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影の兄弟



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影の兄弟の評価: 8.00/10点 レビュー 1件。 Bランク
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No.1:
(8pt)

冷戦に対するある種の解答

本書はアメリカとソ連、すなわちCIAとKGBの永い冷戦の歴史を数奇な運命を辿ったアメリカとソ連に別れて育てられた2人の異父兄弟の生き様に擬えて語った一大叙事詩だ。いやもっと端的に云うならば米ソ二大国を巻き込んだ壮大な兄弟ゲンカとなるだろう。

しかし戦争や民族抗争が生む業というのはどうしてこうも深いのだろう。ただユダヤ人に生まれたというだけで狂った政府は粛清を行う。有名なのはナチス・ドイツだが、本書ではスターリン政権下のソ連が舞台で狂えるスターリンもまたユダヤ人が自身の命を狙っているとしてユダヤ人を次々と処刑していった。

そんなユダヤ人の中に詩人トーニャ・ゴルドン=ヴォルフがいた。そして一方ソ連のKGBにはボリス・モロゾフと云う常に哀しみを讃えた眼差しを持つ男がいた。その2人が出逢ったが故に、この数奇な運命を辿る兄弟の物語は始まる。

アレクサンドル・ゴルドンとジミトリー・モロゾフ。2人の兄弟の生い立ちはアメリカとソ連が辿った冷戦の歴史そのままだ。アメリカに渡って伯母の許で育てられ、西洋の文化に触れ、アメリカ側からソ連の有様を知るアレクサンドル。

一方ソ連に留まり、孤児院で荒んだ生活を送りながらKGBに所属するジミトリー。父親の死を知らされることでユダヤ人を憎むようになる彼は深く深く憎悪の闇へと堕ちるような人生を送る。

この対照的な二人の生き様はまさに陰と陽。それはそのままアメリカとソ連の辿る歴史の行き様でもある。

我々はアレックスとジミトリーの生涯を通してアメリカとソ連、そして1960年代から90年代にかけての世界情勢の暗部を知ることになる。
スターリンのヒットラー信望から端を発するソ連国内での大量ユダヤ人虐殺、いつ失脚し、粛清を受けるか解らない極限の緊張下に置かれたソ連政府の高官や軍人たちは秘密裏に西側諸国へ亡命を企て、ソ連政府は情報漏洩を阻止すべくKGBの工作員たちを派遣し、次々と粛清していく。

物語のキーを握るCIA工作員フランコ・グリマルディのソ連での潜入任務を通じて、日々の生活でさえ、絶えず周囲の監視の目を意識して送らねばならない雰囲気は途轍もない重圧を行間から感じる。

そして運命の2人が邂逅した時こそ彼らの人生を流転させる瞬間でもあった。最初は長年適わなかった再会を喜び、それぞれがそれまで辿った道のりを語り、空白を埋めていこうとするのだが、それぞれが育った文化の違いゆえにやがてそれは衝突を迎える。
母を尊敬する兄アレックスに対し、KGB工作員となった弟ジミトリーはKGB将校だった父親が処刑される原因をユダヤ人の母であるとし、憎悪している。そしてお互いの国の政治やシステムについて語るにつれ、その溝は深まっていく。そして決定的なのは2人が同じ女性を愛してしまったことだ。

諜報活動の駒として捕まえたロマノフ家の末裔タチアナにいつの間にかその姿態に絡め取られ、KGBの権力で征服を強調するジミトリーに対し、学問のみならず芸術にも造詣が深く、人間的な魅力でお互いに惹かれ合うアレックス。アメリカとソ連でそれぞれ育った兄弟の戦いはタチアナと云う1人の女性を巡る愛もしくは欲望から始まる。

アレックスは彼女を弟から奪い、それを知ったジミトリーは自身の手でタチアナを暗殺する。しかもそれはフランコ・グリマルディがアレックスをCIAに引き込むためにわざとリークした情報だった。

