親鸞の不在証明
- 儀式 (103)
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殺人事件が中心で、シリーズのなぞ解きに関しては不消化になる内容。 期待していただけに・・・ | ||||
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因習の残る村での殺人事件がメインです。なんとなく犯人の見当はつくのですが、ラストにおける蓮如の推理はするどく、すさまじく、本編がもうちょっと長かったら(伏線がもっと丁寧に張ってあれば)とても精緻なミステリになっていたな、と思いました。それにしても、鯨作品はなぜこんなにセリフの一つ一つが短いのでしょうか。軽く読めるので便利といえばそうなのですが、重厚さに欠けるという一面も。まあいいか、読みやすいし。 タイトルの意味が明らかになったとき、世界がゆがむ心地がしました。すごいことを考えるもんだ…! | ||||
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室町時代、六郎太と静の道中に明らかになる新事実、 という導入で語られる三部作の第三作。 第二作の空海も良かったのですが、これが最高傑作でしょう。 おどろおどろしい村で起こるおどろおどろしい事件、 その雰囲気の書き込み、人々の心理の行き交いの描写はさすがです。 残念なのは、結論としての親鸞の不在の証明が弱いことですが、 そんなのはどうでもいいと思うくらい、 進行していく事件にのめり込みました。 | ||||
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本当に意表をつく結末です。なるほど、こういう歴史推理があったとは。 理論上、「存在した」という証明はその証拠をみせればいいのですが、「不在」を証明するのは、非常にむずかしい。それを納得させるための大仕掛けがこの小説にはあります。このスケールの大きさは、全然位相が異なりますが、高木彬光『帝国の死角』以来の経験です。 難をいえば、もう少し親鸞関係の文献を丁寧に論じてほしかった。ということで星は4つ。 | ||||
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本当に意表をつく結末です。なるほど、こういう歴史推理があったとは。 理論上、「存在した」という証明はその証拠をみせればいいのですが、「不在」を証明するのは、非常にむずかしい。それを納得させるための大仕掛けがこの小説にはあります。このスケールの大きさは、全然位相が異なりますが、高木彬光『帝国の死角』以来の経験です。 難をいえば、もう少し親鸞関係の文献を丁寧に論じてほしかった。ということで星は4つ。 | ||||
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