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あすなろの詩



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【この小説が収録されている参考書籍】
あすなろの詩 (角川文庫)

あすなろの詩の評価: 6.50/10点 レビュー 2件。 Cランク
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(7pt)

鯨版青春グラフィティからのど真ん中の本格ミステリ

東京都にある星城大学に所属する文学好きが集まり、文芸部を立ち上げ、かつて名声を馳せた同人誌『あすなろの詩』復活を目指す学生たちの青春群像劇。集まった6人の若者たちの間で同人誌復活に至る道のりには文学談義のみならず、恋あり、自分の文才を信じた鍔迫り合いありといった文芸青春グラフィティが繰り広げられる。
但し鯨氏のこと、そこには平成のトレンディドラマを彷彿させるような華やかさはなく、どちらかと云えば昭和臭が漂う。

主人公の甲斐京四郎はミステリに傾倒する作家志望の大学1年生。しかしミステリに特化した読書のため、文学に関する造詣は深くない。

彼と大学受験時に邂逅し、文芸部「星城文学」立ち上げの中心人物となる玉岡千春はその若さとは裏腹に文学的知識が豊富な青年で部員たちもその造詣の深さには一目置く。

天間留美子は玉岡と高校時代の同級生でその時に文芸部の部長副部長の仲であり、また付き合ってもいた。しかし彼女も将来小説家の夢があるが、父親の厳しい躾がトラウマとなり、天真爛漫ながらも複数の男と寝ることで父親への復讐をしている、少し歪んだ性格の女性。

大牟田敦生は柔道部員のような体格をしているが、小説好きで色んな作家の本を読んでおり、読書をしているところを玉岡に見られ、甲斐に勧誘される。一旦は断るものの、天間留美子に一目惚れして入部する。彼は小説家志望ではない。

虎尾剛志は他の部員と異なる2年生だが、1年の時にプレアデス文学賞に作品が佳作入選した経験の持ち主で、その実力を買われてスカウトされる。玉岡と留美子の文学の知識の豊富さと鑑識眼の確かさに興味を持ち、入部し、部内では玉岡と互角かそれ以上の造詣の深さを誇る。

最後の入部したのが奥中かおりで、彼女は詩人志望で既にいくつか詩を書いている。江川文太郎を尊敬しており、その流れで「星城文学」に入部する

この5人の男女は上に書いたように単に文学に対する鑑識眼の優劣を競い合うのではなく、男女の恋の縺れも発生する。

高校時代から天間と付き合っている玉岡は情事を重ねながらも彼女が自分から心が離れていることを感じている。

大牟田は天間留美子に一目惚れし、勇気を出して告白すると、いわゆる“サセ子”であった天間はその日のうちに大牟田とセックスをする。そして天間は彼の子を孕む。

主人公の甲斐と虎尾は奥中かおりを取り合う仲になる。最初に誘ったのは虎尾の方だが、文学的知識はあり、そして1年年長という大人な態度にかおりも魅かれるが、その武骨な風貌がどうしても受け入れられず、結局かおりはハンサムでスタイルもいい甲斐と付き合うようになる。

この男女6人が週に1回集まっては既存作品の合評会を行ったり、自作の合評会を行っては最後はいつも行きつけの飲み屋で飲み会をして語り合う。典型的な大学生ライフの模様が繰り広げられる。

そして作中では奥中かおりの自作の詩やショートショート大会で主人公甲斐が印象に残った天間留美子のショートショート、更には『あすなろの詩』の創設者江川文太郎が同誌に掲載した短編「悪夢は素敵」が織り込まれるなど、なかなか意欲的な内容となっている。

文学好きという共通項で集まった仲間はしかし既に大学生という半分大人のような存在で、それぞれに野心や欲望を秘めている。

上に書いたように真っ先に挙げられるのは部内の男女関係の縺れだ。玉岡と天間は以前恋人関係にあったが、天間の心は既に離れており、単に身体を重ねるだけの関係になっている。彼女は父親の厳しい躾に反発して彼の望まない娘になろうと意図的に複数の男と寝る。

