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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全562件 541~560 28/29ページ
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氏の作品は全て読んでいるファンですが、できるだけ冷静にレビューを書こうと思います。いくらかネタバレを含みます。 読後感は「国境の南、太陽の西」に似ています。つまり、切ない終わり方であり、明快な解決は与えられないんだけど、主人公がひとつの哀しみを通り過ぎて、それでも尚も生きつづけているという体温みたいなものが、確実に伝わってきたということです。 構成や展開に奇想天外な要素はないし、度肝を抜くような仕掛けはなく、氏の系譜のなかでは寧ろ異端の、静やかなリアリズム作品ということができるかもしれません。ただ、そのように構成なり題材なり手法なりが静やかであるからといって、読み手の心が「静やか」なままであるとは限りません。主人公の切なさに感応してしまった、自分の物語のように感じてしまったという点では、少なくとも私にとって、この作品は近年のベストです。 思想やメッセージ(時には結論さえも)が、かなり直接的に語られ、思わせぶりな部分が少なく、恐らくは文学作品を読まない層に向けて書かれている点は、好き嫌いが分かれると思います。こんなのは(高尚な)文学じゃないと切り捨ててしまうかも人もいるだろうし、励ましをストレートに受け取って涙を流す人もいるに違いありません。個人的には「人はまず駅を作らなくてはならない(駅にならなくてはならない)」という比喩が、とても素敵だと思いました。つまり、相手がどう出るにせよ、環境がどうであるにせよ、迎え入れるだけの準備は(まず自分から)始めなければというメッセージです。 それにしても「世の中には実に沢山の人が生活している」ということと、「その沢山の人は代替不能の個人から成っている」ということを、かくもリアルに実感させてくれる小説というのは、本当に尊いと思います。新宿駅の描写など、特にそう感じさえましたし、主人公や幼なじみが大人への階段を辿っていく様、慈善と偽善の間を揺れつつ過去に惹かれながらも、否応なく歩みを進んでいく様子は、誰の人生にも多かれ少なかれ重なってくるのではないかと思います。 減点要素もあります。主人公が、もしかしたら自分は気付かぬうちに、別の自分の手によって何かを殺したり損なっているかもしれないと考察する場面です。これは「海辺のカフカ」でも扱われた命題で、その焼き直しであると思われますし、むしろ「カフカ」よりも踏み込みが浅いです。いくつか「この手の考察は、過去の作品の主人公もしてたけど、彼ら(彼女ら)のほうが熟考してたんじゃないかな」と思わせる点がありました。 それでもなお、私が評価を4とするのは、氏が直接的に、真っ直ぐに、主人公を励まそう、それによって読み手を元気づけようとしているように感じたからです。難解なもの、入り組んだもの、複雑怪奇なものを書こうと思えば書ける作者が、あえてストレートにものを書くと、かくも温かな世界が広がるのかという感動がありました。少なくとも私は、主人公と「巡礼」をして良かったと思っています。 | ||||
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少年時代から青年、大人に至る過程で誰もが経験するモラトリアムとアイデンティティの葛藤の物語。 テーマとしては村上さんの小説によく登場しますが、今回は今回で改めて面白く読めました。 いつまでも高校生の話、という話ともいえますが、村上さんの「物語」にとっての永遠のテーマなのかもしれません。 そこにしか物語がないのか、と言われれば、そうではないかもしれませんが、自分んははこの村上さんの小説にいつも気付かされます。 ナイーブすぎる37才のつくる君、そうでもないかなと思います。 | ||||
