■スポンサードリンク
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全284件 201~220 11/15ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「なんとなくクリスタル」って当時お洒落な単語を並べただけの無価値な小説が有ったが作者は県知事になりました。 この小説はその嫌味に例えると大統領クラスです。 この本の正しい扱い方は、嫌なことが有った時、小便をかけた後ジッポーオイルで燃やし尽くしながら自作の社会を呪う呪文を唱える事です。 そういう意味ではローリングストーンズの「悪魔を憐れむ歌」以来の傑作でしょう。 単純な事を難解な言い回しに変換しお洒落イズムをぶち込んだら春樹小説の出来上がりです。 小学生レベルの語彙しか持たないベストセラー作家と手法が似ていると思ったのは私だけ? 何が言いたいかと言うと、この小説を読んでも私には何も残らない。 ただ春樹の小説を読んだと言う記憶しか残らない。 本当に春樹小説を心から愛読している人はいるのだろうか? ただ単に春樹小説を読むことに異議を見出しているのではなかろうか? 面白いと言わなければ、お洒落社会から取り残されるという恐怖心が働いているのではなかろうか? 面白く無いものは面白く無いでいいのではなかろうか? なかろうか?の4連発を使わせるとは、さすが春樹。 単純に言えば「なんとなくクリスタル」と同じクラスの無価値文学。 文学と言うのもおこがましいが・・・ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ページを捲れども捲れども世界観が掴めない。 いかなる内容の小説であれ、普通は読み進めると共に背景が見えてくるものだが、全く見えて来ない。 こういう本を読み進めるのは苦痛ですね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
出版社の巧妙な戦略に乗せられ、まんまと買ってしまいました。 発売当日まで、担当の編集者と社長しか内容を知らなかった? ・・・。 面白ければなんの文句もありませんでしたが、この程度の内容で そんなことされれば、そりゃあ怒るさ。 他のレビュアーは書いてなくても、みんなそう思っているはず。 すごい不満だったのは結末。こんなにだらだら物語を展開しておきながら 肝心の結末を書かないとは!! だからこんなに、ブーイングのレビューが吹き荒れているんだと思います。 今回で相当、株を落としてしまったから、著者と出版社は次回は相当 頑張らないとだめだと思います。 (それぞれに何億円もの印税と書籍売上を稼いだでしょうからね) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本当つまりませんわ。 この本を読んでも虚無感に苛まれるだけでした。 プラスになることは一切無く何も残りません。 ただ時間を浪費したということだけ。 凡人が書いたものなんてこの程度でしょう。 ゲームをした方がセーブデータという形に残り遥かに有意義でしょう。 あまりの駄作っぷりに表紙を見るだけでイライラしますので後でゲオで売却しようかと思います。 ☆5を付けている者は出版関係者かと思われます。 皆様騙されないようにしましょう。 これに数時間注ぎ込むのならばCoDBO2を買った方がいいですよ。私はこのシリーズの大のファンで毎年海外版、字幕版、吹き替え版の3本購入している程です。オススメです。ただし低スペックかつ過疎っているwiiU版は控えましょう。 偉人の自伝以外の小説は説得力が無く浅知恵の駄作しかないのです。 お金の無駄ですわ。知識も付く、達成感のあるゲームをやりましょう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読むなら特攻隊の遺書でも読んだ方が為になる BOOK・OFFでもう売りました | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