このタチアナの死こそが2人の永い戦いの始まりのトリガーとなる。この1人の女性を巡る兄弟の復讐と殺戮の連鎖はCIAとKGBという2大スパイ勢力の戦いにまで発展する。

こんな業深き2人の兄弟の生い立ちに深く関係するジミトリーの父親ボリス・モロゾフとはどのような人物だったのか。

ボリス・モロゾフの業は亡き妻の叔父を処刑したことから始まる。ソ連の敵対国であったポーランドは妻の生まれ故郷であり、しかもポーランド軍に彼女の叔父がいたのだった。そしてソ連軍によって捕虜となったポーランド兵を次々と処刑する任務に就いていたボリスの許に捕まった叔父がいたのだ。彼はモロゾフの名を連呼したことが功を奏してモロゾフと処刑寸前に逢う事が適うが、ソ連において上を目指すモロゾフは彼の存在を出世の足枷とみなし、その場で射殺してしまう。

そんな非道な行為の報いか、彼は愛する妻と娘2人を進攻したドイツ軍によって連れられ、処刑されてしまうのだ。傷心の彼の前に現れたのが亡き妻の面影を持つユダヤ人女性トーニャ。その出逢いがまた彼を狂気に駆り立てる。

彼女の夫であるユダヤ人男性を、証拠を捏造して反政府分子の1人に仕立て上げ、無理矢理逮捕して強奪したKGB捜査官ボリス・モロゾフもまたソ連という絶対秘密主義社会の歯車であることを利用して得られた権力を利己的に揮うがゆえに、雁字搦めに追いやられ、次第に破滅の道を辿っていく。

欲望、烈情、支配欲、出世欲、権力。これらのうち誰しもが1つは駆られる感情だ。
但しある特殊な環境で育った兄弟2人にとってはその出自自体が政治的醜聞の要素を色濃く湛えているがために、周囲から苛められ、また疎外される環境に否応なく追いやられてしまった。生まれた時からマイナスの状況であった2人にとって周囲を見返すために成り上がることは必然的な感情の発露だった。
ただアメリカとソ連、それぞれ共産主義と民主主義を看板に掲げる国にそれぞれ育った2人はおいそれとその道程も変わってくる。先にも書いたがまさに陰と陽、カードの表と裏といった環境で育った兄弟にとって陰であり裏であった弟は陽であり表であった兄を当然の如く忌み嫌うようになる。

この兄弟が殺戮の狂宴を国家権力を用いて繰り広げる絶望的な展開のなか、どう転んでも悲劇的な結末でしかあり得ないだろうと思われた読者の予想をバー=ゾウハーは軽々と覆してくれた。

いやはや何と云う物語を紡いだものだ、バー=ゾウハーは!まさに世界の表と裏を知り尽くした彼しか書き得ない叙事詩だ。

例えばジミトリーの生い立ちを通じて仔細に語られるKGB訓練学校の場面などはどうやってここまで書けるのか。
海外で潜入工作員として暮らしていくために行われる語学、文化、習慣についての授業に加え、尾行術、戦闘術に武器の使い方、そして暗殺の方法などについて教えられる場面が詳らかに描写される。作者の取材の賜物か、もしくは想像の産物なのかは解らないが、驚愕を覚えずにいられない。

本書は2人の兄弟の生き様を通じて描かれた米ソの冷戦の遍歴であると同時に世界を緊張下に長らく至らしめたあの冷戦とは一体何だったのかという命題に対し、作者なりに総括するために書かれた作品でもあるのだろう。

最近は寡作であるバー=ゾウハーはこの後に書かれた作品は『ベルリン・コンスピラシー』の1作のみで、しかも15年も経った2010年になっての作品だ。
巷間から忘れ去られるには非常に勿体のない作家だけに、これほど新作を期待する作家もないのではないか。
世界は彼の新作を待っているはずだ。


▼以下、ネタバレ感想

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