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☆ネタバレ含みます。ご注意ください☆ とても読みやすく、一気に読めました。 集合無意識の世界と通じるやりとりがリアルに描かれていて、そこが個人的にツボでした。 苦く傷ついた思い出を胸の奥底に沈めて蓋をして、何もなかったことにして人生を歩んでいるつくるに「記憶は消せても、歴史は変わらない」と自分の過去に向き合うチャンスをくれる沙羅。 その沙羅が旅行代理店の企画担当というのもぴったりです。 巡礼の旅はここから始まるのですから。 相変わらず、誠実でクレバー、理屈っぽくマイペースな主人公という設定はお決まりですが、積極性を持って自己変容を遂げていく要素は今までの作品の中ではあまりなかったように思うので、そのプロセスも新鮮でした。 また、自分のことを「僕」ではなく「おれ」と呼んでいるのも珍しいですし、鉄道オタクなところも面白いキャラクター設定です。 いつもの「やれやれ」をつくるではなく、沙羅ちゃんのほうから言われちゃうところも笑いました。 途中から、「ノルウエイの森」が懐かしく思えてきました。どことなく似ています。 学生時代の大切な友人を失うという設定が一致。 北欧の深い森や川、規則的で孤独な東京の生活、学生寮などシンボルチックなアイテムが共通すること。 どことなく登場人物が重なること。 ユニークで包容力のあるクロ(エリ)レイコさんのように思え、ユズ(シロ)の悲壮感はそのまま直子に。しっかりした沙羅さんは緑が大人の女性に成長したらこんな感じだったんじゃないかな、などと勝手に想像しながら読みました。 おまけに、ラストはどちらも電話のシーンで、この二人の恋路はいかに?というところで終わっています。 これは意図されたものなのでしょうか。 「ノルウエイの森」以外の作品からの繋がりも、随所に見られます。なんというか、ディズニーランドで隠れミッキーを探しているような感じ。 ファンにとっては、そういう勝手な解釈や想像を楽しめるのも魅力ですね。 読み進めながら、過去にご縁があって今では会えなくなった人々や失った情景を思い出して懐かしさとせつなさでいっぱいになりました。 でも「ねぇ、つくる、あの子は本当にいろんなところに生き続けているのよ。」と言ったエリ。そして、つくるが伝えたかった言葉「過去には戻れなくても、すべてが時の流れに消えてしまったわけじゃない。」 それを聞けて、私も救われました。 お話の中では集合無意識が闇のダークな部分として描かれていますが、同じ世界に光も存在し、そちらと繋がることもできるんだと、そう締めくくられていると私は解釈しました。 読み終わって、何かに突き動かされているような気がしています。 私も変容しなさい、と言われているのかもしれません。 | ||||
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読み終わって「ノルウェイの森」の世界に引き込まれそうになった。 そっと隣に置かれたもののように感じてしまった。 誰かが理解し続けている不条理。 それでも守るべき者のために闘ってきた人の営みがあったのだろう。 一人のさりげない死がみんなの心をつなぐすべであることの悲しさが最後まで続く。 音楽に彩られたこの作品は透き通った湖のように深く静まりかえっている。 | ||||
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村上春樹という作家を、他と比較して語るほどの力量を僕は持ち合わせていないので、毎回単純に彼の新刊を楽しみにしている。 今回の作品も、村上ワールド全開とまではいかないまでも、レトリックや言い回し、受け答えの仕方、研ぎ澄まされた文体、どれをとっても彼一流のものだった。 確かに、答えは用意されていない。しかし、それは初めから何となく予感できたし、そうであってほしいとさえ思う。 人は、音楽に癒やしを求めることができる。耳に入ってくるのだ、美しいメロディが。第九の歌詞の意味はわからなくても、最終楽章でカタルシスに達する人はたくさんいる。 しかし、絵画はどうだろうか?美しいメロディを単純に許容できる脳が、絵画になると、意味を読み取ろうとしてはいないか?もちろん、アメリカの1800年代の風景画のように、荘厳な風景画は、ある意味敬虔な感覚を呼び起こさせる。単純にだ。 村上作品は、絵画を鑑賞するのに似ている。底では自分で意味を見つけていくほかはないのだ。解釈は見る人に委ねられているのだ。だから、死やメランコリィなどの灰色のイメージと登場人物の名前における色彩との対比もできるわけだ。喪失感や厭世観を超えたところにあるのは、やはりヒトへの愛だった。 待った甲斐がありました。この作品に出会えたことに感謝します。 | ||||
