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ドグラ・マグラ
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【この小説が収録されている参考書籍】
ドグラ・マグラの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.96pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全82件 61~80 4/5ページ
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上巻、下巻ともに、古い表現に難易度があり、最後まで読んでいないのが現状です | ||||
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古い表現の仕方で難易度があり、まだ最後まで読んでない状態です。 | ||||
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意味がわからないのが魅力、と言いたのだが、 読了は出来そうもない。 読んでいてしんどくなる。 | ||||
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上より読みやすいのですが、時間の流れに翻弄されます。構えて読まされる感じがします。再読を考えさせられます。 | ||||
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なんだこりゃ、変なの……というのが第一印象でした……。エンターテイメント的な楽しさはありません。 これが書かれた時代のせいもあるでしょうけれども、始終つきまとう「で?」って感じ……。途中で何度も読むのを投げ出したくなり、挙げ句、読んでいるこちらの頭が狂ってるような気になりました。 かといって、「二度と読むか!」と壁に……というわけではない。絶対に。 しかし、「誰かにすすめるか」と聞かれたら「うーん?」と首をかしげるし、「読了後の感想を語り合いたいか」と聞かれたら、やっぱり「うーん?」……自分の中でじっくり醸造させる必要ありです。 とにかく読みにくい。でも言わんとすることはわかるし、エピソードは進んでるから追いかけているうちによみおわった……そんなのに耐えられる方は是非。 | ||||
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まず、読破したことに感動。 読んだあとしばらく、自分が誰なのか、ここは現実なのか解らなくなり、呆然としました。 かなり読みづらいので、お暇なかたはどうぞ。 | ||||
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トリッキーな展開と錯綜する描写で読者を眩惑する。そして行き着く先は救いようない結末。とはいえ結構冗長で退屈なところもあり、読者の忍耐も試されているのか? まさにすべてが悪夢!! | ||||
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作風の幻想的・猟奇的な趣で知られる小説家夢野久作(1889-1936)の作品集、「瓶詰の地獄」(1928年)「氷の涯」(1933年)「ドグラ・マグラ」(1935年)を所収。彼は人間存在そのものに地獄を視る、ぽっかり空いた穴として。なお「ドグラ・マグラ」は、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、中井英夫『虚無への供物』と並び、探偵小説三大奇書と称される。 「氷の涯」 疾走というのは、いつも desperate であって、行く宛先の無いものだ。男女二人の終末の後ろ姿には、そうした何処か乾いた美しさがある。 「ドグラ・マグラ」 暗い闇でしか在り得ない人間の生命の在りようをみごとに抉り出して、背筋を冷たくさせる「巻頭歌」。「脳髄は物を考える処に非ず」と主張して、脳髄を思考の主体と見做す唯物的科学を繰返し批判し、全ての細胞に平等に存する意識・欲望・記憶の媒介であるとする「脳髄論」。そこから導出される本作品中最重要の概念である「心理遺伝」。