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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全177件 81~100 5/9ページ
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さすが村上春樹という文章でした 表現が好きで、彼の作品はだいたい買っていますが この作品はベスト5の一つです | ||||
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つくるの男友達二人が、なぜ確かめもしないで絶交したのかどうしても不自然に思えました。 | ||||
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私は無口で孤独です。 プールで泳ぐのが好きです。 自己評価は低いですが 他者評価は以外と高いです。 まあ、クールでタフなタイプです。 ※ホントのところはかなりのナルシスト。。 恋愛に関して受け身です。 でも、なぜか相手に困りません。 思春期の好きだった子が精神を病みます。 その影響を受けて、少なからず苦労します。 つまり、損なわれてしまいます。 それを救ってくれたのが、 私の妻です。緑です。沙羅です。 音楽のある曲が人生のテーマとなります。 意識と無意識が交差して何らかの暴力性が発生します。 解決されない謎が積み重なり続けます。 それがフラストレーション(よく言えば余韻?) となって次の作品を読むモチベーションとなります。 | ||||
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1Q84が完結する前に新作が出たわけだが、これまた完結しているのか続編があるのか はっきりしない。 あっという間に読めてしまうのはいいが、なんとなくストレスを感じる作品だった。 | ||||
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「う〜ん。面白かったけど、村上さんの作品としてはイマイチの出来。一回読んだら充分。」 と先に読み終えた村上春樹好きの友人の一言。 それに対し、私の感想を一言で述べるなら、 「この作品は名古屋への贖罪だろう。かつて貶した名古屋への『御免なさい』だ。」 かつて村上氏は都築響一氏と吉本由美氏の3人で「東京するめクラブ 地球のはぐれ方」という本を出している。 この本は3人で観光名所?へ行って遊ぶ旅行記だが、その中で名古屋が登場してくる。 その中で名古屋の事を「日本の脇の下」「偉大なる失敗作」「道路を横断している間に○○○○が萎えてくる街」と笑いモノに。 タモリの名古屋評などカワイイレベルで、名古屋出身で愛郷心が強い人が読めば憤激する代物で、個人的に「村上春樹さんが暗殺されるとしたら国粋主義者ではなく、名古屋人だろう」と内心思っている。 今回の作品は名古屋が重要な位置を占めていて、閉鎖的な街であるけど主人公が爽やかな青春を過ごした街として描かれている(厳密には名古屋の郊外だけど)。この作品は、名古屋を物語の舞台に上げる事により「地球のはぐれ方」で貶し過ぎた事への贖罪としたのだろう。 作品自体は他の村上作品の代表作に比べると難解ではなく、理解力が足りない私でもスラスラと読めたのだが、不満な点がある。 村上作品の秀逸な点として「登場人物の心証描写の比喩表現」が簡潔で且つ解りやすいのだが、今回の作品は『アレッ?この描写、村上さんにしては手抜きじゃないの』と思えた事。これは本当に残念。 あと疑問と言うか「そんな馬鹿な!」と思ったのが、主人公が仕事が忙しくなった理由。 〜地下鉄線との相互乗り入れ計画で、車両の形状の違いによってもたされる安全性がらみのいくつかの問題点が明らかになり(どうしてそんな大事な情報がもっと前に与えられないのだ?)、それを解決するためにいくつかの駅で、プラットフォームの部分的改修が緊急に必要になった。その工程表を制作しなくてはならない。〜 車両の形状の違いなど、鉄道会社の相互乗り入れで基本的過ぎる所で、主人公が勤めていると思われる大手鉄道会社がそんな事を見落としていたなど考えられないのだけど・・・・。 | ||||