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庄司薫と言って憶えている人はもう少ないのかもしれません。7年も待って青の物語が出版されたときには心底失望したものです。物語を紡ぐ力がもうこの人には残っていないのだなと思いました。それからしばらくして「風の歌を聴け」そして「ノルウェイの森」で、その物語りの続きに出会った思いがしました。30年も前のあの思い込みは見当はずれではなかったと確信できました。 現代の魂への気遣い。ノーベル賞を受賞しようとしまいと私はこの小説が好きです。 | ||||
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一部の名古屋から上京してくたくたな生活を送っている村上春樹ファンにとっては―少なくとも私にとっては―サプライズな新作でした。 主人公たちの高校時代の描写で、名古屋弁喋ってないのは変だろって突っ込みは野暮なので、 というよりマトモに喋らせたら、彼らの輝ける神秘性が根こそぎ失われるのでナシってことでお願いします。 このお話にとっては、これといって特徴がない、保守的などこかの地方都市が、 主人公の光芒の地であればそれでよい、といったような意味合いしか欲されていません。 ナゴヤが深い謎とメタファーに満ちた魔法の地、なんてことがある訳ないのです。あってたまるかい。 いきなり冒頭から主人公がアグレッシブに死にかかっているところから始まります。 鬱な主人公はいつもの事なので、そのまま読み進めると、青春時代の苦しい過去の出来事を経て、 鉄道駅を作る会社に勤める、30代の独身貴族が出てくるわけです。やっぱりね。 物語は高校時代の、主人公含め男3人と女2人の、奇妙なほどに完璧で神々しい友情の思い出と、 それらをある一本の電話により、取り返しがつかないまでに全てごっそり失って、 現在の主人公が浮かない顔で東京をぼそぼそめそめそと、しかし例によって美味しそうな飯を食べながら、 地味に(そして浮世離れに)生活する様とが交錯して描かれていきます。 大学時代に主人公が出会った、物語性に満ちた預言者のような後輩の青年や、 生きものである人間が身体を精神と対話させるための、儀式的な美を込めたスポーツ描写も出てきます。 そして例によって、年上で官能的で理知的な女性と、スマートな肉体的お付き合いをしていて…なのですが、 主人公が動き出しそうな予感を感じて、ここまでにばら撒かれた謎が回収されそうかなーと本の厚みを確かめてみると、 もう結構進んでしまった事に気づくでしょう。 べつだん彼にご大層な謎なんてないのです。お話にも、仕掛けも謎もないのです。(星が4つなのは当初の期待の方向が違ったせい) 主人公は、内っかわに宿り続ける過去に、振り回され、痛めつけられ、対峙さえできず、 心底嫌になって、とうとう『未決』の箱にぶっこんだという大人風対処について、例の年上美女が、 あなたずっと箱の中にいるのよ、と女神の啓示を下されまして、 主人公はさいしょ恐る恐ると、やがてすさまじくアグレッシブに『未決』と向き合い、 あの失われた友情をほどいていこうと、かつての友にアプローチしていきます。そして不可解であったことが解明していくと、 それは残酷な事実として意味を成し、より深く頑迷な苦しみとなって主人公を戸惑わせ、後悔させ、内っかわを苛むのです。 外側から彼を見れば、いい年して何やってんの、としか見えません。お金にも女にも困っていないんでしょ、ふうん。 それでも彼の内っかわは、毎日禿鷹に臓物を食い千切られても闇夜が明ければ再生するプロメテウスのように、 繰り返し繰り返し傷つき、悪夢にうなされ、そしてまた性懲りもなく傷つくために目を覚まします。 彼は死ぬことができなかった。自らで終わらせることもできず、常に鮮明な痛みに巻き戻されながら頭は年を取り、生き続ける。 それはおそらくどこにでもいる、若い時に自殺を考えたことがある、30代のぱっとしない、人生うまくいかない日本人と(おおよそ)同じ。 他人に聞かせたらドン引きされるか説教されるかしそうな過去を持っている、ただそれだけの主人公。 しかし、プロメテウスは火を持ってきた男です。 つくるは駅を作る男です。文明の動脈を愛する人間です。 その情熱も、内っかわを焦がすはげしい痛みの一つであることを、忘れるはずはないのです。 | ||||
