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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全177件 61~80 4/9ページ
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出だしの勢いある内容に燃えるような思いでしたが、最後失速する読書余韻でした。 最後の描写がすべてかな・・・ すごい地味な終わりに若干期待外れでした。 私の読み手の・・・深読みできなかったからか・・・??? しかしテーマ、主旨は途中の段階ではっきりと明確に感じ取りました。言葉にうまくできませんが・・・ その重厚な感じが最後失速した気がします。 フィンランド行きが例え架空読書とは言え、読書世界から逸脱する原因?になったのか??? とにかく村上作品の上位には入りませんが、だから村上春樹を嫌いにはなりませんね。 | ||||
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大きな話題となった村上春樹の新作。 さすがに文章は流麗で、読み手を物語に引き込む力量を感じました。 ですが、皆様のレビューにもあるように、主人公が30代という年齢の割に幼く、 途中で成長をやめてしまったようで(これは私がいくつか読んだ 村上作品に共通します)高校時代の人間関係を引きずりすぎているのに 妙な印象を持ちました。 「シロ」の謎も解決されず、「つくる」が好きな女性に受け入れてもらえさえすれば 自分の内面の空虚さが一挙に解決すると感じているのも解せません。 何より全体に漂う閉塞感がどうも好きになれませんでした (これが現代日本の空気だ、と作者は言いたいのでしょうか)。 リストの楽曲などは作品を「お洒落」に彩る小道具に過ぎないように思えて なりませんでしたが、フィンランドでの描写はそれなりに哀切で美しいと感じました。 | ||||
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村上春樹は『風』『ピンボール』『羊』は購入して、『ハードボイルド』は図書館で借りて読んだ。短編集とエッセイも数冊読んだ記憶がある。ところが知人が我が家に持参した『ノルウェイ』を読んでから、読めなくなった。しかし少し時間をおいて、たまたま書店で英訳を覗いたら結構気持ち良さそうだったので『ダンス』と『ねじまき鳥』を読んだ。『カフカ』や『1Q84』はそれぞれ英訳の第1章辺りで積読中だが、先日知り合いが読み終えた本書をくれたので、大した長さでもないし読んでみようかと思って読み始めたら、実はやっぱり日本語だと昔みたいに少し胸焼けみたいなものも感じたけど、何とか読み通すことができた。それで感想文を書こうと思った次第。 しかしレビュー600超えですか。いいんだけど、先行レビューをチェックできないんで、ネタかぶってたら御寛恕願います。 09年5月に『1Q84』が出た時、川村湊が「外国語訳する時、題名はどうするのか」と問うていたそうだけど(09/7/17の小谷野敦ブログによる)、私も同じことを考えてて、こんなシンプルなタイトルで、しかも作品の構成に係る重要な言葉らしい(何しろ未読なもので……)から、逃げられないワケです。村上作品なんて間違いなく翻訳されるんで、故意にやってるとしか思えないでしょう。結局、英訳タイトルも『1Q84』でしたね。 で、本作ですが、やはり作品の根幹にかかわるところに、滑らかな翻訳を妨げる要素が埋め込まれています。 周知のとおり、この小説では主要登場人物の名前に色彩を表す漢字が含まれており(青海・赤松・白根・黒埜・灰田・緑川)、高校時代の友人4名についてはカタカナで色の名称の綽名がついています(アオ・アカ・シロ・クロ)。つまり表意文字と表音文字の2系列の固有名詞が与えられており、後者は前者の意味のような位置づけにあると同時に、音韻的にも一定の関連性を保っていると言ってよいでしょう。 『坊ちゃん』の赤シャツなら(これは本名が示されていませんが)、服装の特徴に由来する綽名なのでRed Shirtと訳すのはアリだと思います。しかし本書の4人の場合、意味を取って綽名をBlackとかRedとか訳すと音の連関性が見失われますし、かと言って音を取ろうとしても青海・白根では関連性が弱い(オウミ→アオ、シラネ→シロ)。いずれにせよ注を付けない限り元の名前の漢字の意味性を伝えるのは無理で、『チョコレート工場の秘密』みたいな児童文学では柳瀬尚紀がやったように登場人物名そのものを変える奇手も可能でしょうが、ジョイスならぬ村上春樹でそれをやったら作品台無しでしょうね。