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1Q84を2冊目まで買ったけど、私は3冊目を購入する前に売ってしまった人間です。 結構高値で売れたし、あの時に売っておいてよかったな、とも思いました。 村上春樹は、私の元彼が好きで新刊が出る度に本を買っていた作家さんです。 それで自分も1Q84が出た時に購入して、初めて村上春樹を読んでみたのです。 彼の使う比喩表現は確かに「凡人には思い浮かばない知識が詰まっているな」という感じで、 そこに非凡さと才能は感じたのですが、それが魅力的かというと私にとってはそうでもなく。 他にも女性の描写なんかは、女性側としてはたくさんの突っ込みどころを感じてしまったりで。 「ん?ここ変だな。でも男だから女性に夢を持ったまま都合よく解釈してるのかな」と。 それでもなんだか違和感を感じてしまったり。 私自身はその世代に生まれた人間ではないので、なんというか 「都合良いよな」「世代が違うな」という感じなんですよね。 そこが、村上春樹世代の男性にとっては、 「大切にしたい作家さん」ということなのでしょうけれど。 私の意見を言えば、この本は私が買って持っておく本じゃないな、という結論です。 図書館でちら読みして、「ふーんこんな感じかな」程度。 彼の知識や経験を、本を通して租借したいとも思いません。 感想を誰かと語り合ったりする類の本でもない感じ。 この本を好む人というのは、自分の中で楽しむために読むのではないだろうか、と感じました。 私は正直、楽しめませんでしたが・・・・・・。だから買わない。 ただ、彼を尊敬する人々の気持ちは、なんとなくですが分かります。 凡人にはない文章の才能や能力があるから、こんなに本が沢山売れるわけですし、 彼が生きている限り、まだまだ彼の本は売れ続けることでしょう。 村上春樹とその文章自体が、社会に対する大きな影響力を持つことも否定はしないし、 そこは大いに肯定されるべき部分じゃないのかな、と私は感じていますけれど。 でも、買うことはないな、という感じ。 だって、こんな本を読まなくても、現実の世界の方が もっと楽しくて面白いことは、たくさん転がっていますからね。 そうじゃない人が買って読んで、持っておけばいい本なんじゃないのかな、と思います。 | ||||
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村上春樹は、文体に格好つけなければならない宿命を背負ってしまった。要所々の情景描写は絵葉書やネット動画のように感じて、新鮮さが欠けたように思えた。どうも、リアリティを感じなかった、残念。五人の生き様は、さすがである。ブレることなく人物が描かれていた。ただ、二箇所、194ページの、ちょっと→ちっと、294ページのエリとつくるの発言が入れ違っていたり、推敲不足を感じさせるところが幾つかあって残念だ。終わり方も、果たして、希望を持たせてくれたか、些か疑問だ。時より、キラリとする描写や文章が出て来て、流石だなと思った。六本指の話が、頭から離れない。 | ||||
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書店は売れきれ状態だったのですが、アマゾンですぐに買えました。 話題の一冊、春樹ファンでは無いのに買って読みました。 内容的にはマスコミに躍らされた感じの作品かな・・・もちろん、持論でs。 | ||||
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主人公の生い立ちに関係し、少なからぬ影響力を行使することになる、ステージ毎の各登場人物の描写に濃淡の差があり、一部において、種明かしのないまま、小説は空白を残して帰結する。 | ||||
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みたいな作品がまた読みたい! サラッとしていて読みやすい。 もう少し長くて、内容が濃いともっと面白かったなー、と思います。 | ||||
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外国人の友達が、村上春樹の小説を読んでいて、日本人としては読んでおかないことには 何のコメントもできないのはさみしいかなあと思い、1Q84を読んでみたのですが、イマイチ 面白いとは思えず、でもSFじみた設定の1Q84が特殊な本なのかもしれないと思い、新作で あるこの本が本屋さんで平積みになっていたので、つい買ってしまいました。 日本人だから最初に読めるんだという優越感からでしょうか、動機は全く不純でした。全体の 3分の2くらいまではやっぱり面白くなく、いちいち表現が大げさなのにも閉口しました。 海外に出たこともなかった主人公が、いきなりフィンランドに一人旅して、海外慣れした様子 にはツッコミどころ満載といった感じだったのですが、後半になって結構、引き込まれました。 いろいろなツッコミどころはさて置いてといった感じで、面白く読めてしまいました。 それにしても、万事大げさな日本語表現は、外国語に翻訳されることを意識して書いている のかなあ。ノーベル文学賞?海外の人は何か勘違いしているのではないかなあと思います。 あと、ちょっと病的なセックスの妄想が気持ち悪い。映画でいうと、R18指定の描写あり という感じでしょうか。 | ||||
