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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全563件 541~560 28/29ページ
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読み終わって「ノルウェイの森」の世界に引き込まれそうになった。 そっと隣に置かれたもののように感じてしまった。 誰かが理解し続けている不条理。 それでも守るべき者のために闘ってきた人の営みがあったのだろう。 一人のさりげない死がみんなの心をつなぐすべであることの悲しさが最後まで続く。 音楽に彩られたこの作品は透き通った湖のように深く静まりかえっている。 | ||||
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庄司薫と言って憶えている人はもう少ないのかもしれません。7年も待って青の物語が出版されたときには心底失望したものです。物語を紡ぐ力がもうこの人には残っていないのだなと思いました。それからしばらくして「風の歌を聴け」そして「ノルウェイの森」で、その物語りの続きに出会った思いがしました。30年も前のあの思い込みは見当はずれではなかったと確信できました。 現代の魂への気遣い。ノーベル賞を受賞しようとしまいと私はこの小説が好きです。 | ||||
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さっそく新刊読みました。一言でいうといい作品ですね。 深くないし、難解さもないし、多崎つくるの心の動きをノルウェイの森タッチ風に仕上げた感じです。 深くない分、逆に心に残るかもしれません。 村上春樹が60歳を超えて、テクニックから基礎(初心)に戻った感じです。 最初の50ページの説明だらだらと、最後の章はちょっと消化不良だが、中盤から後半の筆致は、さすがとしか言いようがない。100点満点でいえば80点の作品なのだが、巡礼(それぞれの人との会話)の描写は、相変わらず瞬間風速100点です。 総合すると、90点ぐらいの作品かな。 個人的には「ノルウェイの森タッチ風の都会的なノリ」が結構(相変わらず)好きです。 ノルウェーの国の横のフィンランドが出てくるあたりも、村上が初心を思い出している風景がよく見て取れます。 村上春樹はロマンティストなので、北欧のような余裕のある優しい国の感触が好きなんでしょうね。 文章が今回は(いつもの通り?)優しい感じがします。 ジェットコースターは本人談どおりまったくない。(笑) | ||||
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以前、(たぶん)村上さんは”よい小説というのは、心の中の湖に石を投げ込むようなもの”と言っていました。 今度の話は確かに私の心の中で波紋が起きています。 それがどんなものかは、著書の内容だけで決まるのではなく、受け取る自分によっても決まると思っています。 村上さんの小説は、それだけで完全なものを目指しているのではなく、それを読む読者と補完しあって完成する気がします。 もう一度、時間をおいて読み返すのが楽しみです。 | ||||
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☆ネタバレ含みます。ご注意ください☆ とても読みやすく、一気に読めました。 集合無意識の世界と通じるやりとりがリアルに描かれていて、そこが個人的にツボでした。 苦く傷ついた思い出を胸の奥底に沈めて蓋をして、何もなかったことにして人生を歩んでいるつくるに「記憶は消せても、歴史は変わらない」と自分の過去に向き合うチャンスをくれる沙羅。 その沙羅が旅行代理店の企画担当というのもぴったりです。 巡礼の旅はここから始まるのですから。 相変わらず、誠実でクレバー、理屈っぽくマイペースな主人公という設定はお決まりですが、積極性を持って自己変容を遂げていく要素は今までの作品の中ではあまりなかったように思うので、そのプロセスも新鮮でした。 また、自分のことを「僕」ではなく「おれ」と呼んでいるのも珍しいですし、鉄道オタクなところも面白いキャラクター設定です。 いつもの「やれやれ」をつくるではなく、沙羅ちゃんのほうから言われちゃうところも笑いました。 途中から、「ノルウエイの森」が懐かしく思えてきました。どことなく似ています。 学生時代の大切な友人を失うという設定が一致。 北欧の深い森や川、規則的で孤独な東京の生活、学生寮などシンボルチックなアイテムが共通すること。 