これは『1Q84』の青豆についても言えたことですが…… 他にも、主人公の名前について「創」か「作」かを問題にしたり、少なくとも高校時代の友人グループの中では唯一、名前の読み方に2種類の可能性がある(タザキ/タサキ)など、この作品には表意文字と表音文字の二重性という日本語の特質を活用した翻訳への障害が、除去しがたい核心部にたっぷり組み込まれていて、あー、やってる、やってる、って感じです。日本語で小説を書けば無自覚にも起こりうることだけど、村上は確実にわざとやってる。 私はこれは、「村上春樹って翻訳し易すぎ!」っていう数多の批判に対する応答だと思う。しかもかなり悪意を感じさせる応答の仕方で、「あんたらの言ってる翻訳不可能性って、この程度のモンでしょ」っていう嘲弄の含意を感じる。例えば蓮實重彦は村上を結婚詐欺呼ばわりしたそうだが、その『反=日本語論』辺りに対してはそれなりにスマートに斬り返しているように思います(77年の著作ですけどね)。 とはいえ、リービ英雄×水村美苗対談「日本〈語〉文学の可能性」(リービ『越境の声』07、『大航海』03初出)における疑義はどうか? 少し長いけど、p80辺りから引用してみます。( )内は私の感想。 水村「今書かれている日本語の作品を読んで日本語の小説家になろうなんてアメリカ人がいたら、『ちょっと馬鹿なんじゃないの?』って思う」(……キツイ) リービ「まさに村上春樹の問題です。村上春樹みたいに書きたいと思う以前に、村上春樹が我々みたいに書いているから安心してしまう」(……実名出した!) 水村「今の多くの小説は英語からすんなり移行したようなもので、読んでも日本語に接したという感じがしないでしょう」(村上が『風』を最初に英語で書くことによって、文体をつかんだというエピソードを思い出す) リービ「あたりまえですよ(笑)」(……あたりまえか?) 中略 リービ「村上春樹も、本当には普遍的な作家ではないんですよ。つまり村上春樹の作品は、海外のプロップ(小道具)に囲まれて決してすっきりしない遊戯をくり返しながら、海外においてはそれらのプロップに囲まれた生活が非伝統的な現代日本のイメージとなって「私もあなたたちと同じですよ」として安心させてしまう。そこにはどうも、ある種のイメージの二重操作が働いている」(つまり結婚詐欺っていうことね) 水村が言語の問題にこだわっているのに対し、リービはどちらかと言えば描かれる風俗的な側面に着目しているように思えます。で、現在に至る村上への反発のかなりの部分は、やはりこの風俗的な描写に対する居心地悪さに由来するワケですし、翻訳可能性についても、確かに言語論的な障害はあるにしても、舞台装置はマクドナルドが普遍的であるように普遍的に設えられているのではないでしょうか。最近の村上作品には現実の地名や商品名が頻繁に出てくるようになった印象がありますが、つくるとアカの会話部分で日本車の例として挙がるのがレクサスと日産と三菱だけというところに、暗黙の枠を見ることもできるのではないでしょうか。もちろん、さらに物語の水準でも同様の指摘は可能だと思います。 橋爪大三郎が讀賣の書評(5/20)で本作を「多層的」と形容していて、それはその通りで、いろんな水準での読みを誘う思わせぶりな細部がいっぱいなのですが、ここで物語の謎解きレースに参戦するつもりはありません。ただ、ネットでざっと見たところ触れてる人がいなかったみたいなんで、最後にちょっと思いつきをメモ。 誰でも気づくようにアオ・アカ・シロ・クロとくれば四神獣で、これを下敷きにした小説はいろいろあるでしょうが、私は庄司薫の四部作を思い出します。多崎つくるは、なんだか薫くんの末裔のようにも思えます。白は庄司薫では『白鳥の歌なんか聞こえない』ですから、ま、死に関わってもおかしくないでしょうね……結局言ったもん勝ちの解釈レースに口を挟んじゃったか。 以上、レビューを書く過程でいろいろ調べているうちに、小説が面白かったのか面白くなかったのか忘れてしまったので、★3つでお茶濁しします。 9/16追記:いや、庄司薫との関連の指摘は、いっぱい見つかりました。それどころか、漢字の問題に触れたブログも発見。集合知の力には太刀打ちできません。この作品には、無数のピラニアが群がって貪ってる感じ。怖いw | ||||