相変わらず1章の終わりの映画みたいな演出と次の章への引きは、素晴らしいものでした。 私は村上春樹小説を、毎回、そういった表現の技法を楽しむために読んでいて、ストーリーにはあまり期待していません。 しかしながら今回の小説は、物語序盤の多崎つくるを見ている限り、ストーリーにも期待できるものがありました。 彼は、よくいる自己評価の低いこれといった特徴もない人間で、私の周りにも多くのそういった人間がいます。 私自信そういう人間ではないので、共感こそしないものの、彼のような人間の心情や境遇をリアルに描いてくれるのだったら、 それはとても興味のあることです。私の知らない世界ですので。 しかし、残念ながら、この小説はその期待には応えてくれませんでした。 村上春樹が描く、「自己評価の低いこれといった特徴のない」多崎つくるは、現実世界のそういった人間とはまったく違い、 結局彼は他からの評価は高く、好きになってくれる人もたくさんいる人間でした。 作者により与えられた現実離れした謙虚で控えめな性格のため、自己評価を低く設定されているだけでした。 本当に無色の人間をリアルに描いてくれれば、現代的なテーマを含んだ純文学的要素を持ったとても面白い小説になったのに、残念です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
村上作品は自殺願望の人が増える本だと前に書いてあるのを読んだことがあるのでがそれ以来近づいていません。前に読もうとしたノルウェーの森は開始3ページ目かで挫折してしまいした(笑) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
他人に流されてファッション感覚でブランド作家の新刊を並んで買って読書するからそうなる。高い金払ってガッカリさせられた。ワハハ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大多数の小説、村上作品を読んでいます。それを踏まえての感想になります。 いつもどおりの登場人物がいつもどおりの台詞を吐いています。登場人物に血が通っていないんですね。 実に気持ち悪い。やはり僕には村上作品は肌に合わないようです。 ただ、読めばすぐにそれとわかる確固たるブランドを築いている点は事実として認めざるを得ない。 ただ、これまで読んだ小説の中で、村上作品ほどつまらないものも珍しい。カンガルー日和、回転木馬だけですね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
こんな物に群がる人達の存在が信じられません。 全くの資源の無駄です。 題名も表装も本文も真っ白なら価値が無限大に広がるという物です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ノルウェイの森以来読んでみました。 こんなにつまらない小説をこれだけ売りさばく手法はノーベル経済学賞ものですよホント。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
あまりの人気で釣られて読んでみたが人気の理由がわからない。 評価は☆2つ 理由としては下記に記載する。 '@表現方法 比喩などの表現方法が多く、非常に読みにくい。 現代文学であるのに対して、著者があえて難しい表現をして文才があるように見せてるだけ 使用する漢字についても同様のことがいえる 'A展開 どこがとは書かないが(ネタバレになってしまう為)矛盾点がある。なにより中途半端である。 そして私が一番気に入らないのは最後。 終わり方として最低だった。展開を読者任せにするにしても中途半端であるし、展開を想像させるほど心躍っての終盤ではない。 以上の2点 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
私はことさら村上春樹ファンではないが、初期の『羊をめぐる冒険』や『風の歌を聴け』などからは、荒削りではあるものの大江健三郎や安部公房等とは違った、現代的でおしゃれな世界感を感じ、とても面白く感じた。 しかし、本作は美しくまとめられてはいるものの、純文学としても、ラブストーリーとしても、サスペンスとしても中途半端。ストーリーに未完成さが感じられて、まるで映画でいうシノプシスを読まされている気分だった。 この作品を素材として、さらに膨らませ、それぞれの人生がもっと書き込まれたならば、それは読み応えのあるいい作品になったろうと思う。実にもったいない。 なぜ、ノーベル賞候補にもなった大作家が、このような段階で作品を発表してしまったのか疑問である。 で、「豊富なボキャブラリーと卓越した文章力によって編み出された世紀の駄作」という感想になった。 前作から3年、出版社から急かされたのか、自分から「とりあえず出しておこう」と思ってのことか、それでも作者には莫大な印税が懐に入り、出版社にはその何倍もの利益が転がり込む。CDショップでは作中登場するリストの「巡礼の年」が平積みされたという。我々には関係ないが経済効果といった点では評価できる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