それを更に敷衍してヘッケルの反復説(所謂「個体発生は系統発生を繰り返す」)を下敷きにした作中論文「胎児の夢」曰く、胎児は胎内に於いて、原始生物から天変地異や自然淘汰を経て人類に進化するまで、そして胎児の先祖が両親に到り着くまで生存競争を生き延びる為に犯してきた無数の罪業を夢として反復するという。こうした、明らかに冗長過剰と云っていいほどの疑似科学的・超心理学的な(殆ど神秘学的な)学説の閑文字の奔流に長時間付き合わされ眩惑させられる。これも本作の仕掛けの一つと云えるだろう。 人間存在とは、自己同一性(I=X or I≠X、理性/狂気、現/夢・・・)すら決定不可能な、無間=夢幻地獄そのものであるところの縁の無い空虚であることを、長大なこの作品の機制自体が【示して(≠語って)】いる。物語は、つまり人間の自己意識とは、無限階層の一部でしか在り得ないことを【示して】、宙吊りのまま断ち切られる。 "・・・・・何もかもが胎児の夢なんだ・・・・・・。・・・・・・俺はまだ母親の胎内にいるのだ。こんな恐ろしい「胎児の夢」を見てもがき苦しんでいるのだ・・・・・・。" 作品内で展開されている「脳髄論」は、自然主義的な「脳による自己知」の論理的矛盾を繰り返し指摘しているのだが、自己知という機制そのものに孕まれている不可能性にまで議論が及んでいないのは何とも残念だ。本作品がそれを主題にしたものとなっていれば、論理学の根本問題を文学的虚構で以て再構成させた傑作となったであろう。メタ・フィクションとは、そうしたロゴス(論理・言語・理性・自己意識)に典型的に現れる自己関係的機制に本質的に胚胎している不可能性を剔抉することにこそ、その表現方法としての存在意義があると私は考える。 "・・・・・・「物を考える脳髄」はにんげんの最大の敵である。・・・・・・天地開闢の始め、イーブの知恵の果を喰わせたサタンの蛇が、さらに、そのアダム、イーブの子孫を呪うべく、人間の頭蓋骨の空洞に忍び込んで、トグロを巻いて潜み隠れた・・・・・・それが「物を考える脳髄」の前身である・・・・・・" ここで「物を考える脳髄」という箇所を、「自己知に於ける自己関係的機制」と置き換えれば、私の原罪に対する解釈と近いものになる。 | ||||
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作風の幻想的・猟奇的な趣で知られる小説家夢野久作(1889-1936)の作品集、「瓶詰の地獄」(1928年)「氷の涯」(1933年)「ドグラ・マグラ」(1935年)を所収。彼は人間存在そのものに地獄を視る、ぽっかり空いた穴として。なお「ドグラ・マグラ」は、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、中井英夫『虚無への供物』と並び、探偵小説三大奇書と称される。 「氷の涯」 疾走というのは、いつも desperate であって、行く宛先の無いものだ。男女二人の終末の後ろ姿には、そうした何処か乾いた美しさがある。 「ドグラ・マグラ」 暗い闇でしか在り得ない人間の生命の在りようをみごとに抉り出して、背筋を冷たくさせる「巻頭歌」。「脳髄は物を考える処に非ず」と主張して、脳髄を思考の主体と見做す唯物的科学を繰返し批判し、全ての細胞に平等に存する意識・欲望・記憶の媒介であるとする「脳髄論」。そこから導出される本作品中最重要の概念である「心理遺伝」。それを更に敷衍してヘッケルの反復説(所謂「個体発生は系統発生を繰り返す」)を下敷きにした作中論文「胎児の夢」曰く、胎児は胎内に於いて、原始生物から天変地異や自然淘汰を経て人類に進化するまで、そして胎児の先祖が両親に到り着くまで生存競争を生き延びる為に犯してきた無数の罪業を夢として反復するという。こうした、明らかに冗長過剰と云っていいほどの疑似科学的・超心理学的な(殆ど神秘学的な)学説の閑文字の奔流に長時間付き合わされ眩惑させられる。これも本作の仕掛けの一つと云えるだろう。 人間存在とは、自己同一性(I=X or I≠X、理性/狂気、現/夢・・・)すら決定不可能な、無間=夢幻地獄そのものであるところの縁の無い空虚であることを、長大なこの作品の機制自体が【示して(≠語って)】いる。物語は、つまり人間の自己意識とは、無限階層の一部でしか在り得ないことを【示して】、宙吊りのまま断ち切られる。 "・・・・・何もかもが胎児の夢なんだ・・・・・・。・・・・・・俺はまだ母親の胎内にいるのだ。こんな恐ろしい「胎児の夢」を見てもがき苦しんでいるのだ・・・・・・。" 作品内で展開されている「脳髄論」は、自然主義的な「脳による自己知」の論理的矛盾を繰り返し指摘しているのだが、自己知という機制そのものに孕まれている不可能性にまで議論が及んでいないのは何とも残念だ。