どことなく登場人物が重なること。 ユニークで包容力のあるクロ(エリ)レイコさんのように思え、ユズ(シロ)の悲壮感はそのまま直子に。しっかりした沙羅さんは緑が大人の女性に成長したらこんな感じだったんじゃないかな、などと勝手に想像しながら読みました。 おまけに、ラストはどちらも電話のシーンで、この二人の恋路はいかに?というところで終わっています。 これは意図されたものなのでしょうか。 「ノルウエイの森」以外の作品からの繋がりも、随所に見られます。なんというか、ディズニーランドで隠れミッキーを探しているような感じ。 ファンにとっては、そういう勝手な解釈や想像を楽しめるのも魅力ですね。 読み進めながら、過去にご縁があって今では会えなくなった人々や失った情景を思い出して懐かしさとせつなさでいっぱいになりました。 でも「ねぇ、つくる、あの子は本当にいろんなところに生き続けているのよ。」と言ったエリ。そして、つくるが伝えたかった言葉「過去には戻れなくても、すべてが時の流れに消えてしまったわけじゃない。」 それを聞けて、私も救われました。 お話の中では集合無意識が闇のダークな部分として描かれていますが、同じ世界に光も存在し、そちらと繋がることもできるんだと、そう締めくくられていると私は解釈しました。 読み終わって、何かに突き動かされているような気がしています。 私も変容しなさい、と言われているのかもしれません。 | ||||
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本来一読した程度で感想を述べるのは、好きではないのですが、そうした感想も新鮮ゆえに、常連客の目の前に差し出すことも許されるのではないかと思い、投稿させてもらいます。ネタバレも一部含みます。 調和と不協和音、誰しもが一度は経験するはずのものですが、その経験を直視して、「暗い夜の海を泳ぎ切れるか」はまた別問題だと思います。人は時に、周囲と同じ行動をとることで、安心感を得ようとするし、また安心もします。高校生や大学生の中にはそういう人間は少なからずいるし、それが「美」とされる時さえある。 しかし、少し考えてみれば、24時間、誰かと同じ時間を過ごすことなどできない。当たり前の話です。 どうしても、流れる時間軸の中に、自分という存在と向き合う時間が生じる。そこで、はじめて、調和の世界から一歩這い出た自分が、「自分」を客観的に考察することができる。「東京」という場所で、調和だけの日々が続くのであるならば、どんなに楽でしょうか。繋がりがあるからこそ、そこに不協和音が生じることに不安が生じるのであって、感受性が人一倍強いシロはそれに耐えられなかったのではないかと思います(決して彼女が弱いということではない)。レイプされた被害者が、共同体の中でどのような立ち位置に置かれるのか、実際の被害者の方々の声を見聞すれば、想像することができます。優勢遺伝子が必ずしも社会に現れていないのと同じように、被害者もまた、社会で「存在しないもの」として扱われかねません。まるで、六本ある指を五本にして「整える」ように。 調和のない世界もなければ、不調和のない世界もない。 人は本気で人と向き合おうとすればするほど、えぐり取られるような苦しみとつらさ、寂しさを経験するものだと思います。常に一定の距離を持ち、誰とも、それが好意を寄せる女性であっても、心底繋がれない苦しさとはまた別のものかもしれない。本気で欲するからこそ、失うことの怖さを感じる。自分が失われてしまうのではないかと不安になる。しかし、その不安は、本気で欲した者にしか経験できない不安ではないでしょうか。 つくるは、沙羅を本気で「得よう」とする。それに沙羅も本気で「応えよう」とする。 結果ではなく、その二人の心の変化にこそ、悪魔に飲み込まれないようにするための、生への渇望が垣間見られると思いました。 私は、どちらかというと、つくる君のような人生なのかなと思います。どこかで、人から腹黒さを感じ取られ、男女問わず、心の底から人と付き合うことができずに生きています。自分では、努力しているつもりでも、どこかに「闇」を抱えているのかもしれません。本作品に自分自身を投影してしまったため、バイアスがかかり、評価を満点とすることはできません。しかし、一度でも「死」を本気で考えた者にしかわからない「闇」を村上春樹さんの筆力で描いた本作品は、自分を含め、人間関係に悩む人にとって、幾らか勇気付けてくれると思います。 | ||||