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主人公の多崎つくるが高校生のとき他の4人の男女高校生とともに体験した「乱れなく調和する共同体」とはなんであろうか。その共同体から理由も告げられず突然彼は弾き飛ばされる。そのトラウマを抱えて孤独に生きる彼は、恋人に促され16年前の真相を突きとめるべく、昔の仲間のもとを尋ねて回る。関係における喪失と回復が縦につらぬく大きなテーマである。 だが私には、高校生5人が共有した至福の関係というのがさっぱりわからなかった。作品のなかで語られる「共同体」という大げさ言葉の中身も、およそ陳腐なせいぜいが大の仲良しという程度の想像しか誘わない。それが永遠に値するものとはとうてい思えない。だから主人公のトラウマも絶望も再生も何か空々しく感じられる。「色彩をもたない」とは、そういう意味なのかとも思ったが、まさか作品そのものの空しさを指すものではないだろう。 さらに、主人公の独白や登場人物の科白が大げさになるほど、道徳的な説教臭さや硬直した観念性を帯びるのにも白けてしまった。たとえば、終幕近く主人公は自らに次のように語りかける。「僕らはあのころ何かを強く信じていたし、何かを強く信じることのできる自分を持っていた。そんな思いがそのままどこかに虚しく消えてしまうことはない」。甘い自己陶酔にしか思えない。 批判ばかりしてきたが、ストーリーとは直接関係なくて印象に残るエピソードがいくつかあった。灰田の父が死神の取り憑いた男と出会ったシーン、6本指をめぐる考察などである。著者の作品に頻出する「謎への嗜好性」があって、ここでも読みながらワクワクしたことは付け加えておきたい。 | ||||
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読書というのはとても個人的な動作だと思う。 なので、様々な意見があるのは当たり前で、全員が全員 「すごくいい」と言ったなら、実は村上春樹を昔から愛読するものは ちょっとがっかりするのである。 だから、「俺にはわかんねえ。こんなオシャンティ野郎の話」と言われると ああ、そうですか、とにっこり笑ってしまうのは、実際 正直な感情ではある。 では、村上春樹の物語を好きになる読者というのはどういったタイプで、逆に駄目な人はどういう人かを考えてみた。 まず、優劣は全く無関係にして 「登場人物の誰かに感情移入しないと読めない」タイプの人には、あまり向かないようだ。 誰かになりきって、その人と感情を同化させるタイプ。 こういう人には、ほんとうにわからない らしい。 自分がその登場人物の誰かでなくてもいい、第三者的に物語を俯瞰できるタイプなら楽しめる要素があると言える。 それはその人の性質であり、押しつけられるべきものではないと思うから、自分でそれを判断し、読者になるかそうでないか、指針にしていただければと思う。 私は「羊を〜」からの読者である。数えてないが だいたい二十年くらいにはなるかと思う。 言い方は陳腐だけれど、村上春樹の世界が、確かにあると感じている。 その扉を開けて、地下深くに降りて行く階段を 冷たい壁に手をやりながら一段一段と降りて行く、 決して上りでもなく平坦なドアのむこうでもなく、地下に降りるイメージです。 夢の中の世界で、よく登場する場面やその時によって名前は違うけれど似たような登場人物があるとして その空気感に一度魅了されてしまうとする。 本が出版されるたびに、そのドアをあけ その世界を楽しむことができる。だから新刊を心待ちにする。 もちろん誰でも出入りは自由なのですが。 そして、ある時そのドアが世間で高く評価され 話題になり、誰もが押し寄せて 土足で踏み込み「つまらん。くだらん」と言い捨てるものが現れる、それに賛同し挙句にごみを散らかしながら出て行くものも出てくる。 最悪です。 もし、そう言ったことが原因でそのドアが閉じられたら、と思うといたたまれない。 村上春樹はもう日本語では書かない、なんて事になったら・・・・ 昔「ノルウェイの森」でも同じような〜でも今よりは規模は小さかったかもしれないけれど〜騒動があったから、今度もきっと大丈夫だろう。二度目だし。 でもあの時も彼は相当傷ついていたように見えた。 でも、 騒ぎに乗っかって新刊を買う非愛読者層 対して 古本を買う 真のファンもいたり。 そういう構図もあるので、あえて一概に否定できない。 売れれば 出版社は嬉しいのだし、その経済効果力は何よりも強い。 そしてこの本に関して。 ものすごく好き と言えるかと言うと、そうとも言い切れなかった。装丁もごく普通。 私の中での一番はやはりまだ「世界の終りと〜」であり、次に「ねじまき鳥〜」が来る、これは是非手元に置いておきたい一冊と言えるかと言うと、その範囲ではなかった。 住む家の許容量が原因なのだけれど、最初は図書館で借り、文庫になってから買うつもりだったが、テレビその他のメディアが取り上げて内容をちょくちょくばらすので、仕方なく買い求め、読後は我が区の図書館に寄贈する。 そして文庫になったら再び買って、蔵書とする予定である。 | ||||