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たぶん、村上さんの小説には大きく2つのジャンルがあって、 その片っ方の、ちょっと違和感のある日常みたいな話の方 (スプートニクスとか国境とかの方)です。 決して面白くないわけではなく、すっと読める文章はさすがです。 が、羊や世界の終わりの流れを好む私としては、ちょっと物足りなかった。 さらっと読んだだけでは、面白さがあまり沁みてこなかったですね。 謎が多いのも結論を出さないラストもお約束ですが、単にわかりにくさを ちりばめたような感じで、彼女がどうしたいのかもよくわからないし、 腑に落ちませんでした。 | ||||
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大ベストセラーの『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹)文藝春秋2013を、ついに読み終わった。村上春樹の小説をしっかり読んだのは『1Q84』が初めてなのだが、彼の小説がなぜベストセラーになるのか、今一よくわからない。 読んでいて、確かにページを次々とめくっていきたくなるワクワク感はわかる。ストーリーテリングのうまさは認める。本小説の場合、この何ともスッと入っていかないのどごしの悪いタイトルのうまさ。しかしながら読んでいく内に、まさにタイトル通りの話が展開していく。(『1Q84』というタイトルの時に感じた「味のあるタイトル」とは対極にある) なぜか同時期に読んで、映画も見た「桐島(部活…)」に近い匂いを感じてしまった「多崎つくる」。最初に引っかかる(もしくは違和感を感じるのが)灰田と彼が話す緑川のエピソード。しかし、後半のシロのエピソードはさらなる違和感を生じさせる。つくるを長年苦しめてきたあの大学時代の出来事の出発点がそういうことでいいのか?それともわざと「そういうこと」にしたのか?どうも、村上春樹の読み方が未だにつかめないのです。そして、最近の映画や小説の流行なのか、何とも方向性の見いだせないまま、作者は物語の幕を下ろしてしまうのです。 | ||||
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1Q84に比べると期待した程の内容ではなかった。 まずまずでした。 | ||||
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村上春樹の小説は、『海辺のカフカ』以来2作目。手に取ったきっかけは留学先のロシアやフランス人の友人が絶賛してたから。そんなにいいのか? 『海辺のカフカ』も本作も第一印象は同じ。話は面白いんだけどイマイチ感情移入できない。言葉の使い方でやっぱり引っかかってしまう。大学の時の外国の論文の和訳を読んだ時と印象が同じ。ああ、たぶん原文ではこう言いたかったんだろうな、訳に苦労したんだろうな、と。 しかし、論文なら許せるが文学で逐語訳形式はやめてほしい。他の国の文学から表現を引っ張ってくるのはいいことだが、小説にいれるときは、ひと工夫してほしい。こんなひどい和訳もどきが出てくるのは、つまるところ学校で受けた逐語訳の癖がとれないからだと思う。訳すなら単語ベースではなく意味を訳すべき。表現がないなら新たに創ってほしい。感覚的にピンとくるものを。それも作家の使命では? 村上春樹の小説ほど外国語に翻訳しやすそうな小説はあまりない。たぶん、外国では誤訳もなくすんなり売れるのだろう。しかし、日本の読者としては、もう少し表現ににおいのある作品を期待。 | ||||
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初めて読んだ村上作品は,『海辺のカフカ』で,高校生のときだった。正直気持ち悪くて,世間で支持されている意味が分からなかった。しかし,社会人になりかけている今になり,本書を読んで,村上春樹が広く読まれているワケが分かった気がする。 村上は,社会人になって(世界の全てが学校と家庭である時代を完全に終えて)失われてしまう“少年・少女固有の純粋ななにか”(それは純粋で美しく(真に人間的であり),不健全で狂っている(反社会的である))を登場させる(本書では多崎らの5人グループがそれである)。それを読んで大人は,自分が失った(二度と得られない)ものに直面して立ちどまり(感動し),自らの少年・少女時代(過去)を振り返る,のではないか。僕は,本書を読んで感動した。 しかし,である。高校生の僕が村上作品(『海辺のカフカ』)を読んで強く感じたのは違和感だった。人間(同年代の主人公ら)はこんなにも狂気に支配されているのか,と。そうすると,村上が提示するのは,“大人が少年性・少女性に位置づけるなにか”なのかもしれない(狂気・純粋→未熟→少年性・少女性,カオス(混沌)→成熟→大人)。実際の少年・少女はより複雑で,大人とそう変わらない(連続的である両者が大きく変わるはずがない)。 そうすると,次のように言えるだろう。村上は大人のための“娯楽”である。それが楽しめるのは,大人になってしまったからである。それは,少なくとも僕にとって歓迎すべき事態ではない。 以上の考察を得られたことが,有意義だった。 | ||||