本作品がそれを主題にしたものとなっていれば、論理学の根本問題を文学的虚構で以て再構成させた傑作となったであろう。メタ・フィクションとは、そうしたロゴス(論理・言語・理性・自己意識)に典型的に現れる自己関係的機制に本質的に胚胎している不可能性を剔抉することにこそ、その表現方法としての存在意義があると私は考える。 "・・・・・・「物を考える脳髄」はにんげんの最大の敵である。・・・・・・天地開闢の始め、イーブの知恵の果を喰わせたサタンの蛇が、さらに、そのアダム、イーブの子孫を呪うべく、人間の頭蓋骨の空洞に忍び込んで、トグロを巻いて潜み隠れた・・・・・・それが「物を考える脳髄」の前身である・・・・・・" ここで「物を考える脳髄」という箇所を、「自己知に於ける自己関係的機制」と置き換えれば、私の原罪に対する解釈と近いものになる。 | ||||
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読んでいて精神がおかしく、、、とかはないのですが、 失礼ながら特に感動したとかそういうこともなかったのです。 途中があまりにも長く飛ばしぎみに読んでしまいました。 いわゆる推理部分はとても面白かったのですが、、、 最も気になっていたラストシーンですが、全く想像していた通りで、正直 なあんだ(-_-;) と、思ってしまいました。 読むのに結構時間を費やしたのでちょっとショックです。 勝手なことばかり言っていますが所詮文学等全くわからない人間の感想なので、戯言程度にお聞きながし下さい。 タイトルの響きがとても好きです(^ー^) | ||||
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正直、内容を理解することは不可能です。ただ、読んでいくうちにこの世界観に引き込まれていくのを感じました。 精神に異常をきたす方もいると聞きましたが、純粋な方や病んでいる時などは、気が狂う感覚を味わえるかもしれませんね。 ただこの作品が映画化され、映像にできることには驚きです。ぜひ映画も見てみたいものです。 | ||||
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よくわかりませんでした。 私は1カ月くらいで読み切りましたが、何度か挫折しそうになりました。 会話が進まない上にややこしいし、研究論文の項目であまりに物語が進まないので中断してしまいました。 読み切ったという達成感よりも、一体何だったんだというのが私の感想です。 私的に、まず「キチガイ地獄 」を読んでみて、 この「ドグラ・マグラ 」を読めそうか判断した方が良いと思います。 | ||||
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日本探偵小説三大奇書のうちの一つである本作品、オジサン化するまで、未読でしたが、今回、キンドル本として入手。 その独特な作品世界を楽しんできました。 九州大学病院精神科病棟の一室で目をさました「私」は、自分の素性を忘れてしまっていた。 やがて、病棟勤務の博士達から、これまで起きた奇怪な殺人事件の話を聞かされ、自分がどうやらそれに関わっていたらしいと感じるのだが…。 ──というストーリーなのですが、どこまでが現実で、どこまでが幻覚(あるいは夢)なのか分からず、読んだ方の多くは幻惑されることになるのではないでしょうか。 【損をしている部分】 魅力的な作品ではあるけれども、いわゆる差別的な表現の多さには違和感がありました。 主要な登場人物の一人、正木博士が提唱する、精神疾患の画期的な治療法が、「狂人の解放治療」という名称なのですが、「狂人」という言葉でも差別と受け取られ兼ねないにも関わらず、その内容を示す、当時としては一般的であった「かな4文字」が至るところに出てきます。 作者に差別的な意識はなかったのでしょうが、現代の作品であれば、この表現のため、作品そのものの発表ができなかったと思われます。 【不思議な符合】 この「狂人の解放治療」は、全くのフィクションですが、舞台である「九州大学病院」だけは実在であることに、不思議な符合を感じました。 現在、精神疾患のうち「心身症」の治療を中心に行う「心療内科」という診療科をよく見かけますが、これが1961年(昭和36年)に日本で最初に設置されたのが、九州大学病院だからです。 つまり、現実の世界でも、精神医学の画期的な治療が実践されたのが、九州大学病院という訳で、不思議な偶然です(※)。 [(※)もちろん、その治療内容は「狂人の解放治療」とは全く無関係で、きちんとした医学的知見に基づくものです。] 全体として、三大奇書と呼ばれるだけあって、複雑で緻密な作品世界には魅力を感じましたが、上述の差別的な表現に不快感を示す方のことも考え、★は3つとさせていただきました。 | ||||