いつも期待しながら村上作品を読みます。1Q84もノルウェイも、世界の終りも、海辺のカフカも良かった。 でもこれは良くない。すべてが中途半端で完結がない。 完結がない作品はもちろんあるけど、これはやりすぎかな。 結局なにが言いたいのか良く分からなかった。期待して損したな。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
満を持して、村上春樹を読んでみました。めちゃ売れてるって評判だし、本屋でも下品なぐらい平積みされてるし、アイフォーンの新作かってぐらいの長蛇の列がテレビで流れていたので、あんまりウザイから読んでみたのです。 読んでみてすぐに王様のブランチで本仮屋ユイカとかが「うーん・・・なんか難しいとこもあったんですけど・・・最後にすごい村上さんから明るい励ましのメッセージをもらったようで元気になりました!」ってぶりっ子然な感じでなんの生産性もないコメントをしているのがなんとなく目に浮かび・・・。その脇で谷原章介が「うんうんそこが村上作品の魅力だよねー」とスカした感じで頷いてる光景が脳裏によぎりました・・・。王様のブランチで褒められている小説はたいがいろくでもないという相場は決まっております。だから変な期待を持たずに読み終えることができました。あらかじめ言っておくと、ボクは村上作品のいい読者ではありません。ノルウェイの森も途中やめにしてるし、アウターダークも途中退場、まともに読んでるのは象の消滅っていう短編集と風の歌を聞けぐらいで、1973年のピンボールなんか朝おきたらベッドの中にかわいい双子のおんな子がいたー!って時点で床に叩きつけています。言わずもがなカートヴォネガットとかレイモンドカーヴゃーもフィッツジェラルドも読んでいないし、ちょっと周りがもてはやしているから読んでみよう。でもいまいち良さがワカランなぁぐらいのレベルなのです・・・。しかし「風の歌を聴け」をはじめて読んだときは衝撃をうけました。その主人公のあまりのオシャンティーぶりに全身から血の気が引きそうになったのを覚えております。だって・・・あれだぜ・・・。ジャズバーにいたら自然と女が寄ってきて、そんで全然そんな気ないのに、ちょっと会話してたらもう部屋に連れ込めてるんだぜ? そんでワインのコルクを果物ナイフの先っぽでこじあけようとしてんだぜ? 果物ナイフでだぜ!? 「ビーフシチューは好き?」とか女に聞きながらだぜ・・・。コルク抜きとかつかわないんだぜ・・・。なんか石田純一が女の前でりんごを果物ナイフで切ってそのままナイフにのせて食べるって言ってたのと同じレベルの、スカシっぷり・・・じゃね?ジャズのレコードがかかってるムーディな部屋でだぜ・・・。しかもそのムードのまま、しっぽり、やれちゃうんだぜ。しかもやってる最中に、「あなたのポコチンはレーゾンディートルね」とか言われちゃうんだぜ? なにそれ? レーゾンディートルってなにw? クソ意味不明なんですけどw ググる気にもなんないんだけど・・・。仮性包茎のこと? ここでノックアウトされるものはハルキニストになり、ここで「ちっ」と舌打ちするものはアンチ村上に転ずる、と言われております。ボクは、舌打ちするほうだったのでアンチとは言わないまでも、そんなオシャンティーな村上作品に対し、どことなく嫌悪感を抱いておりました。齋藤孝氏が「これは僕のなめた孤独とは違う」と言っておったのが、大多数のアンチ村上の意見なのではないのでしょうか。 さて、じゃあ本作は主人公、多崎つくるくんはどうかというと、これもまた案の定、孤独です。まず冒頭二ページでこんなんです。 ―――用事のない限り誰とも口をきかず、一人暮らしの部屋に戻ると床に座り、壁にもたれて死について、あるいは生の欠落について思いを巡らせた。彼の前には暗い淵が大きな口を開け、地球の芯にまでまっすぐ通じていた。そこに見えるのは堅い雲となって渦巻く虚無であり、聞こえるのは鼓膜を圧迫する深い沈黙だった――― ぼっちです。