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1987年の暮れに偶然書店の店頭で『ノルウェイの森』上下巻を緑と赤の綺麗な装丁に惹かれて予備知識無しに買って帰り、その物語世界と文体に完膚なきまでに魅せられて以来のオールド・ハルキストです。ハルキストだからこその苦言を呈させていただくものです。 当時出版されていた全著者を一気に買って読んでわかったのは、大変失礼ながら村上春樹さんの著書は作品により、魅せられる読者が限定されるようだということ。羊シリーズは当時自分にはどうしてもその魅力を理解できませんでした。 それ以来25年余り、長編では『ダンス・・・』や『世界の終りと・・・』、短編集では『回転木馬のデッドヒート』、エッセイでは『もし僕らのことばがウィスキー・・・』など、素晴らしい著書の数々を長年に渡って楽しませていただきました。しかしながら、あの『ノルウェイ・・・』の神がかった凄さを超える作品に出会えまま四半世紀を過ごしてまいりました。『ノルウェイ』には、登場人物の全ての皆さんが、本当にそこに存在しているかのような神がかったリアリティがありました。 前作の1Q84も実は失礼ながら妻は読ませていただいたのですが、自分は手にとることができませんでした。 今回、久しぶりの長編ということで初版1刷を購入させていただき、読ませていただいたところ、久しぶりに接する『ノルウェイ・・・』のような失われた自分探しのストーリー。「もしかしたら『ノルウェイ・・・』を超える世界を体験させていただけるのではと、久しぶりに夢中でページを繰り始めました。 しかし・・・、私は悟りました。『ノルウェイ・・・』はひとつの奇蹟であって、あれを超える村上センセイの作品にはもはや出会えないのだという事を。 十分引き込まれる物語世界ではあったのですが、それぞれの登場人物の人物造形が、『ノルウェイ』ほど完璧ではなかった。紗羅は緑ほど魅力的に描かれていなかった、シロは直子ほどのリアリティを残念ながら感じられなかった。永沢さんやハツミさんやレイコさんのような素晴らしい魅力二に満ち溢れたバイプレイヤーも見当たらなかった。 しかも、未解決で残された疑問の残され方があまりにも杜撰ではないでしょうか。絞殺されたシロさんのこととか。 ハルキストの皆さんの多くには、『ノルウェイ』の再体験をずっと追い求めてきた方が多いのではと拝察致します。 村上春樹様の文体で展開される世界に魅力される永遠のファンとして、この作品にはあえて苦言を呈させていただくものです。 | ||||
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村上春樹の作品は、すべて読みました。今回も、Amazonさん、しっかり12日に届けてくださいよと祈りながら待ちわびていたような感じでした。(実際に12日に届きました) しかし、実際に読んでみると、あまりいい出来でないような気がしました。おもしろいのは確かですが、村上春樹の作品としては、凡作以下かと。 今作は、ノルウェーの森のような作風であり、読んでいてもノルウェーの森と同様の感覚を抱きます。しかしながらノルウェーの森には、遠く及ばない気がします。ノルウェーににているがために、その粗が目立ちました。ノルウェーが星10なら、星5程度といった印象です。 その理由はシロ(非常に重要なキャラクターです。)に共感できないこと、そもそもシロについてあまりにも書き込まれていなさすぎです。無理があります。 人物描写についての不備はやはり、沙羅(非常に重要なキャラクターです。)にもあてはまります。こちらも非常にぼんやりとしたイメージしか浮かんできません。 春樹らしい素晴らしいところが本当にたくさんあり、序盤はノルウェーの森の以上の感動を与えてくれるかも、と期待しましたが、致命的な粗さが目立ちました。 | ||||