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何年も前から、角川文庫がプッシュしている本だったので気になっていたのですが、 これが戦前に書かれたものだと知ってビックリ! 本屋さんでパラパラめくってみても、全くそんな気配なかったのに! 確かにガッツリ読んでみると、『外套』とか『あすこ』というフレーズが出てきたり、 デーモン閣下でもないのに1人称が『吾輩』だったりとかしますが、注釈がなくても理解できるし、 「現役の作家さんが10年前に書いたものですよ」と言われても違和感を覚えない、口語的な文体です。 相当である時間の経過を感じさせないこの作品をスゴイ! スゴイ! と思っていて読んでいたのですが、 正木博士の思想を記したとされる文章がダラッダラッダラッダラッ…… ウィットに富みすぎているあまりに万人には判らないジョーク……? 読みやすいなあ、と思っていると突如現れる、カタカタばかりの文章とか、昔の文語的な文章……? ただでさえ奇書とされているのに、ストーリーの把握を困難にさせる蛇足ばかり! 解説でも触れているのですが、そういうどうでもいい部分を削げ落としていけば、 上下巻にせざるを得ない程の紙幅にはなっていなかったと思います。 そのどうでもいい部分も含めての、突飛な世界観だと言われればそれまでなのですが、 何度この作品からドロップアウトしようと思ったか……。何度つまらないと思ったか……。何度ブックオフに売ろうと思ったか(笑) なので評価も『★★★☆☆』にしましたが、この作品も、夢野久作という作家も、まだまだ過小評価されている気がしました。 通っていた高校に買わされた、日本を代表する作家を紹介した副読本にもこの人は載っていないし、 電子辞書の百科事典に記されたこの人の記述も短いものだし。母も「ユメノキュウサク? 誰それ?」と言っていましたし。 この本がもう一度、色々な媒体で紹介されるようになって欲しいものです。 そうだなあ……今売れっ子の若手女優が、この本の表紙をカメラに掲げて「この本大好きです!」って言ったら、 中高生はテレビに喰らいつくはずだ! とりあえずそこから始めてみて頂きたい(ニヤニヤ)。 | ||||
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文章の洪水に呑まれて溺れそうになりながらも、 冗談か本気か分からない文体にニヤニヤしたり、 縦横無尽な言葉のリズムを楽しんだり、 著者の博識ぶりに驚嘆したり、 日本にはこんな凄い作家がいたんだと感心してます。 上巻だけなら★5個以上の価値がある。 ではこれから下巻を読んでの感想。 上巻は大傑作を予感するほど非常にワクワクして読んだが、 下巻は上巻で張り巡らした伏線の帳尻合わせみたいな感じで、 いつ終わるとも知れない説明的・解説的な文章が延々と続いてゆく。 途中からかなり疲れてしまった。 もうほんと説明、解説、説明、解説、説明解説説明解説説明・・・・・・ 頭がこんがらかってきた・・・・ アーッハッハッハッハッ。 | ||||
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読み終えたら気が狂うとまで言われた日本三大奇書のひとつ。その文庫版・上巻。 コンクリートの壁に囲まれた小さな部屋で目覚めた青年は、これまでの記憶の一切を失っていた。わかっているのは、目覚める時に聞こえた時計の音と隣りの部屋から聞こえてくる少女の哀願の声だけ。そんな青年の前に若林と名乗る法医学者が姿を現わし、彼の置かれている状況について語りだす。それは、いまは亡き名精神科医、正木敬之の論と奇怪な殺人事件、そして青年の過去を巡る奇妙な話で……。 以前、ちょっとだけ読んで挫折した本を久しぶりに読んでみました。 さすがに日本三大奇書と呼ばれるほどのことだけはあります。改めて、面白い。 それと同時に思うのは、よくこの時代にここまでのことが書けたなぁということです。 わかりやすく書きます。この小説はものすごく単純に一言で言ってしまうと「ポストモダン主義」の小説なのです。