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団塊の世代=学園闘争時代を生きた 若者の喪失感と恋愛を描いた 『ノルウェイの森』 『色彩を持たない〜』は 団塊ジュニア世代の『ノルウェイの森』だといえるだろう 『ノルウェイ〜』の表紙は緑と赤 これをクリスマスカラーと評するひとが大半だが、これは革命=赤、癒しの森=緑であるように思える 主人公は赤と緑の中で揉まれながら 喪失と再生を経験するわけだが 『色彩を持たない〜』は『ノルウェイ〜』とは反対に、主人公は無色透明存在 団塊ジュニアゆえ、赤=革命を知らないし 自分が無個性=透明であると知りながらも 個性ある=色を持った仲間たちに囲まれていれば、十分幸福を享受出来る幸福な時代に生まれた 主人公の父親は 団塊の世代で社会的成功を収め、経済的に恵まれている 主人公はその庇護下で育ち、容姿もよく、頭もよい。個性豊かな友人に囲まれ 何不自由ない青春時代を過ごす そんな主人公にも やがて喪失が訪れる 喪失とはどんな時代であっても 若者の普遍的なテーマであるように思える 色彩を持たない世代であっても それは不可避な問題なのだろう かつて革命によって多くを失ったと団塊の世代とは違い、団塊ジュニア世代は 《はじめから失われている喪失感》 に立ち向かわなくてはならない 主人公はある事件から喪失感を味わうのだが、 作中で主人公と友人が語るように それは事件のあるなしに関係なく 不可避であるように思える 主人公は一見、ふつうの社会生活をおくっているように見えるが、ある日、ふと自殺してしまってもおかしくないような危うさの中で生きている これは現代の若者のテーマであるように思える 『色彩を持たない〜』の主人公は 自らの孤独と喪失の意味と向き合うために 巡礼の旅に出る かつての友人と再会するための旅 ここは『ノルウェイ〜』の主人公より 自由で前向きなものを感じさせる 最後の巡礼地はフィンランド 流れる曲はル・マル・デュ・ペイ 『ノルウェイ〜』のラストが 電話で終わったのに呼応するように 『色彩を持たない〜』のラストにも やはり電話のベルが鳴る 主人公のとった行動にどんな意味があるのか もう一度、読み直して 深く考えてみたいと思った | ||||
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少年時代から青年、大人に至る過程で誰もが経験するモラトリアムとアイデンティティの葛藤の物語。 テーマとしては村上さんの小説によく登場しますが、今回は今回で改めて面白く読めました。 いつまでも高校生の話、という話ともいえますが、村上さんの「物語」にとっての永遠のテーマなのかもしれません。 そこにしか物語がないのか、と言われれば、そうではないかもしれませんが、自分んははこの村上さんの小説にいつも気付かされます。 ナイーブすぎる37才のつくる君、そうでもないかなと思います。 | ||||
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村上春樹という作家を、他と比較して語るほどの力量を僕は持ち合わせていないので、毎回単純に彼の新刊を楽しみにしている。 今回の作品も、村上ワールド全開とまではいかないまでも、レトリックや言い回し、受け答えの仕方、研ぎ澄まされた文体、どれをとっても彼一流のものだった。 確かに、答えは用意されていない。しかし、それは初めから何となく予感できたし、そうであってほしいとさえ思う。 人は、音楽に癒やしを求めることができる。耳に入ってくるのだ、美しいメロディが。第九の歌詞の意味側からなくても、最終楽章でカタルシスに達する人はたくさんいる。 しかし、絵画はどうだろうか?美しいメロディを単純に許容できる脳が、絵画になると、意味を読み取ろうとしてはいないか?もちろん、アメリカの1800年代の風景画のように、荘厳な風景画は、ある意味敬虔な感覚を呼び起こさせる。単純にだ。 村上作品は、絵画を鑑賞するのに似ている。底では自分で意味を見つけていくほかはないのだ。解釈は見る人に委ねられているのだ。だから、死やメランコリィなどの灰色のイメージと登場人物の名前における色彩との対比もできるわけだ。喪失感や厭世観を超えたところにあるのは、やはりヒトへの愛だった。 待った甲斐がありました。この作品に出会えたことに感謝します。 | ||||
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読みやすかったです。 なんとなく、昔読んだ夏目漱石の「こころ」に似ているような感じがしました。(あくまでも個人的印象です。) 舞台が現代なので、登場人物やその人間関係は、より現代的状況を反映したものになっていますが。 Facebookなどが出てくる割に、つくるの設計技師としての日常やその背景には、現代の鉄道(駅舎)設計のリアリティやディテールが希薄で、それが共感を薄くしましたが、これが春樹的世界なのかもしれません。 | ||||