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村上春樹の一貫したテーマである「喪失と再生」が綺麗に無駄なく収まっている、非常に無駄のない秀作であり過去の作品の流れから外れることのないザ春樹的な作品。 1Q84で見られた過去の作品とは決別したような文体からいつもの文体に戻り、キャラクターの配置などにも過去の自身の作品へのオマージュが見られる。 最近の作品にみられるイニシエーション描写は控えめ。イニシエーションはやり過ぎるとリアリティがなくなるので個人的に今作くらいがちょうどよい。 謎を解き明かすのがテーマでなくどう向き合うかがテーマ。 一人の人間が、無くしてしまった、あるいは無くしていくことにどう対峙していくかが丁寧に記されている。喪失からの再生はノルウェイの森でも見られたが、そこから一歩も二歩も踏み込んだ段階まで描かれていてこれは今だから書けるといった感じか。 登場人物が象徴的に描かれていたのでイニシエーションの違和感もなく、春樹の目指す「物語」として過去の作品よりクオリティーの高いものになっている。反面、エンターテイメント性は著しく低い。 ハルキストの求める春樹語録、文体の心地よさより物語としての良さが勝っているので非常に素晴らしい作品だと思います。 | ||||
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本来一読した程度で感想を述べるのは、好きではないのですが、そうした感想も新鮮ゆえに、常連客の目の前に差し出すことも許されるのではないかと思い、投稿させてもらいます。ネタバレも一部含みます。 調和と不協和音、誰しもが一度は経験するはずのものですが、その経験を直視して、「暗い夜の海を泳ぎ切れるか」はまた別問題だと思います。人は時に、周囲と同じ行動をとることで、安心感を得ようとするし、また安心もします。高校生や大学生の中にはそういう人間は少なからずいるし、それが「美」とされる時さえある。 しかし、少し考えてみれば、24時間、誰かと同じ時間を過ごすことなどできない。当たり前の話です。 どうしても、流れる時間軸の中に、自分という存在と向き合う時間が生じる。そこで、はじめて、調和の世界から一歩這い出た自分が、「自分」を客観的に考察することができる。「東京」という場所で、調和だけの日々が続くのであるならば、どんなに楽でしょうか。繋がりがあるからこそ、そこに不協和音が生じることに不安が生じるのであって、感受性が人一倍強いシロはそれに耐えられなかったのではないかと思います(決して彼女が弱いということではない)。レイプされた被害者が、共同体の中でどのような立ち位置に置かれるのか、実際の被害者の方々の声を見聞すれば、想像することができます。優勢遺伝子が必ずしも社会に現れていないのと同じように、被害者もまた、社会で「存在しないもの」として扱われかねません。まるで、六本ある指を五本にして「整える」ように。 調和のない世界もなければ、不調和のない世界もない。 人は本気で人と向き合おうとすればするほど、えぐり取られるような苦しみとつらさ、寂しさを経験するものだと思います。常に一定の距離を持ち、誰とも、それが好意を寄せる女性であっても、心底繋がれない苦しさとはまた別のものかもしれない。本気で欲するからこそ、失うことの怖さを感じる。自分が失われてしまうのではないかと不安になる。しかし、その不安は、本気で欲した者にしか経験できない不安ではないでしょうか。 つくるは、沙羅を本気で「得よう」とする。それに沙羅も本気で「応えよう」とする。 結果ではなく、その二人の心の変化にこそ、悪魔に飲み込まれないようにするための、生への渇望が垣間見られると思いました。 私は、どちらかというと、つくる君のような人生なのかなと思います。どこかで、人から腹黒さを感じ取られ、男女問わず、心の底から人と付き合うことができずに生きています。自分では、努力しているつもりでも、どこかに「闇」を抱えているのかもしれません。本作品に自分自身を投影してしまったため、バイアスがかかり、評価を満点とすることはできません。しかし、一度でも「死」を本気で考えた者にしかわからない「闇」を村上春樹さんの筆力で描いた本作品は、自分を含め、人間関係に悩む人にとって、幾らか勇気付けてくれると思います。 | ||||