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旅先のある島の旅館に置いてあり、そうした非日常な空間で村上春樹の作品を読むということが、とても適切な気がしたので読んでみました。 やはり一番の感想としては、文章を読んでいるときは凪の海を漂っているような不思議な心地よさがあるけれど、全身が痺れるような心が動かされることはない。ということです ノルウェーの森なんかと比較しても今回の作品はより直接的で現実的で、暗喩として使われていた「色」が明確に意味を持っていますし、主人公も地に足の着いた大人です。「ここはどこなんだ」というような混乱ではなく、変化し失われていくものに対しての希望を見いだします。 村上論が好きな人には興味深いのかなと思いますし、世界から注目される日本人作家として彼自身も応援しています。 ただ段々と彼の作品に魅せられなくなっているし、読み終わったあとに特段の感想もないっていうのが正直な気持ちです。 | ||||
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私、村上春樹氏の書き物を読むのは、この本が初めてです。 入院中で暇潰しに買ってきてもらったのですが、 (内容を詳しくは記せないですが) 最初の3ページぐらいで、 『うん? この話おもしろいのかも?』と取り込まれてしまって、 一日で一気に3分の1を読んでしまいました。 で、半分越えて、なかなか晴れない疑問に痺れをきらし、 『結末を読んでやろうか』ってなりました。 それでも、我慢して読み進んでると、残りのページが少なくなるにつれ、 『こっからどういう風に帳尻合わせんだ?』ってなってきて、 最後… 『そりゃねーだろ?』ってなりました。 以上、投薬の効果なのか、 自分でも何を伝えたいのか解らなくなったので失礼します。 | ||||
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村上春樹作品独特の言い回し、現実ではありえないでしょっていう登場人物たちの会話、など、今回の作品が、いつもよりリアルに近い分、逆に鼻についた件は多くの低評価レビューの方と同じです。 (私はつくるとおそらく、同じ年に生まれた36歳です。つくるたちのような会話は一切したことがありませんし、おしゃれなバーでお酒を飲んだこともありません。ずっとピアノを習っていましたが、ジャズもクラシックも最低限しか聴かず、J-POPに夢中でした) でもこれは春樹作品の文体の魅力と言ってしまえば納得できます。 普段江国香織さんの文章を好んで読む私ですが、いつも似通っていると思うものの、これよこれこれが読みたかったのよ、という感じではないでしょうか。 今回の作品は読みやすすぎて、さらりと読んでしまいましたが、両評価レビューを拝見して、謎が多い、伏線張りすぎて回収できていない.、と言う意見にふむふむと共感しながらも、ちょっと待てよ、私達著者に答えを求めすぎているんではないかと改めて思い直しました。 最近のドラマも漫画も音楽も、きちんと答えが用意されているものが多く、私たちはそんなふうに答えをもらえることに慣れてしまっているのではないでしょうか。 もっとわからないままの所を自分で楽しむのもありかと思えてきました。 例えば、作中では一切そんなことは匂わせてませんが、つくるが、本人も思っているように自分も知らない闇の部分があり、「頭と意識」、もっと言うなら体と心が分離して、自分でも知らないうちに、シロをレイプしていた、とか考えると、急にとっても恐ろしい話に思えてきませんか? 途中で出てきた、多指症のお話も、最初唐突に思えましたが、あれって、指は五本でちょうどいい、五人グループがちょうどよかった、というところにつながってきますよね。 6本指のピアニストは、うまく指を操れない、いらない余分な指、存在しないはずの人(色彩のない影のつくる?)、がいたからグループは破綻し、シロはしんでしまった。 そんなふうに考えてみたら…? これはあくまで私の新しい想像ですが、そんなふうに読者に書かれていない部分をいろいろ考えさせる作品だと思えば、読者が思っている以上に、著者は計算してこの作品を書いているのかもしれません。 それにしても、夢の中でセックスをして射精する、というパターンは、さすがにちょっとまたか、と感じました。 「風の歌を聞け」に登場する、鼠がいつか話していたように、一度もセックス描写のない、春樹作品も読んでみたいと思いました。 | ||||