これは共感がもてます。大学生なので深刻です。これは辛い自体です。しかし、いちいち言い方がおおげさなのが玉にキズです。暗い淵が地球の芯にまでって・・・いくらなんでも深すぎです・・・。しかも「渦巻く虚無」とか「深い沈黙」とか「生の欠落」とかいちいち出てくる単語が思春期こじらせた中学生が書いたブログに出てくる言いまわしみたいでイカ臭いです。「深い沈黙」が聞こえる・・・ってのも意味がわかりません。 しかしそんな瑣末なことにいちいち目くじらを立ててもしょうがないでしょう。大事なのはなぜ彼がぼっちになったか?ということです。そこも読み始めてすぐに説明されます。高校時代に仲の良かった五人組と、突然「おまえとは縁を切る」と言われたらしいのです。 それ以来、人間不信に陥り、他人とうまく関係を築けなくなったということがわかってきます。 と、ここまで読んでいくと、「泣けてくるほどのぼっち小説ではないか!」と思ってしまいますね。 しかし、すぐにその予想は鼻先でピシャっとやられます・・・。読む進めていくうちに、「あ、これはおいらとは違う」といつもの村上カラーが炸裂してきます。20ページぐらいで主人公は恵比寿のバーで女と喋っています。もうどこかで見た光景です。しかもそのバーに入った理由が「とりあえずチーズかナッツでもつまもうと思ったから」です。こんな軽い理由で恵比寿のバーに入れる人間をボクは同じ血が通っているとは思えません。しかも、会話もこんな感じです。 つくる「それが存在し、存続すること自体がひとつの目的だった・・・」 「たぶん・・・」 女 「宇宙と同じように?」 つくる「宇宙のことはよく知らない」 「でもそのときの僕らには、それがすごく大事なことに思えたんだ。僕らのあいだに生じた特別なケミストリーを大事に譲っていくこと。風の中でマッチの火を消さないみたいに」 女 「ケミストリー?」 つくる「そこにたまたま生まれた場の力。二度と再現することのないもの」 女 「ビッグバンみたいに?」 つくる「ビックバンのこともよく知らない」 「け、け、け、け、け、ケミストリー・・・・!」「い、いま、なんつったこいつ・・・!?」「け、け、ケミストリー!?!?」「ま、まじか・・・そんな尻こそばゆい単語・・・始めて聞いたんだけど・・・なにそれ・・・すっごいむずがゆいんだけど」「背中ぞわぁってするんだけど・・・すごい・・・変な汗出てきたよなんか・・・」「しかも、なんかケミストリーって言ったあとで、風の中でマッチの火をどうたらこうたらって、すごい恥ずかしい比喩表現上乗せしちゃってるよ・・・。恥の上塗りだろこれ・・・なんだよケミストリーってこええよ」「こんなやつバーで隣にいたらタコ殴りにしてるよ・・・」「しかもなんかあれだよ・・・女の子がせっかく『それは宇宙なのかなぁ?』とか『ビックバンみたいな感じ?』って必死で合いの手を差し伸べてくれてんのに全部『それは知らない』の一点張りだよ・・・。会話合わせる気ねぇよこいつ・・・どんだけ宇宙ネタ嫌いなんだよ・・・・。こんなやつ絶対モテねぇよ・・・。 その後も頻繁に「ケミストリー」とつぶやくつくるくん。ケミストリー押しがすごいです。ところがモテてしまいます。なぜか、このつくるくん。二十歳で童貞だったわりには、女の子とはしっぽりしけこめてしまうのです。しかもその調子が、いつもの村上節です。心に大きな空洞をかかえたまま、他人に心を開いてないのにもかかわらず、ちゃっかり女は寄ってくる。いつものやつです。というか村上春樹の小説のキャラクターってこんなんばっかりじゃね? しかも童貞喪失のときに―――初めての体験だったが、それにしては何もかもがスムーズに運んだ。最初から最後まで戸惑うこともなく、気後れすることもなかった―――p132って、こんな都合のよろしい童貞っていらっしゃるかしら? 「村上さんの登場人物は避妊しないんですか?」というファンの質問に対して「うーん・・・いちいちゴムつけるとこ書くのめんどくさいでしょ」みたいな発言をしていたのを思い出しましたが、いくらめんどくさいからといって童貞をこんな女のあつかいに長けたサオ師みたいに描くのはやめていただきたい。あまりにもリアリティをシカトしすぎです。童貞を舐めないでいただきたい。「ヤリチンヤリチン」とずいぶん批判されてきたのに業を煮やしてか、やっとこちら側に擦り寄ってきたかと思いましたが・・・またこれです・・・やってることはやっぱりヤリチンです。 