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3年ぶりの長編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は、 「自らの人生を再びつかみ直そうとする主人公のストーリーだ」。なかなか面白い。 特筆するべき点は、 人間の心の奥の深く暗い部分にためこんだ喪失感や孤独感を、 なんとか乗り越え、前に進むようとする底力をもつ主人公の話だ。 やはり、村上春樹・・買って損はない。 | ||||
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独特の世界観、さすがです。ネタバレになるから多くは語らないけど、すばらしい。ところで最近携帯小説の「全裸姉ちゃん」という小説に衝撃を受けた。若手の作家からも村上春樹氏のような作家が現れてほしいものである。 | ||||
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久しぶりに村上春樹を読んだ、と言う感じがしました。 村上春樹を初期から読んでいる人は いつものパターンの組み合わせと言う事に気づくので、 作品の世界に「入る」 のはそう困難ではないと思います。 内容は、タイトルがヒントになっていると 読み終えてわかりました。 もし感想を求められたら、 「最初のページの田崎つくると 最後のページの田崎つくるは 違う。別人とかでなく内面がいい方向に変化したと言う意味で。買って良かった」 と言います。 というくらい最終章は引き込まれました。最終章はこれからも読み返すと思います。 ★が一つ少ないのは、 「この登場人物のエピソードはもっとふくらませてくれてもいいのでは。 こんなすぐいなくなるなんて」 「田崎つくるの普段の仕事ぶりはどうなっているんだ」 など、中身がちょっと少なめ過ぎる事。 上下巻くらいになりそうなのに。 村上春樹については二作品にひとつはハマる、というパターンの私。 今回はハマりました。 一つだけ言えるのは 「村上春樹を通販で買うのはバクチと同じ」 どうしても通販しか利用できないなら ハマらないのも承知の上で購入するのをおすすめします。 | ||||
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村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読み終えた。「1Q84」や「海辺のカフカ」のようなファンタジー要素は後退したが、読みやすかった。難解と言われている村上春樹の長編小説の中では比較的わかりやすいので、初心者にはオススメだ。全体的に喪失と再生を表現している感じもあり、割と楽しめた。村上作品でここまで現実的な壁に立ち向かって、その解決に奔走する主人公の登場も珍しいので、驚いた。 | ||||
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3時間半で読めた。 自分は色彩を持たない没個性の人間。 そう思い悩んでいた多崎つくるが過去に向き合う為に、巡礼をする。 過去と向き合うことで明らかになる真相。 それに起因するようにつくるの無機質だった作るの感情はクリアに情熱的に表現されていく。 アカ、アオ、シロ、クロを一つにしていた容器のつくる。 「私は自分が12歳の時に持った友人にまさる友人を、その後持ったことはない。誰でもそうなのではないだろうか。」 この作品では16歳だろうか。 ファンタジーな不思議な話も出てきて、羊を巡る物語に似ている。 何かを探し求めるお話だ。 | ||||