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あっさり読めて楽しめる感じですが、結末が中途半端ですっきりしない。かといって続編が読みたい衝動には駆られないそんな感じでした。 | ||||
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ようやく読みました。途中までは、かなりポール・オースターっぽいというか、そっくりですね。影響を受けすぎなのか、もとから似ているのか。たぶん、両方なのでしょう。でも、最後のほうのまとめ方は、ポール・オースターのほうがだんぜん上手いです。あっちは鳥肌ものですが、村上さんのほうは、あらら、ですね。 シロは自殺したとすると、またかと言われると思って、殺されたってことにしたんでしょうね。いろいろはっきりさせないラストは別にかまわないんですが、本筋と関係ないところなので、そこは顔見知りでもなんでもない犯人が捕まったとでもしておいて良かったのではないでしょうか。 全体としては、シロの存在感が希薄で、どうしてそこまで仲間がこだわったのか、今ひとつ伝わってきませんでした。恋人や灰田も含めて、あとから考えてみると、自分の愛する人は理由もなくいなくなってしまう、とすっきりまとめたほうが良かったのかも、とか思ってしまいました。なんか中途半端。でも、まあまあ面白かったです。 | ||||
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まず言っておきたいのですが、僕は「イカ臭派」です。確かにカフカを読んだ時は、とにかく現実にいながら現実からぶっ飛んだファンタジーに電撃を受け、それこそ電光のように気がついたらよみ終えていました。しかし、それ以外の作品はどれもページをめくる手も文字を読む目も冷めた恋心のようにノリません。もしかしたらカフカを読んだ当時が高校生という思春期真っ只中だったからもしれません。今読むとやっぱり比喩がまどろっこしすぎて鼻につく、というのが正直な感想です。 ただ、「春樹さんの文章が英語だったなら…」と想像してみると、また趣がちがうんじゃないかな。。。 東洋と西洋の趣きがうまくミックスされていそうで、ノーベル賞も納得できるかもしれない。 でもやっぱり日本語だと鼻につく。だって言葉ってそのものに歴史があって、周りに文化があって成り立ってるものでしょ?やっぱり「ふん、キザなセリフ」「口説い」って文句をあてはめちゃうな〜 しかし、ということはということは、そういう意味で日本文学的に新しい、とか、キザ文がここまで売れたことに新しさがある、ということかな〜 そういう意味で☆三つつけたけど… もしそれだと西洋輸入の感が強すぎるということでやっぱり鼻持ちならない!日本語に親しむ日本人としては、もっと伝統を掘り下げて、良さを抽出して、それを新しいものとミックスさせ昇華させた、って感じのものがみたい、読みたい!それならもっと気持ちよく鑑賞できると思う! | ||||
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とても読みやすくさらっと読んでしまいました。とても期待していた割には普通でした。 | ||||
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物語の主旋律からは外れるが、 この作品は著者のほかの作品と違い、めずらしくも、 表現の世界に生きる人間の想いが、かなりピュアなかたちで表出している箇所がある。 緑川と灰田のお父さんとの会話。 才能というのは、肉体と意識の強靭な集中に支えられて、初めて機能を発揮する。ちょっとしたことで(たとえば虫歯一本の痛みで)、ひゅっと無に帰す。そんな一寸先もわからないものに頼らざる負えない才能に、いったいどれほど意味がある? と緑川が言えば、灰田のお父さんは、それでも生み出された作品自体は、個人を超え普遍的な現象として精神の大いなる跳躍を生み出す、と反論する。 そして最後につくるの見る夢。 つくるはピアノを弾きながら、演奏を通じて絶対的な認識に到達した高まりを感じ、雷光のような霊感に刺し貫かれる。しかし聴衆は、退屈し切って騒々しい。 夢から覚めた後、つくるは、人生は複雑な楽譜のようで、それを正しく読み取れたとしても、そして正しく表現できたとしても、(両方ともそれこそケミストリの賜物だろう)受け手には正しく理解されない。