いろんなところに目をつぶってみても開始何ページ目かでボクはあまりのオシャンティーぶりに卒倒しそうになりかけました・・・・。嫉妬とはーーー世界で最も絶望的な牢獄だったーーーとか、人の心は夜の鳥なのだーーとか、彼は荒ぶれた闇の中で消え入るように息を引き取り、森の小さく開けた場所に埋められた。人々がまだ深い眠りについている夜明け前の時刻に、こっそり密やかに。墓標もなくーーとかいちいち目を覆いたくなるような、ゴミ箱からほのかに漂ってくるようなスペルマ臭い言い回しとも必死で戦いました。 ところが、多崎つくるくんひとりならまだしも、つくるくんの友人がこれまたひどい・・・とくにアカはひどい。女に「友達に嫌われた理由を探してみたら」と言われたので、十年ぶりにつくるくんは昔の友達のところへ尋ねるのですが、このアカってやつが、なんというか、もういろいろこじらせちゃってます。ビジネスセミナーのコミッショナーなんですけどね。もうなんかビジネスセミナーのコミッショナーだからなのかあれなのか、身のこなし、言葉の節々から、自己陶酔感がただよってるんですよ。もちろん応対するのは昔の友人(つくる)ですが、それにしても自分大好きオーラでまくってます。だってこれですぜ。 アカ語録。 アカは笑った。「嘘偽りはない。あのままだ。しかしもちろんいちばん大事な部分は書かれていない。それはここの中にしかない」、アカは自分のこめかみを指先でとんとんと叩いた。「シャフと同じだ。肝心なところはレシピには書かない」 「あるいはそういうこともあるかもしれない」とアカは言った。それから愉快そうに笑って、指をぱちんと鳴らした。「するどいサーブだ。多崎つくるくんにアドヴァンテージ」 アカは言った。「俺は思うんだが、事実というのは砂に埋もれた都市のようなものだ・・・」 福山雅治なら許されます。ガリレオのときの雅治なら許されます。しかし、それ意外は、断じて許されません。無論。こういうことを言って、「おめーいてーよなんだよそれ。鋭いサーブだってなんだよw」「なにが多崎つくるくんにアドヴァンテージだよw」なんていう人間はひとりもおりません。自然なのです。「封を切ってしまった賞品の交換はできない」とか「まるで航海している船の甲板から、突然ひとりで夜の海に放り出されたみたいな気分だ」とか村上小説の登場人物は総じて、もういちいちなにかしゃべるときは、気の利いたこと、おしゃれな比喩を言わないとすまない性格だと肝に銘じたほうがよさそうです。 しかしここまでこの書評を読んできて、話の内容がいまいち見えないという人も多いでしょう。ものすごくざっくばらんにネタバレしますと、多崎つくるくんが友達と再会を通して知った自分が絶好された理由とは「シロというおなじ五人グループの女の子をレイプしたから」というとんでもないものでした。つまりすごく雑に流れをまとめるとこうなります。 オス!おいら多崎つくる!なんかよくわがんねーけど、すげえいきなり友達から絶好されちまった!――――→なんかそれがきっかけで自信もなくしたし、人間不信になっちまった!――→でも職場で知り合った女(沙羅)がすごいいい女で、結婚してーって思った!――→でもなんか女から「友達に再会してみたら」って言われたんで会ってみることにした!ーー→友達に何年かぶりに会って理由聞いたら、おれが勝手に友達(シロ)をレイプしたことになってた!――→なんかもっとよく聞いてみたら、シロ死んでて(好きだったのにショック)、しかもちょっとメンヘラだった!!!――→外国に住んでる友達に聞いたら、なんかメンヘラだったシロを救うためにやむなくついた嘘だってことがわかってきた!――→怒ろうかと思ったけど、すごい謝られたし、なんかすごい「ずっと好きだった」とか「自信を持ってー!」って言われたから「うん、おで頑張る!」ってなった!――――でも沙羅浮気してた・・・。沙羅に振られたらたぶんおいら死んじゃう・・・電話してみたけど・・・反応よわい・・・おいらを選んでくれんのかなー・・・うーん、やきもき・・・。―――→完!!! うーん・・・この物語になにを感じればいいのでしょうか・・・。読んでしばらく考えてみましたが、なにひとつ感想が浮かんできませんな・・・。作品にちりばめられたメッセージ「あの頃の思いがどこかに消えるわけじゃない」とか「自信を持ってー」「あなたはあなたのままでいいのよー」とかも、なんというか鼻息で一掃したくなるようなしろものだし。