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読んでいて強く「ノルウェイの森」を意識した。 「ノルウェイの森」では主人公はキズキ、直子と3人でグループを作っていた。本作では主人公は5人のグループ一員である。 主人公が、その「グループ」から疎外されてしまう点が「感覚」として似ている。「ノルウェイの森」のキズキと直子は結局自死を選んだ。 本作の主人公以外の4名も、ある種の「死」を抱えている点が書き込まれていると僕は読んだ。「死に方」には色々あるし、全てばらばら であるが「どこかが死んでいる」という状況では一致している。そんな気がした。 若しくはエリという女性の造形も「ノルウェイの森」のレイコさんを思わせるものがある。話し方もどことなく似ているし、レイコさん同様 の傷を背負って生きていく姿も重なって見える。 ユズが抱えていたものも直子やキズキが抱えたものに近いのではなかったろうか。「悪霊」という表現を使っているが、村上春樹の「通奏低音」 として「邪悪なものを自らに抱えるということ」というものがあるとしたら、ユズが抱えた「悪霊」もその一つの変奏曲ではないだろうか。 思い返すと「ノルウェイの森」は未完であった。多くの謎が解決されぬままに放置されている作品でもあった。僕にとっての本作は 「ノルウェイの森」のある種の続編である。本作でも相変わらず未解決の謎が多い。村上という方はつくづく「答え」を出してくれない作家だと 思う。読んでいる方としては、いつも宙ぶらりんだ。宙につるされたまま、自分で色々と考えるしかない。それがある意味で「村上春樹の本 を読む体験」になっている。自分で答えを出すしかない。今回の作品は、そうは見えないが、「ノルウェイの森」の続編であるということが 僕なりの答えである。 | ||||
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人生取り戻そうとする男の物語を描くこの作品は、村上春樹さんの初期の頃の 作品(例えば「羊をめぐる冒険」など)に相似すると感じた方も多いと思います。 己の過去の過ちや傷を直視することは、誰にとっても辛いことです。が、果敢に その困難に向き合おうとするこの物語の主人公多崎に、自分自身を重ね合わせ 読まれる方も多いのではないでしょうか。 ストーリー自体はそれほど複雑ではないので、最後まで一気に読むことができました。 今まで村上春樹さんの作品を読んだことがない人にも、比較的とっつきやすい内容に 仕上がっていると思います。初めての方にもお勧めできる一冊だと思います。 ノーベル文学賞に最も近い我が国の作家の一冊をお楽しみになっては如何でしょう。 | ||||
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2010年代が舞台の村上春樹の新作。 facebookやらスマートフォンやらが出てくるのが異様に奇妙な感じがしましたが、時代の流れなのでしょうか。 若くして死をこころの内に抱える美しい女や、真夜中に枕元に立つ親密な相手など、今までに慣れ親しんだモチーフも登場します。 一方で、名古屋という、東京に対比して非常に閉鎖的でローカルな世界を今作の重要な舞台の一つに据えたことは新しい試みであるように思われます。 個人的には、小説も半ばを過ぎたところで語られる「休暇と友だちは、人生においてもっとも素晴らしい二つのものだ」という警句が心に残りました。 震災以降、私たち日本人は以前よりもこういう言葉をすんなりと飲み込めるようになっていると思うのは、私だけでしょうか。 | ||||
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大学時代に心に取り返しの付かない傷を負った主人公多崎つくるが、2つの人間関係から付かず離れずしてその出来事に答えを見出そうとする物語。 つくるを除く登場人物の描写はあくまで表面的で、それがつくるの心情描写を際立たせています。 重層的で長大な「1Q84」から一転して、引きこまれながらも読んでいて時間の流れに心地よさを感じる小説でした。 難解な部分は無いものの、村上春樹の雰囲気が凝縮されています。ほかのレビュアーさんも仰っている通り、村上春樹初心者にオススメです。 作中にジャン・シベリウスの名前が出てきますが、如何にもその7番という感じ? なお、この小説の英題は"Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage"となっています。 普通に読むと、「巡礼」はアオとの接触以降の数週間の期間だと思うのですが、yearが複数形であることからそうではないようです。 その理由はじっくり考えてみることにします。 | ||||
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