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氏の作品は全て読んでいるファンですが、できるだけ冷静にレビューを書こうと思います。いくらかネタバレを含みます。 読後感は「国境の南、太陽の西」に似ています。つまり、切ない終わり方であり、明快な解決は与えられないんだけど、主人公がひとつの哀しみを通り過ぎて、それでも尚も生きつづけているという体温みたいなものが、確実に伝わってきたということです。 構成や展開に奇想天外な要素はないし、度肝を抜くような仕掛けはなく、氏の系譜のなかでは寧ろ異端の、静やかなリアリズム作品ということができるかもしれません。ただ、そのように構成なり題材なり手法なりが静やかであるからといって、読み手の心が「静やか」なままであるとは限りません。主人公の切なさに感応してしまった、自分の物語のように感じてしまったという点では、少なくとも私にとって、この作品は近年のベストです。 思想やメッセージ(時には結論さえも)が、かなり直接的に語られ、思わせぶりな部分が少なく、恐らくは文学作品を読まない層に向けて書かれている点は、好き嫌いが分かれると思います。こんなのは(高尚な)文学じゃないと切り捨ててしまうかも人もいるだろうし、励ましをストレートに受け取って涙を流す人もいるに違いありません。個人的には「人はまず駅を作らなくてはならない(駅にならなくてはならない)」という比喩が、とても素敵だと思いました。つまり、相手がどう出るにせよ、環境がどうであるにせよ、迎え入れるだけの準備は(まず自分から)始めなければというメッセージです。 それにしても「世の中には実に沢山の人が生活している」ということと、「その沢山の人は代替不能の個人から成っている」ということを、かくもリアルに実感させてくれる小説というのは、本当に尊いと思います。新宿駅の描写など、特にそう感じさえましたし、主人公や幼なじみが大人への階段を辿っていく様、慈善と偽善の間を揺れつつ過去に惹かれながらも、否応なく歩みを進んでいく様子は、誰の人生にも多かれ少なかれ重なってくるのではないかと思います。 減点要素もあります。主人公が、もしかしたら自分は気付かぬうちに、別の自分の手によって何かを殺したり損なっているかもしれないと考察する場面です。これは「海辺のカフカ」でも扱われた命題で、その焼き直しであると思われますし、むしろ「カフカ」よりも踏み込みが浅いです。いくつか「この手の考察は、過去の作品の主人公もしてたけど、彼ら(彼女ら)のほうが熟考してたんじゃないかな」と思わせる点がありました。 それでもなお、私が評価を4とするのは、氏が直接的に、真っ直ぐに、主人公を励まそう、それによって読み手を元気づけようとしているように感じたからです。難解なもの、入り組んだもの、複雑怪奇なものを書こうと思えば書ける作者が、あえてストレートにものを書くと、かくも温かな世界が広がるのかという感動がありました。少なくとも私は、主人公と「巡礼」をして良かったと思っています。 | ||||
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僕は村上春樹に期待しすぎているのかもしれない... ノルウェイや世界の終わりのような感動はもう得られないのか | ||||
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3年ぶりの長編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は、 「自らの人生を再びつかみ直そうとする主人公のストーリーだ」。なかなか面白い。 特筆するべき点は、 人間の心の奥の深く暗い部分にためこんだ喪失感や孤独感を、 なんとか乗り越え、前に進むようとする底力をもつ主人公の話だ。 やはり、村上春樹・・買って損はない。 | ||||
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2010年代が舞台の村上春樹の新作。 facebookやらスマートフォンやらが出てくるのが異様に奇妙な感じがしましたが、時代の流れなのでしょうか。 若くして死をこころの内に抱える美しい女や、真夜中に枕元に立つ親密な相手など、今までに慣れ親しんだモチーフも登場します。 一方で、名古屋という、東京に対比して非常に閉鎖的でローカルな世界を今作の重要な舞台の一つに据えたことは新しい試みであるように思われます。 個人的には、小説も半ばを過ぎたところで語られる「休暇と友だちは、人生においてもっとも素晴らしい二つのものだ」という警句が心に残りました。 震災以降、私たち日本人は以前よりもこういう言葉をすんなりと飲み込めるようになっていると思うのは、私だけでしょうか。 | ||||