なにが面白いんだろうと思ってアマゾンで星5のレビューとか読んでみたら、けっこう「自信をもらいました!」っていう感想が多くありまして、意外に多崎つくるという主人公に感情移入している人が多いことに気づくのです。個性のない、なんのとりえもない、そんで自信がもてない、自己評価が異様に低い、こういう人は世のなかにたくさんいますし、この小説を読んで主人公に同化して「よっしゃ、なんか自信出てきたわ」ってなる人は、それはもちろん悪いとは言いませんが、そういう人はもともとかなり健康なお方なのではないのかと思いました。生きづらさを感じている若者へのエールって書いてる人もいたけど・・・いやーすれてないですなみなさん・・・。まさに生きづらさを感じている者の代表として言わせてもらいますとボクは読んでるあいだ、終始、「多崎つくると俺は違うからなー」と思っておりました。だってあれだぜ。ラストで恋人からの電話を待ってる時にオリーブグリーンのバスローズきてカティーサークのグラス傾けながらウィスキーの香りを味わってんだぜ? オリーブグリーンってクソ緑だぜ? 趣味悪くね? そんで「孤独だ・・・・」とかつぶやいてんだぜ? 石田純一なの? 孤独ってこんなオシャレだっけ? こんなやつに感情移入なんかできませんわな・・・。しかもこの小説の着地点も、シロというミューズを失った主人公が沙羅という新しいミューズと出会うという、「けっきょく恋愛だよねー」としか言い様がないイラッとくる結論だし。なぜイラッとくるかといえば、「それができない人はどうするの?」と読んでいて頭に疑問符が湧いたからであります。これを救済とか、救いととるなら、こんな残酷な救いはありませんな。沙羅という見ただけでズキューンとなる女に物にしないと自信を取り戻せないなんて・・・。そんな女に出会えないのが大多数の人生なのに・・・。なんでこれをよしとしているんだろうって思ってアマゾンのレビュー読んでたら、ひとりぼっちな男が救済されて元気出すにはやはり沙羅のようないたれりつくせりな女性に手伝ってもらわないと、、というかこんな女性に救済されたいなぁ、、とくたびれ果てた男どもが勝手に妄想するのが沙羅なんです。って書いてあって、あぁなるほどと納得いたしました。これはつまり、孤独なサラリーマンの妄想小説なのですな・・・。いやー・・・そんなイカ臭い妄想には付き合っていられません・・・。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
1Q84を読んでから村上春樹さんに興味をもった新参者ですが、雰囲気は似ていると感じました。 ただ、いろいろな思わせぶりが解決されないので、よくわからないまま終わってしまった感じです。 友人との再会もなんだか平凡で、想像力をかきたてられていたわりにがっかり。 ガールフレンドとの関係もよくわからない・・・ こういう哲学的な(?)作風が受けているのでしょうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
まず最初にお断りしたいのが、私が村上春樹さんの作品を読んだのはこれが初めてだったということです。従って、彼の他の作品に対する比較はできません。また、私はその作品の裏で作者が言いたいことよりも、表面的なストーリーの面白さを求めています。 その上で、この作品を読んだ感想ですが、先を読みたくて仕方が無いという内容ではありませんでした。私は本が好きで、一度手に取ると先を読みたくなって、ついつい夜更かししてしまうタイプです。そんな私が躊躇無く本を置いて床に就くことができた次第です。最終的に読破まで2週間程かかりました。 まず最初に気になったのが登場人物同士の会話の表現。英訳での出版を前提としたような不自然な日本語です。これが気になってとても感情移入できませんでした。また、会話の内容が哲学的だったのも好みに合いませんでした。作品のテーマを考えると哲学的な会話は必要な要素だと思いますが、結局何が言いたいのか分かりません。一方でこの点は「作品の裏で作者が言いたいこと」を求める方にはプラスポイントかもしれません。 良かった点は過剰な比喩がなかったこと。世の中には風景を表すために比喩を連発して、繰り返し読まされた挙げ句に情景が思い浮かばないという作品もありますが、この作品ではすんなりと情景を思い浮かべることができました。 良い点、悪い点双方ありますが、すんなり床に就くことができた作品はこれが初めてで、あまりにも興味を持てなかったと言うことで★1つです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