いろいろな状況や、周りの事柄から、本当の姿を浮かび上がらせる。この80年代に流行ったポストモダンんという手法はいまではそれほど新鮮味はありません。が、大正末期から昭和初期にかけての時代に書かれた、となれば話は違います。 なんたって60年近く時代を先取りしているのです。 しかも、その内容にもその時代では到底書けないようなものがたくさん含まれているのです。(それは例えば、DNAや遺伝子についてだったり、ユングの集合的無意識についてだったりします) 恐るべき想像力。そして、恐るべき発想。 これを読んだら気が狂うとまで言われたのは、おそらくその理解できなさに理由があったのでしょう。 納得といった感じです。 特に気が狂うわけではありませんのでぜひ。 | ||||
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読んだら気が狂うとまで言われた日本三大奇書のひとつ。その文庫版の下巻。 自殺したはずの正木教授の説明を受けるうちに、青年は自分が殺人犯でもある呉一郎なのではないかと疑問を持ち始める。だが、窓の外には「狂人解放治療場」があり、青年そっくりの呉一郎の姿も見えていた。しかし、だとしたら、青年は誰なのか? やがて彼は思考を巡らしつつ、徐々に精神に変調をきたしていき……。 さすが奇書と呼ばれるだけのことはあります。 とにかく、わけがわからない。 でも、面白い。 こんなもん、よく書けたなぁという感想しかありません。 すごいです。 変なもの好きな人はぜひ読んでください。 ※ほか、ちょっと。 ・日本三大奇書とは、小栗虫太郎「黒死館殺人事件」、夢野久作「ドグラ・マグラ」、中井英夫「虚無への供物」のことを言います。虚無への〜は未読ですが、黒死館は読みました。これも面白いです。ペダンティック(知ったかぶり)文学の最高潮だと思います。 | ||||
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時系列を前後させている演出が面白いです。 ちゃんと筋が通っていて読んでわからない話ではなかったです。 「祖先の記憶が遺伝でよみがえる」現象が 「新発見の事実」という前提ですすめられていく物語になっています。 二人の教授たちの個性的な様が生き生きと描写されていて面白いです。 また,作者が出家の経験があるためかお寺の様子なども巧みに描かれています。 作者の色々な経験がたくさんもりこまれて描かれているのため臨場感があるのです。 「科学趣味、猟奇趣味、色情表現(エロチシズム)、探偵趣味、ノンセンス味、神秘趣味なぞというものが、全篇の隅々まで百パーセントに重なり合っているという極めて幻惑的な構想で、」 と若林教授が主人公に本作について解説していますが、たしかにそのとおりの作品でした。 | ||||
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中盤は腹をたてながら読んでました。 それは・・・あんな酔狂で書いた、実験その他なし(客観的実証)、あーんな極主観的論文、否、作文で卒業できるんならわしゃ何回卒業しとろうか!!!コラァ!!! というかんじでムカついてました。読み進めるに連れてそうなのねぇと怒りは消えました。 むしろ自分を恥じました。 正木の称える細胞心理遺伝でしたっけ。あれは少しよくわからなかったです。 生物学者が言う「DNAに本能的経験的知識はプログラムされている」(極端的に言うと) と 心理学者(物理学者)の集合的無意識がごっちゃになってるようなそんなかんじで。 あと「アインスタイン」と記載があったので、時間については、あれではちょっとなあ。 せめて「特殊相対性理論」だけでも頭に入れてくれるとなあ。 イクラをイラク、コンナをコナンと何度も読み間違えてしまった恥ずかしい。 | ||||
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本書を読破した者は、必ず一度は精神に異常を来たす、と言われていますが そもそも本書を手に取るような嗜好の人間は少し特殊な部類に入りますし笑、 さらに全篇読破するような方はさらに特殊な方に限られるでしょう。 そういうかたがたが本書を読破すれば、本書がスイッチとなり少しおかしなことに なる可能性は低くはないでしょう。 ただ現在の小説の傾向から言えば長すぎますね。 | ||||
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