊り広告を見た瞬間に「読みたい」「読まなければならない」という思いを半分ずつもって、書店で購入しました。 いじめにより自殺したフジシュン、いじめっ子にいじめられることよりも、学校側が卒業アルバムにフジシュンの写真を掲載せず、フジシュンが最初から存在しないこととされた描写に、学校組織の冷酷さとフジシュンが踏みにじられたことに、深い憤りを覚えました。私にとっては、この「人間を消す」行為は、アウシュビッツのユダヤ人大虐殺と同じ残酷さを感じました。フジシュンにも当然に愛される価値があるのにもかかわらず。 いじめられた経験から、私はどうしてもフジシュンに感情移入してしまうのですが、フジシュンにとってユウくんとサユちゃんは最後でかつ人生最高の拠り所であり、大切な人であったと思うのです。たとえそれが一方的なものであっても。だからこそ、ユウくんとサユちゃんにとってはそれが「十字架」になるのですが、二人がそれぞれの人生において、「十字架」と格闘し、葛藤し、押しつぶされそうになり、共存していく過程が、繊細な筆致で描写されており、最後の章では涙が出ました。 まだ一読しただけでの感想ですが、もう一度読むつもりですし、私は、いじめによる心の傷はいまだ癒えずとも生き残った人間として、生きてこの苛烈な社会(大人社会にもいじめはありますから)で闘い、時代の証人のひとりとして、いじめはいけないということを主張し続けなければならないと決意を新たにしました。 日本人全員に読んで頂きたい本のひとつです。 | ||||
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読んでいる途中は、「このことをレビューに書こう」とか考えてたりもしたのだけれど、いざ各段階になって綺麗に忘れてしまっていた。 これはその時にメモなどを取っていなかったからだと反省しているが、読み終えて一番最初に思ったことを書いておく。 どんなに哀しいことも、嬉しいことも必ず過去になるし、多くのことは忘れてしまうか記憶の色はどんどん薄くなっていく。 これは避けられないことだし、仕方のないことだ。 でも、過去におきたその事実はなくならない。 それを記憶から綺麗になくしてしまうことはよくないことだと、読み終えて強く感じている。 だから自分はこれからも読んだり観た本や映画のレビューはもちろんのこと、さいきんまた書き始めた日記も書き続けていこうと思う。 それは自分のためでもあるし、この本を読んだ人間の使命だと思う。 誰とは言わず全ての人に読んでほしい。 そして考えてほしい。 自分がどの立場にいるのかということを。 | ||||
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1989年9月4日、フジシュンこと藤井俊介は自殺する。遺書に、彼をいじめた者とともに、「真田裕様。親友になってくれてありがとう」と名指して感謝された“僕”は戸惑う。“僕”にはフジシュンの親友であった覚えがないからである。いじめられているのを知りながら助けることもしなかった“僕”であるから。この小説は“僕”を語り手にして綴られる。もう1人「中川小百合さん。ご迷惑をおかけしまして、ごめんなさい。誕生日おめでとうございます」と書き残されたサユ。その言葉は、中学生の心に重すぎる“十字架”を背負わせる。悔恨、贖罪・・・鎮魂は・・・。“僕”、サユ、フジシュンの両親と弟。遺された者たちの20年間にわたる心の旅。作者の丁寧で迫真に満ちた鋭い記述には胸を打たれるであろう。 “僕”が最後に見いだすものは・・・ご自分でお読みになって感じてください。 Let’s feel it! | ||||
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中学二年でいじめを苦にして自殺した少年とその周りの人々の物語。となれば、どうしても、ここのところメディアによって連日報道されている、あの大津のいじめ自殺問題とオーバーラップしてくる。そうしたことからも、大いに今日的な意味を持った小説ではないかと思う。 著者にとっては久しぶりの書き下ろし作。それだけに、力の入れようも伝わってくる。著者らしい繊細な筆致で、同級生の視点、親の視点、マスコミの視点と、多角的な切り口から、登場人物達の心の中に切り込んでいくそのストーリー展開は実に見事で、ぐいぐいと小説の中に引き込まれていく。 辛さや重苦しさも漂う作品だが、目を背けずに最後まで読まなくならないと思わせる何かがある。それは、登場人物たちが、子供時代の自分を髣髴とさせるような、ごくありふれた普通の人々であることによるものではなかろうか。そこに等身大の自分がいるのだ。だからこそ、無視できない辛さも感じることにもなる。 辛い現実から逃避し、自分自身が負うべき責任から逃れようとする人間の性。それを、大人なるものになる過程の中で、どうとらえていくべきなのか。この点につき、深く考えさせられる作品だ。そして読者は、いつしか自分自身の過去を振り返り、忸怩たる思いにもなってしまう。 小説を読み、反省なる境地を呼び起こす。これは、小説というものに求められる大きな役割ではなかろうか。その点この小説は、十分にその目的を果たしている。 何か奇抜な仕掛けがあるわけでもないが、これぞ、読者に首肯と共感とを抱かせる、著者一流の文学手法なのであろう。 是非この小説は、いじめる側の子供達に読んでもらい、十字架という題名の意味をしっかりと噛みしめて欲しいと思う。 | ||||