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3時間半で読めた。 自分は色彩を持たない没個性の人間。 そう思い悩んでいた多崎つくるが過去に向き合う為に、巡礼をする。 過去と向き合うことで明らかになる真相。 それに起因するようにつくるの無機質だった作るの感情はクリアに情熱的に表現されていく。 アカ、アオ、シロ、クロを一つにしていた容器のつくる。 「私は自分が12歳の時に持った友人にまさる友人を、その後持ったことはない。誰でもそうなのではないだろうか。」 この作品では16歳だろうか。 ファンタジーな不思議な話も出てきて、羊を巡る物語に似ている。 何かを探し求めるお話だ。 | ||||
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震災や、体罰や、いじめとか そんなニュースばかりだけど、 そこから生まれた本の様に感じた。 村上春樹の本はメタファーだらけで そこを読み取らないと、 全く内容を持たない本になると思う。 (村上春樹の文章は、例えば「林檎」とあっても ただの「林檎」じゃなかったりする。) ただ、全ての人が全ての内容を理解しようと 頭を使いながら読んでいる訳ではないと思うので、 そういう人は、気楽に読んで、 お気に入りに文章なんかをみつけて 楽しめばいいと思う。 | ||||
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独特の世界観、さすがです。ネタバレになるから多くは語らないけど、すばらしい。ところで最近携帯小説の「全裸姉ちゃん」という小説に衝撃を受けた。若手の作家からも村上春樹氏のような作家が現れてほしいものである。 | ||||
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無駄の少ない文章で現実のようで現実でないような物語を語る、そんな小説でした。個人的には「楽しませていただきました」まあ、村上ファンの欲目もあるでしょう。 推理小説ではないので全てがスッキリ!というわけではないですが、多分生きる、ってそういうことなのではないでしょうか。 恐らく読んですぐに感想を書く類いのものではないのでしょう(じゃあ、何故今書く)。読んだ後も心の中で小説が続いていく予感があります。 ノーベル賞がどうとか、そういうことはどうでも良いことでしょう。川端康成と大江健三郎と、宮澤賢治と村上春樹を比べることに意味があるのでしょうか?勿論、とれば嬉しいですが。 | ||||
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村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読み終えた。「1Q84」や「海辺のカフカ」のようなファンタジー要素は後退したが、読みやすかった。難解と言われている村上春樹の長編小説の中では比較的わかりやすいので、初心者にはオススメだ。全体的に喪失と再生を表現している感じもあり、割と楽しめた。村上作品でここまで現実的な壁に立ち向かって、その解決に奔走する主人公の登場も珍しいので、驚いた。 | ||||
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大学時代に心に取り返しの付かない傷を負った主人公多崎つくるが、2つの人間関係から付かず離れずしてその出来事に答えを見出そうとする物語。 つくるを除く登場人物の描写はあくまで表面的で、それがつくるの心情描写を際立たせています。 重層的で長大な「1Q84」から一転して、引きこまれながらも読んでいて時間の流れに心地よさを感じる小説でした。 難解な部分は無いものの、村上春樹の雰囲気が凝縮されています。ほかのレビュアーさんも仰っている通り、村上春樹初心者にオススメです。 作中にジャン・シベリウスの名前が出てきますが、如何にもその7番という感じ? なお、この小説の英題は"Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage"となっています。 普通に読むと、「巡礼」はアオとの接触以降の数週間の期間だと思うのですが、yearが複数形であることからそうではないようです。 その理由はじっくり考えてみることにします。 | ||||
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