しかも必ずしも人を幸福にするわけでもない。と感じる…。 以上の箇所は、まさに作家である作者の心の葛藤・煩悶の正直な告白ではないだろうか。 人間の心理を、意識・無意識(肉体と一番連動している領域)・そのまた奥の地下二階(地下水脈で他者と繋がっている)と分けて考えると、つくるというのは、いつも意識が最後に気づくのである。(あるいは、最後まで気づかないのだ) 肉体はもう沙羅を受け付けない。しかし表層的な心ではまだ激しく求めている。 あるいは、もう仲良しの4人がなくても、目標をもって十分東京でひとり生活していける。しかし心はまだまだホームタウンの仲間に帰属し、必要としているのである。 このズレは一種の自己欺瞞である。 もう一点、気になることがあるのだが… シロは妄想ではなく実際にレイプされ、不本意に妊娠までしたのである。レイプ犯は実在するのだ。そして実際に首を絞められて死んだ以上、殺人者は実在しているのである。そしてこの小説はリアリズム小説として書かれている。殺人者とレイプ犯が同一人物かどうかはわからないが、少なくともシロは自分をレイプした相手の首を、人の嫌がることはやりそうにないつくるの首に挿げ替えたのである。潔癖症の娘がレイプされ心の均衡を失っているときに、この機に乗じて息苦しい5人組の関係を内部崩壊する前に壊してしまおう、という行動に出るだろうか。(そう解釈した書評があった)そんな余裕は絶対ないだろう。 むしろ実際のレイプ犯をつくるにすり替えることによって、自分が徹底的に壊れてしまうことを避けたのではないか。生存本能がそうさせたのではないか。そう考える方が自然ではないかと思うのだが、どうだろうか。 しかしこの考えは、きっとこの物語にはそぐわないものだろうとも思う…。 | ||||
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世間で売れるものにはいいところがあるから売れるのであって、私はそう言う意味で市場と言うものをを信じています。 この小説も含め村上春樹がベストセラー作家と呼ばれるのには何かしら共感を呼ぶということでしょう。但し私は共感しませんでした。その思いは以前からの村上春樹の小説を読んだ時と変わりません。 三島由紀夫が昔、空虚で無機質なニュートラルで抜け目無い云々。。。と言っていましたが、主人公達はそんな感じの人達って感じですね。 何となく今の時代の空気感が伝わってくるような感じもしないではないです。登場人物の実家の職業や本人たちの仕事も、物作りとかじゃな言ってところとか。ある意味都会的と言うか、もう田舎からって感じよりも地方都市から上京する感じで、地方都市すらも輝きを失ってる所なんかいい設定じゃないかななんて考えてました。 私は共感しませんでしたが、今は彼のような小説家が人々の心を捉える時代なんだと思います。 | ||||
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すらすら読めて、それなりにはおもしろいのですが、、、。 すこし物足りない感じがしました。 | ||||
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今までの村上作品の中では残念な内容でした。 一気に読み上げるような高揚感は感じられませんでした。 | ||||
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私は村上春樹作品が好きないわゆる「ハルキスト」なので、今作もそれなりに楽しめました。村上作品の空気感、言い回し、どの作品にも共通する主人公の孤独感?も含めての村上節が自分の好みに合っているから楽しめるんだろうなーというのが正直なところです。謎が謎のままで終わるのも、登場人物が非現実的な話し方なことも、癖があるけどどうしてもリピート買いしてしまう食べ物のような感じで好きなのです。 今作はあまり長い小説ではありませんし、過去の作品に比べるとテーマが比較的分かりやすく、むしろ少し現実世界にに近づいていってるんじゃないか?と思いました。(主人公が「はっ」とするところなど。。。)私としてはもっと非日常的で、理屈の通らない夢のような展開のある過去作品の方が好みではあります。なので彼の長編を読み終わった後の様な満足感はなく、村上節に短時間浸れて楽しかった〜位の軽い読後感、でした。 もともと村上作品は誰にでも好まれる「味」では無いような気がするので、好きな人であれば今作も楽しめるのではないでしょうか。 | ||||
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