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いじめは最低である。最近の痛ましいニュース。中学校で陰惨ないじめをうけ、13歳の少年が自殺した。どんな気持ちで死を選んだのか、考えると胸が張り裂けそうである。 そして思い出す、重松清の「十字架」。私が感じ取ったテーマは、「人はそれぞれの十字架を背負って歩む」。重い小説であった。にもかかわらず一気に読んでしまったのは、いじめのその後が知りたかったからであった。小学校のときのクラスメートがいじめられて自殺し、その遺書から、「親友」になってしまった少年と「ごめんなさい」と謝られた少女。彼らのその後が淡々と書かれたこの物語は、生きることとか、親にとっての子供とは、とは考えても考えても答えのでないことがらに満ちていた。 いじめる側の人に是非読んで欲しい。最近の事件でいじめの当事者となった少年たち。いまやインターネットのもとでさらし者になっている彼ら。この物語は、彼らにとっての罰ではない。それ以上に重い。彼らが、自分の背負う十字架の重さを感じるならば、だが。 | ||||
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重松作品は少年を描いた作品、それも成長をしっかり追った長編がしっくり来ます。少年が大人びすぎているという批判もあるようですが、この作品に関していえば子供を持った親として回想している形式にすることで違和感を和らげています。 いじめで自殺した中学生。直接いじめを行った生徒ではなく、それをとめなかった傍観者に焦点を当てて、その後に背負って生きる日々の重みをコレでもかと描きます。 当時の中学生と雑誌記者がこんなにくっつくことがあるのか?という疑念はさておき、記者が生徒たちにぶつける言葉の数々が、この作品で著者が提起している問題そのものだろうと解釈しました。あえて言えば、主人公がオトナになってからの記述が、いかにも重松清的で、リピーターには先が見えてしまいそうなのが残念かも。 | ||||
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中学生がいじめに耐えかねて自殺。 遺書には、同級生4人の名前が書かれていました。 いじめの首謀者だった2人。親友。好きだった女の子。 親友の男の子が20年経って、 自分も父親になっている、その視点で描かれています。 凄い設定だなあ、と思ったのは、 この男の子、客観的には親友でもなんでもない、単なる幼馴染なのです。 だから、なぜ自殺した子が自分のことを親友と書いているのか、 よくわかっていません。 それでいて、自殺した子の父親には 「なぜ助けてくれなかったんだ」 と言われてしまう。かなり理不尽。 この、残された父親と主人公の交流が読みどころのひとつなのですが、 私も子供がいるので、ついつい父親に感情移入しながら読んでました。 主人公だけでなく、 同級生たちは皆、十字架を背負って生きていくしかない。 では、最後まで許されないのか。 それが、もうひとつの読みどころ(というと軽いなあ)なんですが、 ラスト、残された父親の行動と、 自殺した子が好きだった女の子の手紙に、 許される可能性が書かれていました。 ほっとしました。 最後の20ページほどは地下鉄の中で読んだのですが、 あやうく泣きそうでした。 重い話なのに最後まできちんと読ませるというのは、 著者である重松氏の、文章の上手さなんでしょうね | ||||
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有名な「告白」と同時並行で読み終えた。どちらもいじめ描写がメインである。「十字架」との違いは、たった1つ。それは自責の念の有無だとおもう。「十字架」は誰もが自責の念に苦しんでおり、完全に性善説の立場をとっている。反対に「告白」は性悪説。 さて自責の念とは何か?それは自分を責める気持ちであり、そして罪を自覚していることを意味する。十字架とは「自責の念」と葛藤する登場人物を描いた物語だった。 作者は少し子供を過大評価しすぎていないだろうか? いじめで生徒が死に、その傍観者の生徒が自責の念にかられることはまずないと思う。おそらくどの生徒たちも、携帯電話の画面を見ながら、机にかたひじをついて、「あのいじめられていた奴が自殺したんだって。やっぱりね(笑)」と笑いながら雑談するだけだとおもう。それが10代の普通の子供の姿だと思う。子供はそんなに大人ではないのだ。未完成ゆえに子供だと考える。その未完成を象徴するのが傷の少なさだ。10年足らずしか生きていないからまだ傷が少ない。憎みながらいじめる生徒などこの世にいない。笑いながらいじめるのがいじめの本質となる。子供の天性の明るさはまだ心の傷の少なさを意味し、だからこそ他人の傷みに鈍感になってしまう。しかしそれが成長するにつれて、痛みを覚え、その代償として、子供特有の天性の明るさは失われる。 | ||||
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