大牟田はそんな彼女の真意を知りながら、彼女を自分に向かせようと天間留美子を清濁併せて愛そうとする。

奥中かおりを巡っては虎尾と甲斐が争う。最初に仕掛けたのは虎尾で、映画を観に行くとデートに誘って成功するが、二度目のデートでホテルに誘うと断れる。

一方甲斐は勇気を出して奥中をデートに誘うがあいにく虎尾との先約があった彼女はそれを断り、奥中が自分に気があるとある程度持っていた自信が崩れ、心神喪失気味になるが、虎尾のことを振った彼女から呼び出しを受け、逆に告白されて付き合うようになる。その後も妊娠した天間が甲斐に相談した時に話が長くなって香との約束の時間に遅れてデートがキャンセルになった時に偶々天間と一緒のところをかおりに見られて、二人の関係に罅が入るものの、その後誤解であることが発覚し、再び寄りを戻す。

一方野心と云えば、やはり部の創設者玉岡と既に文学賞で佳作入選の経験のある虎尾の水面下での戦いだ。合評会で見事な鑑識眼で的確な批評をする虎尾と玉岡の目に見えぬ火花を散らすやり取りはどちらが実力として上なのかを知らしめるための戦いでもある。
そんな中で玉岡は文学賞に応募し、見事最終候補に残るが、虎尾は最終候補に残ったと云っても10作のうちの1作でしかない、あまり期待しない方がいいと牽制する。

そんな男女間のやり取りと玉岡と虎尾の戦いを含めて各部員たちの文芸作品に対する造詣の深さに感じ入る主人公甲斐京四郎は、いわばミステリ好きが高じて作家になる夢を抱いた単なるミステリ読者にすぎない。つまり我々読者を投影したような存在である。いや甲斐は我々読者よりも読書量の少ない、本読みの卵のような人物だ。

それらに加えて「あすなろの詩」第1号の発刊に向けて、創作活動に励み、資金集めに東奔西走しながら、とうとう彼らは刊行にこぎつける。そして約束通りに北海道合宿へと臨む。

とここまでが前半。

しかし後半になると物語はガラッと様相を変える。
無事『あすなろの詩』創刊号を発行した「星城文学」の一行は高熱で自宅療養せざるを得なくなった甲斐京四郎を除いて、大牟田の別荘へ合宿に行く。そしてそこで連続殺人事件に巻き込まれるのだ。
電話が通じず、外は嵐で町へも下りれない、典型的な“嵐の山荘物”ミステリの状況下で般若の面を被った犯人に次々と殺される。夜中に一晩につき1人ずつ殺されては離れで首吊り死体のように吊るされ、陳列されていく。

般若の面を着けた殺人鬼が最初に奥中かおりの部屋を訪れて殺し、次に大牟田敦生が殺され、そして玉岡千春が第3の犠牲者になり、最後虎尾と天間2人が玉岡の首吊り死体を発見したところで停電になって終える。後日病気から回復して大牟田の別荘を訪れた甲斐京四郎に部員5人全ての首吊り死体を発見される。

般若の面は大牟田の別荘に以前からあった物で被ると精神が錯乱し、人を殺すと云う謂われがあり、更にこの別荘で人殺しがあったという。

私はどちらかと云えば鯨氏のミステリはダジャレや言葉遊びのような強引な印象を持っていただけに本書の端正さは意外だった。しかしよくよく考えるとあの歴史ミステリ『邪馬台国はどこですか?』でデビューした作家なのだから、論理的ミステリに長けた作家ではあるのだ。

真相に対して、そんな馬鹿な、あり得ないと若い頃の私なら一笑に付していただろう。しかし今、例えばコロナウイルスの影響で外出自粛や宴会の禁止などの制約下の中でストレスを感じているからこそ、この動機は案外腑に落ちた。

しかしこんな特殊な状況でなかったら理解しなかったかと云えば、ある程度人生経験を重ねてきた今なら、周囲の環境や人の言動、そして物に宿るバックストーリーが人の心に作用し、思いも寄らぬ言動を招くことは十分理解できるので受け入れやすくはある。

また一方でこの大牟田の別荘はスティーヴン・キングが云うところのサイキック・バッテリーでもあったとも考えられる。「星城文学」の部員の面々は人殺しの過去があるこの別荘の孕む因縁に囚われたのだ。