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悪い出来では無いですよね。 灰田君はどこに言ったんだろ?とは思いますけどね。実際のとこ。 でも、いろいろムツカシイ事言って「評価1」を付ける人が増えてるけど、そんな言うほど悪くは無いです。 100万部売れる作品では無いとのお叱りなのでしょうが、言うまでもなく「こんなもんか、ムラカミちゃん!」っていう層が買って読んでるから、こんなに売れちゃう訳ですもんね。 なんか、作り込みが雑と言うか、詰が甘いと言うか気になるところはあるんだけど、「実は、俺が気付いてないだけで、何かあるのかも。だって、ムラカミハルキだもん」と思ってしまうところがありますよね。実際のとこ。彼のスゴイとこで。今回ハンサムだったのには驚きましたが。 もちろん、何も無いのかもしれないけど。 が、しかし、ドリーさんのコメントは見ものだった。 確かに主人公は孤独でも、いつもきちんとセックスパートナーがいることは物語り上大きいかもしれない。 女にまったく相手にされない、孤独な中年男性の物語では物語自体成り立たないかもしれない。 そして、実は非正規雇用で将来とか、結婚はおろか、明日の生活にも不安を抱き、自ら好んだ訳では無いのに孤独な生活を送っている若者ってもはやスタンダードになっているのかもしれないもんね。 新しいもの、みんなが支持するものをとりあえず手にしておきたいという最近の日本の世相を反映した現象なのかもしれませんね。 そういった意味では、ちょっと恐ろしい事態なのかもしれませんね。 そういった意味ではドリーさんのコメントは勇気ある反骨心と言えるかもしれない。 さはさりとて、作品自体の出来は星三つ以下では無いと思うので、是非この作品が無事に星三つ以上で評価される事を期待しております。 作品と現実との違いは指摘しつつも、星三つ以上。みたいな評価になるといいなぁと思います。 続編というか、別タイトルで出そうですよね。これ。 | ||||
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さらっと流し読みした感想です。 私自身、村上作品は好きでいろいろ読んではいます。 みなさんがおっしゃるように とにかく登場人物の話し方がみんなくどいというのは私も思います。 現実的にはありえないしゃべり方です。 小説なのだからと言われればそれまでですが。 この小説のストーリーは好きです。 村上作品はほとんどどれもそうですが、 現実と幻想の境目にちょうど位置しているような、 ぼんやりして掴みどころがない、マボロシのようなストーリーが多いわけで。 なんかそれがすごい居心地がいいというか・・。 ラストも推理小説のように100%スッキリせず消化不良で終わります。 「え?おわり?」という感じでした。 続編ありき? 後日談を続編として出してほしいような、 このままぼんやりしたまま終わってもいいような。 スッキリはしませんが、イライラもありません。 ただ、村上春樹の新作が出るたびに ニュースで話題になったり、品切れになったりするほどのものなのか不思議です。 これだけ批判されてるわりには売れてるという矛盾。 固定ファンが多いということでしょうかね。 ちょっとクセが強いので他人にはオススメはしませんが、 過去の村上作品と波長が合う方は読んでみていいかもしれません。 定価で買うと1800円するので、中古か文庫化されるのを待つのがいいかも・・。 | ||||
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一週間で100万部突破 なぜだか分からない 販売政策の勝利? それだけ踊る人が居る今の日本? 時間を立体的に組み上げてる それは分かるけど・・・ 普通の小説じゃ無いですか 当たり前だけど 人間てさみしい生き物なんだなー それが読後感 | ||||
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文章の読み易さは評価しますが、内容的には物足りなさを感じました。 物語は中断されている感があるので、作者は続きを考えているのではないでしょうか。 続編で、作者の言いたいことが集約されて読み手に明確に伝わることを期待しています。 | ||||