販売戦略の異様さに驚く。 ストーリーを期待せずに雰囲気を味わう作品なのか。 「何かある」と思って期待しても、多くの謎を謎のまま終わらせる。 謎めいてはいるが謎はないといった方が正解か。 つまり、何もない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
3日後の水曜日に、沙羅からつくるに語られるべき物語は、ついに語られることはありません。もちろん、物語の時間は、本が閉じられた後も不変に流れているはずですから、本が閉じられたちょうど次の日の夜に、きっと、沙羅はつくるに対して、語るべき物語を紡いでいるはずです。そして、きっと二人は、体を交えて、つくるは射精に成功しているはずです。 こともなげに交わされる灰田とつくるとの間の形而上的会話は、それ自体、小説のパーツとしては涼しいのだと思います。こともなげに交わされる灰田の父親と緑川との間の音楽に関する会話も、それ自体、小説のパーツとしては涼しいと思います。フィンランドでの懐古的な旅情も、ペニスがシロとクロとの体温に包まれる刹那的な夢想も、タグホイヤーの時計も、レクサスの車も、どれも涼しい小説のパーツです。しかし、この小説に根本的に欠けているのは、大局的な構想でしょう。5人が織りなす完璧な調和と、その不調和というのは、「大局的」な構想にあやかるかの様に、この小説の根底をなしているようにみえますが、結局のところ、それも涼しい小説のパーツに過ぎません。 すべての伏線を回収することは、文学の必要条件ではないでしょう。回収されなければ、それは伏線ではなく、小説の雰囲気を醸成する一場面に過ぎなかったに過ぎないのだ、ということも出来るかも知れません。しかしながら、この小説には、雰囲気というものがない。それは、この小説が、歴史的断絶の憂き目に遭った主人公が、歴史的断絶を克服する叙事詩であろうとするため、という説明は、ある種の文学的な説明の一つではあると思いますが、すくなくとも、これらの小説の断片が、5人の関係性の様に「ケミストリー」することはありません。 そういった意味で、この小説は、ひどく混雑する電車の中で読まれるような、暇つぶし(というよりは苦痛をいくらか緩衝する)ための、浅薄なミステリー小説に過ぎません。絶賛するレビューが大半を占める理由が、さっぱり理解できません。 ちなみに、当方は、村上春樹の作品は、過去に、1Q84しか読んだことがありません。ご参考まで。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
結論から書いてしまうと、本作の完成度であれば通常の作家さんならば、原稿段階で出版社にボツにされていると思う。 レビューをざっと拝見すると色々な意見に別れているが、僕は著者を長く読み、大学の卒論のテーマにも著者の作品を選んだ〜だが、『ねじまき鳥クロニクル』から見え始めた作品のレベルの低下は本作でも隠しようがない。僕は前回の長編『1Q84』で--ストーリー・テリングは立ち直ったものの--村上春樹氏の言いたいことを直接書いてしまう実態を見たときから「才能、なくなってきてるんじゃないのかな・・・?」という疑問を持っていたが、本作ではそれが露呈している。 小説は具体的なモチーフにテーマを縫合して描くものであり、作者の言いたいことを直接書くものではない。それが本作では多崎つくると登場人物たちの思弁的な会話と主人公の心理描写によってそれがもろに外に出てしまっている。その上、ストーリー・テリングが冗漫すぎる。 前作の『1Q84』のレビューにも記載したのだが、村上春樹氏は作家として、もう、かなり危ういところに来ていると思う。だが、一種のブランドネームとなった著者の作品はこの先のマスコミの取り上げ方で売れることは売れ続けるだろう。そして、--政治的なしがらみさえなければ--ノーベル文学賞も受賞するだろうし、それによってさらに過去作の売り上げもあがるだろう。だが、村上春樹氏は、もう長編作家--短編はもうずいぶん新作を書いていないのでわからないが--としての作品のレベルには期待できないところまで来ている、としか思えない。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!