これはやはり上に書いたようにコロナウイルスの影響下である事、そしてこの本を読むまでにキングの作品を読んでいたことと、それを論じた北村薫氏のエッセイを読んでいたというそれまでの読書遍歴があったことなどが重なったために理解は深まったといえよう。
私はまた本に呼ばれたのだ。

鯨氏の作品には博識ゆえの作者特有のお遊びが散りばめられているのが特徴だが、本書も同様。
特に新本格ミステリを題材にしたものが多く、例えば「星城文学」創立記念の飲み会で甲斐は新歓コンパでの一気飲みはご法度だけどと綾辻行人氏の『十角館の殺人』のエピソードを織り交ぜれば、大牟田の北海道の別荘は少し斜めになっていると島田荘司氏の『斜め屋敷の犯罪』の流氷館を思わせ、ニヤリとさせられる。しかし実際に合宿が始まると斜めになっていることは一言も触れず、少し違和感を覚えるのだが。

またミステリ好きの甲斐と文学全般を読む他の面々との嗜好の違いによる疎外感も垣間見れて面白い。
例えば彼が好きな作家として井上夢人氏を挙げたが誰も知らなかったこと―こんなこと書いて大丈夫か?―や、合評会で泡坂妻夫氏の『しあわせの書』を推薦したが誰も賛成しなかったとか、髙村薫氏や奥村泉氏などページにぎっしり字が書かれた作品は苦手なのに対し、他の部員は苦にもなっていないといった、いわゆる一時新本格ミステリがブームになった時に増えたぽっと出の読者の素人ぶりが甲斐を通じて語られるのである。

特に面白いのは村上龍氏の『五分後の世界』の合評会の場面だ。上に書いた甲斐が見開きページにぎっしり文字が詰まった作品が苦手というのはこの合評会の中で出てくる心情で、そのことについて1ページ読むのに時間がかかることに対するストレスが招く先入観から来る苦手意識だと玉岡に説かれる。

これは海外作品を読むのが苦手というのに読み替えてもいいだろう。
だいたい海外作品を読まない人たちの多くはその理由として登場人物たちが頭に入ってこないと云う。それはカタカナの名前がどうも苦手だというのだ。ジョーやジョンやジェーンやジャックといった似たような名前が多く、誰が何をしゃべっているのか解らなくなるという。

これもまた先入観だろう。
なぜならマンガやアニメ、そしてゲームではカタカナの名前の登場人物が大半を占める。しかしだからと云って混乱しない。それは小説と違いヴィジュアルがあるからだろう。似たような名前でもヴィジュアルと結び付けることで同一化できる。文章だとそれが出来ないから混乱するという先入観から苦手意識が生まれているのではないか。

他にも都筑道夫は逆に「ページが文字で黒く埋まっていないと読む気がしない」と述べているとの感想もあったり、また小説を、物語が楽しいからこそ読むのに対し、髙村薫氏は今まで小説を楽しみを求めて読んだことはないとの言葉に衝撃を受けるといったことへの考えなども語られており、この『五分後の世界』の合評会には案外ページが割かれ、本の読み方や姿勢について様々なことが書かれていて、興味深く読めた。

また最後に付せられた参考文献に江川文太郎の著書が載っているのもまた作者ならではの虚構と現実の境を曖昧にさせる作者ならではだ。

大学時代、ワセダミステリクラブや慶応義塾大学推理小説同好会といった文芸サークルがなかった私にとって文芸部「星城文学」の活動はなかなか面白く読めた。SNSやブログに小説投稿サイトなど電子化での創作活動が進んでいる昨今、彼らのようにスポンサーを集め、同人誌を刊行すると云った活動がされているのかは不明だが、だからこそ昭和の香りを感じさせるノスタルジイを本書はどこか感じさせる。

もしかしたらこれは作者自身の青春グラフィティなのかもしれない。明日は作家になろうと常に思いながら創作に励んでいた作者の思い出がタイトルと同人誌に込められているのではないだろうか。

そして「星城文学」の面々全てが亡くなる結末は失われた過去への、もう戻れぬあの頃の思い出への作者なりの決着なのかもしれない。

▼以下、ネタバレ感想

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