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いつもながら綺麗な言葉を選んでおられるのは、さすがだな~って感じました。 結末は、流れから期待していたものではなく、やはりその意外性が村上春樹さんなんだろうな、と思いました。 その不完全燃焼な部分を鑑み、生意気ではありますが、普通とさせていただきました。 | ||||
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私は26の男性です。 多崎つくるとおかれた立場は違うが、この小説を読んでいて、妙に感情移入してしまった。 私は、小学生から中学生に掛けていじめられた時期がある。 高校入学以降は、新しい環境になり、特にいじめられる事も無くそれなりに楽しく過ごしていった。 しかし、いじめられた経験から、素直に自分の気持ちを伝える事が怖く、 今でも他人に正直な自分を出す事はできないでいる。 いや、正確には出せる人が家族と一人の友人のみである。 だから、大人数のグループでの立ち振る舞いはヘタクソだし、 外見は普通だが人生で真剣に他人と交際出来た事もない。 自分の今の現状は、主人公と沙羅の以下の会話が表していると思う。 「誰かを真剣に愛するようになり、必要とするようになり、そのあげくある日突然、年の前置きも無くその相手が何処かに姿を消して、一人で後に取り残される事を僕は怯えていたのかもしれない」 「だからあなたはいつも意識的にせよ無意識的にせよ、相手とのあいだに適当な距離を置くようにしていた。あるいは適当な距離を置く事のできる女性をえらんでいた。自分が傷つかずに済むように」 きっと誰もがトラウマの様なものを抱えながら毎日を過ごしている。 他人と関わっている。でも記憶にふたをしたまま、歪んだ自分のまま他人と関わるから、 結局歪んだ関係になり、本当の意味での幸せは得られない。 自分に素直になり、他人に与えられる物を与える。そうする事で得られる物があるのだ。 そんな事に気がつかされた小説でした。 最後に、シロについては謎の多い話だったが、シロの事に自分のレビューが触れていない点が、まだまだ青いなとおもっている。 | ||||
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親しい人々が手のひらを返すのに直面すると、心の一部が壊死してしまいます。私も遠くない過去、そういうことを経験しました。あの日の前と後とでは、世界は違って見えます。その断絶は今後、ほかの人々と近しい関係を築いても心に残り続けるだろうと思います。何を食べても砂を噛むようで、寝ても目が覚めるのが怖いような日々。そこを掬い取ってあったことが、私にとっては救いになりました。 村上春樹の描く孤独は自己陶酔的で、出てくる女性は常に男性に都合よすぎで、リアリティもありません。その「しょうがなさ」は『ノルウェイの森』あるいはもっと前のデビューの頃から言われていたことです。私は女性ですが、多崎つくる、あるいはすべての村上作品の主人公のような男性が身近にいたら「めんどくさい」「鬱陶しい」と思うことは必須です。村上春樹が世界で読まれるほど、日本の女性は妙な誤解、妄想の対象にされている気がしなくもありません。海外在住の私は迷惑だと思うこともあります。 ただ、それでも村上春樹という作家が何をどう言われても、同じようなテーマと主人公で同じようなことを語り続けるそのしつこさに、呆れながらも、新作を買い続ける読者との関係が独特の「境地」に入っている気がします。何十年も何作も「読んでガッカリした」とファンは言い続けているのに村上春樹は商売が成り立っています。そして未だに若い世代にそのような読者が再生産されていることに驚愕を禁じ得ません。私もそういう二十年来のファンです。外国で前宣伝は日本ほど耳に入ってきませんが、気づくと一時帰国の際に、平積みの新作本を手に取って、レジに持って行っていました。 そして、読んでいるうちに、この人の作品じゃなければ癒せない何かが自分にあることにいつものように気づくのです。何に似ているかと思ったら「親」でした。私の親はもともとしつこいのですが、年を取るごとに、同じ事をクドクドクドクド、繰り返して話すようになりました。会話として何の生産性もありません。だけど会った後で気づくのですが、そういう親じゃないと癒せない何かが自分の奥深くにあるのです。終わりの見えない親の話の何かが、自分の中のどこかを包み込んでいたことに後で思い当たるのです。 村上春樹はそういう「老境に足を踏み入れた親」みたいです。しょうがないがゆえに、かけがえがないのです。 | ||||
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